The Gene’s-Eye View of Evolution その33

 

第2章 「利己的な遺伝子」の定義と洗練化 その7

 
概念の整理を行う第2章.まず「遺伝子」が取り上げられる.ここではデイヴィッド・ヘイグの論考を機軸にして議論が進む.そして「違いを作るものとしての遺伝子」概念が整理された.オーグレンは続いて遺伝子視点による「違いをつくる遺伝子」とは,DNA配列的に考えるとどうなるのかを掘り下げる.
 

2-2 利己的な遺伝子とは何か その4

 

2-2-1 利己的な遺伝子の長さはどれほどか

 

  • 遺伝子視点による「遺伝子の定義:自然淘汰が働くに十分な世代間保たれる染色体の部分」に対し,ごく早期から提示された疑問は「それはどのぐらいの長さなのか」だ.ゴドフリー=スミスはこの長さについての明確な定義がないことは遺伝子視点の遺伝子概念の致命的な弱点だと考えた.

 
ピーター・ゴドフリー=スミスは科学哲学者.ここでは彼の「Darwinian Populations and Natural Selection」が参照されている.

ゴドフリー=スミスは多くの著作を持つ.日本では,頭足類の知性や行動が哺乳類と全く異なる独自の進化経路をたどったことから,ヒトの心や主観的経験について考察した「Other Minds: The Octopus and the Evolution of Intelligent Life」が「タコの心身問題」して,その続編に当たる「Metazoa: Animal Life and the Birth of the Mind」が「メタゾアの心身問題」として邦訳出版されている. 

  • ドーキンスとウィリアムズはこの点に関しては柔軟だ.ドーキンスは遺伝子は任意の長さを持ちうると何度も強調しているし,ウィリアムズは次のようにコメントしている.
  • 組み替えは様々な要因によって制限される.その結果,染色体の大きなセグメント,場合によっては1つの染色体全体がそのまま何世代にもわたって保たれることがある.このような場合にはその染色体セグメント,あるいは染色体自体は集団遺伝学が「遺伝子」とするものと同じように振る舞うことになる.

 
この部分は「適応と自然淘汰」からのもので,本章の冒頭に登場したウィリアムズによる遺伝子の定義にかかる文章の真ん中ほどに出てくるものだ.この直後に「本書では「遺伝子」を分離や組み換えを相当頻度で受けても(一体として世代を多く越えて)伝えられていくものとして用いる.この意味で遺伝子は不滅だ」と続くところだ.
 

  • この定義によれば,Y染色体,W染色体,ミトコンドリアゲノム全体,無性生殖生物のゲノム全体は1個の遺伝子と扱われることになる(ヘイグ2012).そして有性生殖生物のゲノム全体は組み替えや交叉により細分化されるので,遺伝子としては扱えない.
  • 結局,利己的な遺伝子の長さは,連鎖不平衡の強さによって決まることになる.「連鎖不平衡」はややこしい語彙の多いこの分野においても特に問題の多い用語だ.ごく単純にいえば,連鎖不平衡は異なる遺伝子座の間のアレル間の関連がランダムからどれぐらい離れているかを示すものだ.集団遺伝学者であるスラトキンは,連鎖不平衡が広範に見られる以上,遺伝子を有性生殖時における独立ユニットだと捉えるのは不適当だと主張している.

 
ここに登場するヘイグ2012は「Biology and Philosophy」に寄稿された「戦略的遺伝子(The strategic gene)」という論文.スラトキンの主張については「Genetics」に寄稿された「染色体を淘汰単位として取り扱うことについて(On treating the chromosome as the unit of selection)」という論文が参照されている.
philpapers.org
 
 
ともあれ,ドーキンスやウィリアムズの「遺伝子」の定義は,それがどれほどの長さのDNA配列を念頭においているのかについて,ある意味曖昧だ.哲学者であるゴドフリー=スミスはこの点を指摘していることになる.そしてこの点にこだわる哲学者たちはほかにもいた.というわけでここからはこの定義についての批判とそれに対するドーキンスたちの反論が取り扱われる.