「Genes in Conflict」

 

Genes in Conflict: The Biology of Selfish Genetic Elements

Genes in Conflict: The Biology of Selfish Genetic Elements

 
濃密な書物である.本書の1章1章に通常の本の一冊分の情報が詰まっていると思う.そういう意味では大変なお買得本であり,私も半年ほど楽しませてもらった.

本書における利己的な遺伝要素という言葉の定義は,「個体に害を与えてもその遺伝要素自体にとって有利なために遺伝子プールに広まるような遺伝要素」である.ドーキンスの言う通常の利己的遺伝子は個体にとって有利であってもよいわけで,さらにその特殊な例である.このような遺伝要素については,すでにドーキンス自体が,ジャンクDNAの説明(これ自体は個体にとってほぼ中立的ということだが)や減数分裂比歪曲遺伝子の説明として紹介している.しかし少なくとも私の理解は減数分裂比を歪曲するものがあるというたった1行の知識に止まっていた.本書はこのような現象が実に広く,深く生物界に充ち満ちているかを鮮明に見せてくれる.利己的遺伝子という概念についてまだ納得していない人たちには是非このような現象が生物界にあふれていることを教えてあげたいと思わずにはいられない.


イントロダクションの後の第2章では早速減数分裂比歪曲遺伝子が取り上げられる.しかしこのマウスのt因子はホモでは致死なのだ.最初は変わったものが見つかったのかと思われるのだが,読み進めていくと,実は減数分裂比歪曲遺伝子はまれなものではなく,そのような効果があるとまずはすぐに広がり,ホストへの害が小さければ簡単に固定してしまい,すると歪比しなくなるというダイナミックスがわかってくる.つまりホモで致死になるようなものだけが観測されると言うことなのだ.そして歪比がホストに害を与えるなら,歪比に対抗する遺伝子のダイナミズムが,対抗のコストとともに重要であることがわかってくる.そして読者はゲノム内コンフリクトの世界に招待されるのだ.何がどの遺伝子にとり有益で有害なのか,連鎖も絡まってめくるめくコンフリクトの世界が広がっている.
歪比が生じうるメカニズムがあれば必ずそれを利用する遺伝子が見つかっているのではないかと思わせるほど,不思議な可能性とその実例が次々に紹介される.最初の,減数分裂で自分と同じ遺伝子が乗っていない接合子を殺戮するものから始まり,ヘテロの母親に対して自分が乗っていない子供を不利にさせるように仕向けるもの,逆に自分と同じ遺伝子を持つ子供に有利に仕向けるもの,利己的な性染色体と続く.利己的な性染色体はハミルトンが仮想的に検討していたが,ショウジョウバエではX,Yともに殺戮性染色体が見つかっているというのは驚きだ.この場合も対抗メカニズムがダイナミックスの理解の鍵になることがよくわかる.そして性決定システムの進化,さらに配偶者選択にも重要な影響を与えていることがわかってくる.


歪比という観点からはゲノミックインプリンティングも利己的遺伝要素ということになる.これも深く叙述されるとそもそもメンデル比がどこまで信頼できるのかがわからなくなる気もしてくるし,配偶システムや近親交配,そして社会生活における行動生態,特に分散,血縁認識,そして自己欺瞞!まで絡んでダイナミックに自然淘汰を受けていることが示され,深い深い世界に引き込まれる.さらに半倍数体の生物との関連においては複雑な状況が生じ,読者はめまいを覚えそうだ.


さらにイースト菌では利己的なミトコンドリアが実際に見つかっているという衝撃の発見の紹介の後,通常の生物で母親からしかミトコンドリアが伝達されないことについて通常の説明よりさらに一段深く考察される.核の利己的ミトコンドリア排除遺伝子が保たれるのは利己的ミトコンドリアが一定の確率で生じているからなのかもしれない.そしてそれに対するミトコンドリア側の戦略はどう進化するのか.さらに個体内でのミトコンドリア淘汰は別の問題だ.細胞質雄性不稔性についてもこのミトコンドリアと核遺伝子のコンフリクトの観点から考察される.


後半はあまり一般的に知られていない事象が次々と紹介され,息もつかせぬおもしろさだ.遺伝子修復機構を通じて利己的にドライブするホーミングとトランスポゾンが次に解説される.理論的なダイナミックスや実例が次々と紹介され,読者はワンダーランドをさまよう.集団遺伝学のツールとしての応用も示され,ここは将来的に興味深いところだ.
次はこぶが減数分裂の極体より卵に入り込むというフィーメイルドライブ,そしてB染色体,メカニズムのおもしろさが記憶に残る.さらにゲノミックエクスクルージョンはインブリーディングと関連して理論的に興味深い.紹介されるHaigの仮説にはただ目を開くばかりだ.最後は利己的な細胞系列としてガンの問題,キメラ・内胚乳などの細胞系列間のコンフリクトが紹介される.


通して本書は非常に記述が細かく網羅的だ.わかっていることは細大漏らさず伝えようという姿勢が強く伝わってくるし,そしてわかっていないことがいかに多いかにも気づかされる.またいくつかの生物のきわめて興味深い生態も紹介されるし,興味深い仮説や推測も示される.レミングの性決定システムのおもしろさ.サンショウウオのゲノムと知能未発達との関係,キノコバエの染色体システム,ヨーロッパトノサマガエルとHybridogenesis,マーモセットのキメラ性.イヌの伝染性のガンなど興味深い話は非常に印象的だった.とにかく情報量が莫大で,深い考察にあふれており,濃密な書物だ.行動生態でコンフリクトに絡む理論に興味がある人にとっては最高の本だと思う.