「Improbable Destinies」

Improbable Destinies: Fate, Chance, and the Future of Evolution (English Edition)

Improbable Destinies: Fate, Chance, and the Future of Evolution (English Edition)


本書はカリブ海のアノールトカゲのリサーチで有名な進化生物学者ジョナサン・ロソスによる「実験による進化仮説の実証」にかかる本であり,実証対象として取り上げるのは「進化における偶然と必然」というテーマになる.これは「進化における浮動と淘汰」とちょっと似ているが,すこし観点が異なっていて,「自然淘汰による進化は(歴史をもう一度やり直しても)同じ経過をたどるのか」というものになる.このテーマはスティーヴン・ジェイ・グールドが「ワンダフル・ライフ」で「バージェス頁岩に残されたカンブリア爆発をみればわかるように,帰結は偶然の出来事によって大きく異なる」と主張したのに対し,その「ワンダフル・ライフ」でまさにその頁岩のリサーチの主役だった古生物学者サイモン・コンウェイ=モリスが,それから15年もたってから(グールドの死後)「進化の運命」という本を書き,そこにおいて「そうではない,必然だ」と猛然と反論したことで知られる.コンウェイ=モリスの主張は(宗教的信念に影響されたことにより)かなり奇矯なものだというのが私の印象だが,本書はそこを「実験による進化仮説の実証」という手法を用いて,真正面から取り上げるのだ.


序言においてはロソスのここまでの歴史が語られる.少年時代にあよくある恐竜ファンだったが,その後現生爬虫類の飼育に夢中になる.月刊誌「Natural History」に収録されていたグールドのエッセイを愛読し,ついにハーバードに入学してグールドその人の講義を受講する.しかし学術的興味はトカゲに引きつけられ,アノールトカゲの島嶼における適応放散をリサーチすることになる.そこではアノールたちは繰り返し同じ環境に対して同じ形質を収斂進化させていた.これはグールドの説く偶然と矛盾するのか?進化は予測可能なのか?そしてロソスはこう宣言する.それを調べる最も良い方法は実験なのだと.

導入 グッドダイナソー

冒頭ではピクサーの映画「The Good Dinosaur(邦題:アーロと少年)」が引き合いに出される.この映画では,もし65百万年前の小惑星が地球に衝突せずにそれていればどうなったかというナレーションから始まり,竜脚類恐竜が言語と文化を持つように進化している世界が描かれる.このような世界では哺乳類は現在のように進化し得ただろうか.
かつて恐竜の絶滅との哺乳類の興隆は必然と考えられていたこともあった.しかし小惑星衝突が明らかになった今それはナンセンスだとわかっている.ではこのような世界ではヒトは現れないのか*1.グールドは進化史の大きな流れは偶然の積み重ねにより決まるのだから,小惑星イベントがなければヒトが進化したはずがないと主張し,しかしサイモン・コンウェイ=モリスは,そのような世界でもいずれ世界が寒冷化すれば哺乳類が興隆し,ヒトのような生物が進化しただろうと熱狂的に反論したということになる.


ではその証拠は?グールドは進化をリプレイさせればどうなるかという思考実験のみに頼っている.必然派は収斂進化を証拠として持ち出すが,現実世界をみると収斂が完璧でない例はいくつも見つかる(オーストラリアのカンガルーに対応する有胎盤類は?コアラは?カモノハシは?ゾウは?キリンは?).しかし歴史をみるだけでは決着が付かない.そしてロソスは読者を進化実験の世界に誘うのだ.

パート1 自然のドッペルゲンガー

第1章 進化的デジャブ

サイモン・コンウェイ=モリスは,まさにバージェス動物相の奇妙キテレツさをみてきた本人であるにもかかわらず,その後世界に満ちあふれる収斂現象を根拠に「収斂こそ(進化史において)期待されるパターンだ」と主張している.ここではなぜコンウェイ=モリスがこのようにグールド批判をするようになったのかの推測も書かれていて面白い.私の目にはそれは彼の宗教的信念からきているものであることは明らかであるように思えるが,ロソスは慎重に,比較方法論の興隆,スピリチュアルな見解,グールドに初期の誤りを指摘されたことへの恨みなどの指摘があると書くにとどめている.いずれにせよこのコンウェイ=モリスの主張にはジョージ・マギー(著書は「Convergent Evolution; Limited Forms Most Beautiful」)などの賛同者も現れ,コンウェイ=モリス自身2冊目の本「The Runes of Evolution」を書いている.


ロソスはここででこれらの論者の根拠となっている様々な収斂の事例をあげている.(一部は序章でも触れている.読者の興味を保つために何カ所かに分けて紹介しているようだ.)

  • 北米のヤマアラシとアフリカのヤマアラシ
  • ダーウィンフィンチ
  • オーストラリアの哺乳類,そして鳥類*2
  • サメとイルカとイクチオサウルスの流線型
  • かつて1種とされていたイボウミヘビは分子的な分析により全く異なる系統から収斂進化した2種であることがわかった.
  • コーヒー,茶,コーラ,カカオ,ガラナによるカフェインの合成
  • 多くの動物にみられるカラフルな性淘汰オーナメント
  • 脊椎動物の目とタコの目
  • カマキリとカマキリモドキ
  • アリとシロアリの社会性
  • ヒトの乳糖耐性の進化
  • 齧歯類の砂漠における毛皮の明るい色調への進化

そして最近では個別の収斂事例だけでなく,生態系とそのニッチ分割,そして各ニッチ対応する適応形質という生態系全体の収斂も議論されるようになっている.そのリサーチの最前線は島の生物になる.

第2章 複製される爬虫類

ロソスは大学に入り,カリブ海のアノールに魅せられる.ここではジャマイカの3種のアノールは,異なる環境に生息しそれに適応した形質をそれぞれ持っていること,それは別の場所から流れ着いたアノールが適応放散した結果であることが解説される.そしてそれはジャマイカだけでなく,カリブ海の様々な島でたまたま流れ着いた異なる祖先種から,きわめてよく似た収斂適応放散が独立して何度も生じているのだ*3
グールドの思考実験は時間軸を変えて再現してみたらというものだった.しかし場所を変えて同じことを実験してみてもいいはずだ.島嶼はその移動バリアからそれに適した場所になる*4わけであり,アノールを使った自然実験の結果ははっきりしている.それは繰り返し同じ結果,進化的必然を示しているのだ.しかし一つ問題がある,それは後付けの観察にすぎず,サンプルにバイアスがないとは言い切れないのだ.

第3章 進化的な特異性

ここでロソスはたった1回しか進化していない例を集める.まずキーウィだ.そしてニュージーランドにはそのほかのどこにもいない鳥の進化例にあふれている.さらに島嶼の生物にはソレノドン,ロードハウナナフシ,ドードーなど進化の特異例が多い.ハワイもマダガスカルもそしてオーストラリアも進化の特異例にあふれている.それ以外にも1回限りの進化例は多い.ゾウの鼻,テッポウウオ,ナゲナワグモ,そしてもちろんヒトだ.
そしてそのような例は環境の特異性では説明できない.カモノハシはどこにでもある淡水系に適応しているのだ.要するにある環境への適応方法が常にたった一つしかないわけではないのだ.収斂の例とされるものも詳細に見れば違いはある.
コンウェイ=モリスは通常最も良い方法が一つだけあると主張する.しかし同じように良い方法が複数あってもおかしくないし,その生物がおかれた条件によっては最適ではない方に進化しやすい場合もあり得る*5.祖先種が似ていれば収斂が生じやすいと想像してもいいかもしれない.あるいは,違いはランダムかもしれないし,そこまでの歴史に依存するからかもしれない.
そして論争は自説に都合の良い例をチェリーピックするというやり方で繰り広げられてきた.決着をつけるには実証しかない.ここで実験という手法が浮かび上がる.

パート2 自然環境下の実験

第4章 それほどゆっくりでもない進化的変化

ロソスは進化の実証実験の前提となる素速く進む進化というテーマに進む.ダーウィンは様々な実験を行ったことで知られるが,進化そのものを実験で実証しようとはしなかった.ダーウィンは進化は非常にゆっくり進むと考えていたからだ.しかしここ半世紀で私たちは時に進化が非常に速く進むことに気づいた.最初の例は有名な英国におけるオオシモフリエダシャクの進化だ.そして細菌の抗生物質への耐性進化,農業害虫や雑草の薬剤耐性の進化の例が多数知られるようになった.進化生物学の本格的なリサーチで有名なのはグラント夫妻によるダーウィンフィンチのものだ.ロソスはそれぞれの例を丁寧に紹介している.
これらの例が物語るのは,環境が変化したときに種は非常に素速く適応するということだ.なおここでロソスは上記のような素速い進化とグールドの断続平衡との関連についても触れている.グールドはもっと長いスパンの中での断続平衡を思い描いており,断続平衡と進化の思考実験を特に結びつけてはいないとコメントしている.

第5章 色鮮やかなトリニダード

ここから進化の実証実験のテーマに話が進む.冒頭で自然科学においては観察と実験はともに重要だということを強調し,トリニダードのグッピーに話が進む.グッピーは隣接する集団間でオスの装飾の鮮やかさが大きく異なっている.観察によると水系の上流では鮮やかで下流に進むと地味になる傾向がある.これもあるいは収斂現象なのだろうか.
ハスキンス夫妻は第二次大戦後すぐにトリニダードでグッピーの色彩パターンを調べ始める.わかったのはこれらの流れには小さな滝などのバリアがあるが,それを乗り越えて上流に分布を広げられるのはグッピーとキリフィッシュ(カダヤシの一種)の2種だけだということだった.つまり下流側ではグッピーへの捕食圧が高い.オスの鮮やかさはこの性淘汰と捕食にかかる淘汰のトレードオフ上にあることが強く疑われる.
そしてジョン・エンドラーが登場する.エンドラーは1960年代にUCバークレーで学び,その有名な脊椎動物博物館に魅せられ,その爬虫類部門のキュレーターとなる.そして生物の地理的変異の適応的仮説を実験によって確かめることに興味を持つ.ショウジョウバエのエレガントな実験室実験に成功した後,彼はグッピーに興味を持つ.5年間にわたりトリニダード島で53水系の113のサイトを観察し,さらに4年かけてデータを集め,ハスキンスの観察結果を裏付ける.しかしデータは相関を示しているだけだ,因果を見極めるには実験が必要だと考え,エンドラーは実験室実験と自然実験に取り組む.まず実験室の複数の水槽に同じ水系から捕ったグッピーを入れ,異なる捕食魚を導入する.わずか5ヶ月(グッピーの2世代)で色彩に差が現れ始め,9ヶ月で差ははっきりと見分けられるようになった.1976年,エンドラーはトリニダードで自然環境下での実験に挑む.捕食魚たっぷりの下流の地味なグッピーを上流のキリフィッシュしかいない水系に導入して何が起こるかみるのだ.そして実験は素速い進化を実証する.これは初めての野生下での進化の実証実験ということになる.このグッピーの自然実験はさらにデイヴィッド・レズニックによる生活史の進化実験とその遺伝的基盤の実証,アン・マグランによる行動進化の実験へと拡張を続けている.
ロソスはここで自然実験の倫理的な側面へのコメント*6を置き,最後に進化生物学は実験科学になりうるのだと強調している.

第6章 漂流トカゲ

第6章は第2章で少し登場したカリブ海のアノールを用いたロソス自身の進化実験物語.アノールトカゲのオスには喉の下にデューラップと呼ばれる装飾形質があり,色鮮やかなシグナルを出し入れすることができる.カリブ海の島々にあまねく分布しているが,ごく小さな島や岩礁にはアノール不在のものもある.トム・シェーナーの導入実験によると現在分布がない小さな島でもアノールは定着可能だが,大型ハリケーンが来ると洗い流されてしまうらしい.ロソスはシェーナーのラボに入り1991年からここでアノールを用いた進化実験に取り組む.最初は10年以上前にシェーナーの放ったアノールたちが島の植生環境ごとに異なる進化を遂げているかの調査だ.ここではアノールの捕獲,方法,岩礁への接岸上陸方法などの体験談が盛りだくさんで大変楽しい.アノールたちは確かに植生に応じて脚の長さを変化させていた.予測通りに枝に登って餌を採る地域では脚が短く,地上を走り回る地域では脚が長いのだ.ロソスはさらにこれが発達可塑性に基づくものでないこと*7も実験によって確認する.
次はいよいよ操作実験だ.1997年,ロソスたちは同じような2つの島の片方にアノールだけを導入,もう片方にアノールとその捕食者のゼンマイトカゲを導入する.わずか数ヶ月で捕食者のいる島のアノールの平均サイズは大きく下がり,彼等はより樹上で過ごすようになった.ではこれによる脚の長さの分岐進化は生じるか.しかし残念なことに1999年の大型ハリケーンでこのコロニーは全滅してしまう.2003年,今度は12の島で,ゼンマイトカゲの導入と導入なしを分けて,さらにすべてのアノールを個体識別して淘汰圧を直接計測する形で実験を行う.行動変化と淘汰圧は観測できたが,進化形質の測定には至らず,やはり2004年のハリケーンでコロニーは全滅してしまう.ロソスはあきらめずに2008年に同じ実験に着手する.3年後ついに予測通りの方向への脚の長さの変化を観測できたが,やはり2011年のハリケーンでコロニーは全滅する.ロソスはこの顛末をこう締めくくっている.「Frankly, I’m getting a little tired of hurricanes.(正直に言うと,ハリケーンにはもううんざりっていうところさ)」

第7章 肥料から現代科学へ

話は一気にフィッシャーで有名な英国のロザムステッド農事試験場に飛ぶ.そこでは対照区2区を含む13区の有機肥料の牧草成育効果を調べるための実験が1856年から継続されている(パークグラス実験).これはあくまで肥料効果を調べるための実験であり,隣接区画から牧草の遺伝子流入が避けられないこともあり,誰もそこで進化が生じるかもしれないことを考えていなかった.ここに鉱山における植物の土壌汚染への素速い耐性進化事例をよく知るトニー・ブラッドショーに教えを受けたロイ・スナイドンが登場する.スナイドンはパークグラスの結果の一部は牧草の土壌への適応放散的な進化も寄与しているのではないかと考え,その歴史的価値からそれに手を加えることを渋るロザムステッドを説得し,それぞれのプロットからハルガヤの種子を採取する許可を得る.そしてプロットごとに遺伝的に分岐していること,それぞれの種子から成育したハルガヤはそれぞれのプロットの土壌に適応していることを確かめる.これらのリサーチは1970年から1982年にかけて出版されている.ロソスはこれらのリサーチは進化が実験によって実証できることを示した最も初期のものだとコメントしている.これらのリサーチは長い間埋もれていたが2000年代から脚光を浴び始め,いまや分子生物学者たちはこのパークグラス実験の遺伝的な分析に取り組んでいるそうだ.

第8章 水槽と砂場における進化

次に登場するのはシュルーターのトゲウオ実験だ.トゲウオが海から淡水系に封入されるとその捕食圧の変化から素速く防御形質に進化が生じることはシュルーターによって有名になったものだ.シュルーターは水槽実験でこれを確かめ,さらに防御形質の遺伝的基盤も明らかにした.ここではその経緯が詳しく紹介されている.ロソスはトゲウオの実験による知見はグッピーによるものとよく似ていて,予測方向に素速い進化が生じるが,幾ばくかの不確実性があるのだとまとめている.
ここではさらに大規模な実験系としてローワン・バレットによるシロアシマウスの土壌に応じた(保護色としての)体色進化実験を紹介している.限られた予算内で運動能力が高いネズミを大規模な地区に隔離する実験系をどう構築するかの詳細は大変面白い.


ここでロソスはパート2のまとめをおいている.進化実権はどんどん大規模になり興味深い結果を次々に生んでいる.地球温暖化への影響を調査するにもこれは欠かせないリサーチになるだろう.ではこの結果は「進化の偶然と必然」の観点からはどう考えられるべきか.予測通りの進化が観測されているのはコンウェイ=モリスの勝利と解釈されるべきなのか.ロソスはそうとは言い切れないという.同じような進化的な反応が生じているのは元々遺伝的に同じ生物を使っているからだ.そして常に実験結果には揺れがある.これは偶然を暗示するかもしれない.しかし自然実験は常に完全に環境をコントロールできるわけではない.そしてロソスの著述はよりコントロールできる実験室実験に向かう.

パート3 顕微鏡の元の進化

第9章 テープのリプレイ

第9章では満を持して進化実験界のスター,リッチ・レンスキとその有名な大腸菌進化実験が紹介される.冒頭はドキュメンタリー風に書かれていて楽しい.またレンスキのリサーチ歴も紹介されていて面白い.レンスキの最初のリサーチは2種の甲虫の競争関係についてだった.最終的に決着をつけるのは実験しかないが,これは大変骨が折れる.そして次に進化的な問題を考察したくなり,実験をどうするかを考え,彼は微生物をモデルに選ぶのだ.
ここからは大腸菌進化実験LTEEの詳細が紹介されている.同じ遺伝的な大腸菌の株を12系統に分け,ブドウ糖欠乏環境にして何が生じるかをみる.それは経緯に多少の揺らぎはあるが,基本的に進化の再現性を裏付ける結果を生み続ける.また後にレンスキのチームに加わることになるポール・レイニーによるビーカーに入れたシュードモナス・フルオレッセンスの適応放散実験の結果も進化の再現性を示唆するものだった.

第10章 ボトルの中のブレークスルー

微生物進化実験は同じ環境に対して同じ進化適応が生じるという結果を生みだし続けた.しかしそこにはひとつ大きな例外がある.この例外が生じた事例についてもロソスはドキュメンタリー風に始めていて楽しい.開始14年後のLTEE実験の12系統のうち1系統で爆発的な増殖が生じたのだ.当初それは雑菌の混入かと思われたが,よく調べると培地に用いていたクエン酸を有酸素状態でエネルギー源として利用できる形質*8が進化していたことがわかった.これは予測可能性と収斂に対しての大きな例外になる,
なぜそれが特異的に生じたのか.調べてみると,まずこの形質に必要な突然変異がいくつもあり,そのうちの多くは極めてまれにしか生じない変異だったことがわかった.そしてさらに何年にわたるゲノム分析は,無酸素状態でクエン酸分解回路をオンにするCit+遺伝子が重複を受け,全くの偶然で有酸素状態でオンになるrnk遺伝子の隣に挿入されたことにより有酸素状態でも回路がオンになる変異になったこと,さらにこれ以外にも前提条件としての別の変異が必要であること,また爆発的な増殖にはさらにこの変異したCit+遺伝子の重複が必要であることが明らかになった.
つまり進化は必ずしも予測可能ではないのだ.時にまれにしか生じない偶然が正しい順序で生じないと達成できない適応形質があるのだ.そしてこれまでの予測可能な収斂事例もゲノム的に分析すると,進化過程は必ずしも同一ではないし,生じている変異も同一ではないことも明らかになっている.進化のリプレイ実験で異なる結果が生じることはあり得るのだ.

第11章 微少な揺れ,そして酔っ払ったショウジョウバエ

ここでロソスは哲学的な問題を提示する.グールドのいう「進化のリプレイ思考実験」とは正確にはどんなことを意味しているのか.それは創始者集団の遺伝構成と環境がすべて完全に同一でなければならない(偶然は突然変異のみ)という趣旨だったのだろうか.そもそもグールド本のタイトルの元になった映画「It’s a Wonderful Life」では,主人公ジョージがもしこの世にいなかったら(つまり少し異なる条件のもとでリプレイすれば)世界は全く異なる状態になっていただろうということをテーマにしている.グールド自身のcontingencyという用語の使い方は「予測不可能性」という意味と「因果的依存性」という意味を巡って混乱している.レンスキのLTEEは「予測不可能性」にかかる解答を与えてくれる.進化は重大な例外を持ちつつもおおむね予測可能だということになる.しかし「因果的依存性」に関してはあまり語ってはくれない.
ここでロソスはフレッド・コーハンによるショウジョウバエのアルコール耐性進化実験を紹介する.異なる地域から集めた(遺伝的に異なる)ショウジョウバエ集団は同じ淘汰圧に対して異なるアルコール耐性進化を示す.これは創始者集団が異なれば進化は別の経路をとりうることを示している.
では同じ創始者同じ環境で同じ表現型形質を進化させていても異なる集団間で遺伝的差異は生じているのか.そしてレンスキのチームにいたマイケル・トラビサーノはLTEE実験の2000世代目で12系統のゲノム構成はかなり大きく異なっていることを確かめる.そしてそこからマルトース環境に同じように晒してみると,それぞれの系統は同じように適応していったが,いくつかの差異は生じた.そしてその創始者効果はかなり後まで残る.グールド的に見るとこのトラビサーノの結果は極めて意義深い.


ロソスはここまでの結果をこうまとめている.

  • グールドは曖昧な用語法で科学的な議論に混乱を呼び込んだ.そしてそれぞれの意味におけるアプローチの結果が異なるのは驚くべきことではない.同じ遺伝的創始者集団が同じ環境に晒されれば通常同じような進化を生じる.異なる条件下では進化は異なる結果に別れることがある.これらの結果は互いに補完的だと考えることができる.
  • しかし全く同じ条件で始めても突然変異にはランダム性があり遺伝的な差異は積み重なる.そうすれば同じ初期条件で行う実験は,異なる条件の下に行う実験のサブセットだと考えることもできる.全く同じ条件で始めてもいつしか集団は別の経路を辿るようになるのだ.
  • 問題は我々はどちらの意味の問題により関心があるかということだ.自然状態で異なる集団が完全に同じ初期条件を持つことはあり得ない.自然は雑音だらけでコントロールできない.風は吹き,虫は飛び回り,種は飛び散る.そしてこのような揺れこそグールドの念頭にあったのだ.
第12章 ヒトの環境

微生物の進化実験は実は実生活にも大きな関わりがある.ロソスはその例として嚢胞性線維症患者の呼吸器系環境に対する緑膿菌の進化を挙げている.緑膿菌感染は嚢胞性線維症患者の環境内では重篤化しやすく,おそらく健常者環境と異なる進化を生じている.これは治療上重要なのでゲノム的によくリサーチされている.嚢胞性線維症患者の環境内での収斂進化の候補遺伝子変異も特定され,その半数は抗生物質耐性だが,残りは重篤化に関連するものだと推測されている.そして全体として収斂の度合いはそれほど高くない.これらのリサーチは治療法の改善,そしてパーソナライズド治療法探索への道を開くものだ.
もう1つよく調べられているのは抗生物質耐性の進化だ.ある薬剤に対しては特定の遺伝子変異のセットが繰り返し進化するのに対して,別の薬剤に対しては収斂しないという状況が観察されている,何故そうなのかはまだよくわかっていない.おそらく様々な形質への進化は様々なメカニズムによっており,その中には折り紙のように変異の順序の大きく依存するものもあるのだろう.要するに一部の形質については経路依存性が強いのだ.だから形質ごとの進化予測性は異なっていてもおかしくない.そしてその中で収斂しやすい形質があれば,我々の薬剤耐性への戦いにとっていい手がかりになるのだ.


ロソスはまた「進化は偶然か必然か」という問題が,保全生態学にも影響を与えることを説明する.環境を変えたときに生物がどう反応するのか,地球温暖化が進めば生態系はどうなるのかはこれによって大きく影響を受けるのだ.そして遺伝子レベルでの介入策を講じるとするならその上でも収斂進化は重要な概念になると指摘している.

結章 ヒトの運命,機会,回避不可能性

ロソスは最後にコンウェイ=モリスの主張に話を戻す.話を地球外生命まで広げたときにどこまで収斂を期待できるのだろうか.コンウェイ=モリスは,物理法則は宇宙共通で,自然淘汰は同じ最適解に向かう傾向があり,地球生命にみられる分子的基礎が生命にとって最適であると考えられることから広く収斂がみられるはずだと主張した.
ロソスは幾分かの収斂(例えば流体力学に従った流線型など)はみられるだろうが,ほとんどの形質は地球のものとは大きく異なるだろうと主張する.異なる惑星で進化経路に大きな影響を与える歴史的偶然が繰り返すはずがないという趣旨だ.そしてヒト侵入前のオーストラリアの動物相とニュージーランドの動物相でさえあれほど異なっていること,中生代の動物相と新生代の動物相が大きく異なっていることを根拠として持ち出す.特にヒトに似た生物も必然として進化するだろうというコンウェイ=モリスの主張をニュージーランドでもオーストラリアでもマダガスカルでも南アメリカでもそのような生物は進化しなかったことを指摘して切って捨てる.ヒトは進化の特異点だと考えるべきなのだ.
そこからロソスは地球外生命がどのようなものであり得るか,ヒトが進化しなかった地球はどうなったか,白亜紀末に小惑星が落下しなかったらどうなったかを楽しそうに想像し,さらにヒト以外の進化の特異点として,カモノハシ,キーウィ,カメレオンを考察し,さらに進化は少しは予測できるが大きくは予測不可能だと結論し,我々が今こうして実在していることの幸運を強調して本書を終えている.

本書は「進化の偶然と必然」というテーマに乗せて,様々な興味深い進化実験を紹介してくれる楽しい本だ.それぞれの実験がそのポイントとともに詳しく紹介されていて面白いし,書きぶりもドラマティックなドキュメンタリー風になったり,楽しいエピソードが次々に繰り出されたり,とても学者の書いたものとは思えないほど読みやすい.
またコンウェイ=モリスの宗教的信念に染まった怪しいトンデモ風の主張を,特に宗教的動機を前面に出して議論することなく,事実を元にじっくり論破して行くのも痛快だ.その筋立ても最初は進化の予測可能性が強調してこの先どうなるかと読者をハラハラさせておいて,徐々に偶然性の果たす役割の大きさが顕わになっていく形をとり,全体として読者を飽きさせない見事な構成になっている.しっかりした知見に基づいた一流の科学エンターテイメントとして推薦したい.



関連書籍


グールドの「ワンダフル・ライフ」

ワンダフル・ライフ―バージェス頁岩と生物進化の物語 (ハヤカワ文庫NF)

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同原書

Wonderful Life: The Burgess Shale and the Nature of History (English Edition)

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サイモン・コンウェイ=モリスの収斂本.収斂の話は素晴らしいが,主題の「進化が必然だ」という話は宗教的信念が強く影響していて,本書でも指摘されているようにかなり無理があると思う.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100817

進化の運命-孤独な宇宙の必然としての人間

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同原書

Life's Solution: Inevitable Humans in a Lonely Universe (English Edition)

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コンウェイ=モリスの2冊目の進化必然本.主張はさらに宗教的に,そしてさらに過激になっているようだ.(なにしろ書名が「進化のルーン」なのだ)

The Runes of Evolution: How the Universe became Self-Aware (English Edition)

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マギーによる進化必然派追従本.

Convergent Evolution: Limited Forms Most Beautiful (Vienna Series in Theoretical Biology)

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なおグールドの書名のもとになっている映画「It’s a Wonderful Life」はこれ.アメリカではクリスマスの定番映画のひとつで,永遠の古典と位置づけられているそうだ.

素晴らしき哉、人生!  Blu-ray

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ピクサーのグッドダイナソー

アーロと少年 MovieNEX [ブルーレイ+DVD+デジタルコピー(クラウド対応)+MovieNEXワールド] [Blu-ray]

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*1:もちろんこれはピクサーの映画なのでそこではヒトとも共存しているが,ここではそれはおいて話が進む

*2:有袋類と有胎盤類ほど劇的ではないが,鳥類もオーストラリアとその他の世界では興味深い収斂進化を見せている

*3:同様の反復して生じている収斂適応放散の例として小笠原のカタマイマイ,アメリカのホオヒゲコウモリ,マダガスカルのカエル,同じくマダガスカルの鳥類も紹介されている

*4:ロソスは生物学者が島に魅せられるのは,さらに島の生物相がクールだからだと力説している.奇妙な生物に満ちあふれているのだと島嶼生物相への愛を語っていて面白い.

*5:キツツキのいない島では樹木に潜り込む虫を捕るための様々なぎこちない方法が進化するという例が引かれている.ハワイミツスイ,サボテンフィンチ,アイアイのやり方はそれぞれ異なる.

*6:いろいろな考え方があるが,このグッピー実験の場合には,捕食魚やグッピーの移動自体自然環境下でしばしば生じるものであり,是認できるとしている

*7:正確には分散のごく一部分しか可塑性では説明できないということになる

*8:通常大腸菌は有酸素状態ではクエン酸を分解できない.だからこそ培地に用いられるようになっているのだ