「人類はどこから来て,どこへ行くのか」

人類はどこから来て,どこへ行くのか

人類はどこから来て,どこへ行くのか


以前私が書評(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130823)したE. O. ウィルソンの「The Social Conquest of Earth」が化学同人から「人類はどこから来て,どこへ行くのか」という邦題で邦訳出版された.早速書店で現物確認してきたが,なかなかかっちりしたいい装丁のハードカバーだ.全体のテーマがゴーギャンの「D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous? :我々はどこからきたのか?何者なのか?どこへ行くのか?」にあるから原題よりも書名としてふさわしいかもしれない(もっとも最も重要な「我々は何者なのか」が抜けているのがちょっと残念だが,語呂的にはこのぐらいの長さの方がいいのだろう)
私の原書を読んだ感想は,「往年の統合の技の冴えの片鱗はみられるものの,やはり包括適応度否定などの理論的な面は痛々しい限りだ」というものだが,人類進化の各分野の知見の統合など読ませる部分はあり,また現在この筋悪で混乱の元であるNowak et al. の論文の主張にかかる日本語文献自体があまりないという事情もあり,訳されること自体喜ばしいと評価できるだろう.そして特に注目すべきは,数理生物学の大御所巌佐庸が巻末に解説を寄稿していることだ.この解説はNowakたちの筋悪な主張を簡潔にまとめかつ批判しており,本書の最大のセールスポイントかもしれない.

ここで巖佐解説の要点を簡単にまとめておこう.


巌佐庸による解説

<ウィルソンの業績>
最初にウィルソンの業績をまとめている.巖佐は以下4点にまとめている.

  1. アリの分類学への貢献
  2. マッカーサーと一緒に行った島の生物地理学
  3. 生物多様性保全への貢献
  4. 社会生物学など分野の統合の主張


<社会性の理解>
本書においてウィルソンが人類の進化について多部門(自然人類学,歴史学,考古学,脳科学生態学など)の知見をうまくまとめて提示していることを評価する.
また本書の記述は「文明の基礎に協力があり,(世代の重複と高度な分業を真社会性の定義として)人類を真社会性生物として社会性昆虫と比較する」という視点からなされたものであることを解説する.
またここでウィルソンの提示している主張のうち一つを興味深いと評価している.それは社会性生物における分業成立,そしてその適応の順序の問題で,まず分散がなくなり集団ですむようになれば,そして行動について閾値モデルを念頭に置けば,その後の分業の進化は容易であるという主張だ.


<血縁淘汰の否定とその問題点>
ここまでは全般的解説と評価できる点をまず取り上げたということだが,ここから本丸のウィルソンの理論的基盤についてのコメントになる.
まずウィルソンが本書においてしつこく攻撃しているハミルトンの包括適応度理論,血縁淘汰の要点を解説する.ハミルトン則を説明した後,3/4仮説にもふれ,(少なくとも)半倍数体生物の姉妹間では利他行動の閾値が低いはずである(そして「それがアリ・ハチ類に真社会性種が多い理由だ」ということがハミルトンの趣旨であるとする)というものだと解説する.


そしてここから本書におけるウィルソンの血縁淘汰否定の主張の問題点,大本のNowakたちの論文の問題点を整理している.

本書におけるウィルソンの主張の問題点

  • ウィルソンは血縁淘汰には血縁認識が必要だが,アリやハチにはその能力は無いと批判している.しかし血縁淘汰の成立に血縁認識は不要であり,これは理論の誤解である
  • またウィルソンはアリやハチの真社会性の進化には既に(集合生活などの)前適応があったから血縁淘汰による説明は不要だとしている.しかし前適応があるからといって,血縁度rが意味を持たなくなるわけではない.

Nowak et al.論文の問題点

  • Nowakたちの最大の主張は,包括適応度理論は弱い淘汰条件の下でしか成り立たない*1ということだ.確かに非常に強い淘汰条件の下ではハミルトン則は成り立たなくなる.しかし包括適応度理論は通常の条件下では近似としてうまく当てはまる.厳密にはアインシュタインの理論が正しくても日常のほとんどの物理問題についてはニュートン力学が近似として有用であるのとよく似ている.
  • またその他の前提条件(一定環境,状態の更新が集団全体で生じること)なども非現実的だと批判している.
  • しかしこれらはすべて細かなことだ.これらを極端に誇張して包括適応度理論が間違っていると騒ぎ立てるのは人を惑わす言説といえるだろう.


<その他の問題点>
巌佐の鋭い批判はなお続く.

本書におけるウィルソンの特定の議論の問題点

  • ウィルソンはアリ,ハチの利他行動の進化は(受精したオスの精子も含む)女王の個体淘汰で説明できるとしている.(つまりウィルソンの議論はワーカーが全く女王のロボットであると決めつけていることになる)しかしこれは社会性昆虫における異なる個体間のコンフリクトを無視している.ここ40年間の社会性昆虫のリサーチはこのコンフリクトの解明にあったとさえ言えるが,ウィルソンはそれらを全く受け入れていないことになる.
  • またウィルソンはヒトの利他性の進化について,利己性は個体淘汰で,利他性はグループ間淘汰で説明できるとしている.マルチレベル淘汰でこれらが進化しうるというのは一般論としてはあり得るだろう.しかしヒトの利他性の重要な部分は評判を含む間接互恵性で説明できると考えられ,これらは個体淘汰だ.その意味でウィルソンの主張は単純すぎる.(なおこれらの間接互恵性が制度や社会規範になるのはあるいはグループ間淘汰で説明できるかもしれないと留保している)


このあたりの指摘は私の感覚に非常にフィットするもの*2で,ウィルソンのグズグズの理論に愕然としている様子,さらにNowak et al.論文に憤っている様子がよく表れているように感じられる.


とはいえこれは訳書巻末の解説なのだからフォローも必要ということなのだろう.巌佐は次のように解説を締めくくっている.

  • 本書においては様々なアイデアがちりばめられ,人類の進化の道筋のまとめがあり,それを社会性昆虫との対比で議論し,各部門の知見の融合を説いている.このあたりは賛成だ.
  • また進化に関しても適応の順序,至近メカニズムの重要性,環境や情報による制約などが議論されている.それらの中には重要なものもある.
  • しかし包括適応度理論の否定について,私は受け入れることができない.
  • 読者はこのあたりについてよく注意して読み進め,自分で考えてほしい.
  • そして「人類とは何かについて読者に考えてもらうこと」が本書の目的だとするなら,本書はそれについては大成功しているといってよいだろう


原書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130823

The Social Conquest of Earth

The Social Conquest of Earth




 

*1:この解説ではこのことを非常に簡潔に説明していて素晴らしい.基本的には「強い淘汰を簡単な例でいうと,ある利他行為のコストがその遺伝子を持った個体が必ず死ぬようなものであるようなものがそれに当たる.その場合それが兄弟姉妹にハミルトン則をはるかに超える繁殖利益をもたらすようなものであっても,その遺伝子を持つ個体がみな死ぬならその遺伝子は固定できないから,確かにハミルトン則は成り立たなくなる.それは生存率における利害と繁殖率における利害は足し算ではなく掛け算になるからだ.」という説明になる.なおこれについての私の理解はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101021参照

*2:なお包括適応度理論とマルチレベル淘汰理論の等価性に触れていないのが残念だが,紙数の関係もありやむを得ないということだろう