Language, Cognition, and Human Nature 第7論文 「ヒトの概念の性質」 その15

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles


概念カテゴリーの機能はカテゴリーに基づいた推論を可能にすることであり,それは世界がそういう風にクラスターを作っているからだと喝破したピンカーは,続いて2つのカテゴリーのそれぞれの機能を説明する.

古典的カテゴリー:理想化された法則システムの中の推論

  • ここまでの話は,ヒトが概念を形成することによってメリットを得られるような自然のモードを創り出す規則性とはどのようなものかという疑問につながる.最も一般的な感覚で言えば,その規則性は自然科学や数学の法則によってもたらされるということになるだろう.
  • 自然について適切な理想化があれば,そのような法則は「定式システム:formal system」で表現できる.ここで「定式システム」とは,記号操作,前提に基づく推論ルールを指す.私たちは,この「定式システム」が古典的カテゴリーが定義される文脈だと考えている.つまり,何らかの自然科学や数学の法則が適用される理想化された世界なら,そこには古典的カテゴリーがあるのだ.
  • 例えば,物質の質感や厚さ,線の太さを無視することを前提とするならば,平面幾何の図形を理想化できる.この世界の中では2辺の長さが等しい三角形は「二等辺三角形」というカテゴリーのメンバーとなる.そしてある図形がそのメンバーであるとされれば,その図形は2つの同じ角を持つことなどを推論することができる.摩擦のない平面,理想気体,ランダム交配地域個体群などはこの理想化の例になる.
  • 賢い生物はこの理想化された世界の「定式システム」を使って,既知の特徴をから未知の特徴を推論できる.概念化の心理学においては,科学の歴史と同じように,理想化あるいは実際には存在する相関構造を選択的に無視することは因果律を理解するために非常に重要なのだ.
  • 私たちはここで次のことを示唆する:「ヒトの認知において古典的カテゴリーが見られるなら,それは何らかの推論をするための定式システムの一部である.」
  • 概念の機能を考えるなら,それ以外にどんな理由で,あるオブジェクトをあるカテゴリーのメンバーに割り当てるというようなことをするだろうか.
  • これまで概念の形成にかかる伝統的な実験で用いられてきた「2重の輪郭線を持つ赤い正方形」のようなカテゴリーの不自然さは,それが明確な定義を持ったり必要十分条件があることではなく,それが実際の推論にとって全く役立たないようなものだというところにあるのだ.
  • 定式化システムは現代社会のシステム化された教育の領域にあるものだと受け止められるかもしれないが,そうではない.産業革命以前や農業以前の社会の人々にもアクセス可能な推論支援システムに属するような定式化システムは数多く存在する.いわゆるフォルク科学は現代科学に似ているとは限らないが,明確な推論を可能にしている.数学的直感も同じだ.いくつか例をあげよう.
  • 算数:「3つの物体」(という古典的カテゴリー)は,「それは2人でうまく分けられない」という推論を可能にする.
  • 幾何:「円」は,「円上の点はすべて中心から同じ距離にある」「円周は直径をある1つの数でかけた長さになる」という推論を可能にする.そしてそれはその「円」が木の幹であっても砂に書いた図であっても変わらない.
  • 論理:「選言命題」という古典的カテゴリーは選言命題「AまたはBである:A∨B」について「もしこのAが真ならA∨Bは真である」「このA, Bがともに偽ならA∨Bは偽である」という推論を可能にする.
  • フォルク生物学:「Xという種類のカエル」は「乾燥したときに口から出す粘液は毒である」という推論を可能にする.そしてそれはどんなに似ていても別の毒を持たない種類のカエルには適用されない.
  • フォルク生理学:「妊娠中である」は,「女性」「非処女」「将来の母」という推論を可能にする.そしてそれはその人の体重や体型に関係しない.
  • 加えて,ヒトの世界には他のヒトが存在する.そしてヒトの相互の行為を決める心的な「定式システム」があるだろうと期待してよい理由がある.ファミリー類似カテゴリーにはつきもの個人間の経験差やファジーさを前提にすると,個人間の利害コンフリクトが,多くの場合,0か1かの判断に全員が一致できる古典的カテゴリーを持つシステム内の理由付けによって解決されているのは驚くべきことではない.
  • 飲酒禁止を年齢によって決めることは確かに恣意的だが,個人個人の成熟度合いを問題が生じるたびに個別に判断する困難さを考えると,それは合理的なのだ.
  • さらにフレイドとスモレンスキーはこう示唆している(Freyd1983. Smolensky 1988):ある種の社会的に伝達される情報は,離散的なシンボルによって伝達されることになりやすい.なぜなら個人間や世代間で伝達するチャネルには制限があるからだ.
  • 社会的なインタラクションに古典的カテゴリーを用いる定式システムが使われているのを見いだすのは難しくない.
  • 血縁:「Xの祖母」は「Xの叔父の母かもしれない」「Xのある曾祖父の娘の1人である」という推論を可能にする.そしてそれは彼女の髪の毛の色や焼き上げるクッキーの質には関係しない.
  • 社会政治的構造:「大統領」は「戦争開始の決断を行うことができる」という推論を可能にする.そしてそれはその人物の身体的な強さや身長や性別に関係しない.
  • 法律:「重罪犯」は「公職に就けない」という推論を可能にする.そしてそれはその人物の外見や社会的身分に関係しない.
  • 言語:「動詞」は「過去形が存在し,それが不規則過去形を持たないなら,接尾辞dをつけた形になる」という推論を可能にする.そしてそれはその語幹の音韻構造に関係しない.
  • ヒトだけが,そしてヒトにおいてはユニバーサルに,言語,数の体系,フォルク科学,血縁システム,音楽,法律を持っているというのは偶然ではない.
  • これまで見てきたように,定式システムから派生する古典的カテゴリーは,個人がたまたま体験するカテゴリー例示メンバーのミクロな特徴を無視するようなニューラルアーキテクチャーを要求する.
  • このような定式システムに適合した非連想的なニューラルアーキテクチャーの発達はヒトの知性の進化において非常に重要だったと考えることができる.


伝統的な実験が「二重の輪郭を持つ赤い正方形」などを用いていることを批判している部分は面白い.彼等は結局ヒトが何のために認知システムを持っているかを真剣に考えていないのだという批判なのだろう.
算数,幾何,フォルク生物学,フォルク物理学が古典的カテゴリーを用いているのはある意味予想の範囲内だが,ヒトの社会的な関係を律するためには実は0か1かで割り切れる古典的カテゴリーが向いているのだというのは,いわれてみればなるほどということだが,鋭い指摘だ.
確かに法律の議論はすべての論点を0か1かで決めてそこから記号操作をしていくのが基本になる.そしてそのような社会的関係に適応したヒトの進化心理が,本来量的に判断すべき問題にも0か1かを求めてしまう(安全と安心をめぐりやりとりなど)ということになるのだろう.なかなか深いところだ.