読書中 「The Stuff of Thought」 第2章 その3

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


第2節は題して赤ちゃんのおしゃべりのパラドックス言語学習する幼児は動詞のフレームについて何を学習すべきなのかを考える.


まず取り上げられるのはcontent-locative construction と container-locative constructionだ.内容物所格構造と容器所格構造とでも訳せばよいのだろうか.

ピンカーが取り上げるのはまず load と言う動詞についてだ.load は次のような例文を作ることができる.
 Hal loaded hay into the wagon.
 Hal loaded the wagon with hay.


つまり内容物を直接目的語にとり,容器を斜格目的語(前置詞などに先行される目的語)にとることもできるし,逆に容器を直接目的語にとり,内容物を斜格目的語にとることもできる.幼児は load についてこの両方があることを学習しなければならない.


このような動詞はたくさんあるそうだ.


 Jared sprayed water on the roses.
 Jared sprayed the roses with water.


 Betsy splashed paint onto the wall.
 Betsy splashed the wall with paint.


 Jeremy rubbed oil into the wood.
 Jeremy rubbed the wood with oil.


ではこれはルール化できるのだろうか.ピンカーはこう言う.

ここで学習者には重大な選択機会に遭遇する.これらをさらに1つづつファイルしていくべきか.それともこれらは一般化できる法則なのか.「もし動詞が,”積荷の位置を示す content-locative”構造にあれば,それは”ワゴンの位置を示す container-locative”構造に変換できる.」


このような動詞はたくさんあるためルール化できれば学習効率は上がる.しかしすべての動詞が当てはまるわけではない.片方の構造しかとれない動詞があるのだ.



 Amy poured water into the glass.
 *Amy poured the glass with water.


 *Bobby filled water into the glass.
 Bobby filled the glass with water.


そしてそれぞれ多くの片方しかとれない動詞がある.nail coil cover drenchなど


日本語ではこのような例はあるだろうか?
容器と中身ということでは,両方とれる動詞はあまりないようだ.ほとんどはピンカーのあげる後ろの類型に近く,容器か中身かどちらかにしか「ヲ格」がとれないようだ.もう少し広げて中身とそれを取り囲むものまで広げれば,「塗る」はそうかもしれない.


 良子は赤いペンキを壁に塗った.
 良子は壁を赤いペンキで塗った.


中身と容器では
「積む」「注ぐ」「詰める」「入れる」は中身しか「ヲ格」をとれない.
「満たす」は容器しか「ヲ格」をとれない.


中身と外側を囲むものでは
「染める」「覆う」「浸す」は中身しか「ヲ格」をとれない.
「飾る」「かぶせる」は外側を囲むものしか「ヲ格」をとれない.


日本語の場合には後置詞のない直接目的語,間接目的語を用いる構文がない.必ず何らかの後置詞がついて「ヲ格」「ニ格」などをとるために,目的語の態様がかなり制限されるような気がする.だから後者の2類型のように「ヲ格」に容器しかとれない動詞,「ヲ格」に中身しかとれない動詞と言う2類型のうちどちらかの動詞が多いのだろう.



ピンカーの問いはなぜ子供は3組の動詞のルールを習得できるのだろうかと言うことだ.
日本語で考える場合には「赤い液体」と「木材」で考えると「塗る」はどちらも「ヲ格」にとれるが,「吹きつける」は「赤い液体」だけ,「染める」だと「木材」しか「ヲ格」にとれない.(ちょっと「赤い液体で木材を染める」というのは苦しいが,あまり良い例を思いつかないのでご容赦を)これをどう学習するかと言うことだ.


ピンカーはこれまでの仮説を検討している.

  1. 規則はそれぞれ何らかの特徴を持つ動詞に限定されている.そしてその特徴を抽出するルールがまだ見つかっていない.
  2. 子供はある動詞がどの類型に属するのかを1つづつファイルしている.
  3. 子供はまず両方とれるという規則を覚え,それから間違いと指摘されると例外を1つづつファイルする.


ピンカーは1.については,このそれぞれの動詞の意味には非常に近いものもあってそのような規則は見つかりそうにないと否定し,2.については,英語は常に新しい動詞を生み出しているが,話者はその動詞がどの類型かすぐに見分けていると指摘している.

例えばアメリカ人はイギリス英語「He hoovered ashes from the carpet. 」を聞いて「He hoovered the carpet. 」と一般化できる.また「rip a CD 」という表現が現れると,すぐ「 rip songs from the CD 」という表現が後に続いた.(あるいは順序は逆かもしれない)

3.についても同様で,子供は間違いを指摘されることはまれだし,出現頻度の低いまれな動詞であっても類型がわかると否定している.



ここまでのところでは謎は深まるばかりだ.この例外を持つ規則というのは言語の世界では良くある出来事だ.ピンカーの前書「Words and Rules」は動詞の活用と名詞の複数形の規則型,不規則型を巡る旅だった.この場合過去形,複数形は1種類しかないので,規則でないものを聞けば一義的にそれが例外だと確定できる.しかしこの所格構造の場合には3類型あるのでやっかいだ.
またピンカーは限られた例から法則を導く「帰納」の問題としても興味深いと指摘している.


日本語の場合には,両方とれるという動詞の方が少なく,規則と例外が逆転している,そして例外が少ないのと,規則の2類型はお互いに排他的なので動詞の意味と同時に格型を覚えていけばため,謎自体はそれほど劇的ではないだろう.しかしやはり「塗る」のような動詞はあるわけで興味深いことに変わりはない.



第2章 ウサギの穴に


(2)赤ちゃんのおしゃべりのパラドックス