Enlightenment Now その34

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第13章 テロリズム その2

 
テロの数字的な傾向を見た後で,ピンカーはテロの本質について論じる.
 

  • テロはほかのリスクに比べるとわずかなリスクでしかないが,大きなパニックとヒステリーを(まさにテロリストの意図通りに)生む.現代のテロはある意味メディアの広大なリーチが生む副産物なのだ.利用可能ヒューリスティックスが人々に恐怖をすり込む.
  • さらにヒトの心理は,悪い結果が(偶然ではなく)誰かの意図によるものであるときに敏感に反応するようになっている.ヒトは自分を殺そうとする者の存在に敏感であり,それには進化的な理由がある.

 

  • では,リスクが小さくともそのような意図的な殺人者を恐れるのは合理的だということになるのだろうか.暴虐な独裁者が批判者のごく一部を残虐に殺すことに怒りを持って抗議するのと何が違うのだろうか.
  • 違いは,独裁者の残虐は自らの利益のために計算された犠牲者を選んでいるが,テロは手当たり次第というところだ.暴力がどのようにデザインされているかが異なるのだ.
  • テロの目的はほとんどパブリシティだけだ.法学者ランクフォードによる自殺攻撃テロリスト,銃乱射事件の主犯,ヘイトクライム殺人者の共通の動機の分析によると,殺人者たちは,孤独で,負け犬であり,多くは精神的に問題を抱え,怒りに飲み込まれて,復讐のファンタジーをもてあそんでいる.一部はその怒りをイスラム原理主義に混ぜ込むが,その他は人種戦争だとか連邦政府への反乱だとかという曖昧な理由を掲げる.大量殺人は彼等に一瞬の栄光を夢見させる手段なのだ.これらの殺人者とは異なるテロリストもいて,彼等は(敵政府に自国民を守れない弱虫だという印象を与えたり,新人のリクルートのためなどの)政治的な目的のためにことを起こす軍事グループだ.
  • テロリストが「アメリカ存続の危機だ」などとと結論づける前に,彼等の戦術がどれだけ有効なのか見て見よう.歴史家のユヴァル・ハラリはテロリズムは軍事行動の真逆だとコメントしている.軍事行動は,例えば日本軍の真珠湾攻撃のように敵の攻撃能力を叩こうとする.日本軍がテロ戦術を採用して,例えば1941年にアメリカの太平洋艦隊を放置して客船を襲っていたらそれは馬鹿げた作戦というべきだろう.ハラリがいうように,テロはダメージを狙うのではなく劇場を望んでいるのだ.
  • しかしテロリストの小規模の暴力で,彼等が望むものを手に入れられることはない.独立したいくつかの1960年代以降のテロについての分析によると,すべてのテロはその戦略的目的を手に入れることなく消え去っている.
  • 要するに近時のテロの一般的認知の上昇は,世界がいかに危険になっているかということではなく,その逆を示しているのだ.その他のリスク要因が小さいからこそテロが目立つ.中世に比べれば国家間戦争も残虐な権力者による虐殺も大きく減少している.ハラリはこうコメントしている.「もし1150年に数人の原理主義イスラム教徒がエルサレムでごくわずかな市民を殺して,キリスト教徒は聖なる土地から出て行けと要求したとしたら,それは恐怖よりも滑稽さをまき散らすだけだろう.真剣に受け取ってもらうためには砦の1つか2つは陥落させる必要があったはずだ」
  • 国家による暴力の独占とそれによる平和がテロのニッチを創り出したのだ.国内の平和が当然のことになり,市民は政治的にゼロ暴力である状態を当然と考えるようになる.そのような中ではテロの暴力は耐えがたい恐怖になるのだ.

 

  • 政府は,いついかなる時も,どこであっても,すべての政治的暴力から市民を守るという不可能なミッションの遂行を迫られ,自分自身の劇場に逃げ込むようになる.テロの最も大きなダメージは政府による過剰反応なのだ.典型的な例は9.11のあとのアフガニスタンとイラクだ.
  • 政府はもっとアドバンテージがある形で反応することもできるはずだ.そのアドバンテージとは知識と分析だ.ゴールは大量破壊兵器を抑えて,犠牲者の数を小さいままにとどめることだ.大量殺人を正当化するイデオロギー(軍事的宗教原理主義,ナショナリズム,マルキシズムなど)に対してはより良い価値体系と信念で対抗すべきだ.
  • メディアは自らの本質的な役割をよく考えるべきだ.客観的なリスク分析と,自らの報道がテロリストのインセンティブに与える影響を考慮してテロへのカバレッジを考えるべきだ.(ランクフォードは大量殺戮事件について犯人の名前や姿を報道しないことを推奨している)
  • 政府はその諜報機関を用いてテロのネットワークや財政基盤についてよりうまく対処できるはずだ.そして(第二次世界大戦中の英国のポスターが訴えたように)市民はより冷静になることができるはずだ.

 

  • 長期的にはテロは,局所的な恐怖と惨めさを生みだしつつ,戦略目的を得られないまま消えていくだろう.それは20世紀初めの無政府運動にも生じた.20世紀後半のセクト的マルクス主義者にも生じた.そして間違いなく21世紀のISISにも生じるだろう.われわれはテロによる死者をゼロにはできないかも知れない.しかしテロによる恐怖は,われわれの社会が危険であることを示しているのではなく,それがいかに安全であるかを示す指標であるということを常に覚えておくことができるのだ.

 
 
テロが戦略的目的を達成せずに消えていく存在であるというのは前著「The Better Angels of Our Nature」と基本的に同じ主張だ.前著では片方で消えながら片方で新しいテロが生まれてくるパターン,消えていくパターンには目的が果たせずに戦術が先鋭化して支持者を失うことなどが指摘されていたが,本書ではそこは省略されている.その代わり,政府やメディアが対応すべきことにより踏み込んでいる.前著でも9.11を受けたアメリカ政府の馬鹿げた振る舞いを散々憂いていたわけだが,本書ではより具体的に採るべき対処に踏み込んでいるということになる.