「The Neighborhood Project」

The Neighborhood Project

The Neighborhood Project


本書は,新しいグループ淘汰,あるいはマルチレベル淘汰の主唱者として有名な進化生物学者D. S. Wilsonによる一般向けの書籍だ.前作「Evolution for Everyone」で自分の半生を振り返りつつ進化生物学を紹介してから5年.その5年間にウィルソンはさらに多くのプロジェクトを抱えて走り回っていて,そのエネルギッシュな様子が詰め込まれた熱意あふれる本となっている.本書にはいろいろなメッセージが載せられていているが,最も大きなメッセージは「進化生物学が一部の人々に受け入れられていない現実を変えるには,進化学が役立つことを示すのが一番いいのだ.そして地域に貢献するという形でそれはできる.それは意義深く大変楽しいプロジェクトだ」というものだ.


本書の舞台はウィルソンが住むニューヨーク州のビンガムトンという街になる.人口5万人の小さな街でウィルソンが所属するSUNY(State University of New York)Binghamton Universityがある.本書ではまず街の成り立ちが説明される.(本書のとても面白い工夫の1つはウィルソンが出会う様々な人々(最初は都市そのものというわけだが)について,その祖先はどこからきたのかまで含む数ページを費やしたバイオグラフィが語られるところだ.冗長といえば冗長だが,どんな人かがわかったような気分にさせてくれて楽しい)7000年前からネイティブインディアンが定住していたところだが,ヨーロッパ移民による植民が進み,独立後の18世紀に大がかりなインディアン討滅作戦が実施され,その後開発が進む.ニューヨーク州の水運の中心地だったことから製造業中心の産業発展に乗るが(IBMはここが発祥の地),空洞化により現在にいたっている.基本的には様々なヨーロッパ系の人々の多い北部のリベラルな街だ.


そしてウィルソンは,進化学を使ってこの街をより良い方向に動かすことはできないかを考え始める.その考え方の背景は,「進化は経路依存で,環境に敏感に反応して進む.だから都市も進化すると考え,うまく管理すれば望ましい方向に誘導できるはずだ」というものだ.(この部分ではアメンボと真社会性のハチを対比して説明している.アメンボは,オスメスのコンフリクトがセクハラとレイプが基本という形で解決されているし,ハチは真社会性を進化させている,ウィルソンは得意のマルチレベル淘汰的説明を交えて,様々な生態要因と進化経路の重要性を強調している)
ウィルソンはこれに実際に取り組むことにし,The Binghamton Neighborhood Project(略称BNP: http://bnp.binghamton.edu/)と名付ける.(本書の題名はここからきている)そしてこのプロジェクトは地域のコミュニティや市当局の協力を得て進んでいくことになる.
まずビンガムトンの現状を調べなければならない.手始めに公立学校の協力を得て生徒にDAP(コミュニティリサーチでよく使われるアンケート調査,「他人を助けるということは重要か」などの質問に答える)を行い,その結果をナイスネスの指数として数値化し,住所にマッピングする.その結果は明らかに山と谷のある地形を描いていた.これはDAPの回答の背後に何らかの実体があり,しかもそれが住所と関連していることを示している.これを補強すべく,次にハロウィーン定量化に取り組む.飾り付けを評価し,行き交う仮装した子どもの数をカウントする.マッピングの地形は最初の地図におおむね一致した.さらに様々なナイスネスの調査*1を行ったが,結果は全て関連する傾向を示した.このあたりは,進化学の応用ということではなく単なる社会科学のリサーチということだと思われるが,ウィルソンの記述は大変楽しそうだ.


ウィルソンはここで一息入れて文化進化を説明している.しかしその具体例として挙げるのはテイヤード・シャルダンのオメガポイントで,これは文化進化の主張だと見なせると主張している.このあたりは私にはかなり無理筋のように感じられるところだが,宗教に好意的なウィルソンならではの説明ということだろう.なおウィルソンは「テイヤード・シャルダンはオメガポイントが不可避だと考えていたようだが,それは間違いだ」とコメントしている,進化は予測不能であり,うまく管理しなければどんな方向に向かっても不思議はないというわけだ.


さて次は得られたナイスネスの指標の要因を考える手順になる.様々な統計的な手法を使ってウィルソンが得た知見はなかなか微妙な側面をよく示している.裕福さはナイスネスと相関するが,それは社会サポートを通じてのみ影響を与える.囚人ジレンマゲームにおける信頼は地域の質とは相関するが,裕福さとは逆相関(裕福だとここでかかっている金額が重要でなくなるのだろうと解釈している).互恵性は人口密度,土地利用形態,民族的多様性と関係する(人口密度が高い,民族的に多様だと社会構造が弱くなる,単純な住宅地には相互協力すべきこと自体が少ないと解釈している).ウィルソンは人々が環境に敏感に戦略を切り替えていることをよく示しているとまとめ,さらにここで人が環境に大きな影響を受けた逸話*2もいくつか紹介している.


さてBNPが立ち上がってきた頃にさらに新しいプロジェクトがウィルソンに持ち込まれる.それは進化学を利用した政策立案のシンクタンク(のちにEvolutionary Institute: EIとして実現する)を立ち上げたいという話だった.ウィルソンはその立案者の人柄に好意を持ち,またとない機会だと協力を約束する.ちょうどそのころプルーデンシャル保険のトップマネジメントの一人から(NCSEのボードメンバーとして)会いたいという話も持ち込まれる.ウィルソンはシンクタンクのファンド集めにも役立つと思って会うことにする.彼とはそこで意気投合するのだが,その直後,プルーデンシャルリーマンショックに見舞われる.そして彼は手紙でこう書いてきた.「金融規制のフレームワーク作りが問題になっている.進化学を使ってそれをよいものにできないか.手伝ってくれるか」.さらに予防科学者のシンポジウムからの招聘も受ける.予防科学者たちと会ってみると,彼等はスキナーの行動科学の直系の系譜にあり,実際に社会を変えようとしている人たちであり,まさにBNPと同じことをしようとしている同志だとわかる.
このあたりの物事の進展はなかなか劇的で面白い.それぞれの話が持ち込まれたきっかけはウィルソンの前著「Evolution for Everyone」であり,またBNPやEIを可能にしたのはやはりウィルソンの野心的なプロジェクトであるビンガムトン大学での進化学教育研究プログラムEvoSを通じて得られた人的ネットワークだということだ.


なお予防科学とは喫煙習慣からテロまでを心理的、社会的、行動的に予防しようという科学的取り組みで,人々は環境刺激に応じて行動を変えるという考え方に基づいている.ここではその成功事例も紹介されていて面白い*3.ウィルソンは,彼等は進化という言葉こそ使っていないが,まさに文化進化を扱う進化学の実践者だといっている.このあたりはかなり乱暴なくくり方だろう.私の感覚では「文化進化」という場合には単なる環境への反応だけでなく,変異と複製効率にかかる自然淘汰過程があってこそと思うのだが,ウィルソンは個人の心のなかの試行錯誤過程も1つの淘汰だとして,環境に対して行動戦略を変えていく現象全体について「進化」という用語を広く使っている.前提として進化的に形成されている模倣や学習の本能を考慮に入れたうえで,個人の試行錯誤過程を対象とするという取り組みを念頭においているようだ.


ウィルソンは予防科学を説明する中で,ヒトの行動を説明しようとした科学の歴史を概説している.ウィルソンのとらえ方によるとまず行動主義が心をブラックボックスとして扱って説明しようとし,認知科学はそのブラックボックスをコンピュータの力により解析しようとした.そして90年代に進化を使って説明しようとして進化心理学が興隆したということになる.そしてウィルソンは進化によりヒトの心を探ることには大賛成だが,コスミデスとトゥービイが特定の仮説だけを「進化心理学」と呼ぶことが気に入らないとコメントしている.個人の心にある試行錯誤過程や文化の変化も含めるべきだというのだ.ウィルソンのいっていることがわからないわけではないが,これは言いがかりというべきものだろう.コスミデスやトゥービイは,個人の心に試行錯誤過程があることや文化が環境に応じて変化することを否定している訳ではない.自らのリサーチプログラムを自らが興味を持つ一定の範囲にしているだけではないのだろうか.


このような予防科学者たちにも参加してもらってEIの最初のワークショップが進化的な視点を取り入れた子どもの教育政策について開かれる.ウィルソンはそこでの議論のあらましを結構詳しく紹介している.子どもが学びたいことだけ学べるようにしたオルタナティブ学校の成功事例,進化的過去になかった読み書き算数のような技術の習得にはドリルが必要だという議論,早期教育が進化的に形成された発達プログラムと干渉して逆効果になるリスクなどが発表され,懇親会ではドリルなしでも子どもが習得したがるような二次的な技術もある(サッカーなど)ことと,数学教育の要素を区切ったドリル的手法の有効性との関係を巡って盛り上がったそうだ.具体的な成果というわけではないが,触媒として様々な方向への発展が見えたということだろう.


ここでウィルソンは現在進行中のBNPの様々な取り組みについていくつか紹介している.進化環境を考えた地域の環境整備(緑を多くした方がよいなど)はわかりやすい方向だ.遺伝的個人差(SNPなど)と環境要因を合わせたリサーチ(ここでは大学のアダルトラーナーコースに参加している高齢者のグループにリサーチの意義を話して協力してもらう話が印象的だ.彼等は熱狂的に参加したがり,これまでの人生(および様々な意思決定)のヒアリングと遺伝子調査に協力してくれるそうだ)は大変興味深い取り組みだと思う.


またウィルソンは宗教の進化的な理解についても1章をさいて最近の進展とウィルソンの見解を語ってくれている.ここは様々な議論の見取り図になっていて面白い.まずウィルソン自身は「Darwin's Cathedral」において宗教的な行動をグループ淘汰による複雑な条件依存的な適応戦略として捉えていた.その後アトランやボイヤーなどの宗教という現象そのものへの考察がなされ,ヒトの適応的な心の副産物,あるいはパラサイトとしての宗教的ミームなどの考え方が出されている.
ウィルソンは,これらはリサーチが始まったばかりのエリアで各種の仮説が提出されている状況で健全な科学の発展の一段階だと見ている.そして宗教学で蓄積されているデータを使ってリサーチを進めていけばいい*4とコメントしている.
ここでウィルソンは「宗教的信念が広まるかどうかは,それが真理かどうかではなくそれが人々にどう行動させるかによって決まる」とも力説していて,ややミーム的なスタンスも見せている.そしてキリスト教の新興宗派(ミラーイズムやセブンスデー・アドベンチスト)の歴史を概説し,全ての宗教がメンバーの利益にかなうグループ淘汰産物ではなく,パラサイトミーム的なものもあると認めている.このあたりは,前著ではパラサイト説を認めず適応的な説明にこだわりたいといっていた部分であり,片方でパラサイトとしかいいようのない破滅的な信仰があるということ自体を認めざるを得なかったということでもあるだろうが,片方では柔軟なスタンスで好感が持てる.
続いてデネットドーキンスによる新無神論を4つの主張(1.超自然の神はいない.2.宗教はとてもとてもとても悪いものだ.3.宗教に浸るより真実に向き合うべきだ.4.無神論者は迫害されている.彼らにも権利が認められるべきだ.)にまとめ,ウィルソン自身無神論者であり,1と4には同意できるが,2,3には反対だとコメントしている.2については誤解があるだろう.デネットの基本的な主張は,「宗教が悪いものかどうかリサーチが必要だ」というものなのだから.また「倫理的規範について宗教に優越権を認めるべきではない」という最も重要な主張が抜け落ちているのもまとめ方としては問題があるだろう.
ウィルソンの新無神論への批判の背景には,せっかく宗教界の人とも協力して社会を良くするプロジェクトを進めようとしているところに進化に対する余計な敵意を持ち込みかねないことへの懸念と,現実から遊離した信念は何も宗教だけではない*5にもかかわらずことさらに宗教だけを批判することへの疑問などがあるのだろう.このあたりは,宗教に倫理的な優越が認められ無神論者が非道徳的と誤解されている欧米の現実に対するスタンスの差のように思われる.
結局,新無神論者たちとウィルソンの違いは,「宗教が人類社会にとって良いものかどうか」について新無神論は「おそらく良いものではないだろう」と予想し,ウィルソンは「おそらく良いものだろう」と予想しているということになるのだろう.そしてそれが3のスタンスに効いてくるということだと思う.


続いてプルーデンシャルのトップに示唆された進化学を経済学に応用するプロジェクトについても1章をさいている.ウィルソンは経済的合理人の仮定は,経済を物理学のように微分方程式を用いて説明しようとする(結局不可能な)試みに端を発するもので(さらにアイン・ランド的な自由の絶対的価値のイデオロギーにも影響されているとも述べている),ヒトの心はそうなっていないのだからその仮定は破棄されるべきものであり,実際のヒトの行動を考えてリン・オストロムのような実践的政治学的なアプローチを採用すべきだという考えのようだ.そのような試みの1つとして行動経済学があるが,彼等は合理的経済人仮定の誤りを指摘するだけで代替的なヒトの行動モデルを示せていないと手厳しい.そして代替モデルを示していくことに挑戦したいと抱負を述べている.
私にはウィルソンのこの前段のとらえ方自体も,逆に「市場主義は悪である」というイデオロギー的な色の濃いもののように思われる.経済的合理人の仮定は(ウィルソンが正しく指摘するように)数学的な取り扱いを容易にして近似解を求めるための単純化だ.であるなら,単に間違っていると言い張るだけではなく,どのような場合にどの程度分析結果が歪んでいるのかを示さなければならない.そして多くの経済学者は,確かに仮定は完全に正しくはないが,おおむね満足のできる近似解を与えている(ヒトは特に金額が大きいとおおむね経済的インセンティブに素直に従うため分析結果はおおむね正しいだろう)と考えているのではないだろうか.逆にウィルソンの後段の行動経済学への批判には同感だ.彼等は具体的な代替モデルを示すべきなのだ.そうして初めてどちらのモデルがより満足できる分析を与えてくれるかを比較することができるだろう.


本書では最後に今後の見通しを語っている.社会を良くするプロジェクトについては,グループとして良くなるための条件を,それがどのような行動「規範」を持っているか*6により分析できるのではないかと示唆し,BNPの最新の進捗状況*7を報告して本書を終えている.


本書はウィルソンの現在進行中のプロジェクトについての一般向けの本という性格が強いもので,進化生物学の議論が本筋ではない.(とはいえ.宗教や経済学に関する議論などの興味深い進化的なトピックも扱われていて,全ての主張に賛成できるわけではないが,詳細は様々に面白い.)また「進化」をあまりに広く捉えていて,進化学の応用といっても普通の社会学の実践と何が違うのかがよくわからない部分も多い(基本的には,変異と複製効率にかかる淘汰を考察するというよりも,「ヒトには進化により刻まれた本性があることを前提とし,そのうえで文化やヒトの行動は環境に敏感に反応し,経路依存的な性格があるだろうと心に刻みながら様々なリサーチを行っていく」というのがウィルソンの「進化」的フレームということになるのだろう).そして話も途中経過までで完結していないものがほとんどだ.
しかしこの本は読み出すととまらない.ウィルソン自身が熱中しているプロジェクトをそのあふれる情熱そのままに書き殴っているその迫力は読み手をぐいぐい引き込んでくれる.やりがいのあるプロジェクトに奔走しているそのリサーチ人生の充実ぶりをお裾分けしてもらったように気分にさせてくれる読んでいて面白い大変魅力的な本だ.



関連書籍



D. S. Wilsonの前著 私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20080316 

Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives

Evolution for Everyone: How Darwin's Theory Can Change the Way We Think About Our Lives


同邦訳書

みんなの進化論

みんなの進化論



宗教についてのウィルソンの本.基本的には宗教はヒトにとってもよいものでグループ淘汰の産物だという主張だ.

Darwin's Cathedral: Evolution, Religion, and the Nature of Society

Darwin's Cathedral: Evolution, Religion, and the Nature of Society

*1:就職のためのように見える手紙を街角において投函してくれるかどうかをみる,ガレージセールの点数化,地域を写真にとって第三者に評価させる,人々に独裁者、最後通牒、囚人ジレンマのゲームを行ってもらうなどが紹介されている.手紙投函作戦はホームランドセキュリティに気づかれて調査を受けたりするくだりがあって面白い.写真の評価がほかの調査と相関するという結果も興味深い.

*2:チェスの強さには知能だけでなく社会性が重要だという逸話は面白い.はったりという要素があるからだろう.実際にほかの条件が同じならストリートキッズの方が育ちのよい子どもより強いそうだ.

*3:連邦補助金のカット(未成年の覆面調査員の20%がタバコを購入できればカットになる)に直面したワイオミング州ウィスコンシン州からの依頼で未成年者へのタバコ販売を半年間で激減させるプログラムの話とかは面白い.店員が未成年に断るインセンティブをどう作るかがポイントらしい.断った店員への地元協賛企業からのクーポン贈与,地元紙への掲載,さらにはうまい断り方コンテストまでやったそうだ.

*4:具体的な例として各種宗教の天国と地獄の観念のデータから「宗教は死の不安からの開放という機能を持つ」という考え方が成立しないことを論じている.

*5:税は盗みであり,政府は悪だという極端なリバタリアンを例にあげている

*6:その具体的な候補として,実証的な議論を尊重すること,共有のものをリスペクトすることをあげている

*7:あなたの公園をデザインしようコンペという楽しいプロジェクトを説明している