「The Better Angels of Our Nature」 第8章 内なる悪魔 その2  

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined

The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined


最初に性善説の誤りのその背景を整理したあと,ピンカーは暴力傾向にかかるヒトの本性を取り上げる.


II. 暴力の器官


<すべての悪は同じ脳機能によるのか>


前回あげた悪の神話の症状の1つに「すべての悪は動物的な衝動により引き起こされる」というものがあるそうだ.ピンカーはまずこれが間違っていることを議論する.そしてヒトの暴力を生む脳機能が多元的なものであることを示している.


ピンカーはまず動物の例を出して,暴力には様々なものがあることを論じている.ヒトがアリを扱うときに様々な扱い方をするとか,ネコが獲物を襲うときとネコ同士で争うときでは異なるとかの例をあげている.


次にそれはそれぞれ異なる脳の回路(モジュール)によって生じているとして,かなり細かく説明している.
まず感情システムから攻撃までの活動脳部位の紹介(眼窩前頭皮質扁桃視床下部→中脳水道周囲灰白質→モーターコントロール)を行い,これらは哺乳類である程度共通していると指摘する.そして捕食,怒り,攻撃,防御,同種個体間の攻撃はそれぞれ(使用部位には重なりを持ちつつ)異なる回路が使用されているのだ.


ここからヒトの脳について前頭前皮質が極端に発達した哺乳類であり,内臓的感覚,目的と探索,感情,その他の感覚・記憶が一旦眼窩前頭前皮質につながり,そこはその他のクールな計算を行う前頭前皮質につながっていると解説している.このあたりは最近の脳科学的知見を取り入れていて大変細かい.そしてこれらの知見は心理学的知見にもフィットする.


ピンカーはいくつかの例をあげている.


《衝動的な暴力》

  • 反社会的シンドロームの人々(犯罪者のかなりの部分をしめ,この中にサイコパスが含まれる)の脳を調べたると,眼窩前頭前皮質が縮小している傾向がある
  • 衝動的殺人犯と計画的殺人犯を比較すると,前者のみ縮小が認められる
  • 眼窩前頭前皮質に損傷のあるヒトは社会的なしくじりが理解できなくなる.


《熟考的な暴力》

  • 「加害した誰かを罰するか?」にかかる判断についてヒトは,加害行為だけでなく,その意図を問題にする.そして故意の加害と過失の加害の話を聞かせたときの脳活動の差は側頭頭頂部接合部に現れる
  • 暴走トロッコ問題で直接他人を手にかけることを拒否する場合,それは嫌悪に関する反応になり扁桃から眼窩前頭前皮質に関連する.功利的計算から是とする場合は,結果の計算に関する背外側前頭前皮質が関連する.さらに双方の調整は前部帯状皮質で行われている.


ピンカーはこのような知見の持つ意味をこうまとめている.

  • 皮質のある部分が,本質的に悪魔だったり天使だったりするわけではない.これらは認知ツールにすぎないのだ.暴力を肯定も否定もできる.
  • 暴力は単一の心理学的な起源を持つわけではなく,多数の起源を持つ.
  • 脳のハードだけではなく,ソフトを見なければならない.ソフトとは「暴力を振るう理由付」と言っても良い.これらは脳にマイクロ回路として実装されているのだろうが,私たちはそれを直接解読できない.


細かな脳部位の話を延々と続けたあと,結局そのような知見だけでは暴力は理解できないと結んでいるので,(慣れない解剖学用語が多用されている文章を延々と英語で読んだあとでは,)結局当然の話に戻っただけで何故ここまで振ったかと思ってしまうが,おそらく近時脳科学の成果を安易に何らかの結論に結びつけるような言説が巷に多くあふれていると言うことなのだろう.


ピンカーは,このソフトは直接解読できないので外側から鳥瞰していくとしている.次節以降,暴力について「捕食」「ドミナンス」「報復」「サディズム」「イデオロギー」に類型化して議論していくことになる.