「ダーウィン生誕200年 その歴史的・現代的意義」その1

 
日本学術会議主催公開講演会 

shorebird2009-12-06

「種の起源」出版150周年を少し過ぎて12月,日本学術会議主催のダーウィン生誕200周年記念の公開講演会が開かれたので参加してきた.場所は乃木坂下の日本学術会議講堂.青山墓地と青山公園と国立新美術館と衆議院青山議員宿舎に囲まれたなかなかの場所だが,413号線の高架のすぐ下なのがちょっと残念だ.
当日は午後から雨ということでちょっと薄暗い日だったが,中に入ってみるとなかなか良い雰囲気で, 報道関係者専用席もある立派な講堂だった.




今回の講演会は科学史から見たダーウィンというのが全体のテーマになっていて,私が本年いろいろ参加してきたダーウィン関連講演会がおもに生物学の視点からダーウィンを扱っていたのとはひと味異なっている.
またさすが日本学術会議ということで,東大図書館と桃山学院大学図書館のダーウィン関連の書籍が数多く展示されている.目玉は東大図書館蔵の「種の起源」初版本.これは最近クリスティーズで103,250ポンド(現在1ポンドは大体150円なので邦貨換算では1550万円相当ということになる)で落札されたことで話題になっているものだ.この値段は普通の書物蒐集家でない参加者が競りあげた「異常」価格らしいが,科学史に与えた影響からいって妖しい魅力があるのも確かだろう.さすがにこの初版本だけはアクリルケースに入れられて保管されていた.




桃山学院大学図書館の蔵書は手に取ってみていただいてかまいませんということだったのでありがたくいろいろ見させていただいた.初版ではなくとも「種の起源」の第4版と第6版の現物とか,美しい図版の多く載せられた「ビーグル号航海の動物学」の豪華本,ダーウィンの論文集などはなかなかえもいわれぬオーラを放っている.




さて講演会は1時から開始.第一部はダーウィンの歴史的な意義について


第1部 講演「ダーウィンの生涯と業績」


1)松永 俊男(桃山学院大学名誉教授): ダーウィン研究の展望


トップバッターは松永俊男.さすがにダーウィンについての科学史家の第一人者という風格満点で,ダーウィン産業とも言われるダーウィンについての研究がどのように変遷していったかの話だった.
ダーウィン本人についての研究はダーウィンの死後長らく息子のフランシスによってダーウィン家の名誉に注意を払った上で公開された資料が研究の中心だったが,1960年ぐらいから大量の資料が公開されるようになり,一気にダーウィン産業と呼ばれるほどの研究の盛り上がりが生じた.その起点となったのは孫娘バーロウによる削除改変なしの「自伝」の公刊,そしてド・ビアによるノートブックの翻刻,さらに書簡集の出版が続いた.ノートブックについてはその中身や系列などにも詳しい説明があり興味深かった.
種の大著の草稿の出版が1975年,ダーウィン研究の発表の場としての科学史研究のジャーナル「journal of the History of Biology」の創刊が1968年,「種の起源」の完全版,全6版の相違明細を記したVariorumの出版が1959年,フジツボ研究本の復刻が1966年,論文集が1977年,「ビーグル号航海の動物学」の復刻本が1980年だということだ.
この後十八番の「日本におけるダーウィンを巡る誤解」について話し始めたところで時間切れとなった.(この講演会では1人の発表時間が15分ということで,ちょっと短かったのが残念だった)


松永先生のお話を聞くのは初めてだったのでなかなか楽しかった.この後の第3部でも大活躍されていた.



松永先生の最新刊
私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090915


2)矢島 道子(東京医科歯科大学講師): ダーウィンと地質学


次は地質学者ダーウィンについてということで矢島道子の登場.2月のサイエンスカフェの時の話(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090213)とほぼ同じだったが,ダーウィンの生地シュルズベリーというのは地質学的に見ても面白いところで,氷河の残した迷子石のベルストーンが残されていて,ダーウィンが地質学に興味を持ったきっかけでもあったこと,自分は地質学者だと自負していたダーウィンが地質学調査をやめてしまったのは1842年のグレンロイの調査の結果が思わしくなかったことも理由の1つだろうということなどの小ネタが追加されていた.
最後に「種の起源」でただ1つの有名な分岐図について,「これは地層に埋まる化石のイメージを持つと非常によくわかる.ダーウィンは第4章の種分岐と,第10章の化石の両方でこの図を使っているが,もともとは第10章のために作った図を第4章にも転用したのではないか」というお話をされていた.




3)小川 眞里子(三重大学教授): ダーウィンの生物学


次は「甦るダーウィン」の著者小川眞理子.この本は随分前に読んだのであまりおぼえていないが,ダーウィンの「感情」についてなかなかコンパクトに紹介していたのと,ダーウィンの現代的な意義についてハミルトンの業績にまったく触れていないところが不満だったような記憶がある.
今回は非常に短い時間でダーウィンの生物学的な業績をまとめるという大役.進化生物学者たちを前にしてはなかなかつらい役回りだったのではないだろうか.小川先生の話も聞くのは初めてである.


さて「適応を説明しようとして自然淘汰学説を提出した」という導入はいいのだが,「ダーウィンの2大主張は「生物の共通起源」と「自然淘汰」である」というのにはちょっと違和感がある.前者は「生物の多様性」の説明とした方が良かったのではないか.事実ダーウィン自身「すべての生物が単一起源かどうかについては,そうであってもおかしくはないが,実際には単一起源だったかどうかはわからない」という立場だったのだから.


ダーウィンの格闘としては「混合遺伝」「地球の年齢」「自然発生」「生物の分布」「精神の進化」の5つをあげていた.これも雑多なものをまとめている感じで整理されていない印象だった.最初の3つはダーウィンが自説の困難さに対して悩んでいたというニュアンスで取り上げられているが私にはやや違和感がある.

  • 混合遺伝については後の討議のところでもでていたが,ダーウィンは膨大な観察で「遺伝形質が混ざり合わないことがある」ということについて確信していたのは明らかだ.そしてパンジェネシスという粒子的な遺伝理論を仮説として提示しているのだ.これが致命的に間違っていたのは「獲得形質も遺伝することがある」という誤った考えもモデルに取り込もうとしたところにあるのであって,混合遺伝に対して格闘していたわけではないと思う.
  • 地球の年齢については,ダーウィンは進化が生じるのに本当に(ケルビン卿の主張である)1億年未満では不可能ということになると考えていて困っていたのだろうか?10億年なら可能で100万年なら無理だということがダーウィンの理論からの不可避の結論だとは思えない.ここは推測だが,むしろ膨大な地質学的なデータとあわないことに困惑していたと考えるべきではないだろうか.
  • パストゥールによる生物の自然発生の否定がダーウィン学説を脅かしていたと考えられていたというのも本当だろうか?私には科学史的な知識はないのだが,私の感覚では生命の起源と生命の進化は別の問題であって,ダーウィン自身そこは区別していて,それほど困惑していなかったのではないかという気がする.もちろん書簡などでそういう悩みが現れているのならそういうことなのだろうが.

後の2つは,自説については困難だと感じていなかっただろうが,それを論証するために格闘しているものを取り上げていて,その意味では小川のいう通りだ.

  • ただ生物の分布については,むしろ進化学説を強く裏付ける証拠として考えていたのではないだろうか.もちろん,説明が難しいと思われるような例について様々な実験などで格闘していたのはその通りだ.学説の難点として格闘していたということであれば,分布というより何故いたるところで中間形が存在しないのかについて悩んでいたということだと思う.
  • 精神の進化についてはウォレスやライエルが賛同してくれないのを悩んでおり「感情」において様々に論証しようとしている.ここは小川の得意分野であり,面白い話だった.


甦るダーウィン―進化論という物語り

甦るダーウィン―進化論という物語り






第2部はダーウィンが社会に与えた影響について.


第2部 講演「ダーウィンの影響


1)富山 太佳夫(青山学院大学教授): ダーウィンの社会的影響


第2部ののトップバッターは富山太佳夫.富山は英文学者であり,ダーウィン自身がどう考えていたかというより当時の一般の人がダーウィンをどう受け取っていたかに興味があるということである.
文学者というより社会学者という感じの講演で,パワーポイントを使わずレジュメで押し通すなど,いかにもという風格.後の第3部の討議ではヒールの役回りを一手に引き受けていた.

ダーウィンの当時の社会思想的な影響として興味を持っているのは,1.宗教,2.社会ダーウィニズム(適者生存・・・優生学へのつながり),3.奴隷解放,の3点.今回はこのうち3に絞って話をするということで,様々なイラストが示されて,ゴリラと黒人奴隷のイメージが重なり,さらにアイルランドの労働者階層にも重なっていたという話が中心だった.
デズモンドとムーアの「Darwin's Sacred Cause」も紹介されていたが,その邦訳がでていることには言及なしで,既に読んでいる人にはあまり新味のない話ではなかったかと思う.


ダーウィンと奴隷制についての素晴らしい本.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090727



おサルの系譜学

おサルの系譜学

富山先生の近著.本講演に関連し,奴隷制にかかる当時の社会思想にかかる本のようだ.




2)横山 輝雄(南山大学教授): ダーウィンの思想的影響


2番手は横山輝雄.横山は科学史が専門で,ピーター・ボウラーの「チャールズ・ダーウィン 生涯・学説・その影響」の訳者としても知られる.今年の日本進化学会でも発表されていた.(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090911

コペルニクスと比べるというつかみから始まり,ダーウィンは最初から全面的に受容されたわけではなく,まず1940年の進化の総合説で生物学としては定着,その後1970年代以降において社会科学や宗教との関係でさまざまに影響を広げつつある,そして日本ではあまり論じられないという課題があるという内容で,夏の発表を一般向けにソフトにしたような感じだった.




3)溝口 元(立正大学教授): 日本におけるダーウィンの受容と影響

溝口元も科学史家.ダーウィンの日本における影響という主題.まず夏の進化学会の瀬戸口発表(http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20090911)でも聞いたモース神話について概説し,しかしその後に与えた影響という点ではモースの重要性は不動だという結論.
evolutionが「進化」という訳語で定着してしまったのは,明治時代には社会ダーウィニズムの本の方が出版も関心も多く,そこではまさに「進化=進歩」なので正しい訳として「進化」が定着したのだろう,また戦前において理科の教科書には登場しないが,国語の教科書にエジソンと並んで外国の偉人として紹介されているという指摘は面白かった.戦前において一旦生物学としても進化を受容したが,皇国史観との関係で生物学者が慎重になったという指摘もなされており,それは非常に興味深い.


戦後については今西錦司と木村資生が並んで取り上げられていたが,これはちょっといかがなものかという感じだった.また「ダーウィン・アワード」を優生学的思想に基づく醜悪な試みと解釈しているようだが,あれは単なるジョークではなかろうか?この後で様々な進化という言葉の使われ方を批評していたが,今西と木村を並置したり,ダーウィン・アワードを優生学と結びつけてマジな試みと解釈するのではその説得力も微妙といわざるを得ないというのが素直な感想だった.



ここで一旦休憩時間となる
第3部は科学史家以外のいくつかのコメントをもらってから総合討議という趣向


(この項続く)