「Did Darwin Write The Origin Backwards?」 第5章  「あとがき 」 その1 

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)

Did Darwin Write the Origin Backwards?: Philosophical Essays on Darwin's Theory (Prometheus Prize)



ソーバーはかなり長い「あとがき」を第5章としておいている.実はこの部分は生物学の哲学のトピックいくつか扱ったエッセイになっている.扱われるのは「最節約原理」「淘汰の単位」「進化理論における確率解釈」という問題だ.これはダーウィンにおける「共通祖先性」「グループ淘汰」そして「方法論的自然主義」に絡む問題ということになる.しかしここでは現代的な進化理論を題材にし,もはや書名にある「ダーウィン」から離れて扱うので,「あとがき:postscript」という章で論じたいという趣旨のようだ.だから章題から受ける印象とは異なり,現代の生物学の哲学としては本書でもっとも興味深い章だということもできるだろう.


<分岐学的最節約原理と適応仮説についての再考>

ここでソーバーは系統樹推定においての最節約法と最尤法の関係を考察している.私にはあまりなじみのない分野なので,ソーバーの議論を追っていくこととしよう.

  • ダーウィンは適応形質は共通祖先性についての証拠にはならないが,非適応形質は証拠になると主張した.
  • 第1章ではこれを尤度の法則から考察した.結論は「その主張は常に正しいわけではない.適応形質でも共通祖先性の重要な証拠になる場合があるし,非適応形質でもそうではない場合がある」というものだった.
  • 本章では分岐学的最節約原理について尤度法則を用いた同じアプローチを行おう.そして「この原理は一定の条件下では有用だが,無条件で正しいわけではない」というのが結論だ.
  • 分岐学的最節約原理は現代進化生物学の中で2つの使われ方がなされている.一つは系統的な近接性の比較判断(どの種とどの種がより近いのか)という問題だ.(もうひとつの使われ方は進化生物学の中での一般的な最節約原理の用法のひとつだということだがここでは取り扱わない)系統的近接性問題の典型的な例は「ヒト・チンパンジー・ゴリラの系統樹の樹形はどういう形がもっとも良いか」というものだ.最節約原理は「もっとも少ない変化を含む系統樹がもっとも良い」という原理だ.そして「良い」というのが尤度で判断されるのであれば.問題は「どのような条件下で,最節約系統樹が,観察についての最大尤度を持つのか」ということになる.ここでは樹型自体ではなく共通祖先形質の推定を取り上げる.すると問題は「どのような条件下で,ある系統樹の共通祖先形質について最節約原理は最尤推定を与えるか」ということになる.


まず星形の系統樹(共通祖先が1つだけあり,そこからすべての子孫が直接結ばれる放射状の系統樹)から考察を行う

  • 前提:期間はt期間としてマルコフの連鎖モデルを使う.1期間での0→1の確率をu, 1→0の確率をvとし,それぞれ小さいとする.
  • するとP(1→1)>P(0→1) (変わらなかった確率の方が別の状態から変わってきた確率より大きい:後方非平等性)がえられる.しかし前方不平等性の保証はない:(1→1)と(1→0)がどちらが大きいかはuvtの値に依存する.
  • なぜか:仮に1になりやすいとすると1からスタートしても0からスタートしても長期間で同じように1になりやすい,0になりやすいとするとどちらからスタートしても0になりやすい.しかし現在1であったとすると初期値が1であったという仮説がわずかに尤度は高くなる.しかし1からスタートして1になりやすいか0になりやすいかは長期間ならuvのどちらが高いかに依存して決まる
  • ここで浮動なら u=vとなるが淘汰が効けばそうならない.1の方が適応度が高ければu>vとなる.
  • ここまでは最節約原理と尤度にとっては良い話だ.星形で現生種の形質がみな同じなら祖先も同じという最節約的な祖先型の推定が最尤推定になる.
  • では現生種の形質が二つに割れている場合はどうか?n種で半分が1,半分が0ならどうか.どちらの祖先推定も同じ尤度を持つのか?
  • これは浮動なら成り立つが,淘汰ならそうとは限らない.
  • そして半々でないときも二つの状態があれば,浮動の時には最節約推定が最尤推定になるが,淘汰ならその保証はない.そしてこの問題は形質が量的な場合にも問題になる.


次に分岐的な系統樹の場合を考える.

  • いくつかの分岐点がある場合に最節約原理と尤度は同じ結論を常に出すだろうか.答えはNoだ.そしてそれは浮動か淘汰かという問題だけではない.
  • 分岐図では尤度は最表面の分岐点にしか関わらず,より深い祖先形質については何も語らないからだ.
  • 共通祖先から中間祖先に2分岐,さらにそれぞれに分岐して4子孫形質があるモデルを考える.ここでは4つの子孫形質を(xxxx),2つの中間祖先の形質を<yy>,一番深い共通祖先の形質を{z}と表記する.
  • ここで子孫形質(1111)の4子孫があるとして,中間祖先形質が<11>であれば,深い共通祖先形質が{0}である「<11>{0}仮説」の持つ(1111)の尤度と,深い共通祖先形質が{1}である「<11>{1}仮説」の持つ(1111)の尤度は等しいからだ.
  • ではより深い祖先形質にまで適用するにはどうすればいいか.一つの方法は,シナリオに生起確率を与えて考察する方法だ.もし深い祖先が{1}なら浅い祖先が<11>になる確率はどれほどか,そして浅い祖先が<11>なら子孫が(1111)になる確率はどうか
  • すると問題はこう変えられる:「どのような条件の下で,最節約的な祖先推定が,もっとも起こりそうなシナリオと一致するのか」.そして答えは常に一致はしないということになる.ここでも浮動だけなら良いが,淘汰が入ると一致しないのだ.つまり最節約法は進化過程における一定の前提を必要とするということだ.そしてそれは常に前もってわかっているわけではない.


では「縫合線は胎生より先に進化した」というダーウィンの議論はどうか?これは最節約法に基づかずに正当化できるだろうか?

  • 私はできると思う.それは尤度比較によって正当化できる.
  • 胎生が先という仮説1と縫合線が先という仮説2を並べる.ダーウィンは鳥類と爬虫類に縫合線があるという観察事実はこの仮説の片方を支持しているといっている.
  • そしてそれは「胎生が先仮説の元で鳥類の縫合線がある尤度」より「縫合線が先仮説の元で鳥類に縫合線がある尤度」の方が高いと言い換えられる.そして後方非平等性からこの尤度比は(進化過程に関わらず)正しい.


この問題を深く考えてきたソーバーならではの簡潔かつわかりやすい議論だということだろう.なおここではDNAの分子データからの系統推定の問題には解説がなく,現代的にはやや物足りない.DNAデータを考えると,単に浮動か適応かだけではなく,分子進化の多くは浮動である中で,同義置換か非同義置換か,GCとATの違いなどが効いてくるので,より状況は複雑で,単純な最節約法よりそれらの前提を入れ込んだ最尤法が望ましいということになるのだと思われる.なぜソーバーが2010年刊行の本書において分子データを前提にした議論にコメントしていないのかはよくわからないが残念なところだ.それこそ最尤推定ベイズ事後確率の問題を整理して欲しかったと思うのは私だけだろうか.