「An Enthusiasm for Orchids」

An Enthusiasm for Orchids: Sex And Deception in Plant Evolution

An Enthusiasm for Orchids: Sex And Deception in Plant Evolution

  • 作者:Alcock, John
  • 発売日: 2005/11/24
  • メディア: ハードカバー


行動生態学者ジョン・オルコックによるランの本.これはダーウィンの「ランが昆虫により受粉されるための様々な工夫」(The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilized by Insects)という本に捧げるオマージュでもあり,西オーストラリアのランにはまった著者の思いっきり趣味に走った本でもあり,様々な進化生物学のトピックも随所に仕込まれている科学啓蒙書でもある.美しいランの写真も満載で,読んでいて大変楽しい珠玉のような本だと言えよう.


この本を読むまで私も知らなかったのだが,欧米にはランハンティングという趣味があるそうだ.これはランの自生地を訪れ,野生のランをさがして写真に撮るというのが基本で,バードウォッチングに極めてよく似ている.当然ながら分布や開花期を記したフィールドガイドがあり,ランハンターはランをさがし,識別し,図鑑にチェックをつけて楽しむということになる.本書には,ニューメキシコに本拠を持つ著者がサバティカルで西オーストラリアを訪れそこでランの多様性に魅せられてランハンティングにはまっていく様子や,はまった後のオタク振りが楽しそうに書かれている.この趣味的な要素が通奏低音となって流れていることにより,本書はひと味変わった本に仕上がっている.*1


さて本書の基本的な主題はランを題材にした進化生物学だ.


最初のテーマは<適応>だ.
第1章ではランが送粉昆虫との共進化の結果極めて多様に適応を見せていることを取り上げている.西オーストラリアのWarty Hammer Orchid(イボハンマーランとでもいうところだろうか)を取り上げてその精密な適応を説明する.そしてダーウィンのランの本を読むと,(グールドの反適応主義的プロパガンダによるダーウィンが多元主義だという指摘とは異なり)ダーウィンがいかに適応で物事を説明しようとしていたかがよくわかるだろうと,様々なダーウィンの記述や思考をたどっている.
第2章ではそのWarty Hammer Orchidの適応的な特徴のひとつとして,ランのハチ向けのデコイが蕊柱に向かって打ちつけることを紹介し,植物の運動というテーマでさらに掘り下げられる.これもダーウィンの一連の植物の運動に関する本のオマージュだ.莢がはじけて種子を分散させる植物,よじのぼり植物,匍匐枝,ミモザの葉の開閉(植物の葉の夜間屈性はダーウィンが注目していたものだが,未だにこの適応的意義については解決されていないということだ),モウセンゴケ,ハエトリソウ,タヌキモなどの食虫植物,花粉塊を送粉昆虫に打ちつけるラン(Flying Duck Orchidについて特に詳しく語られる)などを次々に取り上げている.
第3章では適応についてさらに掘り下げる.オスバチがランにだまされるのはどう考えるべきなのか,オスバチの配偶者探索行動についての様々な仮説,ランによる臭い化学物質の擬態適応の性質などを議論して,適応主義的なアプローチの豊穣さを示すことに成功している.ここでは最後に自分のランハンティングへの耽溺を適応主義的にどう説明するかという進化心理学的な話題(赤い花やヴァニラの匂いへの嗜好,新奇なものの魅力,仲間間の競争,ハンターとしての名声,不規則で予測可能性のないものと報酬回路まで扱っている)にも触れていて面白い.


第4章からは<系統>を取り扱う.
まず系統を推定する方法を説明する.原始的なランの化石は見つかっていないが,近縁種との比較,地理的分布と大陸移動,そして分子的な証拠からいろいろ推定することができる.ハエトリソウの進化の筋道を近縁種から推測しているのはまさにダーウィン的な手法だ.*2
そして応用問題としてハンマーランの進化の筋道を議論している.ここは議論が大変細かくて面白い.メスバチ擬態デコイの進化的起源は何だろうか.蜜の化学物質と防水のためのワックスとハチのメスの匂いの化学物質の化学的類似性,蜜を実際に分泌することの有利・不利(単なる蜜生産コストではなく他家受粉の確率の問題が議論される)蜜を出す植物に対するベーツ型擬態に似た関係,中間形の利益(その中では,創造論,IDやマイケル・ベーエの議論,そしてドーキンスの名付けた「個人的想像力欠如による反論」という揶揄もはさまれ,さらに宗教についてのダーウィンのスタンスまで話は広がる)などが取り上げられている.最後にダーウィンがランの本の中ではっきり外適応を理解していることを示しグールドの議論に独自性がないことを皮肉っている.オルコックはよほどグールドの主張(というよりそれがポピュラリティを持ってしまったこと)にはイライラさせられていたのだろう.


第5章は<分類>だ.
この章ではランハンティングの醍醐味,まだ見たことのないランの探索,そして類似した近縁種との識別問題が実体験をもとに語られ,種とは何かという問題に入っていく.この記述はバードウォッチャーには大変気持ちがよくわかる部分だ.
おなじみの細分屋とまとめ屋の話を振った後に,ランについては送粉者の異同が大きな決め手になることを紹介している.それは送粉者が生殖隔離と緊密に結びついているからだ.そしてまれに見られる交雑体,地域的な亜種とランハンティングには悩ましい実例を多数を挙げながら,自然における種の問題がいかに微妙かを語っている.


第6,7章はランの<多様性>,<保全>について
何故西オーストラリアでは特にランが多様なのだろう.気候の変化と取り残された気候スポットの数,土壌の多様性などの要因が議論されている.まだ結論はでていないないようだが,いずれにせよ多様性のホットスポットは保全する価値が高いと言えるだろう.観賞用,医学用などの実用的な理由を超えて保全したいという主張だ.
脅威としては盗掘,生息地の消失,放牧家畜による食害,侵入雑草との競争,侵入菌類による寄生などがあるという.本書では様々な保全の取り組みも紹介されている.


最終章にランハンティングの勧めが書かれている.結構実務的ガイド的な記述もある.これは本当に楽しそうだ.お金と時間があったら西オーストラリアまで出かけて一度はやってみたいものだ.最後に著者は新種のランを発見したいという熱望を語り,そしてそれが果たされた経緯を書いて本書を終えている.


本書は著者のランに対する愛がにじみ出て,それを題材にして進化を語っているので大変生き生きとした本に仕上がっている.当然ながら一流の行動生態学者である著者の語る進化のトピックは興味深い話題も多く,時に非常に細かく,時に深い.このような本に出会えてじっくり読めたことは大変幸せである.



(付け足し)
本書の最後の新種発見のところで,著者が新種発見のためのアドバイスを恩師であるエルンスト・マイアに請う話がある.そしてマイアがくれた返信が紹介されている.当時90歳を超えていたマイアの人柄がよくわかる返信なので訳してみた.

親愛なるジョンへ


きっと君はランの新種を発見できなければその執念を持ったまま死ぬことになるだろう.だからこれは僕のアドバイスだ.

  • まずオーストラリアは忘れろ,多くの人が探し回っている.ではどうすればいいって?もちろんニューギニアに行くんだ.
  • 次に種のリストを持ってきてニューギニアの地図に分布域を書き込むんだ.いくつかの山の中に分布域のないところがあるのがわかるだろう.そしてそういう山には絶対に独自種がいるはずだ.
  • 3番目にその中からもっともアクセスしやすいところを選ぶんだ.
  • 4番目.ほとんどのニューギニアのランは森の高いキャノピーにある着生植物だ.そこに登っていくことはできないだろう.でも時にキャノピーは降りてきてくれるのだ.古い枝はいつか折れて地上に落ちる.そしてそれは着生植物にびっしり覆われているだろう.もちろんどれが新種かはわからない.全部集めるのだ.取り立てて新味のなさそうなやつこそ新種の可能性が高い.
  • 5番目.最大の問題は標本を乾かすことだ.私は煙くさい原住民の小屋で火を焚いて乾かした.面白いぞ.


楽しい探索を


エルンスト

関連書籍


The Various Contrivances by Which Orchids Are Fertilised by Insects

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  • 作者:Darwin, Charles
  • 発売日: 2003/07/01
  • メディア: ペーパーバック
本書が捧げられているダーウィンの「ランの受精」



Orchids of Western Australia

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とてもそそられるオーストラリアのラン図鑑.日本には同様なものはないようだ.



ラン狂想曲を紹介するノンフィクション.主にワシントン条約が植物にとっていかに馬鹿げた制限になっているかを描いているが,ランハンターも登場する.


アダプテーション【廉価版2500円】 [DVD]

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  • 発売日: 2006/01/27
  • メディア: DVD
これはニコラス・ケイジの一人二役による実話に基づく奇妙な映画.劇中ではフロリダの希少なランに関するエピソードが語られる.

*1:ランハンティングについては日本でも楽しめるかと調べてみたが,入門書やフィールドガイドもないようだし,そのような趣味サークルも見つけられない.どうも日本では野生ランについては自宅で育てる趣味が中心のようだ.盗掘の問題とか考えると野生ランの分布域が示された図鑑は刊行されない方がいいのかもしれない

*2:ハエトリソウは夏のダーウィン講演会http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090823で長谷部光泰先生が単なる適応進化では説明できないといっていたまさにその植物だ.ねばねば粘液を持つ食虫植物との近縁性,さらにゆっくり葉を閉じる中間形の植物などにより理路整然として筋道が示されている.長谷部先生はこのような説明であってもやはり適応による説明を信じられないのだろうか?