「我々はなぜ我々だけなのか」


本書は講談社ブルーバックスの1冊で,作家兼ノンフィクションライターの川端裕人が,人類学者の海部陽介の全面協力(発掘現場同行,インタビューなど)を受けて書き下ろしたアジアの人類進化についての本になる.


「はじめに」で,本書執筆に至った経緯が書かれている.2013年のナショジオのウェブサイト連載「『研究室』に行ってみた」で海部陽介にインタビューする機会があり,そこで人類進化学の最近の展開に心奪われ,取材を開始する.そして現在人類の歴史についての知見がどんどん広がり,見せてくれる景色がずいぶん変わっていることを知る.その結果(海部の研究エリアでもある)アジアの人類進化を中心に本書を執筆することになったそうだ.

プロローグ

ここでは海部に同行したインドネシアジャワ島ソロ側流域サンブンマチャンでの化石発掘現場のルポが収められている.ここはジャワ原人の化石産地として有名なサイトだ.臨場感あふれる報告の後,本書全体のロードマップもおいてくれている.

第1章 人類進化を俯瞰する

ここではあまり知識がない読者向けの人類進化の基礎解説が納められている.学者ではなく小説家の手による初学者としての感想も交えたわかりやすい解説だ.ここでは日本人の読者にわかりやすいように「初期の猿人*1」「猿人」「原人」「旧人」「新人」という用語を用い,化石や復元図を多用しながら概説されている.解説の中で改めてサピエンスの多地域進化説が否定されていることが取り上げられているのも一般向けということだろう.特に強調されているのは人類の進化史の大部分において多様な複数の系統が共存していたことで,それはサピエンスの出アフリカ時点でもそうだという点だ.その他,ホモ・エレクトゥスの中で一番多く化石が発掘されており長期の歴史が追えるのは間違いなくジャワ原人であること,中国では北京原人がいなくなった後の時代の地層からより進歩的な旧人段階の化石が見つかっていることなども解説されている.

第2章 ジャワ原人をめぐる冒険

第2章はジャワ原人について.川端はここを,多くの日本人は学校教育で社会か理科で北京原人ジャワ原人を習っているはずで,ジャワ原人への旅はセンチメンタル・ジャーニーあるいは聖地巡礼だという宣言から始めている.私も直立原人と北京原人として習ったおぼえがある.最近の人類史の解説本ではエレクトゥスのところでさらっと触れられるだけのことが多いので,本書のジャワ原人の充実した記述は確かになかなかなつかしい場所への再訪という気分にさせられるところだ.
ここでは現地ルポを交えながら,まずデュボアによる1890年代の発掘,ピテカントロプス(直立猿人)としての発表,論争とデュボアの閉塞,北京原人の発掘,1930年代以降の別の発掘地での新たなジャワ原人化石発掘の歴史物語が語られる.
続いていずれもジャワ島ソロ川流域の4カ所の化石産出地の解説がある.その中でのサンギランの解説(ここは地層がいったんドーム状に盛り上がってから浸食を受けたために水平方向に時系列で300万年〜25万年前の化石が産出する)が詳しい.
またジャワ原人の生息していた環境推測(森林混じりの草原だっただろう),石器が一部出ているほかは生活環境推測が難しいこと,年代推定が難しいこと(いずれももとの地層から流されてもう一度堆積した可能性があることによるもの)などが解説されている.

第3章 ジャワ原人を科学する現場

続いて海部の研究室(国立科学博物館人類研究部)のジャワ原人研究の現場のレポートがおかれている.まずこの科博の研究室のレプリカを含めた化石標本のコレクションが非常に充実していることが強調されている.特にジャワ原人化石については馬場悠男以来のインドネシアとの協力的な関係が背景にあるそうだ.
ここからは海部のジャワ原人研究の紹介になる.

  • それまで,ジャワ原人についてはずっとあまり進化せずに停滞していたと考えられていた.(背景にはグールドの断続平衡理論の影響*2があるそうだ)
  • 海部は,豊富な化石を丹念に調べることにより,ジャワ原人がサンギランの数十万年だけでも大きく変化していることを見いだした.化石を比較すると咀嚼器官(歯,特に臼歯)が縮小する傾向があることがわかる.
  • これに関連して古い層から出る大きな顎と歯の化石(メガントロプスとされたこともある)の解釈が問題になる.海部はホモ・エレクトゥスからはずれるとまではいえないが,同時期に出る華奢な化石との間で性的二型を示している可能性があると考えている.
  • 最近の研究手法としてはマイクロCTスキャンを用いるというものがある.これによりジャワ原人の脳容量を正確に計測するとそれが増大している傾向を見いだすことができる.
  • また顎関節の特殊化やその他の独特な形態変化も多数あることがわかった.

ジャワ原人の進化史を通じた形態変容についての具体的な進展の物語は迫力があって読みどころだ.川端の解説は,多地域進化説の否定にこだわったり,ナイーブな定向進化的な部分があったりするのが少し気にならなくもないが,全般的には複雑な話をわかりやすくかみ砕き自分の言葉で書かれており,読みやすいと評価できるだろう.

第4章 フローレス原人の衝撃

第4章は21世紀の衝撃の発見,フローレス原人について.
まず発見,発表の経緯,年代推定(オリジナルの論文では1万8千年前〜3万8千年前とされていたが,2016年に訂正され,現時点では化石年代としては若くとも6万年前というのが受け入れられているそうだ)の問題,発表された当時の受け止め方(海部の感想がインタビューされている)が解説されている.当時の人類学者の衝撃の大きさは,その年代(つい最近)ということもあるが,その脳の小ささが最大の衝撃だったことがわかる.島嶼化という理屈はわかるがそれにしても人類がこんなになるものかということだったらしい.


ここは当時の私の受けた衝撃とずいぶん異なっていて興味深い.基本的に人類も動物であるからそのおかれた環境,淘汰圧によってどんな方向にも速やかな適応が生じるだろうということを前提にすると,島嶼化による矮小化進化が素早く生じるのは当然で,(カラスの賢さを考えると)脳の縮小も特に大きな驚きはなかった.それより驚いたのはサピエンスの進出後も何万年も共存していたということだった(これは上記年代訂正からそれほど驚くべきことではなくなったようだ).このあたりは進化生態学と人類学のバックグラウンド(あるいは人類中心主義の度合いの)の違いということだろう.


ここから川端は発掘現場のルポ,化石や復元の紹介,巻き起こった「本当に新種なのか」論争,「新種だとしてその祖先はジャワ原人ホモ・ハビリスか」論争などを解説している.なかなか丁寧に様々な主張の背景,最終的な結論に関する証拠などを挙げておりここも読みどころだ.


解説を読むと,結局ごく自然な結論は「ジャワ原人を祖先とする原人がウォレス線を越えてフローレス島に入って島嶼化による矮小化を起こした」ということになるのだが,人類の矮小化を認めたくない,あるいはできるだけ小幅にしたいという(私から見ると悪しき人類中心主義的)動機が無理な反対説につながっていることがわかる.

第5章 ソア盆地での大発見

第5章はフローレス島での新しい発見の物語.
2016年,川端は海部からフローレス等のソア盆地の発掘現場に招かれる.そこでの発掘作業のルポは人類化石発見かというエピソードが臨場感たっぷりに語られていて楽しい.
そしてその3ヶ月後,海部はネイチャーにフローレス島で70万年前の原人化石を発掘したという論文を発表する*3.それは川端の訪ねた発掘地でその少し前に掘り出されたものだった.その化石はフローレス原人と同じぐらい小さいが,形態的にはフローレス原人とジャワ原人の中間的な特徴を持っていた.(海部はこの化石をホモ・フローレシエンシスとするかどうかには慎重に留保しているようだ)これはフローレス原人の祖先が少なくとも70万年より前にウォレス線をわたり速やかに矮小化したことを示しているのだ.


ここも川端はそれを驚くべき発見として書いているが,私の感覚ではむしろごく普通のシナリオに沿った発見だという印象だ.

第6章 台湾の海底から

第6章はアジア第4の原人(澎湖人)発見物語.台湾でアジア第4の原人の化石が発見されたことが2015年初頭に発表される.論文では,台湾で原人の下顎骨化石が発見されたこと,ジャワ原人北京原人フローレス原人とも異なる特徴を持っているのでアジア第4の原人と思われること,年代は45万年前より遡ることはなく,おそらく19万年前より新しいことなどが主張されている.
川端はこの発見物語をより詳しく語ってくれている.それによると発見物語は2008年から始まるもので,化石自体は澎湖諸島近海の澎湖水道での底引き網漁船に引き上げられたものだ.この海域ではこの手の化石が海底で剥き出しになっている部分があるようで,毎年多くの化石が水揚げされているそうだ(澎湖動物群と呼ばれている).
そこからこの新しい原人の下顎の形態的特徴(顎が開き,頑丈),年代決定(地層がわからないので,陸続きになっていた年代と
フッ素ナトリウム法による相対年代推定の組合せ*4,その意味(19万年前より新しいとすると中国大陸北部では北京原人が消えて旧人の時代になっている),おなじく頑丈な顎が出ている和県人*5との関係などが解説されている.
澎湖人については,2015年の最初の発見報道の後一般向けの解説をあまり見かけないので,この章の記述は大変興味深いものだ.

終章 我々はなぜ我々だけなのか

最終章でまず川端はここまで解説してきたことを振り返り,現時点でのアジアの人類史をまとめる.

  • アジアには120万年前には既にジャワ原人が存在し,5万年前ぐらいまで生き延びていた可能性がある.
  • フローレス原人は100万年前ぐらいにフローレス島に渡り,速やかな島嶼化を生じ,やはり5万年前ぐらいまで生き延びていた.
  • 北京原人はもっと早くに姿を消したが,40万年前〜10万年前ぐらいに別の頑丈型原人が中国南部にいた可能性がある.
  • これらの発見はこれらすべての原人をホモ・エレクトゥスとまとめてしまうことに再考を迫るものかも知れない.
  • またいくつか「中国の旧人」の化石が発掘されている.これらは北京原人のあとに現れた別の人類で,年代は正確にはわかっていないものの36万年前〜10万年前頃とされている.
  • アルタイ地方では10万年前〜5万年前とされる謎めいたデニソワ人が見つかっている.

つまり5万年前までは各地に多様な人類が存在していたようなのだ.ここから川端はなぜサピエンス登場以降人類はただ1種になってしまったのかということを取り上げる.ヨーロッパにおけるネアンデルタールとの「交替劇」の議論(交雑の事実もあり接触があったのは間違いない,接触期間は5000年程度というのが今のコンセンサス),アジアにおける交替状況(あまりよくわかっていない.サピエンス渡来時期についてもコンセンサスはない,海部は5万年前頃と考えている.とすると接触はなかったかあってもほんの一瞬ということになる),今どこまでわかっているのかなどを取り上げ,それに迫る取り組みの1つとして海部の「3万年前の航海徹底再現プロジェクト*6」を紹介している.
ここで川端は小説家らしく,人類の多様性と均質性について,宇宙への拡散についてのエッセイを置き,最後にデニソワ人とサピエンスの交雑についての「南デニソワ人」海部説*7を紹介して本書を終えている.

本書はあまり語られることのないアジアの人類史を一般向けに分かりやすく解説した本として貴重な一冊だ.そして川端のライターとして能力が遺憾なく発揮されていてとてもわかりやすい.私としてもジャワ原人進化の詳細,フローレシエンシスの最近の年代訂正や,澎湖人の実体について教えられることが多かった.少し残念なのは「中国の旧人」についてほとんど解説がないことだ.どのような化石がどこで発見されて,それについて海部がどう考えているかを付け加えていればさらに充実した書物になっただろう.とはいえ人類史に興味のある人には強く推薦できる一冊だ.



関連書籍


フローレシエンシスについてはこの本が詳しい 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080702

ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈上〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈下〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

ホモ・フロレシエンシス〈下〉―1万2000年前に消えた人類 (NHKブックス)

*1:アウストラロピテクスに至るまでのサヘラントロプスやアルディピテクスなどを総称した呼び方

*2:停滞のまさに実例としてジャワ原人が取り上げられているそうだ

*3:未発表だったのでそのときは川端に話せなかったが,大発見の現場は見せておきたかったということだったようだ

*4:絶対年代推定のウラン系列法は海中で置換が生じていて使えず.相対年代推定の決め手になったのはブチハイエナの種ごとの分布年代推定だった

*5:1980年代に発掘された40万年前の頑丈な顎の化石,中国では北京原人の化石の1つとされている

*6:クラウドファンディングで資金調達して,台湾から先島諸島への航海を再現しようというもの.2016年には与那国島から西表島への航海を試み途中で流されて失敗,2017年には台湾から沖合の離島へのテストを行い,2018年には台湾から与那国島に挑む予定だそうだ.

*7:オーストラリア,メラネシアへの交雑の元になった「南デニソワ人」がデニソワ洞窟で発見されたデニソワ人とは別の実体として存在していただろう.その実体はジャワ原人だった可能性がある(メラネシアアボリジニの人たちの形態的特徴を一部説明できる).またアルタイのデニソワ人はネアンデルタール人と同居していたことから見て混血の交雑個体であったのではないかというもの