「サピエンス全史」

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史 上下合本版 文明の構造と人類の幸福


本書は歴史家であるユヴァル・ノア・ハラリが,人類の進化史からバイオ技術の生みだす未来までを視野に入れて描いた,ホモ・サピエンスの歴史書ということになる.原書は欧米でも話題になっているようだ.何しろ構想が壮大だし,ジャレド・ダイアモンドが推薦しているということもあり,私も邦訳を機会に手に取ったものだ*1.原題は「Sapiens: A Brief History of Humankind」.

第1部 認知革命

第1部ではチンパンジーとの共通祖先との分岐から農業革命前までを扱う.これは文字の発明前であり通常の歴史では扱わないところで,生物学的な内容が多い.ハラリにとってもチャレンジングな部分だと思われる.

生物学的進化史

記述は135億年前のビッグバンから起こしているが,すぐチンパンジーとの分岐とホモ・サピエンスの登場まで進む.進化史のところは,フローレシエンシスの発見やネアンデルタールやデニソワとの一部交雑なども取り入れ,おおむね現在の人類学の流れを要約していて,ところどころ気になる浅い記述*2もあるが,あまり大きな破綻はない.
ここで歴史家の解釈として,ハラリは,サバンナの「負け組」だった人類は,火と調理,脳の増大,社会性,言語を獲得できたためにあっという間に生態系の頂点に登り詰めたが,なお自分の位置について恐れと不安でいっぱいで,それが戦争から生態系の破壊までの災難の遠因になっているというストーリーがお気に入りのようだ.これはエビデンスもなく,やや浅薄という印象を禁じ得ない.

認知革命

7〜5万年前ぐらいから現れる認知革命については,ハラリはかなり独特の解釈をしている.これは言語が「虚構」を集団で扱うこと可能にした結果だというのだ.ヒトがダンバー数である150人を超えて協力できるのはこの「虚構」の力だと力説する.ハラリによると部族の精霊や宗教だけでなく現代の法律や制度もすべて「虚構」であり,ヒトはそれにより大規模な社会を可能にしているということになる.そしてこのような「虚構」は,その上で人々が複雑なゲームをするようになって,自己増殖的にさらに複雑になり,歴史的記述が必要になる.
ハラリがあげる「虚構」の説明は以下のようなものだ.

  • 大手自動車メーカーであるプジョーSAは法人であり,これは「法的擬制」と呼ばれる虚構だ.宗教と同じように,フランス議会が正規の礼拝手順や儀式の手順を踏んで制定した物語が人々に信じられることによってこの虚構は人々を動かす.
  • 交易ネットワークもすべて虚構の上にある.これらは,通貨,中央銀行,企業信用,トレードマークなどの虚構の上にある.

しかしこの説明には不満が残る.まず宗教の一部の教義のような虚構が全くの虚構のままの場合と,皆が信じた場合に自己実現的な効果が生じるものとは随分異なるだろう.そして真に面白いのは後者のような場合であり,法人や通貨は後者の「制度」だ.しかしその場合もどんな虚構でもいい訳ではない.真に興味深いのは,どのような制度が,自己実現的な効果を可能にするか,そしてそれはどのようにしてそうなるのかということではないだろうか.ハラリはそこには全く触れてはくれない.

狩猟採集生活

農業革命の前のサピエンスは狩猟採集生活を営んでいた.ハラリはここで様々な人類学的な知見を総合してそれがどのようなものかを描き出している.宗教生活や社会政治状況についてはわかっていないことも多く,それぞれの集団で多様なあり方であった*3と思われるが,おしなべて(欠乏と苦難の時期もあり,幼児死亡率は高いが)全体として快適で実り多い生活様式であったとまとめている.

なお冒頭で,進化心理学について,異論が多い考え方だとして批判的に紹介し,さらに一部の進化心理学者は「狩猟採集時代のサピエンスが私有財産も一夫一妻制の関係も持たず,各男性には父権さえない原始共同体で暮らしていた」と考えていると紹介して,それがありそうもないとして糾弾している.しかし少なくとも主流の進化心理学者が全くそうは考えていないのは明らかであり,極端な異端説を持ち出しての批判には当惑させられる.おそらく進化心理学ぎらいのリベラルに感化されて,内容について十分吟味もせずに批判的に扱っているのだろう.ここはあまり理解できていないにもかかわらず*4浅薄な批判をしている形になっていて残念だ.

世界中への分散と大型哺乳類の絶滅

ここではサピエンスの世界中への分散と,分散の結果生じた突然の狩猟圧による大型哺乳類の絶滅を扱う.後者は生態学的にはほぼ通説的になっているが,歴史家にはまた新しい知見ということなのだろう.詳しく紹介している.

第2部 農業革命

農業革命がもたらしたもの

1万年前にすべてが一変する.簡単にどのように農業が世界中で生じたかを説明し,ハラリは農業は「史上最大の詐欺」だったと解説する.農耕民の暮らしは狩猟採集民より不安定で,必要労働時間は延び,栄養は偏り,感染症が増え,全般的に生活水準が下がった.しかも一旦人口が増えてしまったためにもう元には戻れなくなっていた.これも最近ではよく主張されているところだ.
ただ,ハラリは(文字がなかった時代には証拠は残らないが)宗教的な要因という別の可能性も指摘していて面白い.ハラリとしてはこれも「虚構」の物語に組み込みたいのだろう.しかしこれはどちらかというと政治権力者による大衆の操作あるいは搾取的な物語とした方がわかりやすいように思う.
また最後には家畜化された動物の苦しみもかなり詳しく取り上げていて,「動物の権利」にも敏感なリベラルな歴史家でありたいというハラリの志向が窺える.

虚構による秩序

農業が始まり将来に対してはじめて手を打てるようになった人々は余剰作物をため込んだ.これが大規模な政治や社会の体制に結びつき,政治,戦争,芸術,哲学の原動力になった.
ハラリはこれにも「虚構」の物語を付け加える.「虚構」に基づく想像上の秩序によってさらに大規模な政治社会体制が築かれるというのだ.そしてハンムラビ法典も,アメリカ独立宣言も同じような虚構だと解説する.大規模な秩序は単なる暴力や強制だけでは維持できずに,何らかの価値観を信奉することが必要だというのだ.

認知革命のところの「虚構」の説明から一歩進めて,ここでハラリは,このような想像上の秩序を可能にする虚構がどのように形成されているかも考察している.ハラリによると以下のようになる.

  • この虚構は現実の物質的世界に織り込まれる.個人主義は個室の存在に,中世の価値体系は石造りの城の形に表れる.
  • 欲望はその虚構の中の支配的神話によって形成される.ロマン主義では新しい土地での新しい経験に,消費主義では快適な商品・サービスに欲望が宿っている.
  • そしてその虚構は膨大な数の人々が共有する.

この説明も私にとっては不満の残るものだ.ハラリは「価値観の共有」と「その価値観に基づく秩序の維持」の問題を切り分けていない.だから制度論としてもっとも興味深い後者の問題は依然として手つかずだ.
どのようにして社会である価値観が共有できるかという前者の問題は確かに興味深いところがある.しかしそれを,ヒトの生得的な道徳心理,正邪の感覚を無視して,単に虚構がどう織り込まれているかだけで議論しても興味深い洞察は得られないだろう.

数理的書記体系の始まり

大規模な協力社会には膨大な量の情報処理が必要になる.それらの情報処理は狩猟採集生活にはなかったもので,ヒトの生得的認知能力だけでは処理しきれない.そうして文字が生みだされた.実際にメソポタミアの最初期の文字記録はみな会計的な内容であり,話し言葉を書き留めるためのものではない.
ハラリはこのような数理的処理を可能にする書記体系は,「虚構」に加えて大規模協力社会を可能にした要素のひとつであると整理している.

階層と差別

ハラリは大規模社会は必然的に「想像上のヒエラルキー」と「不正な差別」を生みだすようだと解説する.そしてこれらが悪循環の過程に入る様子を描写する.

  • 想像上のヒエラルキーは偶然の事情に端を発して形成される.その後それに基づく既得権を守ろうとする動きが,虚構を利用することにより.さらにヒエラルキーを発達させる.
  • 当初アメリカ大陸の労働力不足がアフリカからの奴隷導入につながったのは歴史的な偶然の要素が大きかった.それは白人の既得権につながり,宗教的神話,(擬似)科学的神話が創り出されて人種差別を正当化しようとする動きにつながり,それは自己強化的サイクルに入り,偏見は時を追うに従い定着した.
  • 男女の間には当初あった小さな生物学的差異に基づく分業の慣習が,それぞれの社会の中の文化や規範と何層にも結びついていった.生物学的差異には「自然」も「不自然」もないが,その違いはキリスト教的神学から「自然」で正しいものとされ,男女差別が社会的カテゴリーに基づいて深く文化に根ざすようになった.

ハラリは性差別については,攻撃性の性差なども検討し,さらに通文化的に見て家父長制が圧倒的に多いのはなぜかを考察し,最終的にそれはよくわからないとしている*5.しかし今や潮流ははっきり変わりつつあり,過去1世紀で性別の社会的文化的役割の考え方は激変したことを指摘している.

第3部 人類の統一

第3部はまさに歴史の力学を扱う,ハラリの本領発揮どころだ.

統一への力

まずハラリは,ヒトの文化は不変ではなく移り変わるものであり,内部の要素間には矛盾が満ちあふれているものであることを強調している.矛盾の例としては中世貴族のキリスト教と騎士道,現代社会の自由と平等を挙げ,このような内部矛盾が「認知的不協和」として文化の原動力になっているとする.ここは弁証法風な議論であり,どこまで普遍化できるのかはやや疑問だ.
そして文化の変化による歴史に方向性があるのかと問いかけ,それには歴史家として「ある」と答えている.そしてハラリはそれはグローバルな統一への動きだとする.

そしてここからグローバルへの統一の流れのなかの様々な「虚構」を扱っていく.

通貨

通貨は大規模社会になると自然発生的に登場する.そしてハラリはそれは物質技術の問題ではなく,精神的な革命であり,共同主観的現実があり,自分たちの集合的想像に対する信頼があればいいのだとする.そしてこのような自己実現的な正のフィードバック過程があるから,時にそれは不安定になるのだとする.
そして通貨は統一の流れに乗り広域での流通をめぐって競争する.そしてそれは需要と供給の冷酷な法則に従い,各地の伝統や人間の価値を損なう.そしてそのためにそれは時に怒れる人々によって打ち壊される.


ここも少し制度に対する見方が一方的で浅いような印象だ.たとえば通貨の長期的な信頼性のためには,単なる共同幻想だけでなく,それが何らかの仕組みで希少性の担保を持つことが必要になるだろう.そしてある経済圏の失敗は伝統を打ち壊された人々による反乱よりも別の要因によることの方が多いのではないだろうか.

帝国

歴史を眺めると幾多の帝国が現れ広大な多民族地域を支配した.ハラリは,よくある帝国への批判として「機能しない」「破壊と搾取の邪悪な原動力」の2点をあげ,前者なナンセンスであり,後者にも問題があるとする.

  • 帝国は世界で最も一般的な政治組織であり,しばしば非常に安定した統治を実現している.大半の帝国は反乱を簡単に鎮圧し,倒れるのは外部からの侵略か内部エリート層の分裂による場合がほとんどで,その場合別の帝国に乗り代わられるのが普通だった.一旦征服された民族が帝国の支配から逃れることはごく希にしか生じず,多くの場合にはゆっくり帝国内で同化していった.
  • 確かに建国建設時には大量の人を残忍に殺し,あるいは迫害する必要があることが多い.しかし帝国は多くの文化的に価値あるものを後代に残した.多くの帝国支配者は,支配下民族も「私たち」として扱い,その厚生の向上に努力している.文化は同化していき,その過程には痛ましいこともあるが,より普遍的な思想や規範,そしてより広い民族概念(ローマ人,アラビア人,漢民族など)が採用される傾向があった.

ハラリは帝国の章の最後で,現在は真にグローバルな問題(地球温暖化など)が出現したために,今はまだ政治的にばらばらだがグローバルな統一の動きが加速するだろうとコメントしている.

宗教

ハラリは冒頭で,宗教が担ってきた重要な歴史的役割は,社会秩序の脆弱な構造に超人間的な正当性を与えてきたことだとしている.このような宗教観からハラリは以下のような指摘を行う,

  • 広大な領域の統一に役立つには,普遍的な超人間的秩序という内容とその布教が重要になる.しかし古代の宗教は元々局地的で排他的だった.普遍性への転換は以下のような過程を経て生じた.
  • 狩猟採集時代には局地的なアニミズム的な信念体系が主流だった.農業革命は(アニミズムにおける)動物を対等な霊的メンバーから資産に格下げした.これにより「神」が重要になった.交易ネットワークの拡大は多神教の出現につながり,人々は世界を神々と人間の関係の反映としてみるようになった.
  • 多神教は,神的存在は,関心や偏見を持たず,人間の欲望や不安には無頓着だと考える.人間は,何らかの取引で,個々の神の限られた力を借りることができるだけだ.また異端や異教徒を迫害することは滅多にない.(ローマ時代のキリスト教迫害は政治的な忠誠の問題であり,キリスト教の異端迫害に比べれば圧倒的にスケールは小さかった)
  • そのような多神教の中から,自分のお気に入りの神が唯一だと考える「局地一神教」が現れ始める.しかし真の転換はキリスト教が全人類に向けた広範な宣教活動を組織し始めたときに生じた.一旦一神教が布教を始めると,それは必然的に熱心で妥協できないものになり,結果的に東アジアとアフリカ南部を除く世界は一神教に覆い尽くされた.
  • しかし(そのような地域でも)多神教が死に絶えたわけではない.キリスト教ですら多くの聖人を持つ.また「悪」の存在を説明しやすい二元論(神と悪魔,物質と精神)も吸収している.
  • 仏教は超人的秩序ではなく,自然法則の産物として秩序を考える.これは東アジアに根を下ろした.
  • 過去300年は宗教の重要性が薄れた時代として描かれることも多い.しかしそうではなく,自由主義共産主義,資本主義,国民主義全体主義などの(自らをイデオロギーと呼ぶ)自然法則による秩序を唱える宗教が台頭してきた時代なのだ.


このあたりは「虚構」により歴史を叙述できるとするハラリの議論の中核だろう.そして特定の価値観や宗教はある意味「虚構」と呼ぶにふさわしい部分があって,読んでいてもそれほど大きな違和感がないところだ.


続いてハラリは自由主義,平等主義,全体主義を「人間至上主義の諸宗教」として扱う.

  • 自由主義的人間至上主義は個人の自由はこの上なく神聖だと考える.これはある意味各個人には永遠の魂があるとするキリスト教の遺産だ.
  • 社会主義的な人間至上主義はホモ・サピエンスという種全体を神聖と考え,全人類の平等を求める.これもすべての魂は神の前に平等であるという一神教の信念の焼き直しだ.
  • ナチズムは進化論的な人間至上主義だ.彼等は人類を退化から守ろうとした.この試みが生物学的にも間違っていることは現在では明らかだが,1930年代には常軌を逸した考えとは言えなかった.少なくとも白人至上主義は1960年代まではアメリカやオーストラリアに残存していた.

ハラリは最後に,生命科学の進歩により,進化論的な人間至上主義に新たな展開があり得ること,自由主義の基礎にある永遠の魂が根拠を失っていることを指摘している.ここは歴史家の目としてみて気になるところなのだろう.

歴史の動態

ハラリは第3部の最後に「歴史はどのように動くのか,そこに必然はあるのか」という問題を扱っている.そして当然ながらその答えは「ない」だ.一部の歴史家はなお決定論的な説明を試みるがほとんどの歴史学者はそれに懐疑的だ.
ハラリは歴史は2次のカオス系(多数のエージェントが複雑な相互作用することにより生まれるカオス)だとし,さらに歴史の選択は人間の利益のためになされるわけではないことを強調している.ここでは文化に感染症的寄生的側面があることにも触れ,ミーム概念も飛び出していて面白い.
そして第4部はそのような歴史的な選択のひとつ科学革命を扱う.

第4部 科学革命

近代科学の成立

人類社会はここ500年で激変する.それは科学革命の成果だ.それは従来の知識の伝統と何が異なるのか.ハラリはそれをこうまとめる.この3番目はいかにも歴史家らしく面白い.

  • 進んで無知を認めること
  • 観察と数学を中心に置くこと
  • 新しい力(技術)の獲得に向かうこと

ハラリの物語においては,進んで無知を認めるとこれまで秩序を維持してきた「虚構」が崩れることになる.ハラリはこれに対しては,何らかの科学的な装いを持つイデオロギーに頼るか,何かひとつ非科学的な価値観(自由主義など)に即して生きるしかないとしている.これはやや極端で,ハラリの虚構の物語自体に問題があるところのようにも思える.
またここでは,科学革命以降,物事の説明には,物語や論理学ではなく,数学と統計がメインストリームになっていること,技術への応用という面では特に軍事面での影響が大きかったこと,「進歩」の考え方が普及したことなどもコメントされている.
また科学をどの方向に向けるかはスポンサーの意向が重要になる.それは帝国主義と資本主義への説明につながる.

科学と帝国

なぜ16世紀以降それまで辺境だったヨーロッパが世界の主役になったのか.ハラリは(当然ながら)それをヨーロッパ特有の価値観,神話,法制度,社会政治的構造つまり「虚構」に求める.

  • ヨーロッパの帝国主義は,(それまでの帝国が既に世界を知っていると考えていたのと異なり)未知の土地を,新たな領土として,そして新たな知識を求めて取り込もうとした.それは新大陸の発見と征服に結びついた.(それをよく示す例として,ダーウィンのビーグル号,世界地図の発展などが取り上げられている)
  • 知識の獲得欲は,征服地の言語学,生物学,地理,歴史の研究につながり,帝国主義の正当化の理由となった.それは(誤った知識により)人種差別の正当化にもなった.
  • 実際ヨーロッパの諸帝国は,科学との結びつきにより大きな力を手にし,それを行使することによってあまりにも多様なことをあまりにも大規模に行ったために,どのような非難も賞賛もそれを裏付ける証拠に事欠かない.


ヨーロッパの帝国主義が,それまでのアジアや中東の帝国と異なり,自分たちの無知を前提にした知識欲に突き動かされていたという指摘は面白い.

資本主義

ハラリは近代経済は「成長」を求め,「虚構」の金融制度に依存しているとする.

  • 「進歩」の思想は,成長ですべてのパイが大きくなるという解決策を提示し,金融は信用を生みだすことによって素晴らしい正のフィードバックをもたらし,果実を単に消費するのではなく再投資することにより,成長を可能にする.
  • 貸した金を返してもらえるだろうという信用は重要だ.17世紀,スペインの王室は専制的で強力だったために個人の財産を守る保証がなく,逆にオランダは公平な司法制度を持ち,投資家の信用を得たので資本が流れ込み繁栄した.18世紀以降の英国の成功も同じような状況で生じた.

ここでは虚構性よりも,信用を効果的に生みだす制度的要因が強調されていて,基本的にこの説明は説得的だ.


ハラリはさらに議論を進める.

  • 資本主義は次第に単なる経済学説を越える倫理体系になった.
  • 内容的には,「経済成長は至高の善である」「自由市場は最も効率的で常に正しい」などがそれに該当する.

ハラリは,まず資本主義だけでは奴隷貿易などの非倫理的行為を否定できないことを指摘し,さらに詐欺やペテンから市場を守ることの必要性および独占の弊害を説いて後者の自由市場至上主義に疑問を呈し,さらに前者の経済成長至上主義について,これは常に技術的なブレイクスルーがあるという前提に依存しているが,それは将来的に保証されているわけではないとする.


ここはやや一面的な批判のように思われる.そもそも資本主義がそれだけで完結する倫理体系になっているわけではないのは当たり前だ.至高かどうかはともかく,(ほかの条件が同じなら)経済成長が一般的に善である(もちろんほかの条件が異なるならトレードオフはある)のは確かだろう.そして自由市場至上主義は経済学のメインストリームではなく,極端なリバタリアンの主張する偏った考え方に過ぎないだろう.

産業革命

産業革命は経済を一気に成長させた.これは熱を運動エネルギーに転換するという技術的ブレークスルーによって可能になった.ハラリは産業革命以降のエネルギー変換の歴史は,私たちが使えるエネルギーに限界があるという考えを繰り返し反証してきたのだと指摘する.それまで考えられてきた限界は単に知識の限界に過ぎなかったのだ.
そして産業革命はついに農業の過酷な労働から人々を解放し,豊かな工業製品を世に送り出すようになった.ハラリはここで消費主義という新たな「虚構」が人々を必要のない商品を買うように押しやっていると指摘する*6
ここもちょっと上から目線のリベラル臭が気になるところだ.消費者が自分の欲しいものを買うのを説明するのにあえて「虚構」を持ち出す必要があるのだろうか.

社会と平和

産業革命は人々の生活パターンも大きく変えた.人々は画一的な生活を画一的な標準時に従って過ごすようになる.ハラリはさらに産業革命は国家や市場の力を巨大にし,個人は国家と市場に直接向き合って過ごすことが可能になり,その結果家族や地域コミュニティの絆を弱めるように働いたと主張する.さらにハラリは市場と国家はこの穴を埋めるために,「国民」「消費者」という「虚構」のコミュニティを創り出したとする.


ハラリは,近代後期について,戦争の惨禍が強調されることが多いが,同じく平和と安定にもあふれているし,第二次世界大戦後の70年は基本的に平和の時代だと指摘する.要因としてはヨーロッパ諸帝国の崩壊.その跡地に興った諸国の戦争に対する無関心(これは戦争のメリットが減少しコストが劇的に上昇したことから説明できる),そして2つの超大国の核抑止戦略が均衡したこと,そして最後にグローバルな政治文化の変容(戦争に否定的になったこと)を挙げている.このあたりはピンカーの分析にも通じるところがあるだろう.

人類の幸福

では,科学革命と産業革命第二次世界大戦後の平和によって人類は幸福になったのか.
このトピックはもはや歴史を離れたものだろう.ハラリは,これまでに出されたいくつもの見解を検討し,行きつ戻りつしながら思索する.力は進歩であり幸福だというのは単純すぎる.それをここ500年に限ってもなお疑問は残る.人間の幸福だけを考える態度は正当だろうか(家畜の不幸のことを言っている)と.
意外なことに,ハラリはここで幸福の心理学を紹介し,さらに思索に沈む.幸福の心理学によると幸福は富や健康などの客観的な要素だけでは決まらず,主観的な期待との相関関係で決まる.では集団的妄想の中で人生の意味を見いだして幸福だったとするならば,それはどう評価すればいいのか.幸福と自己欺瞞は同義なのか.そして幸福感は脳内化学物質に大きく影響を受ける.では化学的な処方によって人々を幸せにすることは善になるのか.
ハラリは,自由主義の視点,キリスト教の視点,仏教の視点からどう見えるかなどにも触れながら,思索を続ける.歴史書としては異質なこの議論について,ここでは結論は示されていない.大きなスケールで歴史を捉えてきた歴史家として,どうしても書き残しておきたかった部分と言うことだろうか.

未来

ハラリは最後に未来についても触れている.これまでの技術の進展を考えると,今まで不可能と思われていたことも可能になるかもしれない.ハラリの関心は特に遺伝子工学の進展の先にあり,ヒトについての遺伝子工学的な改変,ネアンデルタールなどの絶滅人類の復元,サイボーグ,人工生命などの将来を考察している.それは新たな倫理的な難問を生みだすだろう以上の結論は何も示されていないが,最後に結局最終的な問題は「われわれは何になりたいか」になるのだろうと指摘し,本書を終えている.

本書はとにかく構想が大きいのが特徴だ.このような人類進化をしっかり踏まえた本はいろいろあるが,歴史家の手になるものはあまりなく,そういう意味でも面白い本だ.例えば本書では認知革命,農業革命,帝国によるグローバル化,科学革命という4つの区切りを用いて人類史を俯瞰しているが,そのような見方はいかにも歴史家らしく新鮮だ.
一部に,生物学的知識が浅い,「虚構」話にとらわれて制度論の最も興味深いところが抜けている,資本主義や市場についての批判が紋切り型でつまらないなどという不満はあるが,それは期待しすぎということもあるかもしれない.逆に帝国主義や宗教についての章はまさに歴史家の面目躍如で大変啓発的で面白い.生物学と歴史,経済,制度にまたがる興味を持つ人には一度読んでおくべき本ということになるだろう.


関連書籍


原書

Sapiens: A Brief History of Humankind

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宗教の歴史で面白かったのは(最後ぐだぐだになるのが残念だが)この本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090920

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同原書.Kindle版はカバーが変更になっている.原書の私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130109

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しあわせ仮説

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同原書

The Happiness Hypothesis

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*1:なお本書は単行本とKindle版が同時刊行されていて嬉しい.さらにKindle版は上下に分かれたエディションと合本版の2種類が利用可能になっていて素晴らしい.合本版は検索が通しでできるので非常にありがたい(ホーム画面がすっきりするのもいい).各出版社には上下本の電子化に当たっては合本版も出すことを是非積極的に検討して欲しい

*2:「わずか600万年前,ある一頭の類人猿のメスに2頭の娘がいた.そして,1頭はあらゆるチンパンジーの祖先となり,もう1頭が私たちの祖先になった.」などの記述は,やや残念だ.

*3:暴力の程度について,必ずしも現代より暴力的だったとは限らず,多様であっただろうとしている.ここはピンカーの暴力の自然史とは異なる結論で,やや納得感はない

*4:また本書後半部分には「進化心理学では,家畜の感情的欲求や社会的欲求は,野生の時代に進化したと主張する」などと書かれており,進化心理学という分野が何であるかよくわかっていないことを露呈している.

*5:進化心理的にはもう少し性淘汰的な考察を行った方が充実するだろう.進化心理学ぎらいのハラリはこれ以上は踏み込みたくなかったというところだろうか.

*6:消費主義は信奉者が求められたことを実際にやっている史上初の宗教だともコメントしていて,そこは少し面白い