
The Better Angels of Our Nature: Why Violence Has Declined
- 作者: Steven Pinker
- 出版社/メーカー: Viking
- 発売日: 2011/10/04
- メディア: ハードカバー
- 購入: 8人 クリック: 239回
- この商品を含むブログを見る
ヒトの脳のソフトウェアにある暴力傾向について,最初の類型は捕食的暴力だ.
III. 捕食
捕食の暴力とは,(日本語としてはこなれないが)要するに欲しいものを入手するための暴力だ.ピンカーはいくつかの特徴を挙げている.
- 加害者に破壊的な動機はない.基本的に功利的なもの
- 功利的なものなので抑制がみられにくい.
- 利用的,道具的,実務的暴力とも呼ばれる
- 人の目的の数だけ種類がある.
典型例として文字通りの捕食のため,楽しみのためのハンティングをあげている
- このような場合には何の悪意もない.ハンターは獲物に共感していることもある(例:クンサンの追跡)だから共感だけでは抑制できないこともある
人に向かう場合には以下のような例が典型的
- ローマの反乱鎮圧
- モンゴルの征服
- 植民者の原住民排斥
ピンカーはこれはどこにでもあるもので人の道徳にとっては重大でかつ複雑な問題だと指摘している.
- 何故暴力をふるうのかについては「そこに利益があるから」という理由が明白.
- だから「何がこれを抑制するのか」の考察が重要になる
- 例えば害虫に対してはこの手の暴力の抑制はない.要するにヒトに対しての抑制は感情的認知的なもの.
- サイコパスはこの抑制の無い状態だと考えられる.これはおそらく頻度依存戦略だろう
ではこのような感情的抑制はどのようなものか,上にみたようにすべての生物に対しオートマチックに生じるわけではない.ピンカーはさらに2つのひねりがあると指摘する.
《いくつかの感情に関連する》
- 抽象的思考は長続きしないので,感情カテゴリーのどこかに陥る
- 相手が逃げたり向かってきたりする.嫌悪(害獣扱い)や憎しみ(存在を止めたいという思い)や怒り(反撃に対しての報復感情:これにモラル化ギャップが働いて報復の連鎖になる)が生じる
《自信過剰傾向が捕食的暴力を悪化させる》
- ヒトには自信過剰傾向がある.おそらくそれは取引テクニックとしてのハッタリから生まれた.そして嘘と嘘検知がアームレースになり,よりうまくハッタリをするための自己欺瞞が生まれたのだろう.
- 捕食暴力は本来功利的で合理的なはず,だから正確に認知していれば勝てそうな時,そしてコストが低い時にしか攻撃は生じないはず.ここに自信過剰があると勝率を高く見積もってしまう.だから自信過剰者同士は衝突しやすい.特に最悪の持久戦になりがち.戦争の3/8は仕掛けた方の負け,勝ったものの多くはコスト倒れ(ピュロスの勝利)
自信過剰による失敗の例
ドミニク・ジョンソンの実験
- ゲームをやらせると自信過剰者の方が衝突し,ロスをした.相互破壊的な報復合戦に陥りやすい.
そしてそれは男性に多い.
歴史的な検証
- 戦争を決断した指導者:楽観的でそこにあるデータを無視している.
- WWI 双方ともクリスマスまでには勝てると考えていた.双方の若い男性は熱心に志願した.
- ベトナム 政権は情報機関の「受け入れ可能なコストでの勝利は難しい」という報告を無視した.
ピンカーは最後にジョンソンによる「自信過剰傾向は民主制の方が低いだろう」という予測を紹介し,コメントしている.
- それは正しかったが,それは政治プロセスのためではなく,情報のフローの問題だった.情報がよりクローズだとより自信過剰になる.
- イラク戦争も,戦後の処理について自信過剰だった.
確かに双方が真に功利的で合理的なら破滅的な戦争は極めてまれにしか起こらないだろう.(ピンカーは双方の勝率合計が1を越えると戦争になりやすいと書いているが,勝って得るものと負けて失うものが均等でなく,失うものの方が大きければ,両者の予想勝率の合計が1であっても戦争は起こらないはずだ.この計算においては開戦を決めるのは誰で,誰にとってのどのような効用かと言うことが実際には問題になるのだろうが,少なくとも民主主義体制では主権者にとって負けて失うものの方がはるかに大きくなるだろう.)
また仮に最初に認識相違があって開戦したとしても勝敗がある程度見えたところですぐに負けそうな方が降伏することになるだろう.まさに自己欺瞞ほど恐ろしいものは無いと言うことなのだろう.