War and Peace and War:The Rise and Fall of Empires その56

  

第7章 中世のブラックホール:カロリング辺境におけるヨーロッパ強国の勃興 その17

 
ターチンはなぜ中国では統一状態が継続したのに,ヨーロッパは再統一されなかったのかを議論する.そしてまずダイアモンドによる地理的説明を否定し,メタエスニック辺境が(気候地理的な理由で)動かなかった中国が例外なのだとする.「帝国の成立後,領域拡大とともに辺境は遠方に追いやられ,コア部分はアサビーヤのブラックホールとなり崩壊する.そして周りの辺境で強国が生じる」古都の邦画歴史の原則であり,ヨーロッパは正しくその道をたどったのだと言うのがターチンの説明になる.
そして最後にカロリング朝フランク帝国の現代にまで残る影響を語る.
 

なぜヨーロッパは再統一されなかったのか その3

 

  • カロリング朝フランク帝国は今日われわれが西洋文明と呼ぶものの胚のようなものだ.中世ヨーロッパのラテンキリスト教世界の中心部分はギリシア正教でも異教でもなくカトリックであり,フランスやドイツのようなカロリング朝の後継国家から構成されていた.このコアにスペインやプロイセンのような征服された地方やデンマークやポーランドのような改宗した地方が加わった.
  • 政治的に統一されたことはなかったが,ラテンキリスト教世界の人々はある超国家的なセンスにおいて同じものに属していることを知っていた.彼らは同じ信仰を持ち,ローマ教皇を戴き,ラテンという同じ文化,同じ文字,同じ礼拝,同じ外交プロトコルを用いた.
  • 歴史家ロバート・バートレットが「ヨーロッパの形成」で議論したように,ラテンキリスト教世界の外側の人々もこのメタエスニックアイデンティティに気付いており,それに属する人々を「フランク人(アラビア語でFaranga,ギリシア語でFraggoi)」と呼んだ.

 

 
ターチンはここで,外側の人々がラテンキリスト教世界の人々を「フランク」と読んだ実例として十字軍時代のイスラム側からの呼称の例を挙げている.十字軍はノルマン,フランス,イギリス,ドイツなどの様々な軍隊からなっていたが,イスラム側は彼らを単に「フランク」と呼んでいるのだ.
 

  • ラテンキリスト教世界は西洋文明の直接の祖先だ.そしてその後の宗教改革をめぐる争いでさえも(多くの血が流されたとはいえ)いわば家族の中の口論に過ぎない.それはカロリング朝フランク帝国から由来するメタエスニックアイデンティティを破壊したりしていないのだ.
  • 今日においてもこのアイデンティティの跡をみることはたやすい.EUの最初のメンバー,最も熱心なEU推進者はフランス,ドイツ,ベネルクス3国,イタリアだ.これはカロリング帝国の版図とほぼ同じだ.中世にローマカトリックだったところは今日カトリックかプロテスタントであり,EUに喜んで迎えられる.ポーランド,クロアチア,チェコはソ連の影響下から脱するとすぐにEUに参加するように熱心に誘われた.これに対してイスラム教のトルコは半世紀以上もNATOのメンバーであるにもかかわらずメンバーとして認められていない.ギリシア正教の影響下にあったウクライナやベラルーシも全く歓迎されず,加盟を認められていない.ギリシアですら,アメリカの強力な後押しでようやく認められたに過ぎないのだ.

 
本書の出版は2007年だが,これはその後のブレクジットや,ウクライナのEU加盟問題を考えるとなかなか味わい深い記述だ.とはいえ現在EU加盟国にはギリシア以外にもブルガリアやキプロスなどのギリシア正教が主流の国があるので,この断定的な書き振りはやや微妙ではある.
 

  • ラテンキリスト教世界,そしてその後継である西洋文明は普遍的な帝国を興すことはなかった.それはヨーロッパの海岸線が入り組んでいるためではない.それはカロリング帝国辺境で生まれた遠心力によるものだ.統一できなかったのはヨーロッパが特殊だからではない.似たような面積の他の地域も歴史の極く一時期しか帝国を経験していない.その唯一の例外が中国だ.中国では帝国が連続的に次々と興っている.そしてその理由は中国が遊牧民との間に永続的に続くメタエスニック断層に面しているからなのだ.
  • 中国の永続的なステップ辺境は例外的だ.しかし(その部分を除く)中国の事例は「帝国はメタエスニック辺境に興る」というマクロ歴史的な規則性を裏付けるものになっている.それは帝国興隆の本質的な歴史なのだ.

 
ということで第7章は終了だ.ここまでで第1部の「帝国興隆編」も完結になり,ここから第2部の「帝国没落編」が始まることとなる.