「ヒトの心はどこから生まれるのか」


ヒトの心はどこから生まれるのか―生物学からみる心の進化 (ウェッジ選書)

ヒトの心はどこから生まれるのか―生物学からみる心の進化 (ウェッジ選書)



ウェッジ選書の1冊.長谷川眞理子先生の登場は,この選書シリーズの中で3冊目.書き下ろしの場合と編集の場合がある.本書は後者.ご自身でも1章執筆されていて,後半の座談会にも出られている.
結論から言うと,本書はそれぞれの章にも読み応えがあるものがあるし,後半の座談会もところどころ面白いのだが,はっきり言えばちょっと企画倒れだ.特に前半の各章は「ヒトの心はどこから生まれるのか」というテーマに関連はしているが,それが有機的に結びついていない.中身には良いものもあるだけに,ちょっと惜しい感じだ.


第1章は長谷川眞理子による「心の探究」
導入と割り切っていて,一般にある誤解の払拭がテーマになっている.いわば「ヒトの心を巡る二元論を斬る!」というような内容だ.取り上げられている二元論は,デカルト心身二元論,遺伝と環境の二元論,本能と理性・学習の二元論,人間の心と動物の心の二元論,意識と無意識の二元論などだ.
心身二元論,遺伝と環境の二元論の誤謬,無意識下でなされている膨大な計算はもはやおなじみだが,本能についての解説は実はあまり見かけないものではないだろうか.ここでは本能というのは生物学ではもはや「死語」だと切って捨て,それは何故か,知覚から行動までの複雑なプロセスがそのような曖昧な概念では示せないからだということを説明している.一般においては「本能」とは「意識的に考えなくても行ってしまう行動」「学習なしでも何故か行えること」あたりを指して言われていることが多いのだろうという気がする.ある知覚から行動に至るプロセスを解明するには,意識的な思考と,何をしたいのかという情動がともに重要であり,また環境と遺伝的な要素がともに重要であることが強調されている.
最後に社会生物学論争も,その根本においては二項対立的二分法の考え方から由来する「人間を特別視したがる考え方」から生まれたいわば誤解された批判から始まった論争ではなかったかと結んでいる.名指しはしていないが,これはグールドがそのような人間特別主義をさんざんエッセーで批判しておきながら,議論のもっとも深いところでそのようなわなに捕まえられているという指摘にも読めておもしろい.


第2章は粕谷英一による社会性昆虫を題材にした血縁選択の基礎講座になっている.膜翅目の真社会性が進化理論に投げかけた疑問から,血縁選択と半倍数体,その検証と多雌創設,性比,ポリシングと解説されている.さすがというばかりの流れるような説明だ.
ただ,紙数の制限によりこれ以上詰め込むのは難しかったのだろうが,結局真社会性の起源と半倍数体の関係はどう考えるべきかというところが総括されてなく,読者としては,是非著者の見解が知りたいところで,ちょっと残念だ.


第3章は安藤寿康による行動遺伝学の基礎講座.メンデル遺伝,ポリジーンと相加的遺伝効果,遺伝率あたりの誤解されやすそうなところを丁寧に説明し,そのあとに行動遺伝学から得られた「より年齢が上がると遺伝率が上がっていく」,「家庭環境はあまり大きな影響を与えない」などの知見を簡単に紹介している.また行動遺伝学がイデオロギー批判にさらされてきたことについては,シリル・バートのIQデータ捏造事件を紹介している.これでバートはすっかり捏造学者とされてしまった.しかし後の検証によると,確かにあとから加わったデータについて再計算をしていないことが認められたが,結論自体には妥当であったそうだ.おそらくすでに第一線から引退しており,コンピューターの無かった当時,再計算が困難であったことはある程度理解できるのではないか,そしてその貴重なデータは批判派の学者により処分されてしまったのだとと述べられている.ちょっと行動遺伝学者の(「悪者」にされることへの)悲しみが感じられるところだ.
最後に,行動遺伝学の知見は非常に大きく言うと「主な心の特徴の遺伝率は50%だ」ということだと大胆にまとめた上で,その半々という事実は含蓄があるのではないかと結んでいる.


第4章は,森裕司によるヒトの行動における無意識下に働く臭覚の影響の説明となっている.Tシャツ実験などが簡単に説明されている.


後半は座談会.長谷川眞理子岡ノ谷一夫に,哲学者として篠原幸広が参加している.
座談会であって詰めた話ではないが,ところどころ面白い論点をみせながら進んでいる.心をどう捉えるべきかと言うことについて,コウモリの心を説明するのは,コウモリの測定器の仕様書ということになるのかという議論がちょっと面白い.ある状況下で様々な測定値がどうなっているかをヒトと動物で比べて類似していることは示せても,厳密にはそれで何を示せたのかなかなか難しいなどと議論されている.それは結局科学としてはそこまでしか迫れないと言うことだろう.これは意識を説明することに向いているようにはヒトの心はできていないというピンカーの主張を思わせる.
心と「言葉」の関係については,岡ノ谷が心は言葉で構成されていると論じて,長谷川が,言葉はあとづけだと主張している.長谷川の主張はピンカーと同じ立場のようだ.


ミラーニューロンと心の理論に絡んで,心の状態の自己認識が先で,それを他人に当てはめてみているのか,それとも逆ではないか(他者行動を理解するためのシステムがまずできて,それを自分の心を理解するために利用している)ということが議論されている.ちょっと面白い論点だ.また模倣には三項関係の理解が重要だと長谷川は主張している.「私の身体」まねしようとして動かそうとしている「内的な私」まねしようとして意識した結果動かしている身体である「物体の私」の三項の理解が重要だというのだ.これも面白い論点のように思う.


心の構成要素として,振り返って「自分史を構成できるか」という記憶が重要だという議論も面白い.私が私であるというアイデンティティには欠かせないものだが,「心」自体にもそうなのだろうか.


最後に何故簡単に嘘がつける言語というシステムが崩壊しなかったのかという議論がなされている.長谷川は,言語は言語だけであるのではなく,しゃべった内容以外のありとあらゆる手がかりですぐにばれるからだと指摘している.座談会としては,そこから最近のメール偏重の若者文化に対して(やや月並みな)懸念を表してお開きになっている.



こうやってみると1冊の本というよりは,企画が練り足りなかった雑誌の特集号という感じだ.あるいは陥りやすい誤解の説明,2つの基礎講座,そして肩の凝らない座談会という感じだから,逆に初学者には取っつきやすいのかもしれない.それぞれ別の記事だと割り切って楽しむ読み方が良いように思う.



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長谷川先生の手になる進化心理学の入門書としてはこのあたり.2007年の本は放送大学のテキスト.この10月からも講座が放映されている.最近BDレコーダーなどを入手したので,毎週録画して楽しんでいる.講義ではアップルのシネマディスプレーを使っていて,ちょっとおしゃれだ.

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粕谷英一先生ならこのあたりがお勧めだ.行動生態学入門はさすがに内容がちょっと古くなったが,大変ハイレベルな入門書で,私にとっても1つのバイブル的な書物でなつかしい.

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