読書中 「Breaking the Spell」 第8章 その2

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon

Breaking the Spell: Religion as a Natural Phenomenon




信仰への信仰の続き.ここまでは信仰すること自体がよいものだと思う人たちによって宗教は反証されにくい防衛的なデザインが生じ,そのためにわかりにくくなり,一般に人は誰かに判断をゆだねてしまうところまで来た.


さて,このような思考の分業が一般的になると,一般の人が神を信じているかどうか自体が曖昧になってくる.一般的なアメリカ人は神を熱烈に信仰していても神自体はうまく説明できないらしい.(これもちょっと面白い.日本で,もし誰かが熱烈な仏教徒だったとして,その人が仏とはなにかをうまく説明できないということが生じるだろうか?)


このように信仰内容はシステマティックにデザインされた謎のようなものになる.これは反証がきわめて困難になるようにデザインされている.聖杯のワインはキリストの血であるが,神性冒涜をすればワインに戻るといわれれば,反証しようとする人はラボに持って行ってDNAを調べようとはしないだろう.


これは宗教指導者にとっては都合がいい.信者が何を信じるかは指導者が自由に決められるのだ.そしてこれは信者獲得のためのマーケティングになる.メガチャーチの成功はマーケティングの巧みさにあるというのだ.これは納得できる.
マーケティングのこつはミーム的に考えると理解しやすい.まず不信心を地獄の業火で脅す.次は教義を理解不能にするのだ.この理解不能さは適応だと思われる.まず注意を引くためのアームレースが生じる.しかしただ訳がわからないだけでは人は不愉快になる.そして,意味の通る部分と複雑な謎が入り交じる.
次に理解できないものは意訳されずにそのまま複製されやすい.合理的な疑いを抱かせることも防ぐ.このミームは頻度依存的だ.周りに合理的な懐疑的なミームが多いほど注目され広がりやすい.この複製の正確さからの解説は鋭いところをついていると思う.


この理解できないものに従うから信仰が厚い(ドーキンスは credal athleticismと呼んでいる)という特徴は宗教に特徴的だといっている.仏教ではどうなのだろうか.浄土真宗は実は難しいのだろうか?


ここでドルーズ教のエピソードが紹介される.彼等は信者以外には教義を秘密にしているので,外部者には教義について嘘を言っていると言うことだ.また3重スパイのキム・フィルビーも話も紹介されて,デザインされた宗教の教義を調べることがいかに難しいかを説明している.なかなかやっかいな相手であり,その原因は信仰への信仰が作り出しているというのが本章の議論だった.ここまでが宗教についての歴史とそのデザインフィーチャーについての解説であった.なかなか鋭い解説と納得感のある解説だと思う.次章からは現代の宗教についての解説が始まる.


第8章 信仰への信仰(神を信仰することがよいものであるという信念)


4. 最小公倍数


5. 教えやすいようにデザインされた信仰内容


6. レバノンのレッスン,ドルーズ教(イスラムから別れた一派.密教として知られる)とキム・フィルビーの奇妙なケース


7. 神は実在するか?


理解不能性などの宗教の特徴はこれを反駁する攻撃に対して有効だったため生じたものだ.