訳書情報 「宇宙の広さを知ったサル」

 
以前私が書評したスティープ・スチュワート=ウィリアムズの「The Ape that Understood the Universe」が,「宇宙の広さを知ったサル*1」という邦題で邦訳出版される(9/18発売予定).
本書は気鋭の進化心理学者による進化心理学についての一般向け科学啓蒙書であり,素晴らしくよく書けている一冊だ.本書の特徴は,進化心理学がリベラル型の社会科学者たちから誤解に満ちた批判を受けていることをしっかり踏まえて,なぜそのような批判が間違っているのかを丁寧に描いている点だ.そしてそれを異星人視点からヒトを(ユニバーサルにそして進化的に客観的に)捉えてみようという姿勢から語っている.
 
進化心理学の解説書によくある「導入としての進化の説明」についても手を抜かずに,ナイーブグループ淘汰の誤解,マルチレベル淘汰の可能性までふくめた解説を行い,なおかつ本書としては遺伝子視点の立場に立つことを説明し,かつそのような進化的な思考と進化心理学との関係も丁寧に解説している.
本論に入ってからは,大きく3つのテーマが扱われる.それはヒトの性淘汰形質と配偶戦略,利他的行動の説明,そして文化進化になる.最初のテーマであるヒトの性淘汰,配偶戦略は特に詳しく扱われており,その中でどのような批判があって,それがいかに誤解であるかについて1つ1つ丁寧に解説している.最後のテーマである文化進化については特にミーム学の立場を擁護する立場からの解説があり,これも非常に秀逸だ.
また最後に「ブランクスレート派との議論に勝つ方法」「ミーム学否定派との議論に勝つ方法」という付録があり,(本書本文をふくめて進化心理学本によく見られる)批判がいかに間違っているかを冷静に解説するだけでなく,相手の誤解を利用してその矛盾と(特にブランクスレート派の)政治的な歪みを徹底的にあばく論法がユーモアたっぷりに紹介されている.ここは特に進化心理学ファンとして胸がすくような気持ちで読むことができる.

いずれにしても非常によく書かれた一冊だ.すべての人に強く推薦したい.
 
 
原書

 
 
原書についての私の書評
shorebird.hatenablog.com


同付録についての私のブログ記事
shorebird.hatenablog.com

shorebird.hatenablog.com

*1:この手の書題を見ると「apeはサルじゃなくて類人猿なんだが」といつも思ってしまうが,まあ「類人猿」はやや専門語よりで日本語としてこなれていないし,日本語の普通の語感で「サル」は類人猿も含む霊長目の動物(ただしヒトは含まない)か,ニホンザルのみを指すことが多いのでやむを得ないところなのだろう

The Gene’s-Eye View of Evolution その21

 

第1章 歴史的起源 その16

 
オーグレンの遺伝子視点の起源の解説.その3つの基礎のうち自然神学,集団遺伝学と並ぶ最後のものは「淘汰のレベル論争」とされている.
 

1-4 淘汰のレベル その2

 
淘汰のレベル論争の解説は,まずフィッシャー,ホールデン,ライト3人組みがそれぞれグループ淘汰についてどのように語っているかについて触れる.
 

1-4-1 ウィン=エドワーズとナイーブグループ淘汰の起源

 

  • ボレロは,20世紀前半について,グループ淘汰についての「相互受容」あるいは「慇懃な無視」の時代だったと評している.

 
ここで参照されているのはボレロによる「グループ淘汰の興隆と衰亡,そして再興隆」という名の論文になる.
pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

 

  • フィッシャー,ホールデン,ライトはそれぞれグループ淘汰について触れている.
  • フィッシャーは.グループ淘汰について,有性生殖の維持のための役割を認めたが,個体の増殖速度の方がグループの増殖速度より速いので,通常は個体淘汰の方が強いと説いている.さらに「優性学者の望み」というエッセイで,甥が息子のいない伯父をリプレースするという言い方で血縁淘汰的な議論を行っている.

 
前段の議論は「自然淘汰の遺伝的理論」が参照されている.有性生殖の維持のためというのがどういう意味なのかについてはオーグレンは解説してくれていない.あるいは有性生殖の2倍のコストをすでに意識した上でのコメントなのかもしれない.
「優性学者の望み(Some hopes of a eugenicist)」というのは1914年の「The Eugenics Review」に収録された論文で,雑誌の名前も論文の名前も優生学が最先端の流行で主流の考え方であった時代を彷彿とさせる.
ここで問題とされる部分を読んで見ると,フィッシャーは現代社会の問題として「専門化」があると指摘している.この専門化の問題というのは,ある専門化された家系はその他の能力が劣っていくのではないかという問題意識らしく,その中で「ある家系において資産管理能力と軍事的能力の才能があったとして,長男Aが実家に残り,次男Bが戦争に行き,次男が子を残さずに戦死したとしても,長男に8人の子が生まれれば,甥が伯父のリプレースとなり,その家系の両才能が保たれるだろう」という議論がなされている.(ここでなぜ4人ではなく8人なのかは私にはよく理解できない 9/6追記 これは兄弟が腹違いの場合まで含めて最低何人生まれればいいかという話として理解できそう)
これは確かに血縁淘汰の先駆的な議論といえるだろう.血縁淘汰の先駆的な議論としては次のホールデンのものがよく引かれるが,このフィッシャーのものは初めて知った.おそらくこの論文があまりに優生学的な内容なので今日あまり読まれることがないためなのだろう.
https://digital.library.adelaide.edu.au/server/api/core/bitstreams/1c5c71f5-2141-4a99-9e11-7ecdc4d8ca94/content

 

  • ホールデンは「8人のいとこか2人の兄弟のためなら命を投げ出すだろう」という警句の(メイナード=スミスの回想に基づく)逸話で有名だ.彼はまた「進化の原因」において,グループに有利で個体に不利な形質の議論を行っている.

 
この逸話の典拠はメイナード=スミスの「社会生物学」の書評「Survival through suicide」が参照されている.そしてこれはまさに後にハミルトンとメイナード=スミスの確執の要因となったものになる.
ハミルトンとメイナード=スミスの確執についてはこの本が詳しい.私の書評はhttps://shorebird.hatenablog.com/entry/20130322/1363949965

  
グループに有利で個体に不利な形質の議論がされているホールデンの「進化の原因」.1932年の書物になる 

  • ライトは(この3人の中では)もっともグループ淘汰に親和的だった.そして彼のバランスシフト理論にその要素が組み込まれている.しかしながらライトはそれを社会行動の面から議論することはしなかった.

 
バランスシフトについての論文として以下が参照されている.いかにも手ごわそうだ.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/instance/1201091/pdf/97.pdf


 

  • いずれにせよ,グループ淘汰は.彼ら3人の議論の焦点にはなっていなかった.

 
ここまでがボレロのいう「相互受容」の時代になる.

The Gene’s-Eye View of Evolution その20

 

第1章 歴史的起源 その15

 
オーグレンの遺伝子視点の起源の解説.その3つの基礎のうち自然神学,集団遺伝学と並ぶ最後のものは「淘汰のレベル論争」とされている.
 

1-4 淘汰のレベル その1

 

  • 遺伝子視点がもたらした進化的思考の第3の要素には,1960~70年代の淘汰のレベル論争がある.それはばかげた論争だと評されたこともあったが(ワディントン1975),生物界階層のどのレベル(遺伝子,個体,グループ,種)において自然淘汰が働くかをめぐる意見の不一致は,進化生物学における最も活発な議論を巻き起こし,科学哲学の最も輝かしい分野の1つになった.

 
ここ参照されているワディントン1975とはニューヨークレビューに書かれた「社会生物学」の書評になる.このレビューはドーキンスの「利己的な遺伝子」出版前のもので,ここで言う「ばかげた論争」は「社会生物学」でウィルソンが,社会生物学の中心課題の1つが利他性の進化の問題であると据えたこと,そしてグループ淘汰に否定的に扱っている部分を評する中で表現されている.
 
www.nybooks.com

 

  • 「グループ淘汰」は,グループレベルの適応は(個体ではなく)グループに自然淘汰が働いた結果だというアイデアだ.グループレベルの淘汰は個体レベルと逆方向に働きうるので,それにより個体にとってはコストでもグループにメリットのある利他的行動や社会行動を説明できると考えるのだ.
  • 今日の理論家は,グループ淘汰の正式で適切な数理モデルを組み立てることができるという点で意見が一致しているが,20世紀においては意見の一致がなく,どのように個体が「グループのために」あるいは「種の保存のために」行動できるのかという議論が盛んに行われた.
  • この論争史は徹底的にレビューされているので,ここでは簡単に触れておくだけにする.論争史に興味がある人が読むべき本や論文がいくつかあるが,それらの論争の価値についての結論は必ずしも一致していないので注意が必要だ.特にダーウィンがどういう立場であったかについては今日でも意見の一致がない.

 
ここでいくつかの書籍と論文が紹介されている.なかなか懐かしい本も多い.なお最も読むべき本としてはオカシャの「進化と淘汰のレベル」が推奨されている
 
最も読むべき本

 

論争を扱いグループ淘汰批判的な本として

 
同じくグループ淘汰支持的な本として

 
最近のよくできた一冊として

アンソロジーとして

 
 
なおダーウィンが個体淘汰支持的かグループ淘汰支持的かという科学史的な論文としては以下が参照されている
philpapers.org
pubmed.ncbi.nlm.nih.gov

書評 「世界は進化に満ちている」

 
本書は深野祐也による現在進行中で身近に観察できる進化現象を解説する一冊.深野は農学系の研究者だが,リサーチの対象範囲が進化生物学分野全体に広がり,目の付け所が鋭く一般市民にも興味深くわかりやすい研究を次々に発表していることで知られる.その中ではカタバミの都市環境における進化(これは本書第3章でも詳しく取り上げられている)や虫嫌いの進化心理的リサーチなどが有名だ.
 

第1章 これを読めば進化がわかる!

 
一般向け進化解説書の伝統にのっとり,冒頭には簡単な進化の解説がおかれている.進化とは何か,その中で自然淘汰による進化(適応進化)とは何か,適応進化が起こるための条件とは何か,適応進化にはどのような性質があるか,種分化はどのように生じるかが(架空の)タコ型生物の楽しいイラスト入りで解説されている.
 

第2章 進化は時としてあっという間に起こる

 
第2章ではまず進化が(一般人が通常考えているより)はるかに早く進むことがあることが指摘される.そして素早く適応進化が生じる条件(強い淘汰圧,世代時間の短さ),条件が満たされていれば素早い進化が生じることが予測できることが説明される.
例としては殺虫剤に対する耐性進化があげられ,進化が素早く生じることは予測できてもそれがどのようなメカニズムによるかは予測が難しいことも説明される.(ここでは実際に生じた耐性進化には,ナトリウムチャンネルの変化,殺虫剤分解,行動の変化などがあること,チャバネゴキブリはこれまで使用されたすべての殺虫剤に対する抵抗性を進化させ,さらに毒餌への誘引物質として使われる甘いものへの忌避まで進化させたことが紹介されている)
ここから様々な素早い進化の例が紹介される.有名な英国のオオフリシモエダシャクの工業暗化(さらに後の環境改善による再白化),トロフィーハンティングの淘汰圧に対して角が小さくなったオオツノヒツジ,メスの牙が無くなりつつあるアフリカゾウ,漁業淘汰圧によるタイセイヨウダラの体サイズの縮小と繁殖早熟化,同じくアトランティックサーモンの繁殖早熟化*1,漢方薬採集淘汰圧に対する薬用植物の変化(キク科の雪蓮花の小型化,ユリ科の一種のカモフラージュ的色彩変化)が取り上げられている.
 

第3章 都市で起こる進化

 
第3章のテーマは都市環境という新奇環境に対する様々な生物の進化.
冒頭は自身の研究であるカタバミの(通常の)緑葉タイプと(都市の高温環境に適応しているように見える)赤葉タイプのリサーチ.緑地環境と都市環境における両タイプの頻度比較,両タイプの高温ストレスに対する成長量や光合成活性の測定,DNA解析による赤葉タイプの(南関東での)進化史の推定*2,古文書からの証拠集め,iNaturalistを用いた世界中の都市における赤葉タイプ優占の検証などが語られている.
そこから様々な都市環境への進化例が紹介される.都市の夜間光環境への適応(フランスの蛾(スガ),アメリカのアメリカタバコガが都市環境で光に誘引されにくくなっている,日本の都市のオウトウショウジョウバエが夕方から夜明け前に活動時間を移している),都市の騒音への適応(世界中の複数の都市でシジュウカラの囀り音が高音にシフトしている.ただしこれが個体学習によるものか遺伝的進化によるものかは判別が難しい.ヒナバッタの鳴き方の高音シフト,高速道路下の鈴虫の一種マダラスズの鳴き声高音シフトは飼育実験により遺伝的進化であることがわかっている*3),都市環境の捕食圧低下に対する適応(シロツメクサの毒性低下が世界中の都市で並行進化している),都市環境の競争圧力低下に対する適応(都市のメヒシバ,オヒシバはより姿勢が低く横に広がる)などが解説され,この他にも強風環境,土壌環境(貧栄養,アルカリ化)などへの適応も生じているはずだとコメントされている.
 

第4章 外来種ももちろん進化する

 
第4章のテーマは外来種の進化.外来種はそれまでの環境と全く異なる環境下におかれるので急速に進化しやすい.
冒頭は自身のブタクサとブタクサハムシのリサーチ.日本には明治初期にブタクサが,戦後オオブタクサが北米から侵入し,瞬く間に全国に広がった.長い間両種には天敵がいなかったが,1996年ごろに原産地の天敵ブタクサハムシが侵入し,同じく瞬く間に全国に広がっている.深野は北米のブタクサ,日本のブタクサ,まだブタクサハムシが侵入していない日本の離島(対馬,壱岐,隠岐)のブタクサを比較し,天敵がいなかった日本ではブタクサの防御能力が下がり(トレードオフである競争力は上がる),ブタクサハムシ再侵入後防御力が上昇に転じていることを検証した.さらに北米ではブタクサハムシはオオブタクサを食べないが,日本侵入後は防御能力が下がったオオブタクサも食べるように急速に適応進化した(さらに日本の環境にあわせて休眠条件や顎の形状も適応進化している)ことも見いだした.
ここから,有名なハワイの(オーストラリアからの)外来エンマコオロギが(北米からの)外来寄生バエの寄生圧に対して鳴かなくなるように進化した例*4,オーストラリアに持ち込まれたオオヒキガエルの分布拡大速度上昇(移動傾向増大)を起こした進化および現地生物のオオヒキガエルの毒性に対する進化(忌避,耐毒性向上のほか,トビのオオヒキガエルの内蔵だけを食べる傾向,ヘビの小顔化(オオヒキガエルを飲み込めなくなる)などが知られている)が紹介され,さらに進化的知見の外来種管理への応用(拡大フェーズでは更なる適応進化を遅らせるために再侵入や在来種との交雑を防ぐこと,防除駆除フェーズでは駆除方策への対抗進化を予測して事業計画に入れ込むことなど)が語られている.
 

第5章 保全の現場で起こる進化

 
第5章のテーマは保全事業で生じる進化.
絶滅危惧種を動植物園で飼育して保全の一環とすることはよくある.ここでは動植物園で生じる進化として,動物の場合,捕食圧がないことなどの飼育環境への適応として鳴き声や動きの単純化,社会性の低下,警戒心の低下,視覚嗅覚の減退が生じること,植物の場合,不適切な季節における発芽を抑制する必要がなくなる環境への適応として種子休眠形質の喪失(これを防ぐためには飼育現場で早く発芽した個体ばかりを栽培せずに遅く発芽した個体も栽培すること,種子更新を遅らせて世代数を少なくすることなどが重要と指摘がある)がまず紹介される.
続いて(浮動についての簡単な解説の後)絶滅危惧種の集団が小さくなることによる浮動の影響(特に本来不利な形質の固定)の増大(これを防ぐためには他地域個体群の人為的な移入などの対策があり,「遺伝的救助」と呼ばれる),多様性喪失による近交弱勢の影響の増大など(これらの悪影響は,あわせて「絶滅の渦」と呼ばれる)が解説される.
遺伝的救助よりさらに踏み込んで進化理論を応用する試みは「進化的救助」と呼ばれる*5.ただし実行するにはいろいろ難しい点があることも指摘されている.
 

第6章 これからの進化を予測する

 
最終章は未来の生物の進化を想像を膨らませて語ってみようという楽しい試みになっている.
遠い未来の環境がどうなっているかの予測は難しいが,近未来なら気候変動(温暖化)の影響を考えることができる.ここではこれまでに生じた進化として,ミジンコの耐熱性上昇,シジュウカラの繁殖日程の早期化,植物の開花結実の早期化などがまず紹介され,(すべての生物が上手く進化できるとは限らないし,気候変動に対する進化は分からないことだらけであることを断った上で),気温の上昇(都市環境への適応がヒントになる),海洋の酸性化(プランクトンやサンゴが耐性を進化させる可能性がある),湖沼の富栄養化(プランクトンのアオコへの耐性進化,魚の派手な性淘汰装飾の喪失の可能性がある),マイクロプラスチックの増加(一部の生物にプラスチックを分解消化できる進化が生じる可能性がある)に対する進化の予想が語られている.
そして最後にヒトがこれからどう進化するかという話題(新興感染症に対する進化が継続して生じるだろう)にも触れ,さらにエピローグで(本章冒頭で難しいとしていた)遠い未来の進化を楽しく語って*6本書を終えている.
 
本書は身近に生じて観察可能な様々な素早い進化の例を次々に紹介する小気味のよい一冊だ.それぞれ大変わかりやすい解説がついており,楽しく読める.進化に興味のある人には嬉しい一冊だし,進化生物学学習の副読本としても充実した一冊と評したい.
 

 

*1:日本のサバ漁などの最近の漁獲量減少(および体サイズの縮小)はこの漁業淘汰圧に対する進化の可能性が高いが,まともにモニタリングや管理が為されていないことへ警鐘が鳴らされている

*2:一度の突然変異が広まったのではなく,いくつかの場所で緑葉から赤葉への進化が起こり,異なる集団間で移動や交配が現在も頻繁に生じていると推定されている

*3:ただしマダラスズのメスの反応音域は高音シフトしていないので,オスの高音シフトは求愛行動有利性ではなく捕食圧低下により進化したのかもしれないと解説されている

*4:鳴かなくなる形質はカウアイ,オアフ,ハワイ島でそれぞれ別の突然変異により収斂進化したこともわかっている

*5:なおここで,進化的救助の威力を説明するためにオーストラリアに侵入した外来種アナウサギが3度の根絶プログラム(1950年代のミクソーマウイルス導入,1970年のノミの導入,1995年の兎出血病ウイルスの導入)に対し,一旦個体数を激減させた後にその都度耐性を進化させて回復した例が,環境変化により絶滅に向かっていた生物が進化的救助により回復しうる例として紹介されている.しかしこれは根絶事業が素早い進化によって失敗した例で,どこにも人為的な「救助」があるわけではなく,紹介例として適切なのか判然としない

*6:さらに想像を膨らませて微生物の宇宙空間への適応の予想,ヒトのスペースコロニーや他惑星への進出後の人類の分岐進化の予想が楽しく語られている

The Gene’s-Eye View of Evolution その19

 

第1章 歴史的起源 その14

 

1-3 集団遺伝学 その6

  
オーグレンの遺伝子視点の起源の解説.その3つの基礎の2つ目の集団遺伝学が解説された.ここで本文中で重要とされたフィッシャーの自然淘汰の基本定理についての解説コラムがある.
 
ここではオカシャによる2008年の「フィッシャーの自然淘汰の基本定理:哲学的分析」という論文が参照されている.
前回基本定理についての解説論文には,プライス(1972),イーウェンス(1989),エドワーズ(1994),グラフェン(2003)の4本があると紹介したが,さらにオカシャ(2008)がこの上にあることになる.
 
このオカシャの論文は,プライスからグラフェンまでの4本の論文を読み込んだ上に,副題にあるように哲学的な検討が為されている.哲学的分析は,そもそも基本定理とは何か,その重要性はどこにあるか,プライス以降の現代的解釈とそれまでの伝統的解釈はどこが異なるか,フィッシャーは「環境」をどう捉えていたか,因果と現代的解釈の関係などが扱われている.本書との関連でいえば,特に基本定理が他のアレルや他遺伝子座の状況を環境とみなしていることになること,それが遺伝子視点の先駆的分析であることを指摘しているところが重要ということになるようだ.
 
https://citeseerx.ist.psu.edu/document?repid=rep1&type=pdf&doi=a439f82da1b36e5c90e600ca2cf6aa6be0c450bf

 

ボックス1-1 基本定理を読み解く

 

  • オカシャによると基本定理は2つのキーコンセプトに分けられる
  • 最初のコンセプトは「集団の平均適応度」だ.i番目の個体の適応度をwiとする.すると平均適応度は次のように書ける.

 
https://latex.codecogs.com/svg.image?\overline{\omega}=\frac{\sum_{n}^{i}\omega&space;_{i}}{n}
 

  • すると平均適応度の変化率は,フィシャーのような連続時間モデルでは\frac{d\overline{\omega}}{dt},離散時間モデルでは\Delta tと書ける.

 

  • 2番目のコンセプトは「適応度の遺伝分散」だ.これは読み解くのがやや難しい.ここではオカシャの用語法に従う.
  • フィッシャーは驚異的な数学的直感を持っていたので,多くの人にとってその議論を理解することは難しい.
  • まず適応度の分散が個人間の遺伝的差異,環境要因,あるいはその組み合わせにより生じることは間違いない.フィッシャーが「遺伝分散」で何を意味していたかが混乱の元になる.彼はこの用語で個人間の遺伝子型の違いにより生じた「総遺伝分散」Var(g)を表しているわけではない.彼はこの用語で今日でいう「相加的遺伝分散」Var_{add}(g)を表しているのだ.
  • Var_{add}(g)Var(g)の一部であり,非相加分散Var_{non-add}(g)(エピスタシス的と呼ばれることもある.優性劣性の効果はこれに含まれる)とあわせて総分散になる.

 
https://latex.codecogs.com/svg.image?&space;Var(g)=Var_{add}(g)+Var_{non-add}(g)

 

  • 相加的遺伝分散は,ある遺伝子が,その他ゲノムにあるすべての遺伝子とは独立に,適応度に与える影響を捉えるものだ.
  • この意味を理解するために,極端なケースを考えてみよう.遺伝子間には全く相互作用がなく,全く独立に働くものとする.この場合総遺伝分散は相加的遺伝分散と一致する.ここでフィッシャーによる回帰計算を用いると,2倍体生物のi個体の適応度は次のように書ける.

 
https://latex.codecogs.com/svg.image?\omega&space;_{i}=\sum_{j}^{}\alpha&space;_{j}x_{ij}+e_{i}
 
 

  • ここでαは,あるアレルのコピー数(0, 1, 2)に対する適応度の回帰係数で定義されており,xijはi個体にあるjアレルの数だ.だからαjは,もう1つjアレルを加えた時に適応度ががどれだけ変わるかを示すことになる.これがフィッシャーのいう平均効果だ.eiは,残差項目であり,相加性が完全であれば0になる.

 

  • すると相加的遺伝分散 Var_{add}(g)Var \sum_{j}^{}\alpha _{j}x_{ij} と等しくなる.

 

  • 基本定理の伝統的解釈によると,フィッシャーは平均適応度の時間的変化\left ( \frac{d \overline{\omega }}{dt} \right )は相加的遺伝分散Var_{add}(g)に等しいと主張したとされている.この解釈では集団の平均適応度は(分散が負になることはないので)増加し続けることになってしまう.
  • もし,この解釈が正しいのなら,多くの人がフィッシャーに懐疑的になるのは無理もない.集団の適応度は,自然淘汰の元でも減少することもあるからだ.