読書中 「Breaking the Spell」 第9章

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon



これまでの宗教の歴史をふまえ,第9章からは今日の宗教をどう考えるべきかという主題に移る.


まず宗教を利害得失で論じることへの反発について.デネットはこれを配偶者選択におけるコミットメント問題解決のための感情適応が宗教ミームにより利用されているのではないかを論じている.あなたの大切なものについて利害で語ってはいけないというのは宗教にとりよいトリックになる.そしてこれは神聖なシンボルに結びつく.疑問を持ってはいけない神聖なシンボルは時に非常にに危険だとする.たとえば9.11の攻撃が自由の女神だったらアメリカ人はもっと怒り狂っただろうというのだ.いずれにせよ宗教についても利害で考えるべきだというのがデネットの主張だ.


次の宗教の防御が,宗教側にたつ学者の煙幕だという指摘は痛快だ.解釈科学,つまり人文科学,社会科学の文学,歴史,文化の専門家は自然科学的な研究では宗教の本質はわからないという.宗教に帰依していないと宗教のことはわからないとか,全体として考えないと何も把握できないとかの防御は女性にしか女性の研究はできないと主張するフェミニズム,ヨーロッパ人にはアジアのことは偏見なしに研究できないと主張する文化相対主義に似ていると厳しく非難している.いわく,これは人は互いに理解できないし,他人の脳のことはわからないと主張しているに等しく,ナンセンスだといっている.まったくその通りだろう.
そして当然ながらポストモダニズムにも切り込む.いわく,似たような煙幕に自然科学は文化を分析できない(それには記号論や解釈学が必要だ)という主張があり,これもまったく誤りだ.自然科学にも解釈はある.人文科学と自然科学の最大の違いは,あまりにも多くの人文科学者がすべては物語で真実は相対的だというポストモダニズムを正しいと考えていることだ.そしてこれらの煙幕を払うのはまったく疲れるとぼやくところには実感がこもっている.特に自然科学者が本を書くのはWASPの男性が大学内の権力を高めるためのお話作りだとか云々というくだりには微苦笑を禁じ得ない.
宗教を論じる学者はこれに立ち向かわなければならないのだ.これはまったく疲れる仕事だ.デネットは歴史家や文化人類学者と進化生物学者はお互いの領域を勉強して立ち向かうべきだと主張している.


他人が神を信じることがよいと考える「信仰の信仰」についてはどう考えるべきか.デネットは宇宙からDNAまでデザインした神は,ひとつの惑星の一種の生物がそれを認識しているかどうかを気にする存在ではあり得ないのではないかとちくっと皮肉った後で,宗教の利害を論じようとする.


では宗教は何をしてくれるのか?健康によい等のいろいろな答えがあり得るだろうとデネットは言う.しかしもしそれらを主張するなら,検証を行い,それが反証されたら,主張を捨てる心構えが必要だと警告した上で,調べてみればよいと言っている.キリスト教科学とかサイエントロジーという動きは実際に科学的な手法を装って宗教を擁護しようとしているそうだ.しかしこのような心構えを持つような人たちなのだろうかという疑問は禁じ得ない.


第3部 今日の宗教


第9章 宗教の買い物ガイドへの道


1. 神への愛のために


2. アカデミックな煙幕


3. あなたが何を信じているかがなぜ問題になるのか?


4. あなたの宗教はあなたに何をしてくれるのか?


宗教の利害を調べるにはまずいくつかの障壁を片付けなければならない.調べ始めると利益があるかどうかについては相反する証拠が混ざっている.いくつか良い効果があるようだが,それは別の方法でも得られるものかもしれない.まだ副作用より効果の方が大きいといえる段階ではない.