Enlightenment Now その55

Enlightenment Now: The Case for Reason, Science, Humanism, and Progress (English Edition)

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第19章 実存的脅威 その4

 
悲観論者が強調する「実存的脅威」,ピンカーはロボカリプスもAIの暴走もあり得ず,サイバーテロやバイオテロの脅威も非常に小さいことを論じた.では核戦争はどうか.これはソ連崩壊まではリアルな恐怖だったのが記憶に新しい.ピンカーはかなり丁寧にここを論じている.
 

  • 人類の破滅シナリオの多くはばかばかしいかリスクが非常に小さいものだが,核戦争の脅威はリアルだ.人類は世界を破滅させることが可能な核兵器を実際に持っている.インドとパキスタンの争いが全面的な核戦争にまで至れば直ちに20百万人の人が死ぬだろう.そして核の冬が来る.
  • 日本に原爆が落とされ,ソ連との冷戦がスタートすると新しい歴史悲観主義が生まれた.それは「人類は神から恐るべき知識を,それを責任を持って使う知恵を持たないままもぎ取った.人類は自ら破滅する運命にあるのだ」というものだ.ある種のインテリにとっては核兵器の発明こそが科学をそして現代自体を糾弾する根拠となっている.
  • 科学を糾弾するのは見当違いにも思える.実際に核兵器の危険性を訴えてきたのはアインシュタインをはじめとする物理学者たちなのだから.そして物理学者たちは今でも警鐘を鳴らしている.
  • しかし不幸なことに彼等は自分自身を政治心理学のエキスパートでもあると考えてしまっている.そして大衆を動かすにはその恐怖に訴えるのが有効だと誤解している.ドゥームズデイクロックは客観的なリスク分析なしにプロバガンダ的に分針を進めたり遅らせたりしている.今ではそこには温暖化リスクも込みだと言って針を進めているのだ.

(ここで1950年代から1970年代までのアインシュタインをはじめとする様々な物理学者による第3次世界大戦の悲観的な未来予測の例がいくつかあげられている.)

  • これらの予言ジャンルは冷戦終了後に時代遅れになった.恐怖を持続させるために運動家たちはニアミス案件を喧伝するようになった.運動家たちは「世界が直ちに対策を取らない限り,我々は皆死に絶えるだろう」というメッセージを伝えたかったのだろう.しかし世界が直ちに対策を取るようには思えず,大衆は考えても仕方のないことは考えないようになった.その結果核戦争のテーマはメディアでの露出を減らし,ジャーナリストたちはテロとスキャンダルを代わりに取り上げるようになった.
  • 近年では核の恐怖の焦点は戦争よりテロに比重を移しているように見える.運動家は核テロの恐怖を煽ろうとしているが,効果は疑わしい.人々は実際に生じる銃や爆弾のテロに反応し,規制の強化やイスラム移民の制限を望むようになる.
  • このようなバックファイアは当初の反核キャンペーンの時から危惧されていた.歴史家のポール・ボイヤーは反核キャンペーンは実際には核軍拡を促進したことを見いだした.

 

  • 温暖化でも同じだが,人々は解決可能だと思うと問題を認識するようになる.ここではポジティブなアジェンダのためのいくつかのアイデアを指摘しよう.
  • まず「破滅は運命づけられている」と言うことをやめよう.破滅まであと数分という時計が70年間もほとんどそのままというのは時計の方が間違っているのだ.世界を構成するシステムが核戦争を抑止している可能性を認識すべきだ.多くの反核運動家はそんなことをしたら核廃絶できないと反対するだろう.しかし核保有国が明日すべて核廃絶することはないのだから,何がうまく働いているのか,そしてそれをもっとよくするにはどうすればいいのかを考えるべきだ.
  • まず歴史の事実を認識しよう.旧ソ連のアーカイブに「先制核攻撃」プランはなかったのだ.それは核抑止力は実際に効いていたということだ.そして冷戦終了後は両サイドとも安心して核軍備の縮小に合意している.「核兵器は核戦争を引き起こす」というよくある技術決定論的認識とは逆に,リスクは国際関係に大きく依存するのだ.キューバ危機の記録を詳細に調べると,ケネディもフルシチョフも最初からエスカレーションする気は毛頭なく,いかにうまく収めるかに腐心していたことがわかる.
  • ぞっとさせるようなフォルスアラームが何度もあったが核戦争が起こっていないのは,単に幸運の結果であることを意味しない.技術と人間が破局を避けるように組み合わさり,危機が起こるたびにその教訓を受け入れてシステムが改善されてきたのかもしれない.
  • 問題をこのように捉えると,パニックや自己満足を避けることができる.そして核戦争の確率をさらに下げる方法を検討できる.
  • はてなき核増殖シナリオも誇張されたものであることが明らかになった.1960年代には核保有国はすぐに30を越えるだろうと予測されていた.しかし21世紀になっても核保有国は9カ国に過ぎない.核開発プランを放棄した国は多い.確かに北朝鮮の核は脅威だ.しかし世界はさらにぞっとするような狂気の核保有独裁者2人(スターリンと毛沢東)と半世紀も核戦争なしで過ごせたのだ.
  • テロリストによる核強奪(あるいはガレージでの核開発)とスーツケースによる核持ち込みテロシナリオも冷静に分析しよう.確かに原爆を作るノウハウはそんなに難しくない.しかし純度の高いウランや兵器利用可能なプルトニウムを入手・保管し,各国のテロ対策チームに探知されずに原爆を作成するのは極めて困難だ.探知されずに核兵器を運搬することも極めて難しい.

 

  • 冷静になれたら,核兵器の残虐な魅力から離脱しよう.核兵器は人類の進歩を体現する科学技術の精華というより,ヒトラーとナチが先に開発するのではという恐怖から生まれたマンハッタンプロジェクトという歴史的な偶然からうまれた技術に過ぎない.そしてそれは第二次世界大戦を終わらせた原動力になったわけでもない.核抑止で長い平和を可能にしたわけでもない.
  • 核抑止力は(両超大国の対になる実存的脅威になった場合を除けば)実際にはぐちゃぐちゃなものだ.核は無差別に広いエリアを汚染し,戦争に勝ったとしても占領地の価値を失わせ,自軍の損傷も引き起こす.何より非戦闘民を無差別に大量殺戮してしまう.これは政治家にとっては耐えがたい結果であり,事実上使用はタブーになり,単なるブラフの道具に過ぎなくなった.フォークランド戦争においてアルゼンチンはサッチャーがブエノスアイレスを核攻撃するはずがないと信じていた.これは抑止自体に意味がないといっているのではない,通常兵器で十分に抑止は可能だといっているのだ.
  • MAD(相互確証破壊)理論による核抑止力の本質は先制攻撃を受けた後の二次打撃能力にある.しかしすべてのシナリオで二次打撃能力を保証するのは難しい.それはヘアトリガーによる攻撃を誘惑し,フォルスアラームによる破局の可能性を引き起こす.
  • そもそも偶然に生まれた技術で,使いようもなくリスクだけあるのならやめればいいのだ.もちろん作成技術知識をなかったことにはできないが,合意の元に廃絶は可能だ.実際にそのようにして廃絶に向かっている兵器はいくつもある.対人地雷,クラスター爆弾,化学兵器,生物兵器は世界各国で禁止されている.
  • 第一次世界大戦でドイツ軍は80マイル先から200ポンド砲弾を直接砲撃できる長距離砲「グスタフガン」を開発し,パリ市民を恐怖で震え上がらせたが,実際には狙いは不正確で扱いにくく,結局ドイツ軍はこれを放棄した.核兵器はグスタフガンのようになるだろうか.核廃絶運動は1950年代からあり,「グローバルゼロ」がそのスローガンだ.レーガンは1986年に「核戦争に勝者はいない.核兵器の唯一の価値は使用の抑止にある.だったら全部無くした方がいいだろう」とコメントしたし,オバマも2009年に「アメリカは核も戦争もない世界にコミットする」とプラハで演説した.
  • ゼロは魅力的な数字だが,達成は容易ではない.より現実的なのは兵器庫を減らしていくことだ.そしてそのプロセスは進んでいる.(冷戦時代からの米ソの核軍縮条約とその実施の概要が説明されている)

ここで世界全体の核兵器保有量の推移グラフが示されている.アメリカとソ連/ロシアの保有が大半だが,1990年がピークで現在はその1/6程度になっている,ソースはOur world in data.https://ourworldindata.org/nuclear-weapons
 
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  • 冷笑家たちは,まだ世界には1万発の核があるじゃないかというかもしれない.しかし1986年には5万4千発あったのだ.そして条約の外側にも核軍縮へ向かわせる力がある.実際に核保有国は大国間の緊張が緩むと互いにそっと軍備を減らす.これは心理学的には緊張緩和の漸進的交互的主導権(GRIT)と呼ばれる過程だ.これが進んでアーセナルが200以下に減れば核の冬のリスクは事実上なくなる.

 

  • 現在のリスクは核保有総量から来ているわけではない.警戒警報への即時応射戦略が最大のリスクになる.微妙なシグナルをノイズと分別するのは難しい.警報が発せられれば,大統領は午前3時であってもたたき起こされ,微妙なシグナルへの応答を数分以内に決断しなければならない.理論的にはカモメの群れの誤認から第3次世界大戦が始まりうることになる.実際には警告システムはもっとずっとよくできていて,ヘアトリガー警報で自動応射するようにはなっていない.しかし決断までの時間が限られているので,シグナル誤認のリスクはリアルだ.
  • 元々警戒警報への応射戦略は,敵ミサイルが自軍サイロを完全破壊して報復能力を喪失するリスク(相手がそれを確信できれば先制攻撃を誘ってしまう)を避けるためのものだ.しかし現在国家は第1射を避けることができる潜水艦からミサイルを発射することができる.そうであればもっとゆっくり時間をかけ,事態を見極めてから報復攻撃をするかどうかを決められる.
  • であれば警戒警報への応射戦略は不必要でリスクを持つだけだ.核防衛アナリストは皆ヘアトリガー警報への即時応射戦略をやめるように強く進言している.オバマもジョージ・W. ブッシュもマクナマラも皆これに賛成している.
  • では何故反対する人がいるのか.一部の理論家は「危機において一旦警報応射からはずしたミサイルを元に戻すことが挑発行為と受け取られる」とか「サイロミサイルの方が信頼性が高く正確なので,戦争に勝つためにはセーフガードすべきだ」などと主張している.

 

  • (もう1つの問題は,通常兵器による攻撃に対する抑止力への期待だ.)良心的な人にとっては,自国が核攻撃を核抑止以外の目的で使うというのは受け入れがたいだろう.しかし米国をはじめとする核保有国は「自国や同盟国が通常兵器による重大な攻撃を受ければ核を使うかもしれない」としている.しかし先に使うというポリシーは報復の連鎖を呼び込みかねず危険だ.
  • だから核戦争を避けるには「先には使わない」ポリシーが望ましい.すべて保有国がこれを採用すれば原理的に核戦争は避けられる.これは条約によって一斉に決めることも可能だし,GRITによって達成することも可能だ.核タブーは事実上「もしかしたら先制攻撃するかも」ポリシーの抑止効果を減少させているし,「先には使わない」ポリシーに変更しても,通常兵力と第二射能力で抑止は可能だ.
  • 「先には使わない」ポリシーへの変更は容易に思えるし,オバマは2016年にほとんど採用の寸前までいった.アドバイザーは,中国,ロシア.北朝鮮を利することになるし,同盟国の信頼を失わせ,核開発に向かわせかねないとしてそれに反対した.長期的には緊張緩和時にもう一度考えてみるべきだろう.
  • 核廃絶はすぐには実現できない.だからグローバル・ゼロの達成には忍耐と持続力が必要だ.しかし道は開かれている.少しずつ核を減らし,ヘアトリガー警報応射をやめ,「先には使わない」ポリシーを採用すれば,今世紀後半には単純な相互抑止のための最小限のアーセナルにまで縮小できるかもしれない.

 
核戦争は真にリアルなリスクなのでピンカーの議論も真剣で,なかなか踏み込んだ詳細な解説になっている.私には軍事や地政学についての論評能力はないし,北朝鮮の最近の動向や,インドとパキスタンの状況を考えるとなかなか楽観はできないように思うが,冷静に考えるのは確かに重要だろう.