本書は,哺乳類についてその特徴と進化を語った一冊.著者のリアム・ドリューは神経生物学の研究者であった経歴を持つサイエンスライター.この本はかなり評判が良く,2019年に訳本が出て(原書は2017年出版)私も読もうと思っていたのだが,いつまでたっても電子化されず,待ってるうちについ読みそびれていたものだ*1.しかしブルサッテの「哺乳類興隆史」を読んでみて哺乳類についてより学びたいという気分になり,参照文献に本書がたびたび登場しているのを知り,そうそうこれは読もうと思っていた本だったと思い出し,早速取り寄せてみたものだ.原題は「I, Mammal: The Story of What Makes Us Mammals」
はじめに
序章では本書のテーマが示されている.それは哺乳類を哺乳類たらしめている特徴とは何か,そして哺乳類はどのような進化史をたどってきたのかということだ.第1のテーマについてリンネの指摘,本書で取り上げる特徴(陰嚢,性染色体,生殖器,乳腺,子育て,骨と歯,温血性と体毛,感覚能力,脳)を挙げ,第二のテーマについては,310百万年前の双弓類と単弓類の分岐〜210百万年前の最初の哺乳類の登場*2を第1期,そこから66百万年前の白亜紀末大量絶滅までを第2期,新生代を第3期とするとしている.
第1章 なぜ精巣は体外に出たのか
本書が最初に取り上げる哺乳類の特徴は陰嚢だ.かなり意外なところからはじめて読者の興味をつなぎ止めようという工夫だろうと思われるが,実はその進化的な議論もなかなか面白い.少し詳しく紹介しよう.
- なぜ多くの哺乳類のオスは精巣という重要な器官を(いかにもリスキーなやり方で)体外に出しているのかという問題について,一般的には精巣の精子生産が腹部体温より数度低い環境で良く機能するからだ(体外に出して冷却する方が適応的だから)と説明される.
- しかし多くの進化生物学者はこの説明に納得していない.まず精巣の体外への移動に向けての最初のステップでは(まだ体内にあるから)冷却メリットがないはずだという問題があり,さらに精子生産を腹部体温で最適化するように進化することが難しいとは思えない(関連タンパク質の組成を少し変更すれば可能であり,実際に鳥類は何の問題もなく腹部体温で精子を効率的に生産している)という問題があるからだ.
- より詳しく系統樹にそってみると単孔類には陰嚢がなく,有袋類と有胎盤類にはあるが,有胎盤類と有袋類では陰嚢の位置が異なり*3,さらに有胎盤類でもアフリカ獣類(ゾウやハイラックス),異節類(アルマジロやナマケモノ)は陰嚢を持たない.さらにローラシア獣類にも二次的に陰嚢を持たなくなった種(ハリネズミ,モグラ,センザンコウ,サイ,カバ,クジラなど)が散見される.これは陰嚢は少なくとも2度独立に進化し,さらにローラシア獣類でやはり何度か改めて体内に収納するように進化したことを示唆している.
- 冷却説をめぐり様々な論争が生じた.
- まずローラシア獣類の精巣二次収納について,(クジラなどの水生哺乳類にとって陰嚢の流体力学的デメリットが大きいことは理解できるが)なぜハリネズミやセンザンコウで陰嚢が魅力を失ったのかは(冷却説では説明できず)大きな謎となる.
- ゾウは非常に高い腹部体温でも問題なく精子生産可能であり,片方でクジラの精巣には内部冷却システムがあるという相反するような知見も得られた.
- 遺伝子的には低温で精子生産可能にするようなタンパク質が新たに進化した形跡があり,体外化が(何らかの別の理由で)先に進化した可能性を示唆している.
- ラヴグローヴは2014年に様々な哺乳類の精巣位置と体温を分析し,深部体温の急上昇は恐竜絶滅後急速に生じ,それに対応するために陰嚢が進化したと主張した.しかし体外への移動の最初のステップにどんなメリットがあるかは説明できていない.
- 冷却説に対する代替仮説としては,(メスに対して魅力をアピールするという)ディスプレイ説,(精子を鍛える機能があるとする)トレーニング仮説,(全力疾走するようになり,その際の血液や精液の漏出を防ぐためという)ギャロッピング仮説などがある.彼らの説にはそれぞれ難点もあるが,個人的には(ローラシア獣類の二次収納をある程度説明できる)ギャロッピング仮説に魅力を感じている.いずれにしてもこの問題は未解決だ.
第2章 カモノハシに学ぶ
第2章のテーマは単孔類.現生する哺乳類は有胎盤類と有袋類と単孔類だが,単孔類とその他の哺乳類(獣類)との分岐は古く,哺乳類の進化史の上でどのような特徴がいつ現れたかを考える上で貴重なデータ源となる.
著者はロンドンにあるカモノハシの剥製について簡単に触れたあと,カモノハシが最初にヨーロッパに報告された時のエピソード,ダーウィンとカモノハシのエピソード(ダーウィンはビーグル号航海でオーストラリアによった時にカモノハシを観察している.そしてカモノハシを太古の生物形態を保存しているものであり,爬虫類と哺乳類をつなぐものと考えていた)を語る.ヨーロッパへの最初の報告のエピソードはかなり有名な話だが,哺乳するのか,胎生なのかをめぐって繰り広げられたドタバタは楽しい.
ここから著者は単孔類が生き残ったことは哺乳類の歴史を考察するものにとって幸運であったと前置きして,単孔類を含む哺乳類の系統樹の根元部分を説明する.
- 単孔類と獣類の分岐は166百万年ごろで,有胎盤類と有袋類の分岐より20百万年古い.だからまず乳腺と哺乳行動が進化した後,分岐が生じ獣類で乳頭が生じ,胎生になったと推測できる.(ここで最節約法,動物群の形態的定義と収斂進化の問題,分岐分類とクレードなどの簡単な解説がある)
- そしてさらに古く遡ると,双弓類との分岐後,盤竜類がまず適応放散し,その後その1つの枝から獣弓類が,さらにその1つの枝からキノドン類が,さらにその1つの枝から哺乳類が適応放散している.
最後にカモノハシの電気受容器を使った素晴らしい感覚システムが紹介され,著者はカモノハシがばかみたいに好きになったと語っている*4.
第3章 性を決める新たな発明
第3章のテーマは性決定.
まず性がなぜあるのか,性決定の様々な仕組みが解説される.そこから哺乳類のXY染色体システムがこの系統で進化したシステムであること*5,ホルモンとの関係,カモノハシのユニークなシステム*6,Y染色体にある性決定遺伝子の探索*7,性決定遺伝子(SRY)と下流の遺伝子ネットワークの働き,SRYの起源とY染色体退行の歴史からわかること*8が解説されている.いろいろ詳細で楽しい.
第4章 風変わりな生殖器
第4章のテーマは膣と陰茎
冒頭で生物にとって繁殖が極めて重要であることに触れたあと,膣は純然たる哺乳類の発明品で,膣に陰茎を挿入する性交を行うのは哺乳類だけだと説明がある.
そこからまず陰茎が説明される.
- 陰茎は哺乳類,鳥類,爬虫類の様々な系統でみられるが,何度か独立に進化したのか,共通祖先に陰茎があり,個別に失ったのかという問題には決着がついていない.
- 複数起源説者は,カメ,ワニ,哺乳類の陰茎の形態があまり似ていないこと,ムカシトカゲ,97%の鳥類は陰茎を持たないことを根拠として挙げる.共通起源説者は発生過程の研究を根拠として挙げる.そして博物館にあった19世紀のスライド標本からムカシトカゲの発生過程で陰茎の初期段階を確認できた(現在ではムカシトカゲの保護規定から胚の標本を得ることができない)ことは共通起源説の有力な根拠となるように思われる.
ここで話は脊椎動物の陸上進出に切り替わる.
- 最初の陸上進出の後,有羊膜類は防水性の皮膚と新たな呼吸様式と新しい膜を持つ卵を進化させた.
- この膜の内側に精子を送り込むために体内受精が必要になり,この時代に陰茎が進化したと考えられる.そして陰茎の発生には四肢の発生用の遺伝子が尾の前駆細胞に働くように転用されていることがわかっている.
ここからは陰茎の楽しい逸話の紹介.なぜ陰茎を使って排尿するようになっているのかはわかっていないこと,血液を使って勃起するのは哺乳類とカメ*9であること,哺乳類の中でも陰茎の形態は多様であること,有袋類とカモノハシは双頭の陰茎を持つことなどが語られている.
続いて膣が説明される.
- 単孔類は名前の通りメスは総排出腔(クロアカ)を持つ.
- 有胎盤類ではまず後腸につながる孔と尿管と卵管につながる孔(尿生殖洞)が分離した.そして一部の齧歯類と霊長類で尿道と膣が分離している.ヒトを含む一部の霊長類の場合,2つの卵巣につながる2本の卵管が身体の中央で融合し,単一の子宮を形成し,単一の子宮頚部があり,それが膣につながっている.融合の程度には多様性があり,齧歯類では2本の卵管につながる2つの子宮,2つの子宮頚部がある.
- 有袋類には総排出腔に近い器官があり,そこに肛門,尿道と3つの膣がある.3つの膣のうち2つは精子の通過に使われ(卵管が融合せず子宮が2つあり,それぞれにつながる膣がある),最後の1つは赤ん坊の通過のため(なぜこれが分離されているのかはわかっていない)に妊娠後発達させる.精子通過用の膣が2つあるので有袋類の陰茎は双頭になっている*10と考えられている.
第5章 受胎と発生
第5章のテーマは発生.
多細胞生物にとっての発生の問題,エボデボと遺伝子ネットワーク(ここで新奇性を生む遺伝子ネットワークの働きの例として有胎盤類の子宮壁にある脱落膜化間質細胞(DSC)が解説されている),生殖細胞系列と体細胞系列の分化などがまず解説される.
ここからは哺乳類の発生の問題になり,特に有胎盤類と有袋類の違いが詳しく解説されている.
- 有胎盤類では,初期段階で胚の救命ボートたる胎盤が形成され,胚は胎盤を通じて栄養を受け子宮で発達し,誕生したあとも哺乳による発達を続ける.
- 有袋類の場合,子宮にはDSCがなく本格的な胎盤は形成されず*11(ただし次章で説明されるように一時的な胎盤は形成される),(有胎盤類に比べると)非常に小さく未発達な新生児が生まれ,自力で袋(育児嚢)まではい上がって,袋の中で絶えず変化する長い授乳プロセスの中で発達成長する*12
またここでは有袋類は劣った二流の哺乳類かという議論*13,有胎盤類とオーストラリアの有袋類の適応放散にみる驚くべき収斂進化なども取り上げられている.
第6章 体内で対立する父母の遺伝子
第6章のテーマは胎盤とそこで繰り広げられる遺伝子レベルでのコンフリクトだ.
まず胎生と胎盤が動物界でどのぐらい特殊なのかという問題が議論される.
- 胎生は脊椎動物でおよそ150回進化した.鳥類,ワニ,カメでは一度も進化しなかったが,トカゲとヘビで115回独立に進化し,両生類,硬骨魚の極く一部,多くの軟骨魚でも出現した.栄養供給が母体依存型の胎生は脊椎動物で33回進化し,胎盤が進化したのは20回ほどだ.
- 胎生は獣類の共通祖先がすでにもっていたもので,獣類のすべてが胎生だ.そして獣類では卵細胞が大幅に小さくなっており,発達に必要な栄養の大半が母親から供給される.有胎盤類の胎盤は胎児の組織と母親の子宮組織が網の目のように絡まった器官で,その中を胎児の血液が走っている.
ここでジョン・ハンターによる解剖により子宮内のDSCの存在と胎児の血液と母親の血液が分離されていることを発見した逸話や哺乳類の分類における論争*14,胎盤の微細構造や発達過程の理解の歴史が語られている.
続いて胎盤におけるコンフリクトが扱われる.トリヴァースの親子コンフリクト理論,ヘイグの哺乳類の妊娠時の親子コンフリクトの考察とゲノミックインプリント理論が簡単に紹介される.胎盤の形態を系統樹から分析した結果,胎盤はこのコンフリクトにより幾度も劇的に変化していることがわかっている.
ここから胎盤の進化史が説明される.
- カモノハシの卵では卵黄を包む膜から母親が子宮に分泌する栄養が吸収されていることから,単孔類において胎生より先に母体依存型を進化させていることがわかる.
- 有袋類の場合は受精した直後の卵は卵殻膜から母親の栄養を吸収するが,子宮内で孵化すると子宮壁に埋め込まれ,卵黄嚢膜のみ*15を使った一時的な胎盤が形成される.有袋類の胎盤が一時的なものにしかならなかったのは,胚を母親の免疫から守る仕組み(有胎盤類の免疫寛容)が進化しなかったためであり,DSCはそのために進化したと主張する説もある.
- 有胎盤類では妊娠期間を長くしていく実験を行ったことになる.そしてある時点で卵殻膜の形成をやめ,精巧な胎盤を進化させた.
第7章 ミルキーウェイ
第7章のテーマは哺乳.
冒頭では様々な授乳スタイルが紹介される.
- 有袋類は栄養補給を母乳に頼る期間が長く,新生児は特定の乳頭を吸い,吸われた乳頭の乳腺だけが活性化し,子供の成長とともに母乳組成が漸進的に変化する.
- 流氷の上で授乳するズキンアザラシの授乳期間は4日間で,乳脂肪分60%の濃厚な母乳を集中的に与え,その4日間で22キロで生まれた新生児の体重は倍増する.これに対して陸で授乳するオットセイの授乳期間は数か月になる.
- クジラは水中で母乳を確実に子の口に押し込める特殊な筋肉質の乳腺を進化させた.
- ヒトについて,伝統的な民族もふくめて「自然な」授乳スタイルを探究したリサーチによると,ヒトの場合には文化的な撹乱要素が大きく社会により極めて多様で,断定しがたいということのようだ.
- 授乳スタイルや母乳の構成は多様だが,乳腺自体はすべての哺乳類で驚くほど似通っている.母乳産出関連遺伝子からみても母乳は単孔類と獣類の分岐以前に出来上がっていたと考えられる.
ここで著者は乳腺の進化についての学説史をダーウィンとマイヴァートとの論争(乳腺のない状態と授乳用の管系が完成している状態の中間段階が想像できないというマイヴァートの批判に対してダーウィンは様々なシナリオを提示している)から扱っていて楽しい.
- 現在では単孔類と分岐以前の哺乳類で,腹部から滲み出る分泌物が卵の健康をどう向上させたのかという視点から議論されており,温め説,冷却説,卵への水分・栄養補給説,抗菌液説,乾燥からの保護説が提示されている.
ここから乳腺の発達プロセスと起源(アポクリン腺説が有力)が考察される.
- 私は,温血化の結果,まず卵表面の抗菌が重要になり,さらに乾燥防止に役立つようになり,最後に新生児が舐めるようになって栄養補給に役立つようになったのではないかと考えている.
ここで哺乳と歯の二生性の関係に触れたあと哺乳のメリットが扱われる.
- 哺乳のメリットとして,子の成長が効率的になったことにより,生まれたばかりの危険な状況を素早くくぐり抜けられるようになったこと,母親にとってのコントロール力が強くなったこと,食料獲得の変動をならせるようになったこと,特殊な餌への専門化を容易にしたことなどが考えられている.
最後になぜ哺乳類はオスが哺乳するように進化しなかったのか*16という問題が扱われている.
- まず一般的な問題として父親の不確実性からオスが子育て投資をあまりしないことがある.もちろんオスが子育て投資をするものも多いが,そのような動物の場合オスによる追加の乳腺の利益が(テリトリー防衛や食料供給に比べて)小さいのだろう*17.
第8章 夫婦が先か,子育てが先か
第8章のテーマは子育て行動と子供の学習
まずトリヴァースの親子のコンフリクト理論,誰が子育て投資を行うか(父親の子育て投資がどのような条件で進化するか)についての進化理論*18,モノガミーの進化理論*19が概説され,続いて子育て行動を引き起こすホルモンネットワークの至近メカニズム(それが様々な哺乳類で多様であること),霊長類においてはホルモンだけでなく大脳皮質の関与が大きいことが説明される.
そして子育て期間中の子供側の学習が取り上げられ,試行錯誤型学習,社会的学習が解説される.さらに哺乳類の社会生活,社会的集団,遊びの意味についてもここで取り上げられている.
第9章 歯と骨と恐竜
第9章のテーマは哺乳類の進化史
ダーウィンのノートBのスケッチのエピソードに触れたあと,哺乳類系統の進化史の話になる.310百万年前の双弓類との分岐,210百万年前の真の哺乳類*20の誕生.66百万年前の白亜期末絶滅で時代を区分し,化石とDNAから探っていくことになる.
- 第1の時代(双弓類の分岐〜真の哺乳類の出現):盤竜類,獣弓類,キノドン類の3つのグレード(段階群:分岐分類のクレードではなく,ボディプランが似た動物群を表す)が時代とともに繁栄し,消えていく.いずれも小型の肉食動物から適応放散したグループであり,形態的には歯の分業の程度,顎の動きの精密制御の程度,顎の再構成と中耳の登場,第二口蓋,鼻甲介などの口腔の構造,運動様式がそれぞれの段階で異なっている(摂食,走行,呼吸が並行して進化している.ここではその適応状の意味についても詳しく説明されている)
- 第2の時代(真の哺乳類の出現〜恐竜絶滅):グリーンランドや中国の化石群や系統樹の再構成のリサーチからジュラ紀中期に獣類において爆発的な形態的変化が生じ,様々な生態を持つ哺乳類が出現したことがわかってきた.この繁栄の鍵がトリボスフェニック型臼歯であると考えられる.
ここでDNA分析による現生有胎盤類の分類の大変革(異節類,アフリカ獣類,ローラシア獣類,真主囓類)と,その4系統の系統樹の形と時期についての論争*21が紹介されている.
第10章 高速で燃える生命
第10章のテーマは温血性.温血性をめぐるいろいろな議論が次々と紹介されている.
- 温血性(内温性)は,運動能力が上がる,代謝プロセスが安定するなどのメリットがあるが,その反面極めてエネルギーコストの高い戦略になる.そしてこれがなぜ哺乳類で進化したのかについては様々な議論がある.
- また断熱性の進化がいかにしてなされたか(外温性生物にとっては断熱は外からの熱吸収を妨げるので極めて不利になり,断熱なしではエネルギーロスが極めて大きいので内温性の進化が難しい)も謎になる.
ここで一旦体温調節の様々な仕組み(毛による断熱,血液量の調節,代謝速度の調節,汗など),哺乳類における基礎代謝率の高さ(呼吸効率の上昇,四室心臓,腎臓機能の向上,核をなくした赤血球など)が説明される.ここから進化時期,進化の謎が議論される.
- 鼻甲介,血管などをみると獣弓類,初期のキノドン類の段階で内温性に向けて大きく前進していたことがうかがえる.残念ながら毛皮を示す最古の化石年代は(哺乳類段階の)165百万年前のものしかない.
- 断熱性の進化の謎について,現在有力なのは毛についての前適応説で,感覚にかかわる付属器官説,皮膚の耐水化のための脂質分泌液を吸い上げる芯説になる.
- 内温性の適応的意義については,小型化のため説,温度ニッチへの進出説,有酸素運動の副産物説*22.親による抱卵時のメリット説,子育て行動能力の向上が子の成長を加速させるメリット説などの様々な仮説がある.
- 内温性を単一の要因で説明しようとせず,代謝プロセス,運動能力,子育て行動が同時平行的に変化してメリットを生んだという考え方が最近では有力だ.(ここで内温性進化の歴史における3つの波(獣弓類時代の子育て,有酸素運動の変化,哺乳類初期の夜行性ヘの移行,サイズの小型化,新生代の一部哺乳類生態(全力疾走,寒冷地進出)の変化)が解説されている)
第11章 夜につちかわれた感覚
第11章のテーマは夜行性と感覚機能の進化.
冒頭で夜行性がどの程度行き渡っているかが解説される.
- 哺乳類の70%程度は夜行性だ.これはしばしば恐竜時代に夜行性のニッチに閉じこめられたと説明されるが,実際には恐竜絶滅後も昼光性ヘの進出は散発的にしか生じていない.
- 昼光性が最も広く普及しているのは有蹄類と霊長類になる.食肉類は昼夜を問わずに活動するものが多いし,有袋類,翼手類,齧歯類では多くの種が夜行性に留まったままだ.
続いて外部刺激を感じる感覚が夜行性との関連でどうなっているかが解説される.
- 視覚は縮小した.第3の目といわれる松果眼はなくなり,色を感じる錐体細胞は4種類から2種類まで減った(霊長類ではその後3種類に増えた).そして感度が高く解像度が低い桿体細胞が圧倒的に多くなっている.
- 聴覚は中耳の進化により周波数領域が広がり鋭敏になった(中耳のメカニズム,耳小骨の由来が詳しく解説されている).特に高周波領域が聴こえることは小型の哺乳類が子育てに関連するシグナルのやり取りを可能にし,音源の方向関知にも役立った.翼手類とハクジラ類ではエコロケーションが独立に進化した.
- 嗅覚は重要な感覚となった(鼻甲介の仕組み,嗅覚情報処理領域の大きさ,嗅覚受容体数の増加,嗅覚コミュニケーションの例などが解説されている).
- 触覚についても多くの哺乳類で感覚毛による鋭敏な触覚が可能になっている.
第12章 悩ましきは多層の脳
第12章のテーマは脳.
冒頭で哺乳類の脳の大きさをその優秀性の根拠とする思想の時代遅れの傲慢さについて注意を喚起したあと.哺乳類の脳が相対的に大きいこと,その大脳の中に独自の6層からなる神経組織「新皮質:neocortex」があることが指摘される.
ここから哺乳類の脳の進化史が扱われる.
- 260百万年前のキノドン類の脳は小さく管状だった.205百万年前の初期哺乳類のモルガヌコドンの脳はキノドンより50%大きくなっており,特に大脳の嗅覚処理領域と小脳が拡大していた.その10百万年後のハドロコディウムも大脳の嗅覚処理領域と小脳が拡大していた.
- このことは内温性獲得の初期段階では脳の拡大はみられず,体毛による断熱が進化した第二の波で拡大したことを示唆している.その後も脳の拡大は続いたが,系統の枝によりその程度は様々だ(拡大が大きいのは霊長類とクジラ類).脳や新皮質は生態的に利益が大きい場合のみ進化するらしい.
ここから神経系のメカニズムの話になる.反射弓のような単純な回路から始め,それにどのようなものが追加されると機能が変わるかが解説される.新皮質は複数の入力情報が統合され,記憶される場所となる.これにより状況依存の適切な行動を選ぶことが可能になり,その動物は敏感で柔軟なものになる.そして新皮質の6つの層の仕組み,その起源が解説される(鳥類の脳との関係*23も含め,いくつかの由来仮説が詳しく解説されている).
ここから脳の領域性が解説される.
- 哺乳類のそれぞれの種にはそれぞれの生態を反映した様々な皮質領域がある.哺乳類の脳は20ぐらいの領域からなる小さな皮質から始まり,脳の拡大とともに領域数が増え,より複雑な計算が可能になっていった.ヒトでは領域数は200程度になり,情報統合を行う前頭前野が拡大している.
第13章 絡みあいループする進化
最終章はこれまでの記述の振り返りもかねて哺乳類の特質と進化に関する様々な題材をエッセー的に扱っている.進化史は(ちょうど人生と同じように)あり得ないような偶然の出来事に左右されること,哺乳類の進化史を眺めると極くわずかな歯や骨の違いに自然淘汰が敏感に反応してきたことがわかること,その結果個々の哺乳類はそれぞれのニッチに非常に良く適応しているが,文化を持つヒトはその例外でもあること.そして進化の結果すべての種はクレードのマトリョーシカの様な入れ子構造になっていること*24,ヒトは有胎盤類の中の真主齧類の中の霊長類であり,霊長類は樹上運動と視覚の探求において放散したグループであり,大脳皮質が発達し高い社会性を持つようになったこと,哺乳類の様々な特徴は相関しながら進化した形質であり,哺乳類に進化しえた単一の鍵を握るイノベーションはないこと,しかし方向を定めた大きな柱は恒常性重視の戦略であったことなどが語られ,最後にダーウィンのダウンハウスに思いを寄せて本書を終えている.
以上が本書の概要になる.哺乳類の特徴,その深く複雑な進化史が手際よくまとめられ,興味深いトピック,なお論争中の謎,学説史などもちりばめられていて読者を飽きさせない(概要では省いたが,著者の個人的な経験談もいろいろ書かれていて楽しい).大変良く書けた科学啓蒙書という印象だ.私としても「前哺乳類史」「哺乳類興隆史」に続いて本書を読めて大変勉強になった.
関連書籍
原書
ブルサッテの哺乳類進化史本.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2024/09/16/210607
同原書
パンチローリの哺乳類進化史本.私の書評は
https://shorebird.hatenablog.com/entry/2023/01/23/162307

*1:そして今に至るも電子化されていない.出版社のこのような態度は本当に残念だ
*2:ここでの哺乳類の定義は下顎の特徴に基づくもの,現生哺乳類のクラウングループという定義を用いるなら166百万年前になる
*3:有胎盤類では陰茎の後ろ側,有袋類では前側になっている
*4:実は私もカモノハシは大好きで,オーストラリアを訪れた際にカモノハシの観察が出来なかったのは今でも残念に思っている(何とか土産物屋でカモノハシフィギアはゲットできた)
*5:ショウジョウバエもXY型だが,哺乳類ではXOはメスになり,ショウジョウバエではオスになる
*6:XXXXXYYYYYシステムで,オスには5本のXと5本のYがある
*7:ペイジによる1987年のZFY遺伝子が性決定するという主張,その後有袋類の常染色体上にZFYがあることが発見されたこと,そして1990年にシンクレアとグッドフェローによるSRY遺伝子の発見という学説史が語られている.このSRY遺伝子が有胎盤類と有袋類のY染色体上にある哺乳類固有の遺伝子ということになる,カモノハシにはSRY遺伝子はなく,彼らのX性染色体は有胎盤類の6番染色体と相同であることも説明されている(なおカモノハシの性決定遺伝子はなお同定されていない)
*8:SRYはX染色体上のSOX3の変異配列が起源になっており,SRYが性決定役割を持つようになってからSRY側の染色体が退化してXY型になっている.そしてモグラレミングではY染色体を持たず,アマミトゲネズミもSRY遺伝子を失って,別の方法で性決定している.つまり性染色体やSRYが特に重要であったわけではなく,性的二型を実現するためのたまたまの方法として獣類の哺乳類が利用するようになったのにすぎない
*9:おそらく収斂進化,他の有羊膜類はリンパ液,リンパ液と血液の組み合わせで勃起させる
*10:カモノハシの陰茎の双頭性の理由については解説されていない.やはり総排出腔の中に2つ精子輸送用の孔が開いているからだろうか
*11:これについて有袋類は臍帯を乳頭に置き換えたとされることがあるが,むしろ有胎盤類が乳頭を臍帯に置き換えたのだろうとコメントされている
*12:これらが西洋に知られるようになった経緯が詳しく語られていて楽しい,当初有袋類の子供は乳首から生まれるという説がまじめに唱えられていたそうだ
*13:劣等説は南米,北米において競争で有胎盤類に敗れていることを根拠として挙げる.著者は単により厳しく不安定な環境に適応した(有袋類方式の方が母から子への投資をよりコントロールしやすい)に過ぎないという否定説に好意的だ.
*14:オーウェンは脳表面が回旋状になっているかどうかで哺乳類を分類しようと提案し,ハクスレーがそれでは分類が荒唐無稽になると反対し,胎盤の有無や形状で分類することを提案したそうだ.ハクスレーの案は有袋類と有胎盤類の区分として残っているが,有胎盤類の中の分類については,胎盤の構造が変化しやすいものであることが分かり捨てられた
*15:ただしバンディクートは(有胎盤類と同じように)呼吸排泄可能な尿膜を使う
*16:コウモリ2種についてオスが乳成分を分泌しているという報告があることについて,報告されている乳成分の量はメスのそれの1.5%に過ぎないこと,実際に哺乳していることが観察されていないことが指摘されている
*17:ハト乳との比較については,鳥類の場合乳の供給が進化する前に両親による子育てがあったが,(オスが子育て投資する)哺乳類の場合,哺乳がシングルマザーの元で進化し,その後に一部の種でオスが子育てに参加するようになったという違いが大きいのではないかとコメントされている
*18:父性の不確定性,父親の投資のコストパフォーマンスの要因からの説明になっている
*19:子殺し防止仮説,(メスの地理的分布が広い場合に)オスによるメス確保戦略仮説,オスの子育て投資メリット説などが説明され,系統樹による分析から,まずモノガミーが進化してからオスによる子育て投資が進化したケースが多いこと,モノガミーについてはメス確保説が当てはまる状況が多いことが示唆されていることが解説されている
*20:著者の哺乳類の定義は現生哺乳類のクラウングループではなく,歯骨と鱗状骨からなる顎関節を持つものということになる
*21:4系統の分岐順序はなお確定していない.またDNAはこの4系統が恐竜絶滅のはるか前に起こったことを示しているが,現生有胎盤類のそれぞれの目に対応するような白亜紀以前の化石は見つかっていない.これを受けて有胎盤類の放散の性質と時期については爆発モデル,長い導火線モデル.短い導火線モデルの3つの考え方があり,論争となっている
*22:この副産物説は興味深いが,なぜ筋肉における運動代謝と(基礎代謝の大きな割合を占める)内蔵における代謝の結合が必須なのかが説明できていないとコメントされている
*23:鳥類の脳は核構造で哺乳類の層構造と同じような計算を行っているらしい.これについて相同説と収斂説があり,それぞれに根拠があり決着はついていないそうだ
*24:ここでそれを「私は四足動物です,私は有羊膜類です,私は盤竜類です,私は獣弓類です,私はキノドン類です,私は哺乳類です,・・・・・・・」と表現している.本書の原題「I, Mammal」はそれを受けている





