「我々はなぜ我々だけなのか」


本書は講談社ブルーバックスの1冊で,作家兼ノンフィクションライターの川端裕人が,人類学者の海部陽介の全面協力(発掘現場同行,インタビューなど)を受けて書き下ろしたアジアの人類進化についての本になる.


「はじめに」で,本書執筆に至った経緯が書かれている.2013年のナショジオのウェブサイト連載「『研究室』に行ってみた」で海部陽介にインタビューする機会があり,そこで人類進化学の最近の展開に心奪われ,取材を開始する.そして現在人類の歴史についての知見がどんどん広がり,見せてくれる景色がずいぶん変わっていることを知る.その結果(海部の研究エリアでもある)アジアの人類進化を中心に本書を執筆することになったそうだ.

プロローグ

ここでは海部に同行したインドネシアジャワ島ソロ側流域サンブンマチャンでの化石発掘現場のルポが収められている.ここはジャワ原人の化石産地として有名なサイトだ.臨場感あふれる報告の後,本書全体のロードマップもおいてくれている.

第1章 人類進化を俯瞰する

ここではあまり知識がない読者向けの人類進化の基礎解説が納められている.学者ではなく小説家の手による初学者としての感想も交えたわかりやすい解説だ.ここでは日本人の読者にわかりやすいように「初期の猿人*1」「猿人」「原人」「旧人」「新人」という用語を用い,化石や復元図を多用しながら概説されている.解説の中で改めてサピエンスの多地域進化説が否定されていることが取り上げられているのも一般向けということだろう.特に強調されているのは人類の進化史の大部分において多様な複数の系統が共存していたことで,それはサピエンスの出アフリカ時点でもそうだという点だ.その他,ホモ・エレクトゥスの中で一番多く化石が発掘されており長期の歴史が追えるのは間違いなくジャワ原人であること,中国では北京原人がいなくなった後の時代の地層からより進歩的な旧人段階の化石が見つかっていることなども解説されている.

第2章 ジャワ原人をめぐる冒険

第2章はジャワ原人について.川端はここを,多くの日本人は学校教育で社会か理科で北京原人ジャワ原人を習っているはずで,ジャワ原人への旅はセンチメンタル・ジャーニーあるいは聖地巡礼だという宣言から始めている.私も直立原人と北京原人として習ったおぼえがある.最近の人類史の解説本ではエレクトゥスのところでさらっと触れられるだけのことが多いので,本書のジャワ原人の充実した記述は確かになかなかなつかしい場所への再訪という気分にさせられるところだ.
ここでは現地ルポを交えながら,まずデュボアによる1890年代の発掘,ピテカントロプス(直立猿人)としての発表,論争とデュボアの閉塞,北京原人の発掘,1930年代以降の別の発掘地での新たなジャワ原人化石発掘の歴史物語が語られる.
続いていずれもジャワ島ソロ川流域の4カ所の化石産出地の解説がある.その中でのサンギランの解説(ここは地層がいったんドーム状に盛り上がってから浸食を受けたために水平方向に時系列で300万年〜25万年前の化石が産出する)が詳しい.
またジャワ原人の生息していた環境推測(森林混じりの草原だっただろう),石器が一部出ているほかは生活環境推測が難しいこと,年代推定が難しいこと(いずれももとの地層から流されてもう一度堆積した可能性があることによるもの)などが解説されている.

第3章 ジャワ原人を科学する現場

続いて海部の研究室(国立科学博物館人類研究部)のジャワ原人研究の現場のレポートがおかれている.まずこの科博の研究室のレプリカを含めた化石標本のコレクションが非常に充実していることが強調されている.特にジャワ原人化石については馬場悠男以来のインドネシアとの協力的な関係が背景にあるそうだ.
ここからは海部のジャワ原人研究の紹介になる.

  • それまで,ジャワ原人についてはずっとあまり進化せずに停滞していたと考えられていた.(背景にはグールドの断続平衡理論の影響*2があるそうだ)
  • 海部は,豊富な化石を丹念に調べることにより,ジャワ原人がサンギランの数十万年だけでも大きく変化していることを見いだした.化石を比較すると咀嚼器官(歯,特に臼歯)が縮小する傾向があることがわかる.
  • これに関連して古い層から出る大きな顎と歯の化石(メガントロプスとされたこともある)の解釈が問題になる.海部はホモ・エレクトゥスからはずれるとまではいえないが,同時期に出る華奢な化石との間で性的二型を示している可能性があると考えている.
  • 最近の研究手法としてはマイクロCTスキャンを用いるというものがある.これによりジャワ原人の脳容量を正確に計測するとそれが増大している傾向を見いだすことができる.
  • また顎関節の特殊化やその他の独特な形態変化も多数あることがわかった.

ジャワ原人の進化史を通じた形態変容についての具体的な進展の物語は迫力があって読みどころだ.川端の解説は,多地域進化説の否定にこだわったり,ナイーブな定向進化的な部分があったりするのが少し気にならなくもないが,全般的には複雑な話をわかりやすくかみ砕き自分の言葉で書かれており,読みやすいと評価できるだろう.

第4章 フローレス原人の衝撃

第4章は21世紀の衝撃の発見,フローレス原人について.
まず発見,発表の経緯,年代推定(オリジナルの論文では1万8千年前〜3万8千年前とされていたが,2016年に訂正され,現時点では化石年代としては若くとも6万年前というのが受け入れられているそうだ)の問題,発表された当時の受け止め方(海部の感想がインタビューされている)が解説されている.当時の人類学者の衝撃の大きさは,その年代(つい最近)ということもあるが,その脳の小ささが最大の衝撃だったことがわかる.島嶼化という理屈はわかるがそれにしても人類がこんなになるものかということだったらしい.


ここは当時の私の受けた衝撃とずいぶん異なっていて興味深い.基本的に人類も動物であるからそのおかれた環境,淘汰圧によってどんな方向にも速やかな適応が生じるだろうということを前提にすると,島嶼化による矮小化進化が素早く生じるのは当然で,(カラスの賢さを考えると)脳の縮小も特に大きな驚きはなかった.それより驚いたのはサピエンスの進出後も何万年も共存していたということだった(これは上記年代訂正からそれほど驚くべきことではなくなったようだ).このあたりは進化生態学と人類学のバックグラウンド(あるいは人類中心主義の度合いの)の違いということだろう.


ここから川端は発掘現場のルポ,化石や復元の紹介,巻き起こった「本当に新種なのか」論争,「新種だとしてその祖先はジャワ原人ホモ・ハビリスか」論争などを解説している.なかなか丁寧に様々な主張の背景,最終的な結論に関する証拠などを挙げておりここも読みどころだ.


解説を読むと,結局ごく自然な結論は「ジャワ原人を祖先とする原人がウォレス線を越えてフローレス島に入って島嶼化による矮小化を起こした」ということになるのだが,人類の矮小化を認めたくない,あるいはできるだけ小幅にしたいという(私から見ると悪しき人類中心主義的)動機が無理な反対説につながっていることがわかる.

第5章 ソア盆地での大発見

第5章はフローレス島での新しい発見の物語.
2016年,川端は海部からフローレス等のソア盆地の発掘現場に招かれる.そこでの発掘作業のルポは人類化石発見かというエピソードが臨場感たっぷりに語られていて楽しい.
そしてその3ヶ月後,海部はネイチャーにフローレス島で70万年前の原人化石を発掘したという論文を発表する*3.それは川端の訪ねた発掘地でその少し前に掘り出されたものだった.その化石はフローレス原人と同じぐらい小さいが,形態的にはフローレス原人とジャワ原人の中間的な特徴を持っていた.(海部はこの化石をホモ・フローレシエンシスとするかどうかには慎重に留保しているようだ)これはフローレス原人の祖先が少なくとも70万年より前にウォレス線をわたり速やかに矮小化したことを示しているのだ.


ここも川端はそれを驚くべき発見として書いているが,私の感覚ではむしろごく普通のシナリオに沿った発見だという印象だ.

第6章 台湾の海底から

第6章はアジア第4の原人(澎湖人)発見物語.台湾でアジア第4の原人の化石が発見されたことが2015年初頭に発表される.論文では,台湾で原人の下顎骨化石が発見されたこと,ジャワ原人北京原人フローレス原人とも異なる特徴を持っているのでアジア第4の原人と思われること,年代は45万年前より遡ることはなく,おそらく19万年前より新しいことなどが主張されている.
川端はこの発見物語をより詳しく語ってくれている.それによると発見物語は2008年から始まるもので,化石自体は澎湖諸島近海の澎湖水道での底引き網漁船に引き上げられたものだ.この海域ではこの手の化石が海底で剥き出しになっている部分があるようで,毎年多くの化石が水揚げされているそうだ(澎湖動物群と呼ばれている).
そこからこの新しい原人の下顎の形態的特徴(顎が開き,頑丈),年代決定(地層がわからないので,陸続きになっていた年代と
フッ素ナトリウム法による相対年代推定の組合せ*4,その意味(19万年前より新しいとすると中国大陸北部では北京原人が消えて旧人の時代になっている),おなじく頑丈な顎が出ている和県人*5との関係などが解説されている.
澎湖人については,2015年の最初の発見報道の後一般向けの解説をあまり見かけないので,この章の記述は大変興味深いものだ.

終章 我々はなぜ我々だけなのか

最終章でまず川端はここまで解説してきたことを振り返り,現時点でのアジアの人類史をまとめる.

  • アジアには120万年前には既にジャワ原人が存在し,5万年前ぐらいまで生き延びていた可能性がある.
  • フローレス原人は100万年前ぐらいにフローレス島に渡り,速やかな島嶼化を生じ,やはり5万年前ぐらいまで生き延びていた.
  • 北京原人はもっと早くに姿を消したが,40万年前〜10万年前ぐらいに別の頑丈型原人が中国南部にいた可能性がある.
  • これらの発見はこれらすべての原人をホモ・エレクトゥスとまとめてしまうことに再考を迫るものかも知れない.
  • またいくつか「中国の旧人」の化石が発掘されている.これらは北京原人のあとに現れた別の人類で,年代は正確にはわかっていないものの36万年前〜10万年前頃とされている.
  • アルタイ地方では10万年前〜5万年前とされる謎めいたデニソワ人が見つかっている.

つまり5万年前までは各地に多様な人類が存在していたようなのだ.ここから川端はなぜサピエンス登場以降人類はただ1種になってしまったのかということを取り上げる.ヨーロッパにおけるネアンデルタールとの「交替劇」の議論(交雑の事実もあり接触があったのは間違いない,接触期間は5000年程度というのが今のコンセンサス),アジアにおける交替状況(あまりよくわかっていない.サピエンス渡来時期についてもコンセンサスはない,海部は5万年前頃と考えている.とすると接触はなかったかあってもほんの一瞬ということになる),今どこまでわかっているのかなどを取り上げ,それに迫る取り組みの1つとして海部の「3万年前の航海徹底再現プロジェクト*6」を紹介している.
ここで川端は小説家らしく,人類の多様性と均質性について,宇宙への拡散についてのエッセイを置き,最後にデニソワ人とサピエンスの交雑についての「南デニソワ人」海部説*7を紹介して本書を終えている.

本書はあまり語られることのないアジアの人類史を一般向けに分かりやすく解説した本として貴重な一冊だ.そして川端のライターとして能力が遺憾なく発揮されていてとてもわかりやすい.私としてもジャワ原人進化の詳細,フローレシエンシスの最近の年代訂正や,澎湖人の実体について教えられることが多かった.少し残念なのは「中国の旧人」についてほとんど解説がないことだ.どのような化石がどこで発見されて,それについて海部がどう考えているかを付け加えていればさらに充実した書物になっただろう.とはいえ人類史に興味のある人には強く推薦できる一冊だ.



関連書籍


フローレシエンシスについてはこの本が詳しい 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080702

ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈下〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈下〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

*1:アウストラロピテクスに至るまでのサヘラントロプスやアルディピテクスなどを総称した呼び方

*2:停滞のまさに実例としてジャワ原人が取り上げられているそうだ

*3:未発表だったのでそのときは川端に話せなかったが,大発見の現場は見せておきたかったということだったようだ

*4:絶対年代推定のウラン系列法は海中で置換が生じていて使えず.相対年代推定の決め手になったのはブチハイエナの種ごとの分布年代推定だった

*5:1980年代に発掘された40万年前の頑丈な顎の化石,中国では北京原人の化石の1つとされている

*6:クラウドファンディングで資金調達して,台湾から先島諸島への航海を再現しようというもの.2016年には与那国島から西表島への航海を試み途中で流されて失敗,2017年には台湾から沖合の離島へのテストを行い,2018年には台湾から与那国島に挑む予定だそうだ.

*7:オーストラリア,メラネシアへの交雑の元になった「南デニソワ人」がデニソワ洞窟で発見されたデニソワ人とは別の実体として存在していただろう.その実体はジャワ原人だった可能性がある(メラネシアアボリジニの人たちの形態的特徴を一部説明できる).またアルタイのデニソワ人はネアンデルタール人と同居していたことから見て混血の交雑個体であったのではないかというもの

 EVOLINGUISTICS 2018「言語とコミュニケーションの進化」参加日誌 その4


連続講演会は週が変わって京都へ.8/6の京都大学百周年記念ホールの講演会(言語進化のモザイク性について,道具製作と言語進化について)には都合がつかなかったが,8/9の京都大学芝蘭会館別館*1でのトマセロ教授の最終講演会に参加できた.やや狭いセミナールームだったので聴衆で満員になり熱気あふれる講演会になった.


8月9日 京都国際心理学セミナー(共催) 京都大学芝蘭会館別館


コラボレーションの起源(The Origins of Human Collaboration)マイケル・トマセロ


<意図の共有とコラボレーション>

  • 意図を共有するのはヒトのユニークな特徴だ.
  • チンパンジーは個別意図しか持たない.2頭のチンパンジーはそれそれ別のゴールに対して意図を持つ.ヒトだけが同じ目的に向かって意図を共有するのだ.ヒトの進化においてとてもユニークなことが生じたのだ.この結果ヒトはとても協力的だ.意図の共有(shared intentionarity)は協力の基礎となる心理的なメカニズムなのだ.
  • 類人猿はとても賢い.彼らは意図を持つし,他者の意図も理解する.しかしそれは競争の文脈でしか発揮されない.これに対してヒトはより協力的な生き方を進化させた.リソースを得るためにコラボレーション(collaboration )するようになったのだ.ここでコラボレーションは協力より狭い意味で使っている.それは一緒に何かをすることだ.
  • 意図の共有に際しては共通の利益,共通のゴールがある.そしてコラボレーションするためのコミュニケーション,コーディネーションが生じる.ここでキーになるのがマインドリーディングとメンタルコーディネーションだ.
  • 競争的な文脈では相手を操作しようとするので自分の意図は隠した方が有利になる.これに対してコラボレーションに際しては意図を共有した方が有利になるのだ.
  • さらに共有エージェントも創造された.これが「我々」だ.
  • 類人猿はこういうことをしない.コーディネートしないのだ.彼らは競争的な文脈では非常にうまく相手のゴールや相手の意図を読むことができる.(チンパンジーを使った実験の紹介)


<意図共有の2つの進化段階>

  • ヒトの共有意図は2段階進化したと考えている.
  • 第一段階はベイシックコラボレート,参加意図(joint attention)だ.これは2者間でコラボレートするもので,互いにコミュニケートする.これは0歳から3歳で発達する.
  • 第2段階は,ノーマティブコラボレート,文化,社会規範,集合的意図だ.規範が慣習化し,文化となる.共通の目的にコミットし,コラボレーションの成果について公平な分配ルールが生じる.3歳以降に発達する.
  • これらを順番に説明しよう


<ベイシックコラボレーション>

  • 私の説明に対してはチンパンジーもコロブス狩りの時にはコラボレーションするではないかという批判がある.
  • しかしそうではない.私は短いながら3週間ほどチンパンジーのフィールド観察もしたことがある.彼らは確かに獲物を追いつめ,取り囲む.しかしよく見ると,そこにはプランの共有もコミュニケーションもない.ある個体がある動きをしたことに別の個体が反応してああいう動きになっているだけだ.そして獲物について公平な分配もない.許容される盗みがあるだけだ.
  • ヒトはそうではない.(子供のダブルチューブの実験が紹介される)よく見ると子供は自分の役割だけでなくパートナーの役割を理解しており,相手がやらないと「あなたのパートをちゃんとやってよ」と要求する.この「あなたのパート」の理解がキーなのだ.
  • チンパンジーはこういうことをしない.相手が報酬をもらうために必要な行動をしない場合には,相手にそれを要求せずに自分でやろうとする.コラボレーションへ向けてのコミュニケーションがないのだ.
  • そしてヒトの幼児は相手が何かしようとしていると,それを理解して助けようとする.(18ヶ月の幼児を使った,大人の本運びを手伝う動画の紹介)
  • チンパンジーは役割Aと役割Bのコラボレーション作業の場合,自分がAをしているときに,相手のB役割について理解しない.これはヒトの幼児と対照的だ.ヒトの幼児は相手の役割を理解して,それをやってよと指さしなどで要求する.これがコミュニケーションの起源ではないかと考えている.
  • そして2者レベルの構造として共通ゴールと共有意図を持つコラボレーションエージェンシー「我々」がある.私には私の役割があり,あなたにはあなたの役割があり,そして共通の目的を持つ我々がある.このスキームで社会的心的コーディネーションが可能になるのだ.これもヒト特有の認知能力だ.
  • そして相手と共有の文脈を持つことによって,同じオブジェクトについて柔軟に様々なコンセプトを当てはめることができるようになる.同じものを,犬,動物,ペットなどと呼べるようになる.
  • 私はよく子供を離島に隔離するとどうなるかという思考実験を頭の中で行う.おそらくこのような認知能力の発達には社会的環境の中でのエクササイズが必要だろう.
  • このような能力(意図の読み,視線追従,指さし,コラボレーション,注意の共有)の発達時期をクロス文化で比較した.ほぼユニバーサルだった.


<ノーマティブストラックチャードコラボレーション>

  • 子供は一緒に遊んでいるときに(黙示的に)同じ目的についてコミットしているとより相手を助けようとする(事例の動画紹介).チンパンジーはこのようなコミットはしない.
  • さらに明示的にコミットする場合もある.共同作業で片方にメリットが生じる場合に,役割交代を行うことにコミットする場合がある.チンパンジーは絶対にこういうことをしない.
  • このコミットメントは協力の進化において重要なステップだ.「一緒に遊ぼう」といって遊んでいるときに,何か別の面白いことが生じたとき,2歳児はそのままそっちに行ってしまうが,3歳児になると,言い訳をしたり,決まり悪そうにしたりする.これは「しなければならない」という規範意識だ.これがコラボレーションのコミットに対して生じる.
  • さらにこのコミットメントに対して自分自身が含まれていなくても「彼はこれにコミットしたのだからそうすべきだ」という感覚も生じる.これはある意味第三者罰であり,まさに社会規範だ.
  • ヒトは他人がルールに従っているかを気にするのだ.5歳児は誰かが見ているときとそうでないときには振る舞いが異なる.(小さなお菓子をもらった子が,自分のものではない大きなお菓子が目の前にあるときにどう振る舞うかの動画紹介)これがヒトが社会的に複雑になっていくためのキーだ.
  • そして公平(fairness)という感覚も生まれる.これは特にコラボレーション行為の報酬に対して生じる.一緒にひもを引っ張って初めてとれるお菓子やおもちゃに対して子供たちは基本的に分かち合うし,半分より多くとることは「いけない」ことだという理解をしていることがわかる.そしてこれは特にコラボレーション行為の報酬に対して生まれる.(コラボレーション行為の報酬でなく最初に1個と3個のような配分があってもそれほど頻繁に分配し直しの行動は生じない)チンパンジーではこれは観察されない.
  • ただしこれにはダークサイドがある.コラボレーション行為の報酬への公平な配分ということはフリーライダーは排除するということにつながる.そしてこれが(移民排斥などにつながる)イングループとアウトグループの心理の基礎になっている.
  • このような協力傾向は形態的な進化も引き起こしている.それが他の霊長類に見られないヒトの白目と黒目のコントラストだ.これは視線方向を示し,自分の意図を読んでほしいからこうなっているのだ.競争的な文脈では自分の意図は隠した方がいいからこうならない.協力の中で初めて進化する形態だ.


<結論>

  • ヒトはコラボレーションに適応している.
  • そして適応心理はヒト認知の基礎になっている.
  • この発達は2段階になっており,ベイシックコラボレーション,ノーマティブコラボレーションと進む.



質疑応答

Q:チンパンジーは大人を使いヒトは子供を使ってい比較するのはなぜか.

A:それは私たちのスタディの弱点の一つだ.一つの問題はチンパンジーの小さな子供を母親から引き離して実験するのが難しいということだ.そしてチンパンジーの脳は2歳で90%発達しているのでそれ以降はあまり変わらないだろうということもある.


Q:意図共有についてはそれが内的か外的かという区分もあるのではないか

A:一番大きいのはモチベーションの違い.それが競争的か協力的かということだ.


Q:なぜ3歳でノーマティブに移行するのか説明できるか

A:できる.(ややうれしそうに)伝統社会では離乳時期がそのあたりだからだ.つまりそれ以前は母親のコントロール下にあるが,3歳頃から独立していくのだ.そしてそうなると社会規範の理解が重要になるのだろう.これに関連して規範には2種類ある.一つは罪悪感で,これは「我々」の問題だ.盗んではいけないというのは私もそう思っているということだ.もう一つは恥の感覚だ.これは「彼ら」の問題で,自分は別にいいと思っていても彼らがだめ出しをするものは評判に関わるので避けるべきだということになる.アレキサンダー以来道徳の基礎を評判におく議論があるが,あれは恥にしか当てはまらないと思っている.


Q:実験に使う子供は友人同士なのか.

A:実験のペアを組む際にお願いしているのは,ベストフレンドは避けて,互いに知っている程度のペアにしてほしいということだ.たとえば兄弟姉妹は特別に近しく競争的でもある.ベストフレンドは長期的な関係なので,実験のタイムスパンを越えて貸し借りの精算が生じるのでそれは避けた方がいいと思っている.


以上でEVOLINGUISTICS 2018「言語とコミュニケーションの進化」は終了だ.言語学者の講演を1つだけしか聴けなかったのが残念だったが,なかなか得るところの多い企画だった.


これは講演後いただいた出町柳,鴨町ラーメンのチャーシュー麺


<完>

*1:厳密には一般社団法人芝蘭会に属しているようだが,実際には京都大学と極めて関連性の高い設備であるようで,プログラムではこのような表記になっている.場所も吉田キャンパスのすぐそばだ

 EVOLINGUISTICS 2018「言語とコミュニケーションの進化」参加日誌 その3


EVOLINGUISTICS 2018.8月4日も都合がついたので駒場へ.会場は8/3会場の隣の21KOMACEE West.この日は多くの発達心理,認知科学周りの講演が組まれている.




8月4日 意図共有とコミュニケーション 東京大学駒場キャンパス 21KOMACEE West



本日のセッションについては小林春美より露払い.猛暑を受けて少しプログラムを短縮し,10時-18時の予定を10時-16時半とすることにしたとのこと.

  • 今日のセッションは「Evolinguistics 2017-2021」の中の認知発達チームの発表が中心になる.このチームは特に明示的(ostensive)コミュニケーションの発達について調べている.ostensiveとはアイコンタクト,指さし,話しかけなど相手の注意を引くことを指す.そしてこれがトマセロ教授が重要視している意図共有,協力的コミュニケーションの基礎になっているのではないかと考えている.

ヒトのコミュニケーションにおける心を読むこと/推測すること(Reading mind / assuming mind in human communication) 橋弥和秀

  • 20世紀の進化理論は社会的相互作用やヒトの心を扱えるようになった.
  • これは最近の映画のポスターだが(猿の惑星新世紀ライジングの日本語版のポスター,チンパンジーのリーターであるシーザーの悩む顔が大きくアップしてそこに「心も,進化した.」というキャプションが振られている),これにたいしては「Yes」と大きく答えたい.
  • 問題なのはヒトの心.ヒトは他者とつながっているように見える.そしてどのようにそれが進化したのかというところ.ヒトは社会的動物としてグループ内で競争するとともに協力もする.だからこれは単一のメカニズムとは限らない.
  • グループ内競争では「自他を分かつシステム」が重要になる.これマキアベリアン知性とも関連する.相手をだまして操作する.そのために相手を読む.古典的「セルフ」と整合的.
  • グループ内協力では「自他を混ぜるシステム」が重要になる,自分と他人を同じと感じる.これは共感システムとも関連する.
  • このデュアルシステムが社会生活に適応して進化したのだろう.
  • 心の理論はプレマックが最初に提唱した.それは彼の「ギャバガイ」という本で語られている.相手の心を読むには何らかの手がかりが必要になる.

ギャバガイ!: 「動物のことば」の先にあるもの

ギャバガイ!: 「動物のことば」の先にあるもの

  • 「目」はこのゲイトシグナルの候補だ.そして目は見るだけではなく見られるものでもある.そして見られるのは「視線」だ.これは目からでるビームのような線ではない.ではどのような手がかりなのか.
  • ここに白目と黒目の割合やコントラストを社会環境との関係で調べたリサーチがある.白目と黒目のコントラストで表されるシグナルは社会環境への適応として進化したと考えられる.ではどのような社会要因か.社会要因へのアプローチにはダンバー数で使ったようなグループ規模との相関を調べるという方法がある.
  • 30種のヒトを含む霊長類でこれらの関係を調べると,(視線の方向を示す)白目と黒目の割合,コントラストは,どちらもグループサイズと相関していた.
  • ではそれはなぜだろう.
  • 競争的状況からは,マキアベリアンアイ,直視のシグナルバリューが強調される.
  • 絆を作る状況に置いては,ダンバーはゴシップを強調したが,それはアイコンタクトでもできるかもしれない.
  • トマセロは協力アイ仮説を提唱した.実験によると相手の顔の向きと視線が食い違う状況で,ゴリラやチンパンジーは顔の向きにより注意を払うが,ヒトは視線方向に注意を払う.この視線追従によりヒトはより容易に協力することができる.
  • 我々はさらに別の側面を考察したい.それは相手の視線を受けることについてだ.子供はよく「見て見て」といいながら親の注意を引こうとする.このときに親の視線を受けると喜び,それを受けられないと満足しない.(具体的に調べた実験の結果の説明)ヒトには自分に視線が集まるのを好む性質があるのだ.
  • 直視,視線は様々な有用性を持つ.そして子供の発達フェーズにおいては見られることも重要になる.
  • 子供は,相手にとって新奇なものについて相手の心の中を推論し,それを自発的に教える(それを示す巧妙な実験が紹介される).そしてその他者の知識についての自発的関心は1歳半ぐらいから生じる(それを示す巧妙な実験が紹介される).
  • これは自と他をイコライズする傾向ということができる.これまで調べてきたのは自分と相手という2項関係だった.今後はこれが3項関係でどうなるかを調べていきたい.
質疑応答

Q:幼児を調査に使う場合に家庭でのみ養育されているか保育所に入っているかで区別しているか.対人経験がずいぶん異なるだろう.

A:重要なご指摘と思うが,現時点ではできていない.

トマセロ:保育所でも4ヶ月以降にならないと対人のインタラクションはあまり生じないことが知られている.それを越えると確かに問題になりうる.重要な論点だが,これまであまり調べられていない.



幼児の発達過程については余りよく知らなかったので,いろいろ参考になった.視線を相手に知らせるというシグナルは,競争的関係より協力的関係の方が進化しやすいだろう.だまそうとするシグナルは(相手側にそれを信用する別のより大きなメリットがない限り)すぐに信用されなくなるはずだ.逆に共通のメリットがあれば容易に進化するだろう.そういう意味で相利状況が重要だろう.

コミュニケーションシグナルへの感受性についての発達可塑性(Developmental plasticity of the sensitivity to communicative signals) 千住淳

  • 子供特に自閉症児の社会認知研究のチャンレンジは自然な場面で観察されている行動差異や個性が実験室環境では発現しないことがしばしばあるということだ.
  • それは社会環境が流動的で変化が激しいということが関係している.古典的なテストは遅く,明確に区切られ,反復的なものを測ろうとする.調べる必要があるのはもっと自発的なものだ.視線やアイコンタクトもそうだ.
  • アイコンタクトはヒトの大きな特徴だ.(ヒトが無意識下でも顔とアイコンタクトの画像を検索していることを示す巧妙な実験をいくつか紹介*1
  • 本日はアイコンタクトについて(1)発達の日英クロス文化スタディ(2)視覚障害者両親の健常児のケーススタディ(3)コミュニケーションシグナルの報酬価値の3つのトピックについて話をしたい,


<日英比較>

  • 生後の経験がコミュニケーションシグナルの発達にどう影響を与えるかという問題は,動物ではいろいろなコントロール実験(生後すぐからアイマスクで視界を奪うなど)が可能だが,ヒトには倫理的な問題があって難しい.しかし文化比較ならある程度コントロールされた環境差を想定できる.
  • ここで英国と日本ではコミュニケーションシグナルとして目と口の重要性に違いがあることが知られている(日本は目が中心,英国では目と口が同じ程度に重視される).これがアイコンタクトの発達にどう影響するかを調べた.
  • いろいろな顔画像を見せてどこの注目するかをアイトラッキング技術を使って追跡する.この結果,大人では英国人の方がより口に注目するが,日本人はより目に(さらに水平方向にやや広く)注目する.日本人の方がより視線の動きに反応する.子供(1歳から8歳)では英国人の方がより口に,日本人の方がより目に注目する(ただし視線方向については差がない).またこれは健常児と自閉症児で差がなかった.
  • 文化差がかなり早くから生じることが示された.(大人と子供の差についてはなぜそうなのかはまだよくわかっていない)


<視覚障害者両親の子(健常児)>

  • この場合両親はアイコンタクトや視線を示さないのでインタラクションは通常の親の場合とかなり違う.しかし先行研究ではこのような子供でもコミュニケーションの能力は正常に発達することが示されている.
  • 視覚障害両親と子,コントロールの健常親子14組(この月例は6ヶ月から12ヶ月)を用い,顔と風船のどちらを見るか,顔のどこを見るか,相手の視線を追従するか,インタラクションの観察,認知社会性の測定を行った.
  • 結果:視覚障害者の子は少しより口に注目する.視線には同じように追従するが,そこを見続ける時間は少し短くなる.認知や社会性には問題なし.インタラクションは少しレスポンディングになる.自閉症児の場合も同じ結論になった.
  • 子供の反応は少しコントロールと異なる.つまり発達には可塑性があり個別の社会環境に適応的になっていると考えられる.


<報酬価値>

  • コミュニケーションシグナルへの注目は自発的なのか報酬ドリブンなのか.笑顔などのシグナルとそうでない中立的なシグナルのどちらをより注視するかを測定し,見続けると報酬が得られる(子供の好きなアニメ画面が提示される)条件とそうでない条件を比較した.
  • 結果は3歳児も大人もより社会的に意味のあるシグナルをより注視する.また報酬のある方をより長く注視する傾向がある.これは自閉症でも同じだった.
  • この獲得については単純な関連性マップではなく,報酬がある生物学的関連性マップを用いるのだろう.


<結論>

  • 視線への反応には発達可塑性がある.コミュニケーションシグナルは報酬学習により生物学的に関連性を持つものが学習されている可能性がある.これらは自閉症児でも同じように機能しているのだろう.
  • 将来の課題としては,社会的報酬とは何か,示達的中目の最低正,自閉症児とは何が異なるのかを考えている.
質疑応答

Q:視覚障害者の子の場合,手の動きについては調べたのか

A:これはとても重要だと思っている.実はこれについて調べ始めたところ

意図共有の方法としての指さしの使用と理解(Use and comprehension of pointing as a means of intention sharing) 小林春美

  • ヒトはostensiveなコミュニケーションを行う.これは自分のコミュニケーションの意思を明示するもので,意図の推論を可能にし,意図共有を可能にする.
  • ここで特に指さしに注目したい.それは指さしが,明示的で,推論的で,視線注目と同時期に発達し,子供が会話能力より前に獲得するものだからだ.
  • 明示性:人差し指は細く伸びていて視覚に訴える.指し示すものが明確.動作が時間的なシリーズになっている.
  • 推論的:指さしの本質についてビーム仮説と注意獲得仮説があった.現在ビーム仮説は疑わしいとされ,注意を獲得し,(指し示している対象との関連性から)差し手の意図を推測させるものだという理解が主流になっている.
  • 視線注目との発達の同時性:視線を用いる方法より指さしの方が強く意図を示すことができる.
  • 言語発達前の獲得:情報をシェアする意図がある場合が多い.これは相手の大人がそれを理解してくれることを期待している.そして言語の重要な前駆体ではないかと考えられる.
  • ここで面白いのは大人はまれにしか指さししないことだ.ただし実際に指さしする時には同じ役割を果たしている.そして言語で同じことをかなりできるということがある.そしてそれでも指さしが自然な場合がある.それは素早く簡単に行える.
  • 今日は「直接指さし」(対象にタッチして示すもの,7cm以内での近距離ものものここに含める)について話したい.これに対する「間接指さし」はこれまで数多くリサーチされているが,直接指さしはあまり調べられていない.
  • 2歳児に新しいものの名前を教えるには直接指さしが有効だという先行研究がある.自分が指す場合どうするかを調べると,2歳児,4歳児とも,もの全体を示すより部分を示すときによりタッチを使う傾向があったが,それでもタッチする確率は2歳児ではチャンスレベルより低く,4歳児でもチャンスレベルにすぎない.
  • またものの部分を示すときには大人のサーキュラータッチ(さわりながら指をぐるぐる回す)が有効であることがわかった.
  • ものの部分を示すときにはタッチが有効で,さらに動きがあるとより有効になる.幼児はこの指の動きを「なぜこの人は指を動かすのか」と考え,その関連性を理解するのだ.
  • では子供はタッチによるパーツの指し示しを自分で使うか.実験によると4歳児では区別しないで使うが,6歳児ではもの全体では間接指さし,もののパーツではタッチと使い分ける傾向を見せる.
質疑応答

トマセロ:サーキュラーな動きは部分を示す関連性サインというより,この指示が特別だという意味をタグしているのではないか.ある意味言語のマーキングの前駆体のようなものではないか.いずれにしても大変面白い.


子供による会話コミュニケーションにおける高次意図の理解(Children's understanding of higher-order intentions in verbal communication) 松井智子

  • 今日は語用論の発達について話したい.
  • 子供の発達過程を見ると1歳から3歳にかけて明示的な意思表示,視線注目,指さし,指し示す意図などが発達し,それからやや遅れいて7歳から9歳にかけて相手のだましの意図を理解するようになる.しかし皮肉が理解できるようになるのは9歳を越えてからになる.
  • 心の理論の発達は,1〜3歳で黙示的な心の理論,5歳前後に1次の心の理論,7歳以降に2次の心の理論になる.7歳になると2次の心の理論が発達して騙しの意図が理解できるようになるが,それだけでは皮肉は理解できないのだ.7歳児は皮肉を嘘(話し手は聞き手がそれを信じると考えている)と解釈する.
  • なぜか.語用論的アプローチをとると,これは7歳児がrelevance(関連性)の判断について未熟だからということになる.相手の発話の解釈には,認識論的な真偽判断に加えて,その関連性の理解が必要なのだ.
  • その関連性判断手がかりの1つがプロソディになる.(話の内容を異なるプロソディで発話してもらって子どもがどう解釈するかを調べた実験結果が解説される)7〜9歳児では偽の情報が関連性を持つことがあることをうまく理解できない.話の内容が矛盾しているとそこに注目が集まり,プロソディ(皮肉のトーン)から注意がそれてしまう.(顔の表情と声のトーンの組み合わせて提示し,9歳児に話し手の感情を尋ねる実験結果が紹介される)これに対して大人はプロソディだけでなくいろいろな手がかり(表情,姿勢,ジェスチャー,語彙内容)を使うのでより皮肉を理解しやすくなっているのだ.
質疑応答

Q:ジョークについてはどうか

A:ジョークで笑うのは実は早い段階で見られる.2〜3歳でも冗談に対して笑う.文脈が単純で,楽しいということもあるのだろう.


意図共有と早期の言語獲得(Shared intentionality and early language acquisition) マイケル・トマセロ

  • 今日は言語獲得についての話をしたい.言語は獲得される必要がある.
  • これについては,伝統的なアソシエーション理論と1990年代に提唱され始めた社会語用論理論が対立している.
  • アソシエーション理論はとっくに死んだと思っている人もいるかもしれないが,まだしぶとく残っている.これは古典的な刺激に対する反応で言語が獲得できるというもので,リンダ・スミスは言語は単純な連想学習で完全に説明できると(今でも)強く主張している.
  • アソシエーション理論の問題はレファレンスが決定不能だということだ.そして言語の様々なものが決定不能なのだ
  • まず伝統的社会での観察によると,通常何かを指さしながら言葉を教えるということは行われていない.指さしで子どもに言葉を教え込もうとするのは特定社会,特定文化に限られるのだ.
  • そしてギャバガイ問題がある.あるものを指さして「ギャバガイ」といっても,それが何を指しているのかは多義的だ.それはオブジェクトなのか,コンセプトなのか,全体なのか一部なのか,何かの側面を指しているのか
  • これに対して社会誤用理論は,それの使われ方に注目する.言葉は他者のメンタルステートに影響を与える道具なのだ.だから子どもはいかに言葉を「使うか」を学ぶのだ.それは社会関係の中で注意を共有することであり,意図の共有が重要であり,その際の制約は共通の背景ということになる.
  • 例えば道具の1つとして「はさみ」を考えてみよう.ものを切る機能と「はさみ」が連想されることは重要ではない.他者がどうはさみを使うのかを見て同じことをしようとすることが重要になる.
  • 単語獲得に戻ると英語の冠詞「a」「the」を一体どのように連想学習するというのだろうか.他者が共有背景の中で冠詞を使うのを聞いて,同じように使うことによって獲得するのだ.
  • 社会語用論理論には4つの証拠がある.
  • (1)まず最初の単語を覚える時期がある.なぜ12ヶ月頃に単語獲得が始まるのか.かつてポール・ブルームは「誰も知らない」と書いたが,私は「I know」と強く主張したい.それは12ヶ月頃に注意の共有,他人の意図の推測,コミュニケーション意図の表出(指さしなど)が同時に始まるからだ.これらが出そろって単語獲得が可能になるからと説明できる.
  • (2)実験結果:幼児が単語を覚える際にアソシエーション理論が正しいなら,単語を聞いてそのときにその対象物を幼児が見ていればいいはずだ.しかし実験を行うと,例えば教示者がその対象物を見ているかどうかが単語獲得に影響する.また教示者が幼児に対して「〇〇はどこかな」といったあとに箱を次々に開けていき,ある箱で驚いてみせるという実験を行うと幼児はその単語を学習する.これもアソシエーション理論では説明不可能だ.(このほかエレガントな実験が3つほど紹介される)要するに単語習得には注意の共有,話者の意図の推測,コミュニケーションの意図がとても重要なのだ.これは(オープニングレクチャーで話した)指さしの状況とよく似ている.そしてアソシエーション理論では説明不可能だ.
  • (3)別のタイプの単語:冠詞以外にもアソシエーションで獲得するのが難しいと思える単語群がたくさんある.同じ要素を持つ動詞群(Have, Give, Keep, Use, Share:どれも所有物の異動にかかわる)(Want, Like, ・・)接続詞,挨拶,名詞(Dog, Animal, Pet・・・),そして代名詞(He, She, it, I, You・・・)だ.代名詞を一体どうやってアソシエーションで獲得できるだろうか.
  • (4)慣習化,正規化:4歳児にtreeともbushとも取れるおもちゃを与え,おとながそれをtreeと呼んで一緒に遊ぶと,その大人との関係ではそのおもちゃをtreeという名前で扱う(その大人が次にbushと呼んでも「これはtreeでしょ」と否定する).しかし別の大人がbushと呼ぶとそれは受け入れる.慣習化には可変的に対応でき,それに従っていないと思われる人に無理強いしない.


<結論>

  • 言葉は慣習的だ(そしてノーマライズされる)).そして指さしのように働くようになる.言葉は他者の心に影響を与える道具なのだ.
  • そのためには注意の共有,意図の読み(関連性の理解)が必要になる.
  • 意味は使用のパターンでノーマライズされる.

質疑応答

Q:(単語獲得には)オーバーヒアリングが重要だという主張についてはどうか

A:それが注意の共有なしでも可能だという主張なら受け入れられない.注意の共有がないと,いくらオーバーヒアしてもそれがあるオブジェクトのどのような側面についての言葉か特定できないはずだ.


Q:コロケーションについても注意の共有と関連性で可能なのか

A:話の中では社会的文脈を強調したが,実際には文法的文脈もある.そういう形で獲得可能だ.


Q:盲目の子でも言語獲得できるのはどのように説明するのか

A:確かに盲目の子どもも(ごくわずかに遅れるが)問題なく言語獲得できることがわかっている.そしてこの問題はあまりリサーチされていない.おそらくタッチなどを使って同じ機能に利用できているのだろう.ただ彼等は例えば色の名前も獲得する.一体どうやってそれができるのかはわかっていない.


Q:共通の背景を作ること事態は生得的か

A:そうだ.子どもはコラボレートするのが好きで,情報シェアを望む.「見て見て」と相手の注意を引こうとする.何かを一緒にするというのがまずある.そういうことに生得的に報酬を感じるのだ.


大変楽しい講演だった.子どもが登場する実験の動画は心を和ませる.そして確かに子どもは意図共有に指さしを使っている.なかなか説得的だ.

*1:左右の目に異なる画像を見せてどちらが優先するかを利用するもの,画像の消し込みタスクに微妙な遅延が生じるかどうかを見るものなど.いかにも認知科学的で楽しい.

 EVOLINGUISTICS 2018「言語とコミュニケーションの進化」参加日誌 その2


8月3日 キーノートレクチャー2 東京大学駒場キャンパス 21KOMACEE East


言語進化に関する連続講演会企画「EVOLINGUISTICS 2018」.
8/2の文京学院大学ふじみ野キャンパス(埼玉県ふじみ野市)の講演(脳の形態や道具との関連についてのもの)と東京学芸大(小金井市)の講演(社会的理解と向社会的行動の初期発達に関するもの)は都合がつかなかったが,8/3の駒場のキーノートレクチャーには参加できた.講演者は言語学者側からのキーノート講演者であるセドリック・ブックス.言語学者側のキーノートということで岡ノ谷ではなく藤田耕司からの紹介を受けて登壇.ちょっとしたジョークから話を始めた.


ロジカルからバイオロジカルへ(From the Logical to the Biological) セドリック・ブックス(Cedric Boeckx)

  • 今日の外はとても暑い(当日の東京の最高気温は35.4℃だった)ので,この空調の効いた部屋からは出たくないよね.だから私にはいつまでも喋り続ける誘因がある.聴衆の皆さんは囚人のような環境になりたくないでしょう.日本の学生はとてもシャイだとは聞いているが,是非活発に質問なりコメントなりの反応をして欲しい.
  • 今日の話は今(言語学専攻の)学生向けに書いている本の内容に沿ったものだ.そして今日の皆さんの反応によりこの本を書き続けるかどうかを決めようと思っている.だから是非いろいろ反応して欲しい.
  • さて,これまでの言語学にとってとてもパワフルな物語がある.それはノーム・チョムスキーによって作られたものだ.(ここで以下の2冊の本がスライドで表示される)

  • これが言語学の伝統を形作ってきたのだ.チョムスキーの最も大きな貢献は階層構造でも深層構造でもない.それは言語とヒトの心の関わりをリサーチプログラムとして提示したことだ.
  • そしてもしヒトの心が問題になるなら,本来ダーウィニズム,進化に興味が持たれるはずだ.言語の生物学に皆熱狂するはずではないか.
  • しかし実際にはそうならなかった.言語学者は進化にあまり関心を抱かなかった.チョムスキー自身「言語進化はミステリーであってプロブレムではない」と言い放ち,言語の進化に興味を抱かなかったのだ.私自身が(言語学専攻の)学生だったときには「言語進化など追求すべきではない,それは引退してから遊ぶものだ」と言われた.
  • 何故そうなのか.私はこれについて随分考えてきた.その理由を考えるにおいて役に立ったのは,言語学のロジックを考えることだ.
  • チョムスキーのAspectsの第1章のイントロダクションも今でも読む価値がある.そこでチョムスキーは自然淘汰自体に懐疑的であると書いている.
  • そしてKnowledgeはいまでも有用な本だ.そこではネイティブスピーカーがその言語について何を知っているかが分析されている.その知識はとても豊かで洗練されている.ではそれはどこからもたらされたのか.チョムスキーはそれは教育や経験によるものではないと論じた.
  • 学習や環境の影響でないとするなら,論理的には生得的ということになるはずだ.しかしチョムスキーも言語学者たちもそうはいわなかった.somehow獲得されたのだとしかいわないのだ.そしてチョムスキー派と反チョムスキー派の議論は学習可能かどうかの点に絞られた.そしてチョムスキー派は学習ではないとしたのだ.当時,ではどうやって言語を獲得するのだと聞かれたチョムスキーは「私は知らない」と答えている.チョムスキーは学習や環境を認めず,しかし生物学(生得性)も認めなかったのだ.
  • 学習を否定したチョムスキーの議論はとてもロジカルだ.それは「刺激の不足」の議論だった.
  • (チョムスキーがこのような議論を行った)当時生物学はまだ遺伝子の作用についてあまり強い主張ができる段階ではなかった.だから生成文法家はどのような生物的な仮定でも自由に持ち出せた.しかしだんだん生物学の理解が進展してくると,遺伝子が1種のレシピであることがわかってきた.だから例えば「動詞節」や「名詞節」の獲得を直接遺伝子の作用とすることは不可能になったのだ.
  • ここで言語学者には選択肢があった.生物学にベットするなら,それは進化にコミットすることになる.ヒトの本性は進化によって形作られたはずなのだ.
  • しかしチョムスキーはそれを否定した.言語はヒトにしかなく他種にはない.(だからこれほど複雑な言語が進化時間で突然現れたことになり,それは不可能だ)これは「遺伝の不足」議論と呼ばれる.つまりチョムスキーは環境も進化もどちらも否定したのだ.
  • なぜチョムスキーはここまで進化を否定するのだろうか.ここからは私の推測も混じっているが,次のような事だろうと思われる.
  • まずチョムスキーはスキナーを厳しく批判している.環境への応答だけで動物やヒトの多様な行動が説明できるはずがないという議論だ.そしてチョムスキーにとってダーウィンの議論はスキナーと類似しているように感じられたのだろう.ダーウィンの自然淘汰は結局環境条件に適応して進化が生じる.つまり環境に依存しない物理法則のようなかっちりした議論ではなく,環境への(単純な)応答で複雑なものを説明しようとする怪しい議論に感じられたのだ.これが彼を進化の否定に向かわせた理由だろう.

  • これについてチョムスキー自身はそう明言していない.しかしここにチョムスキーに近い哲学者と言語学者が書いた「What Darwin got wrong」という本がある.この本には前半でダーウィニズムで説明できない(と彼等が思い込んでいる)事例が集められ,後半でダーウィンは間違っていると断言している.そしてその部分にはダーウィンとスキナーの類似がダーウィン否定の1つの論拠として主張されている.この本自体は生物学者からは全く馬鹿にされていて読む価値はない.しかしチョムスキーはこの本を褒めているのだ.
  • ではチョムスキーはどうしたのか.ここで彼はマジカルな議論を組み立てた.それは帽子からウサギを出したマジシャンが,まずウサギを消し,さらに帽子を消してみせたようなものだった.彼は当時の生物学理論を参照して「サードファクター」なるもので説明しようとしたのだ.

  • 当時の生物学のサードファクターの議論とは,遺伝と表現型の間に発生があるというものだ.ルウォンティンはそれをノイズとか発達とかの用語で説明している.ミッチェルは遺伝子からの光線が発達のプリズムで多様な表現型になるイメージを提示している.
  • ではチョムスキーの議論はまともなのか.そうではない.彼は表面的な部分だけ借用して中身のないファクターを創り出しただけだった.

  • この本を読むと発生の部分の詳細は「遺伝子・分子→物理法則→結果」という形であり「個別の細胞の振る舞い→集合的な現象の創発性」を説明できるものであって,チョムスキーが主張するようなサードファクターと全く違うものであることがわかる.
  • ここがロジカルとバイオロジカルの分かれ目だ.言語学がバイオロジーを拒否してロジカルだけで進むならチョムスキーのようにマジカルなファクターに頼らざるを得なくなる,
  • ロジカルを保ちかつマジカルに頼らないためにはどうすればいいのか.それは遺伝の不足を否定すればいいのだ.遺伝も十分に豊かであればマジカルファクターは不要になる.
  • 20年前チョムスキーはミニマリストプログラムで言語獲得の問題は解決されたと主張した.その際に次の問題は何かということについて,パラドキシカルにも言語進化の問題だと答えている.これは一体どういうことだろうか.
  • おそらくチョムスキーは言語獲得と言語進化は極めて類似していると思っているのだろう.だから獲得がミニマリズムで解決できたなら進化も解決できるだろうと考えているのだろう.彼は言語獲得について一瞬で生じるような過程を好む,そして言語進化についても(進化時間で)一瞬にしてあんな複雑なものが生じるはずがないというような議論をしている.つまり彼は時間依存性を強く否定しているのだ.
  • そしてこれからの言語学者には2つの選択肢が残されている.
  • 1つはチョムスキーに従って(生物学を否定し)ロジカルを追求することだ.言語学は哲学の一部門になり,椅子に座ってただひたすら思索するような学問になるだろう.
  • もう1つはバイオロジカルへの道だ.椅子から立って実験室に向かうのだ.時間軸を認め,他種にもプロト言語があることを認める.しかしこれは難しい道だ.なぜなら言語学者は実験科学者として訓練されていないからだ.
  • 個人的にはバイオロジカルの道しかないと思っている,そうしないと言語学は孤立した学問の島になってしまうだろう.


ここでレクチャーは終了.質疑応答となった.興味深いものをいくつか紹介しよう.

質疑応答

Q:この領域研究でなぜ藤田さんと岡ノ谷さんが手を握れているのか驚きだ.言語学も変わってきているのでは

A:これはパーソナルコメントだが,このような共同研究領域で,おそらく岡ノ谷さんに代われる生物学者はたくさんいるだろう.しかし藤田さんに代われる言語学者はいない.進化にコミットできる言語学者はいい意味でユニークなのだ.このような存在が希少であることが私の問題意識だ.(分野が継続できるための)クリティカルマスに達しているのか,疑問に感じている.

  • 藤田からのコメント:岡ノ谷さんと私の関係は長い歴史に基づくものだ.20年前にはお互いに全く相容れなかった,憎み合っていたといってもいい.10年前にはようやく互いに相手の主張が理解できるようになった.しかしまだ相互の信頼関係はなかった.互いに信頼でき,リスペクトできる間柄になったのはようやく最近のことだ.


Q:なぜチョムスキーはそんなにも影響力があるのか

A:チョムスキーが天才であるのは間違いない.彼は50年前に言語学がどう言語を扱うかというスタンスを革新したのだ.それまでの文法の記述学問からヒトの心との関係を探るリサーチプログラムへの変革を提示した.そして50年間そのプログラムはうまく働き続けている.これは科学革命に匹敵する偉業だと思う.しかし今,彼はかつてほどポピュラーではなくなってきている.次何をするかが難しくなっているのだ.彼はいろいろな知見を世界に与え続けた,しかし同じ方法論で将来も生産性を維持し続けられるかは疑問だ.言語学はそろそろ別の方法論に向かうべきなのだ.そしてその1つが生物学的方法だというのが今日の私の話の趣旨になる.チョムスキー革命により言語学は人文科学の1つになった.次は自然科学の1つになった方がいい,ただしこれはインフラの大変更であり,とても難しいのだ.


Q:なぜチョムスキーは「環境に応答している」という説明がそんなにも嫌いなのか

A:それは本人に問うべき質問だ.私にはわからない.彼にとってはある意味リサーチにおける暗黙の前提なのだろう.このような前提に意味がないわけではない.よくわかっていないことについては制限的に取り組むというのは1つのやり方だ.しかし進化や遺伝子については随分いろいろなことがわかってきている.かつての制約はもはや生産的ではなくなっているということかもしれない.


私には言語学者の話を聞く機会が普段あまりないので,このレクチャーは非常に興味深かった.最初に深く感じるのはチョムスキーが未だにものすごい影響を与え続けているということだ.私のような立場から考えると,チョムスキーがどんなに天才で言語学において偉業を達成していたとしても,基本的に生物学について勉強不足知識不足であり,進化を否定する部分(そしてその後のある程度の進化を認めた上でなお言語の突然の創発性にこだわる部分)は相手にする必要はないとしか思えないが,言語学の世界ではそうではないのだろう.


またレクチャーの中でグールドもピンカーも一切登場しないのにも驚かされた.
チョムスキーほどの天才がなぜ(ほとんどトンデモと言える)言語の進化にたいする否定的スタンスにこだわったのか.それは本当にダーウィンがスキナーに似ていたからなのか.この環境依存性を嫌ったという説明は確かに興味深いし,フォーダーたちの本に書いてあるというのも傍証としてなかなか渋いところかも知れない.しかしそんなロジカルな理由であんなに馬鹿げた主張になるだろうか.私にはそれは同じリベラル左派の同志グールドのイデオロジカルにねじれた与太話に乗せられたからだという方がよほどありそうに思われる.チョムスキーは単に「言語進化には興味がない」とだけ言っていればよかったのに,グールドの「ヒトに進化適応を認めれば認めるほど人種差別に利用されかねないからできるだけ否定すべきだ」というイデオロギー的な動機に基づく「言語もきっと副産物さ」という話を(その当時はあまり進化について深く考えていなかったこともあり,古生物学の専門家の主張として)真に受けて言語進化について否定的な態度を示してしまい,(そしてイデオロジカルな動機だけでなく,その高すぎるプライド,そして自己欺瞞により)後に引けなくなって苦し紛れの理屈をこね回しているという方が天才がトンデモに染まる経緯としては納得感があるのではないか.いずれにしてもグールドに一切触れないというのはなかなか異様な印象だ.
そしてこの話題を取り扱っておきながらピンカーの「The Language Instinct」に一切触れないというのも私のような立場からはなかなか理解しがたい.あるいは彼は(その言語に関するリサーチに関しては)認知科学者であって言語学者ではないという位置づけなのだろうか.それとも彼は「背教者」なのだろうか.レクチャーの結論「言語学者は孤立したくないのなら生物学を取り入れて実験科学者になろう」を考えるとまさにピンカーはその美しい先駆者ということになるのではないのだろうか.



ピンカーの「The Language Instinct」.Kindle版は何故か時々表紙が入れ替わるが,現在の版はセキセイインコだ.


同邦訳.


ケニーリーによるこのあたりの経緯についての本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20140613

 EVOLINGUISTICS 2018「言語とコミュニケーションの進化」参加日誌 その1


8月1日から9日にかけて,新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」主催による連続講演会「EVOLINGUISTICS 2018:言語とコミュニケーションの進化」が東京,京都の各所で開かれた.すべて聴講することはできなかったが,都合がついたものには参加してきたので,ここで紹介したい.


8月1日 キーノートレクチャー1 東京大学駒場キャンパス 900番教室




最初に主催者の岡ノ谷一夫から趣旨説明があり,その後トマセロ教授の講演となる.

Introduction to Evolinguistics 岡ノ谷一夫

  • 露払いとして趣旨説明をしたい.まずこの新学術領域の「共創的コミュニケーションのための言語進化」だが,「共創」と「言語進化」がキーワードになる.
  • 「共創」は人間が合意の中で振るまうことにより互恵的な社会を作り,その中で累積的な文化を創造していくということを表す言葉だ.「言語進化」においては階層性と意図共有を二つの柱として考えていきたい.そしてこの領域研究ではさらにコミュニケーションの未来を考察していきたい.
  • 現代社会ではグローバル化や格差の拡大が指摘されており,コミュニケーションがうまく機能していない部分も出てきている.その中で我々は「共感から共創へ」を提案したい.言語の起源を理解してコミュニケーションのあり方を考えるべきだ.
  • そして言語を考えるときには階層性が問題になる.多義的な階層性の解釈に当たっては意図の共有が重要になるはずだ.動物では2項関係までしか見られないが,ヒトには3項関係が見られる.その3項関係の要素として意図が重要なのだ.
  • 本日お呼びしたトマセロ教授は言語を考えるに当たって意図の共有を重視されている,チョムスキーをはじめとする生成文法家たちは階層性を重視している.我々はどちらも重視したいと考えている.
  • 考察するに当たっては,まず系統発生→人類における進化→個体発達という時間軸があり,片方でモデル:現象:理論という軸もある.この領域研究ではそれぞれについて専門家の参加を得られている.


ひょうひょうとして説明だったが,「共創」というコンセプトにかなりこだわりがある様子が印象的だった.

ヒトのコミュニケーションの起源(Origins of Human Communication) マイケル・トマセロ Michael Tomasello

  • 一口に言語といっても言語にはいろいろな側面があり,非常に複雑なものだ.言語進化について昔はある日突然すべてそろった言語が現れたと考えられていたこともあるが,それはまずあり得ないだろう.だからいろいろな側面をそれぞれ考えていくことになる.
  • 私は心理学者なので,その視点から見た言語の側面をいくつか調べている.
  • 進化学から見ると言語の重要な側面は次の3つになる.
  1. ヒトに特有であるジェスチャー
  2. 言語的サインの慣習化
  3. 文法構造の慣習化
  • 今日はこの最初のジェスチャー(特に指さし)について話したい.
  • チンパンジーと比べてヒトに特有なものとして豊富なジェスチャー,特に指さし動作がある.そしてこれは重要だと考えている.それには3つの理由がある.
  • まず霊長類もジェスチャーを学習し,意図的に用いることがあるが,音声化には進まない.音声はチンパンジーにおいてはかなりハードワイヤードに決まっているようだ(他種と養子化実験をしても音声は変わらない).またジェスチャーの模倣もない.
  • 2番目にヒトの発達において指さしは言語発達より前に現れるということがある.これは言語進化の中間段階を示しているのかもしれない.
  • 3番目はジェスチャーの「自然さ」だ.私は現在言葉の通じない日本にいるが,日常場面ではほとんど手振りだけで何とかなる.ここで一つ思考実験をしてみよう.2つの無人島で言語発達前の子供の集団を設置する(成長に必要な栄養その他は問題ないとする).片方は声を出せなくし,片方は身振りができなくする.何年か経ったときにどうなるだろうか.声を出せない集団はおそらく手話のような身振り言語を手に入れているだろう.しかし身振りができない集団が音声言語を手に入れられるだろうか.ある音がある意味を持つことを示すのは指さしなしでは非常に難しいだろう.ジェスチャーはそのような対応を示すために非常に優れたモダリティを持っているのだ.実際に聴覚障害者間で自然に身振り言語が生じた自然実験はいくつか報告されている.
  • チンパンジーではどうなっているだろうか.(動画再生しながら)子どものチンパンジーが母親に動いてほしいときや起きてほしいときに,手を伸ばしたり,ものを放ったりすることは観察されている.しかしこれらはこのチンパンジーだけが編み出した動きで他の子たちは使わない.
  • チンパンジーのジェスチャーは柔軟で学習される.しかし二つの大きな制約がある.1つは2項的だということ.もう1つはそれが直接的だということ.つまり1:1の関係で,それが自分の利益につながるときだけに使われるのだ.これがヒトの場合とは大きく異なる.ヒトは相手の利益のためにもジェスチャーを使う.「ほらあれを見て」それは相手と情報をシェアしたいということだ.
  • 自然なヒトのジェスチャーは指さしとパントマイミングだ.これは種特有で,種ユニバーサルで「自然」だ.「自然」というのはまず視線追従があり,それが指さしにつながっている.そして意図を示すときにアイコニックに使う.また3項的で協力的だ.
  • 指さし:これには2つ機能があって,1つは対象を指し示すこと,もう1つはあなたにこうしてほしいということを示すことだ.しかし指さしだけでは「そこを見ろ」というだけで,その意味は伝わらない.意味が分かるには文脈が必要になる.文脈によって意味は変わる.この文脈はコミュニケーションと関連する.そして意図の推測につながる「なぜ彼はあれが私に関連すると考えているのだろう」社会的な意味があり,協力的な動機があり,協力的な認知につながるのだ.これは言語への橋渡しになる.
  • ここでヒトの子供の発達を見てみよう(動画を映しながら解説)13ヶ月の幼児(言語発達前)でも,母親に対して,かごの中にある(隠れている)とってほしいおもちゃを指さす.これは母親が自分の指さしの意図を推測するということを知っていることになる.また大きな音がした後で部屋に入ってきた母親に対して音を立てたものを指さす.これは母親が何を知りたいかを推測できているからだ.そして意図を共有しているということになる.
  • つまり動作主はコミュニケートの意図を持ち,受け手は動作主がどのような意図でコミュニケートしようとしているのか推測している.
  • これらのことは言語を「コード」だけから考えるのは狭すぎることを示している.
  • 推測をチンパンジーと比較してみよう.ヒトの幼児の場合,幼児が興味を持っているおもちゃを2つの袋のどちらかに入れ,(幼児はおもちゃがどちらかの袋に隠されたことはわかるが,どちらなのかはわからない状況を作る)その後,被験者が片方の袋を指さすと,幼児はその袋をとる.
  • しかし(食べ物を使って)チンパンジーで同じ実験をするとチンパンジーは指さしと食べ物の在処を関連づけない(ランダムに袋を選ぶ).指さしによる視線追従はできるが,動作主の意図を協力的な状況では推測できないのだ.これは多くのチンパンジー研究者の予想を裏切るものだった.チンパンジー研究者はチンパンジーが賢いことをよく知っているので,それは非常に簡単なタスクだと思ったようだ.そして競争的な状況ならチンパンジーは容易に動作の意図を推測できる(互いに食べ物を取り合っているときに,相手が手を伸ばそうとするとそこに食べ物があることを理解できる).しかし協力的な状況ではできないのだ.
  • ヒトの子供のゴールは探し物ゲームで,登場人物は探すものとそれを助けるものとして認知されている.しかしチンパンジーではそれができない.
  • では何がチンパンジーの認知を妨げているのか.これには3つの候補がある.(1)協力的動機(2)再帰的な推測(3)共通の背景だ.おそらくそれぞれ原因となっているのだろう.チンパンジーは相手が協力的な動機を持つことを理解できない.また再帰的な推論にも限界があるようだ.さらにコミュニケーションのパートナーとの共通の背景も理解が難しいようだ.
  • ヒトの子供は容易に共通の背景を理解できる.おもちゃを片づける場面でも,大人と一緒に片づけていたならば,最後に一つ残ったおもちゃをその大人に指さしされるとそれを玩具箱に片づける.しかし全く同じ場面でも新しく部屋に入ってきた大人に指さしされると,大人の顔をじっと見たり,そのおもちゃをとってきて大人に渡そうとしたりする.私が最近見た印象的なエピソードを紹介しよう.空港のボディチェックのところで,検査官が「回れ」という意味で指を回すことがある.しかしこの背景が理解できなかった5歳ぐらいの子供はうれしそうに指をあげて回し返していた.
  • これに関連する推論として「既知のものと新規のものの区別」がある.子供は相手が「ワオ」と驚くと,それは何か新規なものだと推測する.そしてそれが既知のものであれば,何か未知な部分か側面が見つかったと考えるのだ.14ヶ月の幼児に対して知っているはずの太鼓に大人が驚いてみせると,幼児は大人が見ていた太鼓の側面をみようとして身をよじる.
  • この協力的動機とはどのようなものだろうか.それは経験を共有したい,教えたいというものだ.「見て見て,あれはすごいよね」そしてそれを肯定してほしいのだ.そして共有の背景があれば,様々な物事を参照できる.
  • ではこれはどのような進化仮説に結びつくのか.まずそのプロセスとしては指さしとパントマイムが言語へ向かう鍵になるトランジットだと考える.それは共有意図と言語のインフラを提供するのだ.
  • では何のために進化したのか.それはコラボレーション行動のために進化したのだろう.協力的動機と協力的認知はそれを示している.
  • そして言語の慣習化(文化)はこのインフラの上に作られたのだ.
  • 結論:ヒト特有の言語はジェスチャーを通じて作られた.そしてその慣習化である個々の言語は共有意図のインフラの上に作られたのだ.


指さしと共有の背景と意図の推測を強調した楽しい講演だった.ここからは質疑応答.

質疑応答

Q:ミツバチのダンスも指さしのようなものだが,それについてのコメントは?

A:ミツバチのダンスはコーディングの進化.柔軟性はないし,学習されるものでもない.「あの方向で何メートル」を記号化しているだけで,指さしのようなポインティングではないと考えている.


Q:チンパンジーが協力的意図を推測できない要因として3つあげられていたが,全部一緒に働くのか.

A:それぞれ協力的意図を推測できない阻害要因だと思う.できない理由が3つあるということだ.


Q:子供はいったん推測した相手の意図を変更することがあるか

A:いろいろなことでリバイズは生じる.


Q:なぜ身振りによるプロト言語から音声言語へのジャンプが生じたと考えるのか.

A:これにはハンズフリーになるので有利だとかのいろいろな説明がある.私は何か新しい説明を持っているわけではない.ただチンパンジーは音声(シグナル)を自発的に用いることはないようだ.しかしヒトの音声コントロールが言語になって初めて可能になったとは思っていない.何らかのコミュニケーションツールとしてコントロールされた音声があったのではないかと考えている.


Q:情報をシェアするという(個体メリットのなさそうな)性質がなぜ進化したのか.

A:とても興味深い質問だ.こう考えてみよう.では今の言語の機能は何か.社会的絆というのはありそうなところだ.自分の犬が死んでとても悲しいということを親友とはシェアしたいと思うだろう.シェアしてもらえなかったら友人と認められていると感じられないのではないか.オンラインでのつきあいの大半は共通の関心事を話し合っているという報告もある.言語には類人猿のグルーミングのような機能があるのだろう.


Q:共同行動のうち(相利的状況である)スタグハント的な場合にはゴールがあるが,情報のシェアにはゴールがなく質的に異なるのではないか

A:前者は後者のファーストステップと考えてよいのではないか.そして情報のシェア自体が新しい社会的なゴールとなっているとも考えられる.


Q:(プロト言語だと主張されることもある)音楽やダンスについてはどう考えているのか

A:子供が外のリズムに合わせて体を動かすようになるのは(指さしやジェスチャーより遙かに遅い)3〜4歳頃からだ.そしてそれはシステマティックなものではない.音楽は多くの文化で見られるが,それが使われるのは祝福や葬儀などの儀式の場面,そして戦争の場面だ.あるいはグループ行動の際に共通の背景を作るのに用いられているのかもしれない.それは社会的絆の新しい追加コンポーネントなのかもしれない.協力と関連する新しいプロセスではないかと推測している.


Q:言語機能のうち,抽象的な思考伝達ということについてはどう考えているのか.

A:抽象的な内容を伝えるには文法の構築が必要になる.(だからある程度言語が成立した後になって生まれた機能ではないか)


以上でキーノートレクチャーは終了だ.トマセロの言語進化の考え方については,私は生得的なユニバーサル文法の主張を認めない論者だと理解して,これまであまり真剣にその主張を吟味してこなかったが,今日聞いた印象では,生得文法を否定しているというより,そのようなコーディングよりも意図共有の方が重要だというスタンスのようだ.ちゃんと勉強しなければという思いを抱いた講演会だった.


この辺がトマセロの言語進化がらみの本の邦訳になる.

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トマセロの協力についての本,私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20130827

ヒトはなぜ協力するのか

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