The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
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ピンカーはここまで7章に渡り「暴力の減少の歴史」を描いてきた.そしてそれをヒトの本性の点からどう理解できるかをこれから議論していくとしている.ヒトの本性には暴力に向かっているものと平和に向かっているものの双方があるというのが本書の議論になる.まず本章では暴力に向かっている本性について考察することになる.
ピンカーはまず,これまでの歴史を見ると,過去の世界は暴力に満ちあふれていたが,そこから減少の大きな流れが生じていることがわかったとまとめ,これはヒトの本性が善だけであったり悪だけであったりするわけではないからだろうと指摘する.「ヒトの心には双方の動機システムがあり,それぞれ発現条件が異なっているのだ」というのがピンカーの議論だ.
本章の最初の議論はヒトの心の性善説をめぐるものだ.
I. 性善説の誤り
<ヒトの心の暗黒面>
ピンカーによると今でも「ヒトの本性は善であり,ごく一部のサイコパスだけが悪だ」と主張する性善説論者がいるそうだ.ピンカーはまずそれらに対する反証をあげている.ヒトの心には悪もあるのだ.
(1)子供期
- リチャード・トレンブリーの「恐るべき二歳」
- 人生で最も暴力的なのは2歳時の頃だ.誰もが蹴ったりたたいたりけんかをする.そしてだんだん暴力を用いなくなるのだ.
- だから問われるべきなのは「どうやって暴力を覚えるのか」ではなく「どうやって抑制を学習するのか」であるべきだ.
(2)殺人ファンタジー
- 大学生のアンケートでは,男子の70〜90%,女子の50〜80%が殺人ファンタジーの経験ありと答える.内容は警察の事件簿と同じ(恋人との喧嘩,脅しへの反応,侮辱への報復,家庭内コンフリクト)そして殺しの明確なイメージをもつ.
- 多くの殺人はこのようなファンタジーの繰り返しのごく一部が表面化したものだ.
(3)代替経験
- 暴力的な歴史物語,フィクション,映画,小説,ゲームは歴史的な血の見世物の代替物とも考えられる.そして多くの創造が行われ,多くの金が支払われて消費される.
- これらは,ヒトの心は暴力に関する情報を求めていると解釈できる.これらは進化的な過去では暴力がリアルだったことを考えればある意味当然だ.そしてこれはセックスのファンタジー(特に不貞のファンタジー)とよく似ている.頻度が低く,ペイオフが大きい事象についてはファンタジーによるシミュレーションが適応的なのだろう.
(4)脳の構造
- ヒトの脳は肥大化しているが,基礎的な構造は哺乳類共通.そして哺乳類の脳には激怒回路があることが知られている.(ネコの実験,ヒトでも手術時に同じことが観察されている.)
- そしてこれらは言語的な報告ができることから見て現在でもアクティブな回路なのだろうと思われる.
一番最初に子供期が来るのは(本来発達の初期に現れるからといって成人後も本性として残るかどうかは自明ではないから)普通の読者にとって一番説得的に感じられるからだろう.確かに誰しも幼稚園時代に不当な扱いを受けたり(あるいは行ったり)した覚えがあるだろう.
そしてもちろん性善主義者たちは反論する.
反論
- 戦争時に兵士は発砲をためらう:WWII 兵士の15〜20%が撃てなかったというデータ
- ストリートファイトではハリウッドのような殴り合いはなく,睨み合い,怒鳴り合いのあとは掴みあい,そして倒れて,少しパンチが出てもすぐ離れて,片方が捨て台詞を残して去るというパターンが普通.これはためらいを示しているのでは
ピンカーは最初の点についてはデータが怪しいと切って捨て,二点目については「反撃のリスクを考えるとむしろ慎重に攻撃するのは当然(ホッブス,ダーウィンの予想通りとも言える)だ.反撃されるリスクが少なく,攻撃できるチャンスがあれば攻撃するだろう.これはチンパンジーの襲撃,人の争いにおける待ち伏せ,奇襲好きと符合する.」と指摘している.
そして最後に「forward panic」(恐怖が長く,攻撃の一瞬のチャンスがあった時の,激情,大暴れ)という現象を説明し,これは訓練不要で反撃のリスクが小さい時の適応的な攻撃メカニズムだろうとコメントしている.
いずれにせよ証拠は圧倒的で,攻撃・暴力はヒトの本性のレパートリーの1つと考えざるを得ないのだ.では何故性善主義者たちは後を絶たないのだろう.本書の主題から言えばやや脇道的な話題だが,ピンカーはここについてかなり熱心に取り上げている.
<モラル化のギャップと純粋な悪という神話>
性善説の議論は昔からある.それはルソーに代表されるような「高貴な野蛮人」という考え方で,ピンカーはこれについて「The Blank Slate」(邦題:人間の本性を考える)でこうまとめている.
- これはロマン的軍事主義,攻撃性についての水力学的理論,闘争の賛美に対する反動だ.
- だからこれを否定するのは暴力肯定主義者とされ,社会的に非難を受け,攻撃された.
- そして一つの文化的タブーにもなった.
そこから10年,ピンカーはこの問題についてさらに深いルーツがあるのではないかと考えるようになったと書いている.このような「ヒトの本性は善だ」と考える傾向自体が1つの「ヒトの本性」ではないかというのだ.そしてピンカーは自己欺瞞の世界に入っていく.
まずバウマイスターの「Evil」を紹介する.人は過去の他人との諍いを振り返ると,加害者は「自分は悪くない.あれは不可避だった.もう謝って解決した」とレポートし,被害者は「それ以前にひどい行いの長い歴史があり,これはその最後の事例.加害は悪い意図に基づき,回復し難い傷を与えている」とレポートする.
これは社会心理学の実験においても再現される.そしてこれはヒトが自分を社会的に善に見せようと振る舞う「Self Serving Bias」の一つなのだ.ピンカーは本書においてこの「過去を自分の正当化方向に歪めて解釈する現象」を「モラル化ギャップ」と呼ぶとしている.
これはヒトが社会性動物として進化したことによる代償の1つであり,より良い社会関係を作るために自分に価値があることを宣伝することに起因する.そしてトリヴァースが喝破したように.宣伝側と宣伝を見破ろうとする側にアームレースが生じ,見破られまいとするために「自己欺瞞」が生じる.
ピンカーは自己欺瞞を実証したヴァルデソロとデステノの実験(認知負荷のあるタスクをやらせると自己欺瞞が減る)を紹介し,自己欺瞞があることを認めると様々な事象の風景が変わって見えると様々な具体例をあげている.本書はトリヴァースの「The Folly of Fools」と同時期に刊行されているのでそれぞれ独立に書かれたはずだが,この部分の記述がトリヴァースと同じようなことを言っているのはなかなか面白い.
「双方の正当化」
議論に両サイドがあるだけでなく,両方とも自分が正しいと心から信じていることがあるのだ.自分は罪なき被害者で,相手は悪意に満ちたサディストだと.そして双方とも歴史物語や歴史記録という根拠を持っているのだ.
<例>
十字軍
- 理想主義による行為,文化の交換に役立った
- イスラム世界への一方的侵略
- 奴隷制廃止のためには不可避の戦争だった
- 北部中央集権恐怖政治による権力奪取と南部の生活文化の否定
ソ連の東欧占領
- 悪の帝国による囲い込み
- 二度のドイツによる侵略をみた,共同防衛条約
「歴史の記憶」
単に政治的なプロパガンダだけではなく「歴史の記憶」(被害を受けたという記憶)はそれが傷の痛みとその癒しへの要求になると暴力に結びつきやすい.
<例>
「加害の忘却」
傷の記憶の対局にあるのは害の忘却
<例>
1992年に日本を訪れた時の歴史年表は 1912ー1926の大正デモクラシーの次は1970の万博だった
「自覚の困難さ」
両サイドともに歴史記録にその根拠を求める.そして選択的省略や過去の痛みの過大視によってそれは可能.そして自覚は自己欺瞞により難しい.
<例>
1941のルーズベルトの演説はバウマイスターの実験の被害者側の叙述にそっくりで,過去の記憶を美化している
- 自分に罪はない
- 攻撃の悪意と無感覚
- 害の過大視
- 報復の正当化
しかし実際には
- アメリカは戦略物資の敵対的経済制裁を行っていた
- 攻撃される可能性は予想されていた
- 軍事的な被害はそれ程大きくなかった
- 結局3000人の死者に対して,宣戦布告後10万人の米軍兵士が失われ,原爆投下を含む大量破壊がなされた
「加害者にも正当化の理屈があることに思い至るのは難しい」
善悪が明らかな場合であっても,加害当事者は自分が正しいと信じている可能性があることに注意すべきだ.これは悪役の視点に立つということだ.
<例>
ヒトラーに視点に立って正当化の理屈を点検するのは嫌な経験だが実際には彼はモラル的でもあった.連続殺人犯ですら自己を正当化しようとする
- 被害者はレイプを楽しんだ.
- 怖がる暇もなく殺した.
- 先に侮辱を受けた
ピンカーが見た年表とはどんなものだったのだろう?仮に自己欺瞞的に加害行為に目をつむっていても東京オリンピックぐらいは載せていそうなものだ.
とはいえ昨今の日本が抱える様々な外交問題にもこの「自己欺瞞」が双方の主張に影を落としていると考えるべきだろう.
ピンカーはさらにこれからの議論について注意すべきことを2点挙げている.
(1)加害者視点と被害者視点の違い
- 加害者視点は科学者のそれに似る:加害行為についてデタッチ,文脈,条件に興味,加害行為は説明できると考える.
- 被害者視点はモラリストのそれに似る:害を深く受け止める,悲しみと怒りを長く持つ,悪の存在を大いなる謎とする
(2)純粋の悪の神話
- 神話の内容は以下のようなものだ:「意図的で理由のない悪がある,それは心の底からの悪人によって罪なき善人に対してなされる」
- この神話:多くの宗教,ホラー映画,童話,ナショナリズム,B級ニュースによく見られる(悪役:ナチの高官,メキシコの麻薬王,企業CEO,銀河帝国・・・・)
- しかし通常の悪は普通の人によって(侮辱を受けた)などの条件に依存して生じるものだ.
- しかしこれらの悪役の動機は,破壊,混乱,そして罪なきものを苦しめるという非常に不自然なものになっている.結局これらは善の仇というだけの造形.そして多くはよそ者,ハリウッドでは外国訛りがあることが多い.
重要なことはこの神話は悪の理解の障害になっているということだ.
- 科学者は加害者視点に似た分析をするので,モラリストからは,悪の言い訳を言い,被害者を責めているように見られやすい.「理解することは許すこと」というメタファー,特に動機が「嫉妬,地位,報復」などのありふれたものである時はそう見られがちなのだ.
純粋の悪の神話というのは確かに多くのフィクションに見られる.これをおもしろおかしく揶揄した「「世界征服」は可能か?」という岡田斗司夫の本をぱらぱらっと読んだことがあるが,確かに敵役の悪が巨大になればなるほど,その首魁や部下の動機は不自然で理解できないものになっていく.私がファーストガンダムを最初に見たときの衝撃は,(モビルスーツのデザインや動きもあるが,)ジオン側の動機がある程度描かれているのが当時としては斬新だったというところにあったように思う.そして今考えると双方の自己欺瞞すら描かれているとも評価できるだろう.
関連書籍
ロバート・トリヴァースによる自己欺瞞の書.私の書評はhttp://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120526,http://d.hatena.ne.jp/shorebird/20120523
The Folly of Fools: The Logic of Deceit and Self-Deception in Human Life
- 作者: Robert Trivers
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- 作者: 岡田斗司夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
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