Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Penguin Books
- 発売日: 2018/02/13
- メディア: Kindle版
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第19章 実存的脅威 その3
ピンカーは前作の「The Better Angels of Our Nature(邦題:暴力の人類史)」の第6章でも本書の第13章でもテロについて既に論じている.そこではテロは古くからあり,相手に恐怖を与えることが目的になるが,大衆の支持を得ることは難しく,だんだん過激になり,そして失敗していくというのが歴史の教えであり,現代のイスラム原理主義者のテロも例外ではないだろうこと,そしてテロが際立つのは世界が平和で安全になったからであることを指摘した.ここではテロ全般ではなく,「テクノロジーにより世界は破滅するのか」という問題意識からサイバーテロとバイオテロを扱っている.
- ロボカリプスは起こらないとして,ハッカーによるサイバーテロやバイオテロはどうなのか.
- 時に彼等は悪意でもって我々に害を加えようとする.これを無視していいとは誰も思わないだろう.コンピュータセキュリティの専門家や疫学者たちはテロリストの一歩先を行こうと常に努力しているし,社会はこの方面への投資を怠るべきではない.軍や経済やエネルギーやインターネットのインフラはより堅固でレジリエントにしておくべきだ.
- このような軍拡競争において,当然ながら防衛側は完璧にはなれない.しかしここで問うべきなのは,それをもって人類の破滅は不可避だと考えるかどうかだ.
- 最初に考えるべきなのは,科学革命と啓蒙運動は,たった1人(あるいはごく少数のグループ)で世界を破滅できるようなことを可能にするのかということだ.(懐疑論者はよくそういう議論を行う)
- ケヴィン・ケリーは科学技術はそのようには進まないのだと主張する.それは科学技術は強力になるほど社会に埋め込まれるからだ.最先端技術は協力者のネットワークを必要とし,そのネットワークはさらに大きなネットワークにつながり,皆技術を安全にしようと試みる.これはたった1人のマッドサイエンティストが世界を破滅させようとするハリウッド映画のプロットラインを不可能にするのだ.
- 確かにこれは抽象的な論理に基づく推測に過ぎない.実際にどうなのかを考える上でのポイントは利用可能バイアスに陥らないことだ.真の危険は数量のところにあるのだ.
- まずそのような狂人の数を考えよう.無関係な周りの人々を対象にした大量殺人事件はどのぐらいの頻度で生じているだろうか.確かにそのような事件は起こっている.しかし狂人が多ければ毎日どこかで起こっていても不思議はないが,実際には世界全体で何年かに一度ぐらいしか生じていない.機会があれば周りの人々を大量に殺したいと考える人はごく稀なのに違いないのだ.
- そのような狂人の中でどのぐらいの割合が,サイバーテロやバイオテロに必要な知識と規律を兼ね備えているだろうか.ほとんどのテロリストは無能なドジだ.(テロリストがいかにへまであるかの実例がいくつか紹介されている)ほとんどはローテク武器で群衆を襲うがごく少数を殺すだけにとどまっている.世界のテロ対策チームを出し抜けることができるようなテロリストはゼロではないにしてもごく少数だろう.
- その少数のテロリストはチームをリクルートしてマネージしなければならない.リソースも必要だ.ソフトウェアをハッキングするだけでは足りないのだ.ハッカーは攻撃対象のシステムの構成についての詳しい知識を持つ必要がある.
- アメリカ軍はデジタルパールハーバーについて警告を出しているが,専門家は誇張があると考えている.いずれにしてもこれまでのところサイバーテロによる死者は0だ.
- テクノロジーによる破滅論者は低確率だからといって屈しない.たった1人でも世界の破滅に成功すればおわりではないかというわけだ.だからこそ彼等は自分たちの議論を「実存的」脅威と呼ぶ.この実存主義は「ちょっとした迷惑→障害→悲劇→災害→破滅」という因果的な地滑りに依存している.要するに彼等の議論は「もしインターネットが止まれば農家はどうすればいいかわからなくなって作物をみな枯らしてしまう」と考えているのと同じなのだ.
- しかし災害社会学は人々が非常に打たれ強いことを示しているのだ.人々は容易には屈しない.第二次世界大戦の都市爆撃があれほど凄惨なことになったのは,「都市を爆撃すれば住民は打ちのめされて相手国はすぐに降伏するだろう」という前提が完全に間違っていたからだ.21世紀の市民も災害に打たれ強く対処できる.我々はそれを9.11のマンハッタンで見たばかりではないか.
- バイオテロはもう1つの「見えない悪意」だ.生物兵器は1972年の会議において全世界の国々によって放棄され,現代戦争では使われていない.禁止自体は生物兵器への嫌悪感から進められた.しかし軍事関係者もほとんど抵抗しなかった.それは生物兵器は非常に使いにくいからだ.
- 病原体は扱いにくく,容易に攻撃者側にも被害をもたらすし,本当に大きな効果があるかどうかは局所的な入り組んだネットワークダイナミクスに大きく依存する.
- さらに病原体は毒性と感染力のトレードオフ上で素速く進化する.だから狙った通りに突然の大きな被害を起こすことは難しい.これはテロリストには不向きだ.CRISPER-Cas9のような遺伝子編集技術は当初の病原体の特徴を変えることができるかもしれないが,その後の進化を止めることはできないだろう.
- そして特に重要なのは,生物学技術の進歩はバイオテロを阻止するためにも有効だということだ.病原体を同定し,耐性進化を乗り越えるような抗生物質をデザインし,ワクチンを開発できる.
この議論はピンカーのテロについての大枠の議論(テロは恐怖を与えるのが目的で実際に被害はイメージほど大きくない.長期的には個別のテロリズムは大衆の支持を得られずに消えていく)を補強するものだ.
懐疑主義者の「たった1人で世界を壊滅できるテクノロジーが生みだされないという保証があるのか」という議論は直観主義者にはまことに強力に響く.ピンカーはこれに対してフェルミ推定的な量的な議論で対抗する.ここではサイバーテロやバイオテロの実際上のリスクは実は(利用可能バイアスから想像するより)遙かに小さいという推定が語られている.議論の中で病原体進化が語られているのがいかにもピンカーらしい.