読書中 「The Stuff of Thought」 第3章 その7

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature

The Stuff of Thought: Language as a Window into Human Nature


極端プラグマティックスが正しくないなら多義語はどう説明すればいいのか.


そしてピンカーは不思議な多義語の世界に踏み入っていく.まず多義語は何でもありではなく,記憶された形(動詞で言うなら不規則型)と組み合わせ操作(動詞で言うなら規則型)により出てくる.これはピンカーが「Words and Rules」で丁寧に説明・主張していた言語の特徴だ.


そして言語学者はそのまま多義語を規則多義語と不規則多義語に分類しているらしい.


不規則多義語は個別に覚えるしかない.
red の意味には消防車の色のほか(赤毛の女優)ルシル・ボールの髪の毛の色というものもある.このような定義は個別に覚えるしかない.
その証拠に髪の毛の色の表し方は言語によって異なるのだ.英語ではいわゆる赤毛の色をredという.フランス語では赤毛の色を差す特定の形容詞 roux がある.(英語でもある髪の毛の色を yellow と言わずに blond というように)その他の髪の毛の色 platinum, ash, strawberry, chestnut, brunette, auburn も個別に覚えるしかない.肌の色の形容も同じだ.


単語の使用頻度と多義の多さの統計を取ると,より使われる単語ほど意味が多い.これは言葉の定義は緩く連想の海にあり,使われるにつれて収斂してくるモデルとはまったく逆の結果だ.


ここまではよくわかる.日本語でも顔の表情を表す色は実際の絵の具の色とは異なっている.そのような慣用表現のような意味は個別に覚えるしかない.


では不規則多義語とはどのようなものか.

ピンカーのあげる例はgoodだ.
a good knife, a good wife, a good life というときの good の意味はすべて異なる.

お馬鹿な言語解釈者が無理矢理に個別に考えれば意味はたくさんあることになるが,good のような形容詞や,begin のような動詞は,「それはどのように使われるように意図されたのか」という視点から統一的に解釈されるというのがピンカーの説明だ.


このほかの規則多義語の例には,名詞で作った人と作られたものの多義(Honda, The New York Times),開口部とそれを覆うものの多義(window, door),動物とその肉の多義(chickenなど)などがあげられている.


日本語でも,毎日新聞,窓,など同じようにあるようだ.


ここでプラグマティシストから予想される反論.「それらは単に常識的な連想に過ぎないのではないか」についてはどう答えるのか.ピンカーはこれに対してはこの規則がほかの言語規則と言語メカニズムの一部をなしていて,使い手に不満を持たせるほど融通が利かないことを示せばよいとしている.


ピンカーのあげる非融通性の例は「形」に対する感受性だ.
国名に対する形容詞はそのまま「そこの人たち」という意味で複数形の名詞になる.(the Swiss, the Dutch, the French, the Japanese)しかしこれは語尾が歯擦音で終わっていなければならない.だから *the German, *the Coptic, *the Belgian とは言えないのだ.そしてこれはもともと英語でない単語でも同じだ.(the Hausa, the Tuareg, the Wolof)


次の非融通性の例
政治形態に関する名詞は実際の国家に拡張できる.(democracies, tyrannies, oligarchies, monarchies, dictatorships)しかしそれが ism で終わるときには使えない.(*fasisms, *communisms, *islamisms)


またこのような規則はイギリス英語とアメリカ英語で異なっている.
製品名から会社の名前に拡張が生じたときにアメリカでは単数形に扱い,(The Globe is expanding its comic section.)イギリスでは複数形として扱う.(The Guardian are giving you the chance to win books.)


多義語規則は統語論的にもやかましいルールに従う.
France と言うときには,国土,国名,政治的意思決定体に対して使えるが,国民に対しては使えない.
work for a newspaper (a magazine) とは言えるが,*work for a book (a movie) とは言えない.

このほかにもいろいろな例が挙げられて大変興味深い.読んでいると自由連想で多義語ができてくるとは考えにくいことがよくわかる.


動物名とその肉についてはちょっと蘊蓄も入っている.

多くの人はアングロサクソンが家畜を飼っているだけだったのにノルマンが征服して食べるようになったので,肉のことをフランス語系の呼び方をするようになったのだと信じている.18世紀の詩人サー・ウォルター・スコットはアイヴァンホーにおいて以下のように言わせている.「ポークというのは良いノルマン風フランス語だ.その獣はアングロサクソンで飼われているときにはスワインと呼ばれ,城のホールに連れて行かれるとポークと呼ばれる.オールド・アルダーマン・オックスは自分が喰い殺される顎の前に連れて行かれて,フランス風のビーフと名乗るようになった.メイヒア・カーフも同様にノルマンに楽しまれるようになるとムッシュー・ド・ヴォーと名乗るようになった.」
この物語は面白いが,言語歴史的には違っているようだ.英語系とフランス語系が用法において分かれたのは(ノルマン征服の)一世紀以上もあとのことだ.実際に人々は適当に意味を使うことはない.


日本語でも規則多義語にこのような非融通性は見られるのだろうか.
おそらくよく調べるとあるのだろう.しかし,これは私の能力を超えているようだ.何かあれば教えていただけるとありがたい.


極端プラグマティックスからの予想反論への回答はこれで終了だ.最後にそうはいっても自由連想のような多義語の使われ方について説明が残っている.


第3章 50,000の生得的概念(そしてその他の言語と思考に関するラディカルな理論)


(2)極端プラグマティックス



1/25追記

optical_frog さんのご指摘(http://d.hatena.ne.jp/optical_frog/20080125/1201199508)もあり24日付の本エントリーから,プラグマティズムと間違えてあるのをプラグマティックスに訂正いたします.語用論と訳すのが一般的なようです.ご指摘ありがとうございました.