「心と行動の進化を探る」

心と行動の進化を探る: 人間行動進化学入門

心と行動の進化を探る: 人間行動進化学入門


本書は人間行動進化学の教科書だ.人間行動進化学は乱暴にくくってしまうと,進化心理学を中心に,比較心理学などそれ以外の分野や方法論を含みつつ,より広くヒトの行動を進化的に考える学問ということになろうか.この分野の日本語の教科書は,カートライトのやや軽い進化心理学入門書のほかは,長谷川寿一・真理子の「進化と人間行動」のみという状況が続いていたが,14年ぶりに新しい本の登場ということになる.特徴としては第一線で活躍中の中堅研究者の分担執筆ということになるだろう.


第1章は小田亮による導入章.まず「進化とは何か」:ティンバーゲンの4つのなぜ,進化,自然淘汰とは何かを簡単に解説する.そこからヒトの進化史をおさらいし,進化環境と現代環境のミスマッチ,遺伝子の川のイメージなどが解説されている.
次に「人間行動進化学の概説」:行動の進化的な説明の視点の差としての人間行動生態学進化心理学の違い(進化心理学についてはリバースエンジニアリングが入るというところがポイント),いくつかの注意点(なぜなに物語に陥らないように注意すること,「適応」という用語が通常の心理学と進化学で異なること),遺伝的決定論の誤謬*1,文化をどう捉えるべきか*2,遺伝子と文化の共進化*3が概説される.
最後に「研究者として心しておくこと」:なにを調べているのかの自覚,そのことに関する多面的な統計的理解の重要さ,自然主義的誤謬に陥らないことなどが扱われている.
全体として初学者が陥りやすいところをまず丁寧にすくった章で,手堅く記述されている印象だ.


第2章は利他行動について.チンパンジーなどの霊長類のフィールドスタディが専門の山本真也によるもので,利他行為の進化理論と霊長類との比較研究が両方扱われている.
進化理論編は,(専門外のトピックについて)何とかがんばってまとめている総説ということだが,全体的にきちんと整理されてなく,雑だ.
進化理論としては「血縁淘汰理論」と「(直接)互恵利他主義理論」のみがトピックとしてまず取り上げられる.血縁淘汰の例としては社会性昆虫の3/4仮説が取り上げられている.最後に「この仮説については様々な議論がある」と断ってはいるものの,(学説史的にはともかく)現在では,利他行為の進化理論編で最初に紹介する例としては複雑で微妙すぎて初学者向けにはややミスリーディングと評さざるを得ないだろう.
それはともかく,問題なのは,著者はこの後,第3節の規範の説明の中で「間接互恵性」についてコメントし,さらに最終第4節にいたって社会的ジレンマの説明とともに突然「マルチレベル淘汰」と「文化的グループ淘汰」を持ち出すところだ.しかもマルチレベル淘汰と包括適応度理論が数理上等価であることにはいっさい触れず,文化的グループ淘汰がなぜ成立するのかについても曖昧なままだ.これでは初学者は混乱するばかりだろう.説明に使う淘汰的な理論については一旦理論編ですべて整理して解説すべきではなかったろうか*4
続いて至近メカニズムについては「共感」「他者の要求理解(心の理論)」「公平感」「規範」が解説される.しかし最初の二つについては,これが「行為者にコストがある利他行為」の問題なのか,「双方利益がある協力」の問題なのかについての切り分けがなく(利他行為より,双方に利益のある場面の協力により関係するメカニズムという理解の方が普通ではないだろうか),「ヒト特有かほかの動物にもあるか」というやや古風な問題意識の方が前面にでていて説明としては物足りない.「公平感」については,最後通牒ゲームの例などで説明し,「自分が損をしても平等の方がいい」と考えるメカニズムだと解説されている.しかし最後通牒ゲームにおける傾向は「報復まで考えるとこの方が自分も有利になる」という社会的な駆け引きの問題ではないだろうか.利他行為を支えるメカニズムとして「公平感」にフレームするならもっと別の例の方がよいように思う.いずれにせよこれらの至近メカニズムがどのような究極因と関連しているか(していそうか)についてきちんと解説がないのは残念なところだ.「規範」については間接互恵性から生じているのだと書かれて究極因とつなげているが,これもそれほど単純ではなく,やや解説の浅さが気になるところだ.


進化理論編に対して自分自身の経験も含んだ霊長類との比較研究編の記述は生き生きとしていて読み応えがある.食物の分配の観察,手助け行動の実験などは具体的で,チンパンジーボノボの違いなどの記述も面白い*5.まとめとしての「チンパンジーは要求に応じるだけだがヒトはお節介だ」という結論にも説得力がある.なおこのお節介の進化については3項関係の理解という至近的メカニズムが重要で,究極因としては間接互恵性が効いているのだろうと解説されている.ここも「間接互恵性の利他行為」にかかるメカニズムというより「双方に利益がある協力促進」のメカニズムとしてみた方がよいのではないかという気がする.また「3項関係の理解」も先に至近的メカニズムとのところで並べて整理しておいた方がよかっただろう.
第2章については,利他行為の進化理論は完全に省略して別の教科書に譲るか,あるいはこの分野に詳しいリサーチャーに別途執筆依頼した方がよかったのではないかという印象を禁じ得ない.




第3章は平石界による個人差の進化心理学
まずは個人差というときに,状況や文脈に依存するものと,安定して観測できる個人差があることが指摘される.このあたりは初学者が迷いやすいところなのだろう.安定して現れる(領域一般的な)行動傾向は心理学ではパーソナリティと呼ばれる.ここでビッグファイブ*6と一般認知能力が解説される.一般認知能力があるのかないのかの論争についても触れ,現在は様々な認知能力に正の相関があることから一般認知能力があるという結論が支持されているとまとめている.
続いてこのような個人差の生じる原因として,遺伝要因と環境要因の問題が取り上げられ,双生児研究*7の意味,方法*8,そして結果が紹介されている.結果は行動遺伝学の3原則として説明され,さらに遺伝率について誤解されやすいポイント*9を丁寧に解説している.なお行動遺伝学の3原則は以下の通り.

  1. ヒトの行動形質はすべて遺伝の影響を受ける.
  2. 同じ家庭で育ったことの影響は遺伝の影響より小さい.
  3. ヒトの複雑な行動形質にみられる分散のうち相当な部分は遺伝でも家庭環境でも説明できない.


続いてこのような一般知能やパーソナリティの遺伝率が,遺伝子ベースでどこまで説明できるのかが扱われる.ここ10年ぐらい精力的に調べられたが,一般知能について少数の効果の小さい遺伝子が見つかったに過ぎない.そしてパーソナリティについてはごくわずかの例外*10以外ほとんど見つかっていない.この「失われた遺伝子問題」についていくつかの可能性*11が解説されている.さらに謎としてはもうひとつ「領域固有な個人差では遺伝子の特定が進みつつあること」との対比がある.これについては領域一般的な個人差は個々の遺伝子の効果より枠が広いために見つけにくいのではないかという示唆がなされている.このあたりはなお未解決なところが多く,今後もホットであり続けるリサーチ領域なのだろう.
環境要因についても解説がある.一見環境要因のように見えても実は遺伝的な影響が重なっている(交絡している)ことがあること(例えば家に本が多いという環境は,本好きという形質の遺伝的な影響を受けている可能性が高い)に注意を促した後,出生順についてのサロウェイの仮説を紹介して検討している*12


ではこのような個人差は何故淘汰により無くなってしまわないのだろうか.ここでは,中立形質仮説,トレードオフ仮説(状況文脈により一長一短である),負の頻度依存淘汰仮説,環境多様性仮説(トレードオフ仮説に似ているが,異なる環境で異なるパーソナリティが有利になっており,全体で見て釣り合っているというもの),淘汰と変異のバランス仮説などが検討されている.乱暴にまとめると中立形質ということはまず無さそうで,それ以外の仮説はそれぞれありそうだが検証は難しいものが多いということになるだろうか*13.なお行動傾向の個体差についてはヒト固有では無く,多くの動物でも見られる現象だが,そちらの面からの比較や検討はここでは扱われていない.


最後に,集団間で行動傾向に差が生じうるか*14自然主義的誤謬への注意,そして個人差の維持メカニズムについて何らかの知見が得られたとしてそれをどう考えるべきか*15などが扱われている.個人差についての基礎とともに,なお進展しつつあるリサーチの最先端の状況も合わせて整理されていてなかなか充実した章だ.


第4章は坂口菊恵による恋愛の進化心理学
まず恋愛についての心理的な受け止め方に性差があることが指摘された上で,これは配偶システムや生活史戦略に絡む問題であることが説明される.
ここから配偶システム,性淘汰理論,親の投資理論の概説がなされ,さらに近縁の類人猿のメスの性行動の特徴(子の数を確保するより多く交尾する:乱婚的)が議論される.これについて著者はオスの子殺し抑制仮説,遺伝的多様性仮説,社会的コミュニケーションの道具仮説などをそれぞれ可能性があるとして紹介している.
ではヒトはどうなのか.配偶システムは,基本的に「社会的」一夫一妻で,連続的単婚の傾向が強く,EPCも一定頻度で見られるというものになる.またヒトの女性の場合類人猿ほど乱婚的ではない*16.そしてヒトの特徴として「恋に落ちる」(特定の相手への執着がある程度続く)現象が見られることだとする*17,この「のぼせ上がり」の期間は2年半から3年であり,伝統社会の子の出産間隔とほぼ一致している.ここで「恋に落ちる」ことが西洋の文化的構築物ではないかという議論を否定し,ユニバーサルであることを説明する*18


続いて至近的メカニズムの話になる.有名なプレーリーハタネズミとサンガクハタネズミのリサーチを紹介し,さらにオキシトシンバソプレシンの受容体分布や脳内報酬系まで説明し,配偶システムへの行動傾向が遺伝的に決まりうるものであることを示す.ではヒトについては何がわかっているのだろうか.最近のリサーチではバソブレシン受容体遺伝子の発現部位制御領域の多型と自閉症リスクに関連があることが示されている.著者はバロン=コーエンの議論を紹介しつつ,自閉症スペクトラムと男性の短期的配偶戦略指向に関連があると示唆している*19


ここからヒトの性淘汰形質,それに対する好みが解説されている.まずバスによる長期,短期の配偶戦略の議論を解説し,女性の男性顔の好みが性周期で変化することが指摘されている.またここでは顔の好みの実験手法としてCGによるモーフィング手法が解説され,それでわかったいろいろな知見もあって面白い.「平均顔は美しいが,一般人の平均よりモデルや美人コンテスト出場者の平均顔はさらに美しくなる」「女性の顔の魅力の基本は「若さ」だが,それだけではだめで若さと女性らしさが兼ね備わっていないと魅力的にならない」そうだ.男性側に女性体型にかかるWHRの好みがあることはよく知られているが,女性側の男性の体型に関する好みの指標SHR(肩幅とヒップの比率)というのもあるそうだ.肩幅の広さは男性ホルモンの強さを示しているが,女性側の好みは「引き締まったヒップ」にあり,ボディビルダーのような極端な体型はむしろ女性から敬遠される.また男性のテストステロンは時間的な濃度変化が大きく,計測やリサーチが難しいことにも触れている.これはコストが高いためにここ一番というときのみ濃度を上げるからだという仮説(挑戦仮説)が紹介されている.最後に男性の攻撃性が年齢とともに治まっていくことが配偶戦略から説明できることが解説されている*20
本章は「恋に落ちる」現象を中心にヒトの性淘汰形質を全般に解説する章になっている.新しい知見を含め意欲的に様々なことを解説していて読んでいて面白い.ただ後半は焦点が絞りきれずにやや散漫になっている印象も受ける.「恋に落ちる」現象の究極因(コミットメント問題など)があまり議論されていないのもちょっと残念だ.


第5章は松本直子による認知考古学.化石や考古物を用いてヒトの認知の進化を解明しようとする分野だ.
最初は石器などの考古物からわかること.最初に石器以外の例として40万年前の木製の投げ槍が紹介されている.これによりホモ・ハイデルベルゲンシスがアクティブなハンターであったことがわかる.それに続いてオルドワン,前期アシューリアン,後期アシューリアンの石器様式が解説され,それから何がわかるかが議論されている.面白いのは,実際にオルドワン石器とアシューリアン石器を作ってみると,その際の脳のPETスキャンからは活性部位が異なっている,そしてそこから製作に必要な認知能力が異なっている*21という議論だ.ハンドアックスについては実用目的の他に性淘汰産物であった可能性も指摘されている.
ネアンデルタール人の認知能力についてはかなり詳しく解説されている.代表的な議論が整理され,サピエンスとの認知能力の違いについてはマイズンの領域固定制と流動性の議論,Hmmmmm説*22が紹介されている.
最後にサピエンスの起源年代(20万年前)と文化爆発の年代(4万年前)との差異問題が扱われている.確かにアフリカでは10万年前より古くから象徴的な行為の遺物が見つかってはいるが散発的で少ない.そして4万年前からはっきりした象徴的人工物が量的に膨大に出土する.著者は,(ちょうど農耕以降に文化が大きく変化したのと同じで)同じような遺伝的な認知能力を持っていても,象徴的な人工物が大量に現れるには人口密度,そして集団の規模が重要な役割を果たしたのではないかと主張している.この議論は大変丁寧になされていて説得力がある.


最後の第6章は五百部裕による人間行動のリサーチの方法論.
極めて実践的で,研究目的の明確化,調査対象の選定,文献研究,仮説構築,調査方法(実験的操作,観察場所と時期,記録方法,記録内容,調査用具),倫理的配慮の必要性,調査の実際(予備調査の重要性,本調査)が解説されている.


全体として本書は分野の全体を網羅しているわけではないが,活躍中の中堅リサーチャーによる生きのいい解説が集まっており,それぞれの専門トピックの記述は,最前線の情報が盛り込まれ,臨場感たっぷりで大変充実している.第1章でヒトの行動傾向のリサーチで陥りがちな穴が丁寧に埋められ,最終章で極めて実践的なリサーチガイドが付いているというのも面白い構成だ.利他行為の進化理論編だけがちょっと残念な出来だが,後はみな読み応えがある.初学者が読むのにふさわしい本に仕上がっていると評価できるだろう.



関連書籍


ヒトの行動の進化的な理解についての日本語の本としてはなお燦然と輝いている.

進化と人間行動

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*1:ここではカナライゼーションを使った解説がなされている.

*2:文化の例としてはアメリカ南部の「名誉の文化」が取り上げられている.文化自体の定義は難しいとしながら,ミーム概念をここで紹介している.

*3:簡単に酪農文化と乳糖耐性の例が説明されている.規範やミームに絡んだ深い議論はここでは扱われていない.

*4:さらに付け加えれば,ヒトの利他性についてマルチレベル淘汰や文化と遺伝子の共進化を持ち出す議論はほとんどの場合観念的でぐずぐずなことが多いのではないだろうか.あえてこれらの議論を取り上げるならこのあたりも含めてきちんと評価すべきだと思う

*5:なおフサオマキザルの公平感実験も紹介されている.これについては追試で否定されたという報告を聞いたことがあったのだが,それについては触れていなかった.

*6:質問紙調査によることだけが説明されている.その結果を主成分分析した結果5つの因子とされていること(観測された因子の上から5つをとっていること,そして主成分分析なので因子同士は独立になること)や,それ以外にもいくつかのパーソナリティ因子の提案があることも解説した方が,「ヒトのパーソナリティ因子には絶対的な5つがある」などの誤解を避ける上でよかったような気もするところだ.

*7:別々に育てられた一卵性双生児を探し出して比較する古典的双生児法と,できるだけ多くの双生児に参加してもらい一卵性と二卵性の差を比較する今日的双生児法が説明されている

*8:最先端のリサーチでは分散共分散行列に構造方程式モデリングを使うと断りつつ,本文では簡易的なファルコナー公式で説明している

*9:遺伝率はその標本の中の分散をどこまで説明できるかというものだから,標本集団が遺伝的に均質であったり(指の数など)非常に多様な環境にさらされていれば(貧富の差が極端に大きな集団など)遺伝率は低く表示され,逆だと高く表示される.このため一般知能の遺伝率はリサーチにより異なり,30〜80%という幅の広い数字になる

*10:セロトニントランスポーターのLong,Short型とストレス耐性が少し解説されている

*11:非常に効果の小さな遺伝子が多数ある可能性,繰り返し型変異がGWAS解析で見つけにくい問題,遺伝子間相互作用の可能性,エピジェネティックな効果の可能性が説明されている

*12:出生順とパーソナリティについて,もともとの学者についてのリサーチは面白いが,その後のリサーチは結果が別れており,なお結論は保留というところらしい.なお一般知能は出生順と関連があり,長子の方が高いというのはかなり明確な結果だそうだ

*13:最後のバランス仮説については一定の検証があるようだ

*14:セロトニントランスポーターの多型頻度が西洋と東アジアで異なっていることからいくつかの可能性が指摘されていることが紹介されている

*15:トレードオフ説,頻度依存説などであればそれぞれの適応度は等しいが,バランス説だとパーソナリティが異なると適応度が異なることになる.それは様々な議論を巻き起こす可能性もあるが,リサーチは価値について判断するための論点整理には役立つだろうと主張されている

*16:著者は証拠として,性犯罪,性風俗産業の実体(男性側が性行為を強要し,男性側がサービスに対して金を払う)をあげている.なおホストクラブやアイドルの追っかけなどの現象については擬似恋愛であり長期的戦略指向の高さを示しているのだとしている

*17:ここでテレビの自然番組などで動物の配偶行動について「恋のシーズン」などと呼称することについて苦言を呈している.

*18:最後に「恋愛に関する文学作品が存在するのはヨーロッパだけではないことは日本に住む私達はよく知っている」とコメントしている.このややヨーロッパ中心の自意識が逆方向に過剰な議論にはばかばかしさも感じているのだろう.

*19:もっともよく見るとバソブレシン受容が多いとハタネズミではより一夫一妻的傾向になり,ヒトでは乱婚的になると逆方向になっている.著者はハタネズミとヒトでは社会性に違いがあるので,「乱婚性」に必要な行動特性が異なっているのだろうとしている.

*20:有名な殺人率の研究や,男性の科学者や音楽家の生涯生産性カーブにかかるリサーチが紹介されている

*21:アシューリアン製作には抽象的表象や階層的概念の理解が必要で,オルドワン製作には階層的な概念理解は不必要だが,高度の運動コントロールは必要だと議論されている

*22:ネアンデルタール人のコミュニケーションはサピエンスと異なり,全体的,多様式的,操作的,音楽的,模倣的だったとするもの