The Gene’s-Eye View of Evolution その32

 
 

第2章 「利己的な遺伝子」の定義と洗練化 その6

 
概念の整理を行う第2章.まず「遺伝子」が取り上げられる.ここではデイヴィッド・ヘイグの論考を機軸にして議論が進む.まず「gene」の起源としてのヨハンセンの仕事が取り上げられ,そこから分子生物学者と進化生物学者が異なる意味で「遺伝子」を用いていることが紹介された.そして進化生物学者はその分子的な詳細に興味はなく,表現型にどのような違いが現れるかに注目する.この側面についてキッチャ―とステレルニーは「違いを作るものとしての遺伝子」と呼ぶ.
 

2-2 利己的な遺伝子とは何か その3

 

  • 遺伝子についてのこの(違いを作るものとしての)様相を捉えるために,モスは表現型的なP遺伝子(Gene-P)という遺伝子概念を導入した.P遺伝子は前成説的な遺伝子概念で,表現型を予測する.それは発生的なD遺伝子(Gene-D)との対比概念になる.D遺伝子は分子生物学者のいう遺伝子に近い概念で,分子的な配列を持つ物質的な概念だ.

 
モスとは哲学者レニー・モスを指している.このP遺伝子とD遺伝子の区別は彼の著書「What Genes Can't Do」で提示されたものだ.モスはこの本で,遺伝的決定論を批判し,遺伝子は発生過程の1プロセスでしかないという議論を展開している.基本的に遺伝子視点にも批判的であるようだ.

 

  • P遺伝子はメンデルやヨハンソンにとってなじみやすいだろう.しかしここ半世紀のD遺伝子的な知見の進展は,彼らにとって理解困難かもしれない.
  • ルーとボウラは最近のエピジェネティックスの知見と遺伝子概念の関連を議論し,似たような意味で進化的遺伝子と分子的遺伝子という概念を提示している.ここで重要なことは遺伝子視点は遺伝子について抽象的に考察することを好み,分子的な実体について曖昧であることを喜んで受け入れがちであるということだ.

 
ルーとボウラの議論は,科学哲学の論文誌に掲載された「The evolutionary gene and the extended evolutionary synthesis」という論文においてなされている.
philpapers.org

 

  • 遺伝子視点の遺伝子についての概念化は,表現型についてどう考えるかについても含意を持つ.生物学の伝統的な見方では表現型は個体の属性だと考えるが,ドーキンス(1982)がいうように遺伝子視点では表現型は遺伝子の属性だと捉える.故に,遺伝子の効果は代替アレルとの比較において考察されることになる.代替アレルがなければ表現型自体がないことになるのだ.これは奇妙に感じられるかもしれないが,実はヨハンソンのオリジナルな表現型の定義に近い.ヨハンソンは個体の(他個体と)区別しうるタイプを考えていた.

 
このあたりは「違いを作るものとしての遺伝子」として行動生態学でよく見かける考え方であり,ヘイグも取り上げているところだ.「From Darwin to Derrida」では第4章でこの問題が詳しく考察されている.私のノートは
shorebird.hatenablog.com

 

  • では,遺伝子が表現型効果を失ったら,「違いを作るものとしての遺伝子」はどうなるのだろうか.これは単に哲学的な問題ではなく,ゲノムワイド連関分析においてゲノムの大部分でシグナルを見つけられない時に実際的な問題になる.1つの考え方は効果がないのだから遺伝子もないと考えることだ.あるいは,そのような遺伝子は淘汰にかからず浮動によってのみ運命が決まると考えることもできる.

 
ここはちょっと哲学的で面白い.そしてGWASに置ける実務的な問題につなげているのもなかなか楽しい.
 

  • 最後に,遺伝子視点的な遺伝子概念を採用するなら,フィッシャーの拡張した環境概念も受け入れなければならない.分子生物学者や生態学者は環境を生物個体の外側のものに限定しようとする.しかし遺伝子視点をとるなら,環境には,同じ遺伝子座の他のアレル,同じゲノムのその他の遺伝子,同じ集団の遺伝子プールが含まれる.それは「代替的な存在によりシェアされた世界のすべての部分」なのだ.
  • 表現型のオーナーを個体から遺伝子に移すことによるメリットには,表現型を個体の身体を越えて捉えることができる(延長された表現型)ことがある.

 
ドーキンスが「利己的な遺伝子」の次に「延長された表現型」を書いたのはある意味論理的な必然だったということになるのだろう.