HBES 2008 KYOTO 参加日誌 その1

進化心理学の総本山,国際大会であるHuman Behavior & Evolution Societyの第20回大会が,この6月,始めて米国西欧を離れ日本でひらかれた.これを逃すといつ参加できるかもわからず.何とかやりくりをつけて参加してきた.John Tooby, Leda Cosmides, Margo Wilson, Martin Dalyなど大御所達の発表や議論を間近で堪能できて大変満足であった.


第1日 6月5日


前日夕刻に会場入りして登録をすませておいた.宿を取った四条烏丸からはバス便が結構便利で9時前には吉田キャンパスの時計台に到着.すでに海外からの参加者が集まって会場が開くのを何となく待っている.良い雰囲気だ.9時前には扉が開かれてHBESのスタートである.
9時15分にはカンファレンスオーガナイザーである長谷川眞理子先生からの挨拶の予定だったが,何でも政府関係の急用が入ったとのことで長谷川寿一先生から肩の力が抜けた楽しい開催の挨拶がある.(これから先の発表者等の敬称は省略させていただく)





最初のプレナリーミーティングは開催地京都大学の霊長類研究の伝統を意識してか,松沢哲郎による「チンパンジーの心」と題する発表.これは結構肩に力が入っていて好対照だった.
第二次世界大戦後の今西教授による研究のスタートから掘り起こして,有名なチンパンジー:アイ(母)とアユム(息子)についての認知能力が主題だった.まず犬山のチンパンジー飼育施設のあらましを紹介し,ここで実験だけでなく観察を行い,アフリカのサイトでも観察だけでなく実験を行って総合的に研究していることを強調.そして本題である,アユムの驚くべき認知能力をビデオで紹介して見せた.彼は数字の1から9までとその順序,漢字の赤緑桃などを理解しているだけでなく,0.4秒だけ見せられた9個の数字の順序を数字が消えたあと簡単に小さい順にたどれるのだ.(そしてこれはアユムだけでなく,同時期に生まれたチンパンジー3頭の共通能力でもある)
松沢はこれをヒトには誰もできないことだと説明し(大学生が全然できないことを示したビデオが示された),共通祖先からヒトに進化してしていく途中で言語能力とのトレードオフで失われたのではないかと推測している.言語に関連しては,色から漢字という認知と漢字から色の認知がチンパンジーにとって難易度が異なっていることも示した.またアイコンタクトがヒトにおいて重要であることと,赤ちゃんが仰向けに安定して寝られることの関連にも言及があった.
質問セクションでは,ヒトも幼児では訓練すればできるのではないかという質問がとんだが,松沢は「No one can do it. I bet a penny.」と笑わせながら,これは実はヒト以外の動物がヒトより(部分的に)優れた認知能力があることを示した最初の例であり,まだ受け入れられないのだが事実だと強調した.(チンパンジーが1日30分訓練したのは数字の順序を憶えるためであって,0.4秒で9つの視覚情報を短期メモリーに入れ込む能力ではないということだろう)
私的には言語能力とのトレードオフだとなぜ考えるかが気になったのだが,そこへの説明はなかった.


なおここにそのタスクのビデオクリップがある.0.2秒だけ見せられたランダムな5つの数字を順番にたどる様子が収められている.驚きの能力だ.
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/shikou/chimphome/video/video_library/project/project.html





モーニングセッションは10時50分から12時30分.感情,血縁,道徳,声の魅力と面白いセッションばかりだったが,感情セッションに参加することにした.


最初はデブラ・リーバーマン Debra Lieberman による「嫌悪の異なる領域」に関するもの.
これまで嫌悪に関しての進化心理学的な説明は,主に病原体に関する回避に関するものであった.(汚物,死体など)しかし嫌悪の元になる現象としては,配偶者選択に関するもの,さらに社会生活・道徳に関するものがあるはずだという考えをタイプ別の嫌悪に関する性差から調べようというもの.予測としては病原体に関するものでは女性の方が嫌悪感が高いが,配偶者選択に関するものはそうではないだろうということで,実際のデータは肥満とホモセクシュアルに関して提示された.肥満に対する嫌悪は明らかに女性>男性で,ホモに関しては女性<男性となっていてそれぞれ別の心理メカニズムが底にあることを示唆していた.
なかなか興味深い.もっとも解釈にはいろいろな議論がありそうだ.



次はジェームズ・チズホルム James Chisholm の「シルバーフォックスの家畜化実験の示唆するもの」
有名なベリャーエフの実験結果を紹介して,それが心の理論に対して示唆するものを考えてみようというもの.ベリャーエフの実験についてはいろいろなところで読むことがあるが,実際の写真を見たのはこれが初めてでなかなか興味深い.確かに毛色も茶色っぽくなって垂れ耳で犬のようだ.
発表者の主張は,攻撃性を抑える人為淘汰をかけたところ,副産物として社会的な行動が現れ,そして社会科の時期が遅くなってネオテニー的な形態が現れたというもの.そしてヒトの進化においても,どこかで子孫の量より子孫の質に転換し,発達に時間をかけるようになってネオテニー的になったのではというもの.
しかし攻撃性を抑える淘汰が単純にネオテニー的な性質を選んだと考えれば良いだけなのではないだろうか.ただ要するネオテニーのような多面発言的な現象は,そのどの性質について淘汰がかかったかという問題が常にあるわけで,ヒトについて何が適応としてのキーだったのかという観点からは面白い問題提起かもしれない.


3番目はHisamichi Saito による「他人の感情を理解するための表情模倣」
相手の笑い顔につられたりする現象の研究.コンピューターモニター上でどのような表情を表示した場合により模倣が起こるか調べようとしたところ,全然模倣が生じなかった.その後モニター上に現れる人に関しての社会的な経験を追加したところ悲しみ,驚きなどで10%程度の模倣が生じたというもの.少なくともその人の心を感じようとする心がなければ模倣は生じないのではないかと考察されていた.


4番目はAchim Schuetzwohlによる「進化した感情メカニズムのコンポーネントの中での連合」
これは大傑作,被験者を別の名目で研究室に呼び出し,帰り道の渡り廊下の部分に緑の部屋を作り,廊下だと思いこんで入って来た被験者の顔をビデオで捉えるもの.当然ながらカンファレンスルームは笑い声にあふれることになった.
発表者は「驚き」という感情について深く掘り下げたいということからまずこのようなデータをとっているということらしい.被験者によっていろいろな表情コンポーネントが現れたり現れなかったりし,自己申告(実験後「あなたはそのとき口を開けていましたか」などとアンケートを採る)と実際の表情との差などが示されていた.目を開いたり,口を開けるなどの典型的とされる表情も実際には頻度は半分ぐらいだったりと多様度が大きいことが示されていた.
会場からは被験者は驚いたというより不思議に思っていた(puzzled)のではないかなどの質問が出ていた.確かに被験者間でそのときの感情が同じだったかどうかには疑問があるだろう.いずれにせよ楽しそうな実験だ.


午後のプレナリーミーティングはキャレル・ヴァン・シェイク Carel van Schaik による「類人猿たちのなかの孤独」(Alone among Apes)
ヒトが大型類人猿の中でどこが,なぜユニークなのかを巡る話題だ.ヒトは生態,認知,文化,生活史,社会などで他の大型類人猿と非常に異なる.脳の大きさの違いも説明が難しい.そのような違いを生み出したもっとも大きな要因は子供の世話のあり方ではないかという趣旨の講演.
まず脳の大きさについて.脳の増大のコストとして,ヒトはエナジーがかかり成長が遅く,繁殖率も低いという対価を払っている.これは生存率で埋め合わされていなければならない.これは増大した脳により若年個体の世話を行って死亡率を下げることによって達成されているはずで,シェイクは特に血縁個体以外が世話をする協同ブリーディングに注目する.
そしてヒト以外に協同ブリーディングをするサルとしてマーモセットを取り上げて,他の類人猿と比較する.彼等には,平和的傾向,食料・情報の分配,警戒行為の交替,モビングなどの共同行動等が見られる.そして心理的な傾向として「自発的な社会性」が見られるのが大きな特徴だという.
そしてこれがヒトとマーモセットが共通に持っていて他の大型類人猿が持っていない特徴だということを,ドネーションゲームなどの実験データを使って示している.さらにこのような特著はミーアキャット,犬などの他の協同ブリーディング種にも見られるとしている.
脳の増大についてのエナジーコストについてはよく聞くが,生活史の中のコストについて生存率の向上でカバーしなければならないという視点は新鮮で面白かった.協同ブリーディング種の系統比較というアイデアも面白い.血縁を越えたプロソシアリティの進化についてはなかなか面白いテーマになるのではないかと感じられた.


Cooperation in Primates and Humans: Mechanisms and Evolution

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  • 発売日: 2005/11/29
  • メディア: ハードカバー
Among Orangutans: Red Apes and the Rise of Human Culture

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アフタヌーンセッションは午後3時から
協力行動,認知,生理と神経,配偶とあり,これも迷ったが協力行動のセッションに参加


最初はフランク・マーロー Frank Marloweによる「ルソーからホッブスへ:大きな社会でのより利他的な罰」
ヒトは互恵と名声ベースを通じた強い利他性を持つ社会を作っている.これを保つには第3者による利他的な可罰行為が重要だ.ここでより大規模は社会のほうがより第3者による罰可罰行為が大きいという仮説を考えてみようというもの.
P1とP2の間で分配ゲームを行い,P3が自分の持ち分の1/5を使って罰を与えることができるゲームを行う.そしていろいろな社会のメンバーにやらせてみて,人口の大きさとP3の可罰行為の頻度には相関が見いだされたというもの.
とりあえずHBE的なデータが示されていて,小さな社会では2者間の罰で十分なのだろうと解説されていたが,個人から見ると(心理的には)どうなるのかというのはここでは説明されなかった.ただハツダ族のデータは「合理的」心性を示していて興味深かった.


2番目はJoerg Wettlaufer による「プロソシアルな感情,コンフリクト,協力」
恥という感情に注目した発表.これはグループ規範に反することを恐れる感情で,内部的な行動規範として働いていると思われる.ユニバーサルな感情だが文化差も大きいことが知られている.本発表は13世紀から17世紀にかけての「恥」の感情を利用した刑罰から何らかの洞察を得ようとするもの.
ヨーロッパではpilloryと呼ばれるさらし台にさらす刑罰があり,不貞,盗み,詐欺,名誉毀損などに使用されていた.東洋では中国に木枷と呼ばれるものがあり,日本でも江戸時代に心中未遂した男女はさらしものになった.
発表者はここから,階層的に強い社会で集団規範に反する罰として使われているのではないかと進めていた.罰の効果があるのは確かだが,犯罪との関連性はあまり納得感がなかった.どのような罪人にとって再犯可能性が減るかという観点から罰が選ばれているという代替仮説の方がありそうだがそのあたりの説明はなかった.


3番目はPontus Strimling による「実験室内の社会契約の進化」
協力について,ビンモアはゲーム理論と文化進化的な説明を行い,オストロムは社会契約を通じて協力が生じると説明した.
本発表は協力を行うゲーム(まず協力額を決め,少なかった人に罰を与え,コストを払って罰を与えた人に報酬を出す)を行う際に,そのルールや罰をグループで決めるのか個人で決めるのかを投票させる.参加者にとってアクセプタブルなのは決定をグループで行うことで,繰り返すとナッシュ均衡ルールに近づくという結果が出ると主張された.
実験の微妙なセッティングがよくわからず,最初はある意味当たり前で,2番目はどのようなメカニズムでそうなるのかがよくわからないという印象.会場からのコメントでも,うまくヒーローを作るようにすると逆の結果が出るはずだというものがあり,会場内では賛意を得ていた.コメンテイターの方が理解が深そうだった.


4番目はMasanori Takezawa による「大きなグループにおける互恵性の進化」
n人PDゲームは協力解を生み出さないということがボイドとリチャーソンによって主張され受け入れられていた.しかし実際に集団において協力は観察されている.
この論文をよく読むと,「1人でも裏切れば裏切る」というのをTFT的な協力解と定義している.この場合確かに常に裏切り戦略の侵入を阻止できない.また協力か裏切りかはそのどちらかしか選べず,連続的な選択肢がない.
ここで連続的な協力裏切りの混合戦略をできるようにルールを改め,協力戦略を参加者の平均協力割合に応じて協力すると定義してシミュレーションしてみたもの.
ここにさらにハミルトンの包括適応度の概念を入れて,集団内に構造を作って血縁度rを入れ込む.
すると2値の時に比べて非常に広い領域で協力が動的に長時間成り立ちうる結果が得られたというもの,またこの条件下では常に裏切り戦略自体は安定的な解として残る.協力が長期間成り立つには協力が効率的(メリットが大きい)なことが重要である等の知見も得られた.
会場からは結局これでは協力はいずれ失われるという結果ではないかと質問があり,発表者はその通りだが,少し初期条件を変えただけでこれだけ動的な振る舞いが大域的に異なるということが重要な知見で,今後さらに詰めていきたいと答えていた.なかなか興味深い発表だった.


5番目はPat Barclay による「安定依存の協力」
一般にグループの存在が安定しているなら,内部競争に励み,外部からの脅威にさらされているならグループ内では協力して外敵に備えた方がよいと考えられる.これを示すべく実験してみたもの.
公共財ゲームを外部的な脅威があるもとで行う.そして協力によりその外部脅威を減少させることができる.プレーヤーは持ち点によって優位者と劣位者に区分する.
その結果は確かに脅威レベルがあがると協力が増える,劣位者はより脅威が高いときに協力し,脅威レベルの表示をコストを払って操作できるようにすると優位者はより脅威が高い方に操作しようとすることが観察された.
実験としては凝ったセッティングで興味深いが,ある意味結果は当たり前という印象だった.



20分ほどブレークがあって5時から夕方のセッションに.セッションは血縁,生活史,攻撃とコンフリクト,配偶だったが,血縁セッションに参加することとした.


最初はTih-Fen Ting による「革命中国における繁殖選好」
発表者は台湾ベースの方のようだった.
発表のポイントは第二次大戦後の中国は1949年の社会主義移行,1958-61年の大飢饉,1962-65回復,1966-75文化大革命,1977-79ポスト毛沢東の混乱,1980-一人っ子政策と大きく人の繁殖成功に関わる事件が相次いでいて何が生じているかの観察が非常に興味深いというところ.
中国政府と国際統計協会のデータにより,20-49歳の年代別,上海,河北,四川の3地域別に繁殖にかかる数値(初妊年齢,性比など)との相関をとってみたもの.
結果はほとんど有意の相関は得られなかったが,地区別に初妊年齢の差のみ観察された.この解釈についてはこれから.ポイントとしてはトリヴァース=ウィラード仮説から予想されるような性比のゆがみは検出されなかったということだと主張された.目を見張るような結果が出るのではという期待があったが,現実はそうドラマティックではないようだ.


2番目はBrenda Todd による「子供を抱く左右性についての個人差」
ヒトについては通文化的に子供を抱く場合に左胸に赤ちゃんの頭が来るように抱く強い傾向が観察される.これについていろいろ考察された発表だった.発表者の強いこだわりはわかったが,結局よくわからないという内容だった.面白かったのは普通の人は右利きだからとか左利きだからと理由をつけるが,利き手とは無相関であること.母の心臓の鼓動を聞かせるためだという説明も実際の頭の位置からは考えにくいというところだった.


3番目はLaura Fortunato による「包括適応度最大化としての一夫一妻制」
面白そうな標題だったが,結局要するに父性の確率が上昇するということを妻が保証できるなら夫の立場から見て一夫一妻制はより安定するだろうということと,土地ベースの経済では子供による資源の分配がマイナスに響くので遊牧のような経済に比べて一夫一妻制は安定しやすいだろうという主張.地域的な分布から後者には一定の可能性があることが示されていた.
もっとも分析はHBE的で,どうしてこれが規範になるのか,そもそも妻がそういう取引をする個人的な誘因が生じるのかなどについては十分な考察がなされていなかった.アプリオリに女性は父性の取引により一夫一妻制にした方が有利になると仮定した話しぶりだったが,だましの可能性,ライバルの女性とのコンフリクトをふくめてそういう風に単純かどうかは疑問の残るところだと思われる.


4番目はJooghwan Jeon による「年齢構造のある場合における家族内コンフリクト」
通常のトリヴァースの兄弟間のコンフリクトの解説では,子供は等価値だという前提で説明されているが,年齢によっては等価値でないはずだという問題意識からの発表.生存可能性,リソース一単位あたりの限界利益をそれぞれ年齢別にある形を仮定して分析した結果,年齢差が大きいと上の子をよりひいきするはずだと結論していた.
兄弟の価値が年齢により異なるのは当たり前で,実際にどういう選好が見られるかは関数型がどうなっているかに大きく依存していることも当然だと思われる.そこをきちんと詰めなければ発表としてはあまり面白くないだろうと感じられた.


5番目はSteve Stuart-Williams による「進化した血縁びいき者としてのヒト」
兄弟,いとこ,単なる知り合い,友人を分けて,彼等のためにどのようなコストを払うかをアンケート調査する.
コストが低い場合には友人=兄弟>いとこ>知り合いという関係だが,コストが高くなると友人に対する提供意思は減り,兄弟に対する提供意思が増えて大きなコントラストを描く.感情的な近接感に対するアンケート調査はおおむねコストが低い場合の提供意思と相関している.
また兄弟,友人に配偶者も加えて分析しても,やはりコストが大きくなったときには兄弟に対してのみ提供意思が増える.
「血は水より濃い」という言い伝えと整合的な常識的な結果という感想だが,やはり見事にデータとして出されているのが美しい.また近接感のアンケートにベン図を使ったり小技の光る発表だった.


ここまでで第一日目は終了だ.(以下この項続く)