War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その88

 
ターチンは不平等の拡大縮小のサイクルを.人口動態から説明する.そしてそのような人口動態の効果は国全体にも,特定社会階層内でも生じることを説明する.そして国内の反乱や内戦は特に貴族人口動態からよく説明できるとし,14世紀ヨーロッパと17世紀ヨーロッパが同じような人口動態から同じような「悲惨な世紀」になったことをみてきた..
 

第10章 マタイ原理 なぜ豊かなものはより豊かになり,貧しきものはより貧しくなるのか その6

 

  • ここまで我々は貴族の経済状況の悪化が抗争の激化を呼び込むことをみてきた.ここで注意しておくべきことは,暴力の動機は単純な経済的なもの(貴族の体面を保つための金がほしい)だけではないということだ.ならず者なら金だけのために暴力を振るうかもしれないが,多くの人の場合,経済的動機は全体の極く一部だったりする.そこにはしばしば「なぜ自分はこんなに苦しんでいるのにあいつらは贅沢しているのだ」みたいな道徳的な怒りがある.そしてそれが組織を作ることや,革命につながるのだ.

 
単純な人口動態からの貧困側の経済的困窮だけが貴族たちの反乱の動機ではなく,そこには嫉妬や恨みの感情があり,それが道徳的な怒りに変わっていくという至近的なメカニズムにも言及しているのはこれまでのターチンの説明にはあまりなかった部分でちょっと面白い.ここから具体的な歴史エピソードが語られる.
 

  • フランスでは1550年ごろ2人の有力者(モンモランシー総司令官とギーズ公)の周りにライバル派閥が形成された.1559年に国王アンリ2世が亡くなると,ギーズ派とカトリック教会が次の国王フランソワ2世の庇護を独占することに成功した.これは反ギーズ派のユグノー貴族の反乱を引き起こし,それはむごたらしく鎮圧された.その後エリート間対立は宗教戦争の色を濃くし,急速にエスカレートした.ギーズ公はユグノー貴族に暗殺され,報復と復讐のスパイラルが生じ,その後30年にわたりフランスの支配階級の多くが殺された.

 
ユグノー戦争はフランスの歴史の中でも凄惨な内戦として知られている.そして「ナントの勅令」を出してこれをおさめたアンリ4世はフランス人の間では特別な名君として扱われているようだ.
 

 

  • バッキンガム公とギーズ公の興亡は社会に極端な不平等があることの危険を良く示している.不平等は既存秩序が不公正で正統性を持たないと感じさせる.そして革命イデオロギーが燃え上がるのだ.近代初期にはこのようなイデオロギーは宗教の形をとった.後にそれはナショナリズムとマルキシズムをまとうようになる.今日私たちは宗教的な革命イデオロギーを再び目にするようになった.英国の清教徒,フランスのジャコバン,ロシアのボルシェビキ,イスラムのアルカイーダの間には巨大な相違がある,しかしそこには1つだけ共通点がある,それは社会正義への渇望だ.

 
アルカイーダがこれらと同列に扱われるべきものかどうかについてはよくわからないが,不平等に端を発するねたみと怒りが社会正義を求める何らかの宗教やイデオロギーと結びついて凄惨な戦争につながるというダイナミズムは現在にもみられるというのがターチンの認識であるようだ.