Inside Jokes 第9章 その1 

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)

Inside Jokes: Using Humor to Reverse-Engineer the Mind (The MIT Press)


第9章 高等なユーモア 


ハーレーたちは前章で,ユーモアの機能仮説に素直な一人称ユーモアを取り上げた.この章はその発展系のユーモアを扱う.まずはデネットお得意の志向姿勢の話だ.


A 志向姿勢


ハーレーたちはここで心の理論と志向姿勢のあらましを解説する.基本的には「他人が信念と欲望を持って道理的であると仮定することにより,他人の行動について強い予測力を持つことができる」ということだ.

  • 志向姿勢を持つには他人に心1つについて1つのメンタルスペースが必要になる.さらにそれは再帰的な構造を持つ.すると同じ事象について複数の心が異なる信念を持つことが起こりうる.このどれかが誤りだとするとそこにはユーモアの余地があることになる.だから誰かが誰かをだましているだけでおかしい.

これは説得的だ.確かに誰かがだまされている状況はそれだけでおかしく感じる.


ハーレーたちは,だから誰かがバナナの皮に滑るのはそれだけでおかしいのだと分析する.それが威厳のあるヒトだと威厳自体が失われて二重におかしくなる.チャップリンはさらにひねり,ここに観客の思い込みまで操作し,男がバナナの皮に足が乗る直前に飛び跳ね,その向こうにあるマンホールに落ちるというギャグを作った.


またハーレーたちは,Mr.ビーンなどに見られる「現実とは異なる信念を持っているのに何故かうまくやり過ごしてしまう」というシナリオがおかしい要因もここにあるのだと分析する.


さらに優越説はこの上に乗っているのだと分析する.つまり「自分も陥ったかもしれない誤りに他人が陥る.これに競争的な文脈にかかる進化心理が聞いて優越的な価値の感情が加わる」というわけだ.ハーレーたちは結果が重大だとよりおかしくなるのが一人称ユーモアとの重要な違いだとコメントしている.


参照ジョー

  • ブロンドのご婦人がさっきから1時間もジュースを見ている.ラベルには「concentrate」と書いてある.*1


B 1人称ユーモアと3人称ユーモアの違い


ここでハーレーたちがいう3人称ユーモアとは,「他人の信念をその人になったつもりでシミュレートする」ものだ.その信念形成の前提となる背景知識や歴史は共有していないので様々な誤りが起こり,これが多様なユーモアを生む.


参照ジョー

  • 農業大学の学生が,ニューヨークからカリブ海への格安クルーズのチケットの広告を見つけ申し込んだ.うまくチケットを入手できた学生が大喜びで船に乗り込んだところ,船が桟橋を離れるやいなや,身ぐるみはがれて囚人服を着せられ鎖につながれてオールを漕ぐように命令された.戸惑いながらもオールを漕いでいると,恐ろしい形相の監督官が現れ,怠け者をむち打ち始めた.あまりのことにその学生が「厳しすぎるんじゃないの」ととなりの男にぼやいたところ,その男はオールを漕ぎながら「いやー,前の時ほどじゃないよ」


このジョークはオチの内容(監督官が前回より厳しかったかどうか)がポイントではない.2回以上だまされている男がいるということがおかしいのだ.


中には形式的には3人称だが,1人称ユーモアと区別が微妙なものもある.ハーレーたちは次の例をあげている.
参照ジョー

  • 小さな女の子が母親に,「公園にいるおばあさんに1ドルをあげてもいい?」と聞いている.その優しさに打たれた母親は財布の口を開けながらこう聞いた.「はい1ドルね.でもあのおばあさんはもう働けないのかしら」「あら,もちろん働けるわ,キャンディを売ってるのよ」

また2つ以上の心が問題になる上級ジョークもある.


参照ジョー

  • 裁判官は法廷に着席するなりこう言った.「この場にいる双方の弁護士から賄賂が送られてきた.」両方の弁護士は事の成り行きに悶絶した.「被告側からは1万ドル.原告側からは1万5千ドルだ.というわけで原告側には5千ドル戻す.これで公平に裁けるというものだ.」


ハーレーたちの解説では,ここではまず聴衆と弁護士が裁判官からの厳しい追求がないことに驚かされ,そして弁護士たちは賄賂が無意味になったのに1万ドル失うという事実に愕然とする.そしてそこがおかしいというわけだ.


そしていたずらが何故おかしいのかもこの3人称ユーモアで説明できるとする.いたずらは誤った信念を人為的に作るところがおかしいのだ.ファニーホームビデオの投稿は結構悲惨な結果になっても笑えるのも,それが登場人物の期待が裏切られる3人称ユーモアだからということになる.(だから単に登場人物が不幸になるだけではそれほどおかしくない)


ここでハーレーは3人称ユーモアの究極因の議論を行っている.確かに1人称ユーモアは自分の計算の誤り探知という機能があった.他人の信念が間違っていることに気づくのにどんなメリットがあるのだろうか.ハーレーたちはこれは基本的には副産物なのだろうと議論している.ただし機能の候補があることにも触れていて面白い.このあたりは今後の課題ということだろう.

  • 重要情報の文化的伝達,物語と教訓(文化進化とボールドウィン効果も含む)
  • 相互に誤りチェック

*1:concentrateは,「濃縮」という意味だが.「集中せよ」ともとれる