「Why everyone (else) is a hypocrite」 第8章 その3 

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind

Why Everyone (Else) Is a Hypocrite: Evolution and the Modular Mind



第8章 自己コントロール(承前)


長期利益と短期利益の相克,あるいは双曲割引問題に関して,クツバンは単に長短2つの割引率が異なっているだけでなく,数多くの異なるモジュールはそれぞれ(それに適した)異なる割引率を持つのだと説明し,さらにこれまでの様々な解釈を批判的に取り上げる.


<マシュマロ我慢の重要性>


「自己コントロール」という概念は結局誰が誰を制御するのかを考えると「中の人」的なおかしさがある.しかし長期的な目的のために短期的に我慢することは「自制」と呼ばれこれまで長い研究の歴史がある.ここでクツバンは「自制」の研究史に入る.


60年代には,マシュマロテストのリサーチが数多く行われた.
これは子どもが1個のマシュマロを2個のするために何分我慢できるかを調べるもので,これには個人差があり,青年期の集中力,学力,親からの評価などと相関する.また介入は効果があること(環境に影響を受ける),味を強調すると我慢できなくなること,形を思い起こさせるのは我慢させる方向に影響すること,見えなくすると我慢できることなどもわかっている.
さらにこれは大人でもあること,空腹かどうかで差があること,難しいタスクをやらされると抑制能力が下がること,糖分を摂取しているかどうかで差があることもわかった.
つまりマシュマロ自制能力には個人差があって環境に依存し長期的な成功と相関するのだ.


カロリーインテイクが自制能力に関連することの説明には「中の人が疲れる」という素朴なモデルがよく登場する.しかし我慢するときとそうでないときにまったくカロリー消費が異なるとは思えないし,運動後に認知能力が下がらないという知見とも合わない.クツバンはカロリー状態が文脈の1つで,特定モジュールの活性化条件になっていると考えるべきだと指摘している.


また同じような素朴解釈の1つには,意思能力が有限で短期的に減っていくというモデルもある.クツバンは「これはそもそも脳がどう動いているかという知見に合わない.脳は情報処理器官であり,複雑な行動は計算結果によって変わるのだ.直接エネルギーが効くはずがない.」とコメントしている.


では進化的にはどのように考えるべきなのか.クツバンは我慢する不快さはコスト計算と考えるべきだと指摘する.この不快さは多くの脳内処理が何の感覚ももたらさないものと比較するとその特異さがよくわかるし,そもそも我慢がいいことならそれは気持ちがいいはずだということを考えてもそうだという.


つまり我慢は苦しいのだが,それは短期的な利益を放棄するコストを表現しているのだということになる.クツバンはこれは「努力測定メータ」なのだという言い方をしている.つまりメンタル努力が苦しく感じられる度合いは,様々なモジュールが感じている機会コストを足し合わせた量を示している.だからこの量は環境依存になる.そして機会コストが積み上がって膨大になるとどこかで衝動モジュールを制御できなくなるのだ.「意思」の力が尽きるのではなく,コストベネフィットの比率が変わると考えることになる.


我慢した後で少し報酬があると,我慢能力がリセットされるという知見は,意思の力モデルより努力メータモデルの方が説明力が高いとクツバンは指摘している.
「シロクマのことを考えるな」というタスクをした被験者とそうでない被験者では,その直後に行うまずい飲み物をどこまで飲めるかというテストで差がつく.ここまでは意思の力モデルにもフィットする.しかしシロクマタスクの直後にちょっとした報酬を受け取るとまずい飲み物テストの差はなくなるのだそうだ.
つまり我慢に対して報酬があれば,そこまでのコストは正当化されるというわけだ.