「ゲノムが拓く生態学」

ゲノムが拓く生態学―遺伝子の網羅的解析で迫る植物の生きざま (種生物学研究 第 34号)

ゲノムが拓く生態学―遺伝子の網羅的解析で迫る植物の生きざま (種生物学研究 第 34号)


これは植物の進化生態学にかかる種生物学会のアンソロジーシリーズの一冊.ここ3年は共進化,発芽,外来生物を扱ってきたが,今回はゲノムなどの網羅的解析(オミクス)という手法を植物進化生態学にどう生かせるかという手法的な要素にかかるもの.近年網羅的解析の分析能力が飛躍的に向上しているために様々なリサーチに大きなインパクトがあるわけだが,その最前線の様子が,生態学者,分子生物学者両方の視点から描かれている.


第1部は生態学者による網羅的解析を利用したリサーチ例の紹介.
最初は森長真一によるモデル生物のシロイヌナズナの近縁種でやや低い高度に分布するハクサンハタザオと高い高度に分布するイブキハタザオをマイクロサテライトを用いて分析してみた事例.同種とされていた伊吹山のイブキハタザオと藤原岳のイブキハタザオが実はそれぞれ同地域のハクサンハタザオにより近縁だったという結果がまず得られ,さらに分析したところ,ボトルネックは見られないこと,ごく一部の遺伝子に淘汰の影響が見られること,その遺伝子を見ると温度変化への適応よりも病虫害などの生物環境への淘汰の方が大きいらしいという結果が得られている.
次は田中健太によるやはりシロイヌナズナの近縁種の分析.近縁種オウシュウミヤマハタザオを欧州全域もおいて網羅的に分析するという大きなプロジェクトの様子が描かれている.網羅的解析は,ゲノミクス,トランスクリプトミクス(マイクロアレイにより遺伝子発現を一斉に分析する),プロテオミクス(生成タンパク質を質量分析により一斉に分析する),メタボロミクス(低分子代謝産物を質量分析や各磁気共鳴分析により一斉に分析する)の4階層にわたって行うという壮大なもの.
まず伝統的な手法として,地域ごとの表現型の違いをまとめ,集団間の遺伝子の差を見るためにQTLマッピング,遺伝マーカーを開発し(シロイヌナズナのマイクロサテライトデータベースを利用),ジェノタイピングへと進む.これと平行して上記4階層に渡るオミクスを行っていく.記述は具体的でなかなか迫力がある.
続いて土松隆志によるシロイヌナズナの自家和合性の起源にかかるリサーチ.シロイヌナズナは祖先型が自家不和合性で,そこからそのシステムが崩壊して自家和合性になっている.この祖先型の不和合性のシステムは,多様性の高い花粉側遺伝子SCRと柱頭側遺伝子SRKが隣り合い強く連鎖している遺伝子座(S遺伝子座)によって成り立っている(同じハプロタイプ同士では花粉管伸張が阻害される).
まずシロイヌナズナの系統によっては柱頭側のSKRが機能を保っていることが示され,システムの崩壊は花粉側のSCRの変異によることが示唆される.続いて花粉側のSCRに逆位が生じていることを突きとめる.そしてこの遺伝子を近縁の不和合性のハクサンハタザオに導入すると実際に和合性が観察される.さらにこのS遺伝子座を集団遺伝学的に分析すると,氷河退避地域からの拡大という集団構造とまったく異なるハプログループ頻度が認められ,自然淘汰の結果であること(さらに独立に2回以上自家和合性の起源している可能性)を示唆するものとなっている.さらに今後の展望としては何故花粉側だったのかの理論的解釈(遺伝子視点で考えるとその方が有利となる状況がある)まで語られている.この寄稿は,進化生態,ゲノム解析,集団遺伝さらに数理理論が見事に融合してリサーチが進んでいく様子がうまく描かれ,さらに前振りとして著者自らの研究履歴と問題意識にまで触れており,力のこもった読み応えのあるものになっている.
このほか第1部では,おなじくシロイヌナズナで遺伝子発現分析からフィールドでの開花時期調節の機構に迫るもの,ウツボカズラの消化液内をゲノミクス解析して微生物集団を調べるもの(微生物は非常に多様だが,機能的には収斂が見られる)などが収められている.


第2部は分子生物学者からの寄稿.
シロイヌナズナ胚乳におけるゲノミックインプリンティングの機構の分析を行ったもの,イネいもち病菌の様々な菌系のゲノム解析にかかるもの,シロイヌナズナの生物的ストレス防御の化学系(グリコシレノート系)においてこれまでの伝統的解析に,発現量多型分析,化学的機能にかかる遺伝子の系統解析を組み合わせて分析を深め,生物系ストレスの生態要因と組み合わせて適応度地形を再構成し,さらに生物的ストレス防御遺伝子群をネットワークとして考察するというもの,同じくシロイヌナズナにおけるトランスクリプトミクスとメタボロミクスの統合解析にかかるもの,やはりシロイヌナズナにおける遺伝子の発現について共発現の状況をネットワークとして可視化したものなどが収められている.いずれも様々な先進的手法の解説がなされており,ちょっと前までできなかったような分析が次々と可能になっている状況をよく示してくれている.


第3部は技術解説.
専門家以外にはあまり興味のない記述かと思いきや,そもそも何故こんなに様々なことが可能になっているのか,あるいは次世代シーケンサーの何がすごいのかという基本的な解説があって大変興味深かった.
最初の3つの寄稿でマイクロアレイ,次世代シーケンサー,次世代以降のシーケンサーの基本が解説されている.次世代シーケンサーは(もはや実用化されているの第2世代という呼び方の方がいいと思うが)現行世代シーケンサーが,PCRで増やしたDNA断片に長さの違う相補鎖DNAを反応させ,電気泳動させて分離してから読み取っていくのに対して,増幅させたDNAに(特殊な)相補鎖DNAを反応させる結合状況を直接蛍光現象,あるいは発光現象としてCCDで読み取っていくというもので,高速でかつ大規模な並列作業が可能になる.(また次世代の様々な方式間には個々の配列の長さ(その後のアセンブル作業に効いてくる)と配列の量(信頼性に効いてくる)にトレードオフがあることも解説がある)
さらに第3世代以降のシーケンサーは,まずDNAを増幅させずに1分子から読み取っていく,反応を蛍光や発光として読むのではなく電位差を使うというやり方でさらなる高速化を図っている.さらに電子顕微鏡走査型プローブ顕微鏡で直接塩基配列を読もうという仕組みも構想されているそうだ.最近の急速な技術の進展が何故生じているのかがよくわかる解説だ.
この後メタボロミクスの解説があり,最後に分子集団遺伝学の基礎が講義されている.自然淘汰の検出にかかるTajima's Dの意味や具体例などが解説されていて参考になる.


全体を通して,ここ10年の技術の進展により大きくリサーチ手法が広がっている有様,それに対するリサーチャー側の意気込みや興奮がさりげない記述の背景に感じられて,読んでいて前向きの気分にさせてくれる明るい本に仕上がっている.これからさらに技術が進み,どんどん結果が積み上がってくるのだろう.楽しみだ.



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私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100402http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20100410http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080517