「ハキリアリ」

ハキリアリ (ポピュラーサイエンス)

ハキリアリ (ポピュラーサイエンス)


本書は世界的なアリの権威であるBert Hölldobler,E. O. Wilsonのコンビによるハキリアリについての一般読者向けの本だ.この2人はアリの研究を協同で行い,ピューリッツァー賞に輝いた「The Ants」や「Journey to the Ants(邦題:蟻の自然史)」などの本も共著していることで知られ,アリの本ならこの2人というコンビだと言えるだろう.原題は「The Leafcuttter Ants」
なおウィルソンは最近包括適応度について誤解に満ちた攻撃を行っているNowakたちの論文に共著者として名を連ね,さらにナイーブグループ淘汰的主張を全面的に展開する「The Social Conquest of the Earth」を出版して議論を呼んでいるわけだが,本書ではそのような筋悪な主張はそれほど目立たない.それは主著者がヘルドブラーだからということもあるのかもしれない.


冒頭第1章ではアリの真社会性とその自然界での繁栄が,「超個体」という用語とともに語られる.いきなり筋悪説明の炸裂かと身構えるが,実際には,ホイーラーの最初の指摘,しかし真の個体との違いが大きく説明としては廃れていったこと,最近コロニーを遺伝子の延長された表現型*1と捉える見方が次第に受け入れられるようになったこと,集団が作られる際の一般原則を見いだすために個体と超個体というレベルで比較研究されていることなどが書かれている.穏当な説明といっていいだろう.


第2章からはハキリアリの様々な側面が語られていく.真のハキリアリと呼ぶべきアリは,アメリカに分布するハキリアリ属とトガリハキリアリ属のアリだけだそうだ.第2章では似たような生態を持つアジアのキノコアリ類やその他の菌栽培アリとの系統関係(菌栽培を行うアリ全体は単系統で南米で5000〜6000万年前に生じたらしい,生きた植物の葉を切り取って単一菌種を栽培する適応は800〜1200万年前に生じた),様々な菌の栽培法などが解説される.またここでは菌とアリの共生関係が以前に考えられていたほど緊密ではなく,菌が横方向にも伝わることなどの知見が紹介されている.


第3章では生活史が語られる.交尾は空中で,複数オスと交尾するかどうかは種によって異なる.ここでは複数オスと交尾する進化的な理由についての仮説がいろいろと紹介されている.病気への抵抗力,精子の数,ワーカーの分化などだが,巣内コンフリクトとの関係については触れられていない.
第4章はカーストについて.様々なワーカーが様々な仕事をしていることが描かれる.葉を運ぶアリの背中に乗っている小さな「ヒッチハイカー」ワーカーアリが実は寄生バエからの防御を行っているなどの記述は面白い.
第5章では葉を切って運ぶ仕事の詳細が描かれる.葉を切るときには腹部で摩擦音を出して顎を震動させて切っているのだそうだ.また葉片の運搬効率最適化の議論もある.葉を運ぶときには最初のワーカーが最後まで運ぶのではなく途中でリレーをかませる方が情報伝達が効率的になるなどの仮説が紹介されている.
第6章ではフェロモンや音による情報伝達が話題になる.感覚器官を図示した後,様々な情報がどのような手段で伝えられるかが詳しく紹介されている.彼等は同じ枝に付く葉のどれがより適しているかを信号で伝えることができ,ある葉は徹底的に切り取られているのに隣の(人間の眼には同じに見える)葉は無傷で残っていたりする.
第7章は菌とアリとの相互作用だ.菌はアリに(例えば葉の望ましさなどの)情報を伝えているのか,アリは本来の菌と侵入した菌を区別できるのか,などが議論されている.なおここではアリと菌の共生関係にコンフリクト*2があるのかという話題も取り上げられている.そこでは菌を入れ替えてもアリが集めてくる葉の種類が変わらなかったこと,菌がアリの性比をコントロールしている様子がない(もし性比がコントロールできるならメスを増やした方がより分散できるだろうという予想に基づいている)ことをもって,「アリと菌の間においては対立より協力の方が大きな役割を果たしただろう」という結論がほのめかされている.ここはちょっと筋悪な強調の仕方だ.前者は新奇な環境に対する適応が見られないという状況で,後者はアリの方がコンフリクトの勝者になっていると解釈することもできるだろう.
第8,9章は菌園の管理.菌園に寄生する毒性の菌が存在し,ワーカーは菌種特異的に効能がある抗生物質を分泌し,さらに抗生物質を分泌する別の菌を利用する.そしてそのほか様々な適応が見られるのだ.
第10章はハキリアリを食い物にするアリの物語.ハキリアリのコロニーに入り込んで寄生するアリの生活史は面白い.(なおハキリアリはコロニーが巨大なためか,他種のアリによる略奪は受けないようだ)
第11章は巣の巨大さとその詳細の説明.第12章はハキリアリが作る高速道路の話が語られている.


この第3章から第11章まではハキリアリの様々な側面が記述されていてナチュラルヒストリーとして読んでいて大変面白い.また添えられた数多くのフルカラーの写真が素晴らしい.邦訳本は参考文献を省略せず,装丁も美しく,しゃれている.心配されたウィルソンの怪しい主張もなく,珠玉のような昆虫物語といっていいだろう.



関連書籍


原書

The Leafcutter Ants: Civilization by Instinct

The Leafcutter Ants: Civilization by Instinct


同じコンビによるピューリッツァー賞受賞作品.邦訳はない

The Ants

The Ants


同じコンビによる一般向けのアリの本

Journey to the Ants: A Story of Scientific Exploration

Journey to the Ants: A Story of Scientific Exploration


同邦訳

蟻の自然誌

蟻の自然誌

*1:原文ではきちんとextended phenotypeとされているが,邦訳では「遺伝子の延長」とされていて大変残念だ.ここできちんとドーキンスに敬意を払っているのには注目させられる.

*2:訳では「利害のせめぎ合い」とされている.間違っているとは言えないが定着した用語を使って欲しいところだ