Nowak et al.のNature論文への批判論文 「Much ado about nothing」 その1 


2010年の包括適応度理論を攻撃するNowak et al.のNature論文に対してはNature自体に掲載された反論があり,このブログでもレビューしている.

私は見落としていたが理論家のF. RoussetとS. Lionによる反論がJournal of Evolutionary Biologyに掲載されていることを最近知った*1.これまでの反論とも少し違った切り口もあるので早速レビューしておこう.


Rousset F. & Lion S. (2011) Much ado about nothing: Nowak et al.'s charge against inclusive fitness theory. Journal of Evolutionary Biology. 24 1386-1392.


論文の題名「Much ado about nothing」はシェイクスピアの喜劇の題名だ.日本では「から騒ぎ」と訳すのが定番らしい.これはもちろんNowakたちの論文に中身がないことを意味しているのだろう.

最初の概要は以下の通り

Nowak et al.論文はこう主張している.

  • 包括適応度理論の数学的基礎は精査に耐えられない.
  • 真社会性の進化にかかる代替説明を発見した.

しかし私達は以下を示す.

  • これらの主張の一部は虚偽の前提に基づいている
  • またその主張の多くは25年も前にわかっていたことだ.(それには包括適応度の基礎的なコンポーネント,個体適応度と包括適応度の誤った区別などがある)
  • さらに彼等が包括適応度理論の限界だと主張していることの一部は,実際には現在の進化理論の限界そのもので,それに対して彼等は何の代替案も出せていない.
  • 同様に,彼等が包括適応度理論の代替となると言い張っている「常識的」実証的代替案なるものは,実際には役に立たない.
  • 彼等の「真社会性進化モデル」は単に包括適応度理論のすべてのコンポーネントの重要性を示しているに過ぎない.

私達はこれらのことを結論するに当たり,レトリカルなツールや編集実務がいかに科学的な探求を阻害するかを議論した.


激しい批判がこのあと繰り広げられることがわかる.続く本文導入部ではまず包括適応度理論を非常に簡潔に説明する.

なぜ利他行為の進化が進化生物学の中心問題の1つなのだろうか.
行動形質への淘汰は,関連する対立遺伝子のすべてのコピーに対する平均的な繁殖成功にかかる.ハミルトンはこれをc, b, r を用いて定式化した.これがハミルトン則であり血縁淘汰とも呼ばれる.
進化生物学者はこの基礎の上に,アリの社会から個体相互間の行動まで多くの様々な社会進化の理論を築き上げた

つづいてNowakたちの論文がこれを攻撃するものであることを説明し,本論文の目的がNowakたちの論文であげられたいくつかの問題を明解にし,彼等の主張の基礎になっている数理的結果は新しくもないし一般的でもなく,彼等の包括適応度批判の数学的基礎はひどい誤解に基づいていることをはっきりさせるためであることを宣言する.
なおここで付け足しのように,3/4仮説は包括適応度理論の応用仮説の1つであるに過ぎないのに,Nowakたちの論文ではこれが理論の中心であるかのように扱っていることを批判している.このあたりはウィルソンの誤解ということだろう.誰しも抱くウィルソンの理論的なおかしさにかかる疑問のひとつだ.


またディスクレーマーもここにあって面白い.

  • 私達のここで目的は,ハミルトン則がすべての社会行動の進化を解決できると主張するところにあるわけではない.実際私達自身の研究は,ハミルトンのオリジナルな分析や,ハミルトン則の単純な適用では完全には解決できない問題にフォーカスしている.
  • また私達は(他のどんな法則も同じだが)ハミルトン則が誤用されたこともあることを疑っているわけではないし,理論家がすべて包括適応度理論を好むべきだと主張するわけでもない.
  • しかしNowakたちが広げた誤解は,私達を社会行動の理解という側面において何十年も前に引き戻すものだ.実際彼等が掲げた多くの批判は25年も前に答えられているものばかりなのだ.


<太陽の下で新しいものは何も無し>
最初の議論は「Nothing new under the Sun」と題されている.これは旧約聖書にある言葉(の英訳)で「この世界は既にあったことの繰り返しで新しいことは何もない」というほどの意味らしい.RoussetたちはここでNowakたちの論文に新奇性が無いことを扱う.


(1)b, c の意味,計算について
最初の指摘はNowakたちがb, cについてスロッピーに扱っていることだ.これは適応度成分として数値化しなければならないが,Nowakたちの論文の「ハミルトン則はほとんど常に成り立たない」の部分ではゲームにおけるペイオフの数値をそのまま使っていることをRoussetたちは「これは虚偽の前提に基づくものだ」と強烈に批判している.
私の理解では,Nowakがこれを混同するのはこの論文に始まったことではなく,かなり前からズルズルで,それを共著論文に対する批判論文の中において直接Grafenに指摘されたりしているのだが,それでも態度を改めないという筋悪ぶりを続けている.Grafenによる指摘は,Grafen A (2007). An inclusive fitness analysis of altruism on a cyclical network. J Evol Biol 20, 2278-2283でなされている.(このあたりの経緯についてはhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20101031あたりを参照のこと.)Roussetたちはそもそもこれはハミルトンが強調していたポイントで,Grafen, 1982; Taylor, 1992; Rousset, 2004; Lehmann & Keller, 2006にも記述されているし,この誤りの避けるための分析的テクニックも数多く提唱されている(Taylor & Frank, 1996; Rousset & Billiard, 2000)と指摘している.
またRoussetたちは,b, cが適応度成分であるということはNowakたちは「包括適応度理論が『血縁度に対する狭いフォーカス』で特徴付けられる」と主張するが,実際には包括適応度理論は集団動態,生態,遺伝的な多くの要素を含んでいることを示していると指摘する.
これに関連して包括適応度の計算方法についてもコメントがある.Nowakたちの論文でハミルトンの数理的な誤りと主張されているものは,数式上は明解に正しく,それに対する叙述的説明が紛らわしいに過ぎないとハミルトンを擁護し,返す刀で,「そもそも彼等はb, cが何かについてさえ理解していないのだからこれらの数理的な真偽を判断できる立場にはない」と強烈に皮肉っている.

私の印象としてもNowakたちがb, cについてしばしばゲームのペイオフをそのまま使って,ハミルトン則が成り立たないという議論しているのは,(直接Grafenに指摘されているのに無視しているところが特に)非常に不思議に感じるところだ.わかってやっているのかどうかよくわからないが控えめに言っても筋が悪いだろう.


(2)包括適応度理論とゲーム理論の関係について
RoussetたちはNowakたちは包括適応度理論とゲーム理論を全く異なったものだとして区別しようとしているが,これは学説史的な経緯を無視しているとコメントしている.

生物学においては(経済学と異なり)ゲーム理論は量的な連続形質の進化を考察するために使われた.そして近隣の対立形質に置き換わらない形質を見つけようとした.だから適応度勾配を考察し,それがゼロになる解を求めたのだ.そして弱い淘汰条件の下での包括適応度理論はその適応度勾配を求めるために使われた.そしてそれは性比の進化などに多くの新しい知見をもたらした.
だから包括適応度理論の弱い淘汰条件は,すべての適応度勾配の解法にもそのまま当てはまる.そしてこれらはよく知られた問題だった.

これ自体は特にNowakたちの論文への強い批判ということにはならない.ポイントは次の論点に絡むところだろう.


(3)弱い淘汰条件について
Nowakたちの論文では包括適応度理論は弱い淘汰条件という前提の上にあると攻撃している.これまでの反論は既に包括適応度理論は強い淘汰条件下でも使えるように拡張があるというもの*2,あるいは弱い淘汰条件でも解析的に十分な近似解を求めることができて有用だというもの*3が主流だが,Roussetたちは以下のように広い視点から反論していてなかなか渋い.

  • 「ハミルトン則のb, c, rはどのような淘汰条件のもとでも正確に計測されるべきものか,弱い淘汰条件のもと近似値として理解されるべきものか」という議論は昔からある.そしてどちらの解釈にも歴史と有用性があるのだ.
  • 正確計算バージョンは非相加的な効果を含めて扱う一般線形回帰的な定式化に使われる.しかし正確な値は数値解析でしか求められないし,多くの実務家の関心は大まかな淘汰の方向にある.そしてこれは弱い淘汰条件の近似値解釈で得られるのだ.
  • そういう意味では包括適応度理論は量的遺伝学や育種学で使われる淘汰勾配の解析手法と同じものだ.私達はこれが唯一の解釈でベストなアプローチだと主張するつもりはないが,この意味でNowakたちは何ら解決策を示していない.

これはRoussetたちが概要でいっている「彼等が包括適応度理論の限界だと主張していることの一部は,実際には現在の進化理論の限界そのもので,それに対して彼等は何の代替案も出せていない.」に絡むところなのだろう.
さらにRoussetたちは次のように付け加えている.

  • 正確バージョンはブラックボックスだとか,近似値バージョンは厳密に正確でないとか批判することは簡単だ.しかしこのような問題は包括適応度理論だけにあるのではない.それどころか,包括適応度理論を元にした分析ツールが表現型勾配バージョンより正確な近似値を計算でき,かつ解釈も容易な中で,このような批判は全く時代遅れになりつつある.このような分析ツールは,これまでと異なる遺伝アーキテクチャーの分析や進化的安定性の異なるコンセプトの特徴付けに使われている.
  • 特にNowakたちが包括適応度理論の不可欠の前提としている「相加性」や「非一般的集団構造」はこれらのツールで乗り越えられている.非相加的な遺伝効果のある形質も分析できるし,様々な動的な集団構造への拡張も行われている.

最後にRoussetたちはこう言ってこの項を締めくくっている.

これらの分析が常に容易であるとはいわないが,いずれにせよNowakたちは「かかし」に対して批判していることになる.

弱い淘汰条件,相加性,空間構造について包括適応度理論には拡張が既になされている.Nowakたちはそれを全く無視して,議論しているのだ.私も最初にNowakたちの論文を取り上げてブログで連載しているときには弱い淘汰条件と相加性の拡張についてはよく知らなかったが,きちんと調べもせずに理論を批判するNowakたちの姿勢は確かにみっともないだろう.そしてこれはNatureの査読や編集姿勢の問題でもあるというのがRoussetたちの最後の指摘になるのだろう.


さてRoussetたちはまずNowakたちの論文における包括適応度理論への批判が古くさい議論を蒸し返したものであると一刀両断にした.続いてNowakたちが代替理論として提唱する「標準自然淘汰理論」を吟味する.




 

*1:lambtaniさんのブログ記事http://d.hatena.ne.jp/lambtani/20131030より

*2:Natureに載せられた反論はこちらの趣旨のものが多い

*3:最近邦訳されたウィルソンの本にある巌佐庸の解説など