「人はなぜレイプするのか」

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす

人はなぜレイプするのか―進化生物学が解き明かす



5年ほど前に欧米で出版されフェミニストから総スカンを浴びた有名な本が今回翻訳されて書店に並んでいる.
よくある社会生物学論争の典型のような誤解の上の批判や,まさに自然主義的誤謬による批判が多かったと伝わってきているが,フェミニズム陣営では見方はまた異なるのだろう.
進化心理学的立場からみると)「レイプについて真実を研究すること」と「レイプを行うことの是非を主張すること」はまったく異なることだと思うのだが,21世紀になってもヒトの心理学的な性向を生物学的に考えることへの嫌悪は残っているのだろう.プラグマティックに考えても,戦争を防ぐには戦争のことをよく知らなければならないように,レイプという忌まわしい犯罪を少しでも減らすためにはレイプが何であるのかを具体的にデータに基づいて知る必要があると思う.日本のフェミニストの方々には是非本書をきちんと読んでから反論批判を行っていただければと切に願う次第である.


出版当時に原書を読んだ私の所感ではこれは真摯に書かれたほんとうにまじめな進化心理学書である.
今回はあくまで原書の書評として掲載したい.

A Natural History of Rape

A Natural History of Rape: Biological Bases of Sexual Coercion (Bradford Books)

A Natural History of Rape: Biological Bases of Sexual Coercion (Bradford Books)

A Natural History of Rape: Biological Bases of Sexual Coercion (A Bradford Book)

A Natural History of Rape: Biological Bases of Sexual Coercion (A Bradford Book)


この話題が欧米ではどのような苛烈な政治的な論争を巻き起こす危険があるかを十分に理解した上で,真摯にレイプとはどのような現象であるかを解説している書である.
まず第1章で進化生物学,行動生態学進化心理学の初歩を概説した上で,特に問題となる適応と環境要因,学習と文化について詳しく説明している.第2章では性差について詳しく論じる.オスメスの投資配分の差とコンフリクトについて解説される.


第3章以降がレイプについての研究考察である.
まず男性のレイプの解釈について対立仮説を並べて退ける.系統的な遺物説,ドリフト説,環境要因説,病気説,オスによるメスのコントロールカニズム説(これは特に社会科学者からは支持されているので重要な仮説らしい.しかしこの説ではなぜ性交が伴わなければならないのかを説明できないと切って捨てる)が退けられる.
このあと直接利益による適応説と,心理的な傾向による副産物説が詳しく検討される.ここではいろいろな事実が示され,検討の深さが感じられる.レイピストはどのような男性に多いのか,他の犯罪との傾向差は何か,被害者は最高繁殖率と最高生涯繁殖価値のどちらが選ばれているのか.年齢分布はどうなっているか,レイピストは何に興奮するのか,デートレイプとそうでないレイプで類型は異なるか,条件付き戦略と考えられるか,などなど.イデオロギーではなく真実は何なのかを知ろうとする誠実な知的努力が感じられると思う.著者はこれがどちらなのかの結論については(二人の間で)不一致であり,保留している.(ここにも知的誠実さが感じられる)
つづいて被害者の女性の苦悩を考察する.どのような場合により苦しむのか,ふるわれた暴力と苦悩は相関していないということから,女性にとって(進化的にみて)配偶相手の選択を奪われることがもっとも大きな侵害となっていると指摘する.また恐怖不安はレイプに対する対抗進化の適応である可能性も指摘される.
この2章ではヒト以外の動物における例も所々紹介されており,理解の助けになるだろう.


第5章からはこれまでの社会科学への批判になる.『である』ことと『であるべき』ことを議論で混同してしまう自然主義的誤謬と至近要因と究極要因の説明レベルを混同してしまう誤解,そしてイデオロギー的な態度が指摘される.いかに誠実に議論したいと思っても政治的な文脈で切り捨てられてきた悔しさ,悩みが見え隠れする.
つづいてこれまでの社会科学によるレイプの説明のレビューとその批判がつづく.特にイデオロギー的にレイプは性交と無関係と決めつける説明は,事実と異なっているし,犯罪抑止に逆行すると批判される.このほかにもいろいろな議論を取り上げてこまめに議論しており,実証主義的な議論でかなり徹底的に批判している.
もっともここで取り上げられている議論が典型的なフェミニストの議論なのかどうかについては私は知識不足であるが(もしフェミニスト側の意見を極端視して紹介しているのなら結構けんかを売っているような部分だろう),レイプは支配目的であり性交目的ではないという議論はどうも一般的なようなので,フェミニスト側の見解には興味が持たれるところだ.


第7章で,では法はどうあるべきかの政策論.これまで環境因に偏った政策が多いのだが,もしヒトの進化心理をよく理解できれば,罰則によるコスト計算のインセンティブから一定程度の抑止が可能なのではないかと示唆する.これまでのイデオロギー的な刑事政策への批判をおこない,たとえば去勢を刑罰にするなどのアイデアとともに犯罪抑止に効率的な刑事政策を考えるべきだと主張される.
レイプに限らず,刑事政策にはまだ進化心理学の波はまったく及んでいない,日本でもイデオロギー的に教育刑が進歩的だと是認されているのみである.どのような場合に教育が効果があるのかの事実確認から是非見直してほしいと思う.

第9章以降でより広く進化心理学的な知見を応用していく展望とまとめが示される.


通読すれば非常に知的に誠実な本だということがわかるだろう.進化心理学に興味のある人には各論としてよくできた本である,しかし何より本書はレイプを少しでも減らすためには実証的な事実をふまえた方がよいのではないかと少しでも思う社会科学系の方に一人でも読まれることを切に願うものである.