「生と死の自然史」


生と死の自然史―進化を統べる酸素

生と死の自然史―進化を統べる酸素



原題はOxygen: The Molecule that Made the World.本書は酸素という切り口から見た生命史の本であるが,後半は人類の長寿の可能性についてという視点も加わり老化とフリーラジカルについての解説が詳しく語られる.

500ページを超える量だが,非常にしっかり書けていて濃密だ.特に前半部分は,最新知見のスノーボールがしっかり組み込まれた説明でありスリリングだ.後半も対立仮説の提示という枠組みの中で老化の進化的説明がしっかり描けている.本書の提示する大きなストーリーは,「生物は抗酸化マシーンとしてとらえるとその本質がよくわかる.」というものだ.


本書はまずこれまでの呼吸と光合成の歴史ストーリーを否定するところから始まる.通常はまず嫌気細菌から生命ははじまり,次により高いエネルギー効率から光合成が進化し,そしてそれにより酸素が発生し,それを利用する酸素呼吸が進化したと考える.しかし本書は呼吸が先で光合成は後という考え方を示す.

生物組織にもっとも害を与えるのはフリーラジカルであり,それは通常酸化の過程でまた放射線によっても生じる.そして生物の最大の課題はこれをいかに避けるかである.このフリーラジカルへの対処が酸素呼吸の基礎なのだ.全生命の共通祖先の酵素をゲノムの分析で再構成するとすでに酸素呼吸に必要なものを持っていたらしいことがわかる.光合成はその後主に水素を入手する手段として進化したのだ.またミトコンドリアは呼吸によるエネルギー獲得より細胞内の抗酸化作用により真核生物に取り込まれたのだろうという.

これは今までの説明とは逆転の説明だ.しかし非常に説得力がある.結局酸化とは電子を奪われることであり,奪われて発生したフリーラジカルはその辺のものから電子を奪って逃げ去るわけだ.これを鎮めるにはフリーラジカルに電子を与え,そして与えた側はゆっくりと反応する物質を用意するしかない.これが抗酸化物質というわけだ.また生体内の抗酸化作用は複雑な仕組みであり,単にビタミンCなどの抗酸化物質を外部投与すると,内部にある仕組みが働かなくなるスイッチが入ってしまうこともあるので要注意だと,安易な抗酸化物質の投与に警鐘を鳴らす.

これまでの生命史という観点から,酸素濃度の歴史に言及しているがここも面白い.地球大気にどれだけの酸素濃度があるかという問題は結局地中にどれだけ炭素が取り込まれているかに依存しているという切り口が,いわれてみればそれしかないという有無を言わさぬ説得力を感じさせる.そしてスノーボールアースがそれに大きな影響を与えるという説明が新鮮だ.結果として過去最大濃度35%になったのは石炭紀であり,当時の大型昆虫の存在はそれが理由だとする.スノーボールアースの第一期,第二期とそれが与えた酸素濃度への影響が推測されていて,非常に興味深い.スノーボールアース仮説もますますソリッドになって,いろいろな興味深い発展が続いているようだ.


後半は老化について.自説である「使い捨て体細胞説」と進化生態学者にはあまりにも有名なウィリアムズの「多面発現遺伝子蓄積説」を並列して紹介する.

この後半は老化と性の修正説との関連から始まる.性にはDNA修復の機能があるように老化には何か機能があるはずだという考えから「使い捨て体細胞説」を紹介する.これは体細胞の修復を行うことと繁殖にリソースを回すことがトレードオフになっており,どこかの時点で体細胞修復から繁殖に切り替えた方が有利になる.これが老化の実態だというもの.そしてウィリアムズの「多面的遺伝子発現説」.若い頃に有利な形質が発現し,年取ってから有害な効果がある遺伝子は,ほんの少しの利益が若い頃にあれば広がっていくだろう.これが蓄積して老化を引き起こすという考え方だ.
著者はこの2つはともに時期が異なる有利さと不利さのトレードオフという考え方が背後にあるので混同されがちだが,リソースの用い方のトレードオフと,遺伝子発現のトレードオフというはっきり異なった考え方で,排他的な説明ではないが,実用面では老化を何とかできるかどうかの可能性がまったく異なるという.
そして「使い捨て体細胞説」のほうがより実態に沿っている点として,特に長生きした長寿者は筋肉の消耗によって死んでいく例が多いこと,オポッサムの島の移住集団がわずか5000年で寿命が2倍になったこと,線虫の長寿遺伝子が酸化ストレスと関連している点を上げる.

使い捨て体細胞説の詳しい説明から代謝と寿命についても解説される.代謝と寿命についての関係と飛ぶ動物(鳥とコウモリ)がその例外になっていることについては,飛ぶためにより効率的なミトコンドリアが選択され,それがフリーラジカル抑制にも役立っていると説明する.ただこの説明にはいったい何がこの効率の良さとトレードオフになっているかの考察がない.これは残念なところで聞かされた方は落ちない.続いてカロリー制限が長寿に有効であることの説明として,これが体細胞にかかる呼吸ストレスの軽減からくるものであるとする.
老化のメカニズムとしては呼吸などの酸化ストレスによりミトコンドリアが破損していくことによるフリーラジカル排出効率の低下がポイントだと力説し,ミトコンドリアにも生殖系列があって,そこで呼吸させずに次世代に引き継ぐ仕組みを持ち,これが異型的な有性生殖の真の理由だとする.有性生殖の理由についてはちょっと強引な説明のような気がする.ただミトコンドリアにも生殖系列があるという指摘は重要な説明のように思われる.


最後に人の老化についての対応方向についての叙述がある.まず現代の医療は成人病についてそれぞれの個人的遺伝子構成から考えていこうとしているが,もっと全般的な酸化ストレスに注目した方がよいと力説する.本書によると病原体感染は酸化ストレスを増幅する.このストレスに対して身体の防御反応として炎症が生じる.この作用が劣化したミトコンドリアによる酸化ストレスでも発現して老化が生じるのだという.これがトレードオフのもっとも重要な側面だとしている.結局老化とは一種の自己免疫疾患なのだ.これは衝撃的な視点の転換だ.アルツハイマーも,クラミジア感染とアテローム心筋梗塞との関連,多くのガンと感染症の関連も皆これで説明できる.
するとこの負の側面を防止するよい方法は何かと言うことが問題になる.
まず免疫を抑える手法があるが,これは日和見感染とのトレードオフがあり望みは薄い.より効率のよいミトコンドリアが希望となる.ミトコンドリアの膜構造に鍵があるとしている.ただ,この道は遙かに遠いようだ.要するに結局現在手の届くところにあるのはバランスのとれた食事と軽い運動,そしてストレスの少ない生活ということのようである.


ところどころ強引な部分もあるが,非常に濃密で充実した書物である.酸素の歴史については目を開かされることが多かったし,スノーボールアース仮説のインパクトも実感できた.老化についてはこれまでウィリアムズ説のみを信じてきたが,これと排他的でない本書のような説明はもっと考えられるべきだろう.特に感染症と成人病との関連は非常に説得的だと思う.




関連書籍


まず原書

Oxygen: The Molecule That Made the World (Popular Science)

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老化の多面遺伝子発現説については

Why We Get Sick: The New Science of Darwinian Medicine

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これを最初に読んだときは衝撃的だった.


邦訳

病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解

病気はなぜ、あるのか―進化医学による新しい理解




成人病の感染症説について


Plague Time: How Stealth Infections Cause Cancer, Heart Disease, and Other Deadly Ailments

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この本も結構衝撃的な内容だ.ほとんどの成人病について感染症を疑うべきだとしている.