書評 「博士の愛したジミな昆虫」

 
本書は岩波ジュニア新書の一冊で,10人の昆虫博士たちがジミな昆虫についての自分の研究を中高校生向けに語るアンソロジー.内容もかなり高度なものまでわかりやすく語られていて,なかなか面白い.テーマごとに5章に分けられており,2人ずつ博士が登場する構成になっている.
 

第1章 棲み分け,食べ分け,サバイバル!

 
第1章は種間競争と繁殖干渉.
冒頭は鈴木紀之で「すごい進化」でも詳説されていたナミテントウとクリサキテントウの繁殖干渉の物語.ここで繁殖干渉のモデルケースが解説された後に,大崎直太によるモンシロチョウ(モンシロ),エゾスジグロシロチョウ(エゾ),スジグロシロチョウ(スジグロ)の3種間の競争物語が解説される.複雑で面白いので詳しく紹介しよう.

  • この3種は食草を異にしている(モンシロはキャベツ,エゾは野草のハタザオ属の植物,スジグロはダイコン,コマツナなどの農作物や園芸作物で日陰にあるものを好む)が,実はどの食草でも成育でき,どの幼虫にとっても農作物園芸作物>野草であった.エゾがわざわざ条件の悪い野草を利用するには理由があるはずだ.
  • モンシロ属の幼虫にはコマユバチとヤドリバエ類が寄生する.モンシロは両種に寄生され,野外での寄生率は90%になっている.スジグロは体内でコマユバチの卵を血球包囲作用で殺すことができるが,ヤドリバエには60%以上寄生される.しかしエゾはどちらからもほとんど寄生されていない.調べた結果エゾは他の植物に覆われたハタザオ属の野草を食することで,食痕が寄生者から見つかりにくくなっていることがわかった.エゾは寄生から逃れるために栄養的に不利な食草を選択しているようだ.
  • モンシロの好む日向にあるキャベツは栄養も温度も高く,卵数も世代数も多くなっている.さらにモンシロは羽化後の分散距離が大きく(キャベツ畑は収穫されるといったん消滅することへの適応と思われる),また寄生者に目をつけられていない天敵不在の新天地にたどり着くチャンス(新天地では寄生率は25%まで下がる)がある.これらが寄生されやすいことの不利を補っていると考えられる.
  • スジグロはコマユバチからは生理的に逃れられるが,分散距離は大きくない.またエゾからは繁殖干渉を受ける(北海道への帰化植物の侵入と食草転換の歴史からの謎解きが解説されている).おそらく,エゾの食草を避け,現在の食草に落ち着いているのだろう.

 

第2章 共進化が生んだ「オンリー・ユー」

 
第2章のテーマは共進化.
まず東樹宏和からヤブツバキとツバキシギゾウムシの果皮の厚さと口吻の長さの軍拡競争の話が解説される.この共進化事例は大変有名だが,東樹自身が一般向けの書物に書くのはこれがはじめてではないかと思われる.果皮の厚さと口吻の長さのマトリクスと攻撃成功確率,地域差,共進化の帰結が地域によって差があることについての数理的モデル,九州南部より南ではツバキ側の勝利になっている可能性などが解説されている.研究物語としても,ツバキの果皮は九州南部で非常に厚くなっており,これに対応した口吻の長いゾウムシがいるはずだという予測(いかにもダーウィンのランとスズメガの話を思い起こさせる)をもとに九州南部に調査に行くが,なかなか見つからず,しかしついに見つけたという劇的な展開が読みどころになっている.
続いて村瀬香によるアリ植物の話.東南アジアではオオバギ属の植物と植物アリが種特異的な共生関係を構築している.そしてこの種特異的な関係がどのように成り立っているか(アリ側の植物選択だけでなく,オオバギ側の非共生アリの排除の仕組みがある),アリ防御をかいくぐって葉を食べるシジミチョウ,茎内でのカイガラムシの飼育などの話が語られている.
 

第3章 敵か,味方か? 関係はフクザツなのだ

 
第3章では3種以上の生物の相互作用がテーマになる.
まず塩尻かおりによる植物と食草者と寄生蜂の関係の話.コナガに食害を受けたキャベツは特別なブレンドの化学物質を出し,それを感知して寄生蜂(コナガサムライコマユバチ)が誘引されるが,モンシロに食害を受けたキャベツは異なるブレンドの化学物質を出し,コマユバチは誘引されないという話が解説される.これはコマユバチが間違ってモンシロ幼虫に産卵することを避けるための適応と考えられるそうだ.
次は金子修治によるアリとアブラムシとその天敵たちの複雑な種間関係の話.ここも少し詳しく紹介しよう.

  • アリとアブラムシの共生系はよく知られているが,これに加えてアブラムシへの寄生蜂,二次寄生蜂,さらにアブラムシと寄生蜂ををともに捕食するギルド内捕食者も絡んだ種間関係が見られることがある.
  • 二ホンアブラバチはアブラムシの寄生蜂であり,アリに攻撃される.アブラバチはアリの防御をかいくぐるために,アリの行動を正確に捉え,遭遇を回避,攻撃をかわし,アリの背後からアブラムシにすばやく産卵する.片方でアリはアブラバチの二次寄生蜂も攻撃する.つまりアブラバチにとっては攻撃を受ける敵である一方,天敵を攻撃してくれる味方でもあることになる.実験によると味方要因の方が大きいようだ.
  • また同じくアブラムシの天敵であるコクロヒメテントウもアリの存在により利益を得ている(ナミテントウなどの競争者が排除され,コクロヒメ自体は化学擬態でアリの攻撃から逃れる).
  • そしてコクロヒメとアブラバチの間には,コクロヒメはアブラバチの幼虫がいるアブラムシを捕食してアブラバチを減らす一方,いったんアブラバチが蛹になるとアブラムシの表面が硬くなり捕食できなくなり飢えるという複雑な関係がある.
  • 近年は外来種であるモンクチビルテントウもアブラムシを捕食することが観察されている.モンクチビルの幼虫は体の表面を樹皮に擬態しており,さらに化学擬態も行いアリの攻撃を逃れている.成虫は非常に早く走ることができ,高速でアリの攻撃をかわしている.

 

第4章 外来種がやってきた


第4章のテーマは外来種.
最初は辻和希による外来アリの話.外来種が定着する可能性は一般的には低いが,一部のものは大成功して生態系に害を与える侵略的外来種になることをまず説明し,そこから侵略的外来種となるアリの話に移る.ここも少し詳しく紹介しよう.

  • 外来種が侵略的外来種になる場合には個体密度が増加するという特徴がある.これは進化的軍拡競争を繰り広げてきた天敵などのしがらみから解放されることによると考えられる.アリはジェネラリスト的捕食者なので他種のアリとの競争が主なしがらみになる.
  • 南米原産のヒアリはアルカロイド毒を他種アリとのナワバリ争いに用いることで(そのような敵と相対したことのないアリしかいない)北米で大成功した.しかし最近(過去のヒアリとの共進化史から)それを中和できるタウニーアメイロアリが南米から北米に侵入し,テキサスではヒアリを駆逐しつつある*1
  • 日本原産の(毒針を持つ)オオハリアリは北米に侵入し,そこで侵略的外来種となっている.日本ではシロアリ専門食だったのが,北米では他種アリを食べるジェネラリストになり個体密度を上げている.日本在来アリはオオハリアリから瞬時に逃走する形質を獲得しているが,そのような性質のない北米のアリはオオハリアリにとって格好の獲物になるようだ.
  • アルゼンチンアリは侵入先で(遺伝的ボトルネックを経るために)体表炭化水素ブレンド比の多様性が低くなり,コロニー間での排他行動が無くなり,融合したスーパーコロニーを作る.これによりコロニー間の闘争にかかるエネルギーやリソースを節約できて,他種アリとの種間競争で有利になると考えられる.

次は田中幸一によるブタクサハムシの日本侵入後の適応進化についての話.休眠に入る日長時間が適応進化することを,観察,実験により確かめる研究物語になっている.侵入時期が遅い苫小牧近辺での謎解きがスリリングに語られているところが読みどころだ.
 

第5章 多様なムシの集まり,食うか食われるか

 
最終章は,研究者人生を振り返るようなエッセイが2つ収められている.
まず総合的害虫管理という概念を打ち立てて実践した桐谷圭治の物語.農業害虫は大発生するから大害虫になるのであって,数を抑えられればただのムシになるということを強調し,害虫防除の歴史(神頼み→手作業での駆除→BHCの大量散布)を振り返り,農薬大量散布の問題は耐性だけでなく,クモなどの天敵をより効率的に殺すためにただのムシが大害虫になってしまうこと,そして残留化学物質の人への悪影響だとする.そして1964年に高知*2の農業試験場に着任した桐谷は農薬一辺倒から脱却し総合管理への大転換を主導する*3.総合管理では費用と増収の経済的視点が重視され,害虫を経済的被害許容水準以下に抑えることを目標にする.桐谷は今後は生物多様性も考慮した総合的生物多様性管理に発展させることが望まれるとしている.
最後は安田弘法の研究人生物語.もともとはのんびり世界をめぐりたいと商船士官志望だったが,商船士官は厳しい経済合理性追求の仕事と知り,大学で応用昆虫学に進む.博士課程で伊藤嘉昭に師事し,糞虫の研究を行う.ここからカドマルエンマコガネとツノコガネの種間競争の研究*4,カの捕食者であるオオカの研究*5,ナミテントウとナナホシテントウの(さらにヒメクロテントウやヒラタアブを加えた)種間関係の研究*6などが楽しそうに語られている.
 
以上が本書の内容になる.この他いくつかのコラムもあって充実している.昆虫や生態学が好きな人には楽しい読み物として推薦できる一冊だ.



関連書籍
 
鈴木紀之によるナミテントウとクリサキテントウの繁殖干渉についてはこの本で詳しく語られている.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20170622/1498135500

植物と食草者と寄生蜂の話を寄稿した塩尻かおりの本.


本書の執筆者ではないが,アルゼンチンアリやヒアリについてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/2021/01/28/101354


桐谷にはこのような著書があるようだ.

*1:このタウニーアメイロアリは人を刺さないだけましという見方もあるが,ヒアリより遥かに高密度になり,ほとんどのアリ種を駆逐する侵略的外来種となると説明されている.なおタウニーアメイロアリの北米在来アリに対する優位性がどこからもたらされているのかについては説明がない

*2:高知は南国で気温が高く,さらに当時は米の二期作も盛んで害虫が大発生しやすく,ある意味害虫駆除の先進県だったそうだ

*3:農薬を作る化学業界とそれと癒着した農林省本省から目の敵にされ,14年間転勤できなくされたという経緯も書かれている.中高生向けの岩波ジュニア文庫としてはかなり異色な内容だが,これでもかなり抑えて書きましたということなのだろう

*4:トラップで捉えたカドマルの大群を冷蔵庫で死なせてしまい,意図せずに優占種取り除きの操作実験になった経緯などは楽しい

*5:オオカがなかなか見つからず,三宅島で苦労の末にようやく見つける話も楽しい

*6:アブラムシが少ないと4齢以上のナミはナナホシを捕食することがある.ナナホシは危険になるとさっさとそこから移出する.ヒラタアブのメスは兵隊アブラムシがいる集団を避けて産卵するなどの詳細が興味深い