From Darwin to Derrida その150

 

第12章 意味をなすこと(Making Sense) その15

 

相互的情報と意味 その2

 
ヘイグは意味は解釈に先立って情報の中にあるという伝統的な考えに対して,「意味は解釈過程の出力だ」という独自の見方を提示した.これによると意味についての様々な問題は解釈メカニズムと解釈能力だけを考察すればよくなり,意味論にゴーストが残らないことになる.
 

  • 世界にはあるものの価値と別のものの価値の間のまだ認識されていない連合が数多くある.これらの連合は,いったん解釈者があるものの観察を別のものへの有用な行動に結びつけるメカニズムを作り出したらな「認識」される.このようなメカニズムは観察から意味を「読む」ことを可能にするコードブックとして概念化可能だ.コードブックは相互的情報を有用な形態に記述する.

 
言い回しは難しいが,あるテキストがあり,それを観察した解釈者の出力(行動)を生むメカニズムがあると,そこには単なる統計的な相関関係だけでなく(解釈者の)価値が示されることになる.そのメカニズムはある種の「コードブック」ということになるということを言っているのだろう.
 

  • 上の段落にある「コードブック」の意図的な拡張には効果的なアクションで明らかになる知識が実現される全ての形態が含まれる.「遺伝コード」の物理的な実装を考えて見よう.そのコードが(最近の生物学のテキストは例外だが)表形式で記述されていることはない) この様な一般的定義のもとでは「コードブック」と「解釈者」は同義語になる.

 
この拡張された「コードブック」は非常に幅広いものを含むので,いわゆるコードブックのように何らかのテキスト情報になっているものでなくとも何らかの物理的実装があればいいということになる.そしてDNAを複製子たり,タンパク質に翻訳するような場合は,それは解釈者の物理的実体として存在するので,コードブックは解釈者そのものということになる.
 

  • コードブックを手に入れるには2つの方法がある.簡単な方の方法はコピーを入手する(あるいは盗み出す)ものだ.コードブック7500のコピーはベルリンのドイツ外務省とワシントンのドイツ大使館との秘密の通信を可能にした.別な方法は観察と統計的推測に基づいてコードブックを復元するものだ.これはより難しいが,英国情報部はこれに成功した.そして子どもが言語を習得するのもこの方法だ.

 
そしてここからヘイグの定義の有用性(意味論にゴーストが残らない)の具体例が語られる.
 

  • 解釈としての意味の定義は多くの意味論的問題を単純にする.これらの問題には多義性(どのようにして同じ観察が異なる解釈者によって異なる意味を持つのか),語形成(どのようにして複数のソースからの情報が組み合わされて新しい意味を持つことができるのか),状況の混迷ぶりと誠実な解釈者の問題などが含まれる.
  • 茶の葉占い(divination by tea leaves)を考えてみよう.占い師はカップの底の紅茶の葉の配置を観察し,顧客の質問に答える.もし異なる配置で異なる答えになるのなら,葉の配置は占いの答えの情報を持つことになる.全ての可能な解釈は葉の配置の中に「意味論的情報」として存在するのだろうか.それとも占い師はそもそも存在しない「意味論的情報」を見分けられたと勘違いしているだけなのか.
  • 出力としての意味の再定義を用いれば,このジレンマや「真の」意味と「偽の」意味の区別の必要性から逃れることができる.もし異なる占い師が(あるいは同じ占い師が異なる時に)似たようなパターンを似たような運命と占うのであれば,茶の葉の配置と占いの内容には相互的情報が存在する(統計的依存性がある)ことになる.しかしその意味は占い師の意味に過ぎず,茶の葉の意味ではないのだ.

 
この意味論問題の裁き方は見事だ.茶の葉占いというのはハリー・ポッターにも出てくる(トレローニー先生のティーカップ占い)ので英国ではある程度ポピュラーなのだろうか.ちょっと調べるとこれはスラブ民族やオスマントルコにも見られる古い占いが起源で,コーヒーかす占いとあわせてTasseographyとよばれるようだ.当然ながら検索すると占い本がいくつもヒットする.