読書中 「Breaking the Spell」 第8章 その1 

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon



第8章の主題は信仰の信仰.これは神を信じることがよいことだと信じるという信念のこと.これを信じている人自体が神を信じているかどうかはまた別の話というわけだ.デネットはこの信仰の信仰という現象が宗教現象の理解にとって非常に重要だと考えているらしい.ちょっと迫力のある章になっている.


まず自分が信じていることが重要だと考えるとその信条への管理責任者になりたいと思うだろう.そしてその心情への防衛行動が生じ,別の信条との競争状態が社会現象化するのだ.例として人種差別は悪いものだと信じると,人種差があってもなかったことにしようという方向に走ることがあげられている.


一神教においてはこの防御反応が,神をより反証されにくする方向に働き,神の抽象性,ミステリー性を増加させる.
そして防衛の第二陣は「教義に疑問を呈するものは,それが合理的に見えるほど悪魔である」という嘘だ.すべては敵の陰謀だというのはよく使われる.これは非常に強力な防御になるという.なるほど,宗教の進化においても陰謀説は大きな力になっているという分析になるわけだ.
これにつづいて「神」という概念がまったく異なっても使い続けられており,現在のいろいろな人にとっても多義的になっていることを指摘している.


次にこの信仰の信仰による防衛反応は,神をサンタやスーパーマンと違うもっと重要なものだと思わせようとする.そのためには「神」という定義概念自体を曖昧にする.例としてシャーロックホームズの実在を信じることと,シャーロキアンの態度の差が微妙であることがあげられる.
おそらくある人々は神を信じるのではなく,神の概念を信じている.彼等はシャーロキアンに似ている.彼等は神はいないが,自分たちの神の概念の方がよいといって争うのだ.


だんだん神の概念が難しくなると思考の分業が起こる.普通の人は誰か信頼できる人に考えてもらって,ただそれを信頼するようになる.普通の人は自分が何を信じているのかがあやふやになってくるのだ.これはなかなか面白い指摘だ.
信仰への信仰がある人は「神を信じること」が実際にあることを信じている(当たり前だ)そしてこれがよいことだと思っている.人は神を信じなくとも神を信じることがよいことだと信じることができる.このような人は自分が神を信じていないことを隠して,他人(特に自分の子供)に神を信じるように働きかけるだろう.ここでデネットは自分が信じていなくとも他人に信じさせようとする態度が生じることを説明する.明示的に書かれていないがこれについては批判的だ.強い憤りを感じることができる.
ファインマン量子論は理解できないが,高い精度で正確だといっているのを引いて,彼は自分の方法をよく理解しているのに対し,宗教においては「神」は本当に理解できないもの(理解できないことこそ信仰の中心)で,そこが科学と宗教の差だとしている.




第8章 信仰への信仰(神を信仰することがよいものであるという信念)


1. 信じた方がよい


2. 意識的目的物 intentional object としての神


3. 思考労働の分業