読書中 「Breaking the Spell」 第7章 

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon



第7章はチームスピリット.


ここでの議論のポイントは誰のためか?そしてボイヤーやD. S. ウィルソンの主張する集団のための進化が生じたかどうかだ.


フォルク宗教は集団の利益のために進化したのか?まずデネットはヒトの集団のメリットについて考える.集団には参加する個人にとって安全や経済的効率のメリットがあるが,相互不信と敵意,さらにだましによる誘惑が問題となるとする.
宗教はこの限界を広げるものかもしれない.ここでD. S. ウィルソンが登場し,マルチレベル選択で説明しようとする.ウィルソンは宗教同士の競争が今ある宗教のデザインを説明できると考えている.これに対して個人の利益から説明できるとする合理的選択説が対立している.
しかしデネットは両者ともミームの進化を見逃しているとする.ウィルソンは宗教=ミーム説は宗教が人に利益を与えているので当てはまらないと考えているようだが,理論的には共利的なミームも当然存在するというのだ.この指摘は正しいだろう.


デネットミーム説は以下の通りだ

ヒトの集団の団結を促進するミームはヒトの生存がその集団に依存しているときにもっとも(ミームとして)適応的になる.それにより利益を受ける集団が,外集団の好奇心を刺激し,集団同士の垣根を低くすることにより,ミームを広げる装置となる.

この説も意識的にデザイナーを必要としない.この説では競争している宗教集団を想定しなくとも,アイデアが競争している状況を想定すればよい.これにより意識的デザインとと無意識的デザインのいろいろな状況をすべて理論的枠組みに含めることができる.
これによるとミームの成功はいかにホストにとって魅力的かで決まることになるので,心を無にして受け入れたと受け取ることができ,宗教的な人からの抵抗が少ないだろう.また実際の宗教への帰依は決して損得の熟考から決まるものではない.また「神の言葉」を広めることを至上とする考えはミーム説を受け入れるように思われる.

いったんミームを広めようと思った後は意識的な改善のための競争が生じる.そしてミームとともに組織も競争する.
非血縁を基礎とする組織には宗教の他に,政党,革命家,民族組織,労働組合,スポーツチーム,マフィアなどがある.これらを見ていくことで宗教の特徴も明らかになる.


この後の本書の説明の筋は入り組んでいてつかみにくい.おそらくもっとも説明がセンシティブで難しいところなのだろう.ミームの構造を解説したいようだ.


まず宗教の競争している現状についての事実がいろいろ紹介される.「アメリカでは今1500の宗教が自由市場で競争している.寄付は年間(教会,学校,病院への建設寄付をのぞいても)6兆円を超えている.外国への布教活動費だけで2300億円が使われている.」などという記述にはびっくりさせられる.また一般的な感覚は「もっとも尊敬すべきプロテスタントファンダメンタリストで,同時に彼等はもっとも愚かしい」というものらしく興味深いアメリカの実情だ.要するに彼等は教会に多大な寄付をし,教会は彼等に神との取引を保護監督することを約束する.人は利益を期待して超自然を操作しようとしている.その場合の神は人に似た意思を持ち,悪魔と対立するようなものだ.そしてそのような神と取引することにより真理に近づけると考えているということらしい.


続いてなぜ神に忠実であり続けられるのかを問い,報酬が死後与えられるところがポイントだと指摘している.そして価値(Value)は値段と質で決まる.価値の高いもの(永遠の生命)をオファーできるのは,対価(教会への寄付)が高価であるからだ.高価な宗教は,緊張が高く,物質的にも社会的にも心理的にも参加コストが高いと説明している.参加コストが高いほうがより価値があると思わせられるというのは鋭い指摘だ.
さらに,集団の境界ははっきりしていなければ他の集団から自分の集団を守ろうとすることは生じにくい,逆に高いレベルの内部信頼がある集団には「よそ者嫌い」は払わなくてはならないコストなのだ,また宗教集団はそのビジネスのためには,争いを利用し,より激しくしようとするかもしれないので注意が必要だと指摘している.確かによく考えると痛烈な宗教批判と紙一重であり,結構センシティブな記述だ.



第7章 チームスピリットの発明


1. 善意の道


2. アリのコロニーと会社組織


3. 宗教の成長市場


4. 話しかけることができる神


人の集団性は(草食動物の群れと比べて)なかなか複雑だ.それは言語と文化さらにミームによる.宗教への帰依は合理的な選択であると考える必要はないし,宗教は市場で競争していると考えた方がよりよい理解ができるだろう.