高等研レクチャー「心の進化的起源」

12月8日に「心の進化的起源」と題された講演会が高等研レクチャーとして開かれた.場所は東京大学本郷キャンパスの一角*1にこの4月新しくできた伊藤国際学術研究センター内の伊藤謝恩ホール.このセンターはイトーヨーカードーの創業者でセブン&アイホールディングス名誉会長の伊藤雅俊氏及びご夫人の伸子氏の寄付により設立された施設で,伊藤氏の名前が冠されている.会場の伊藤謝恩ホールは489席,天井高6.4メートルのすばらしいもので,センターの地下2Fに設置されている.私は今回初めて入ったのだがなかなか感じのいいホールだ.


主催者の高等研とは正式には財団法人国際高等研究所といい,大阪,京都,奈良の3府県の境にある京阪奈丘陵のけいはんな学研都市の中核として創設された研究所だそうだ.



最初の講演者は当初ミラーニューロンの発見で著名なジャコモ・リゾラッティを呼ぶことになっていたが,直前にぎっくり腰になって来日できなくなり,急遽松沢哲郎が代役を務めた.





ヒトの心のユニークさの進化シナリオ  松沢哲郎


まずリサーチの歴史と方法論.


京大霊長類研究の歴史を今西錦司幸島のサルから振り返る.そしてなぜサルやチンパンジーを研究するのかということについては種間比較からヒトの心に迫るのだと説明.松沢の手法的無く風としては,これまでは飼育下では実験,フィールドでは観察という手法が一般的だったが,飼育下での観察,フィールドでの実験という手法も取り入れている.


そしてアイ・プロジェクトの歴史を概観.
特に問題意識としては比較方法にある.これまでもチンパンジーをヒトの家庭内で育ててヒトの子供と比較するというリサーチがあったので最初に取り組んでみたが,すぐ,あまりに不公平であることに気づいた.チンパンジーの赤ちゃんはアウェイで自分の母親から引き離されてしばしば鬱状態なのだそうだ.そこで飼育下のチンパンジーに自分の子をそのまま育ててもらいその中で観察・実験をしている.そしてそれをヒトの親子と比較する.
またボッソウのフィールドでは石を使ってナッツを割ることや木の葉のスポンジで水を吸うことなどを素材に実験ができるようにしている.


ここからチンパンジーの社会的認知の発達に関する仮説を紹介.チンパンジーは5段階の4段階までできるが,ヒトは5段階だというのが骨子.


(1)  生得的な相互作用
目と目のコンタクト,新生児スマイル,顔真似などはチンパンジーにもある.そして新生児スマイルが社会的スマイルに成長とともに交代していく様子もヒトとチンパンジーで共通だ.

違いはあるか.それは仰向けに寝かせたときに現れる.ヒトではそのまま寝ているが,チンパンジーは右手と左足,左手と右足を交互にあげる.これは母親にしがみつくための生得的な適応行動なのだろう.ヒトはしがみつかずに離れているので,フェイストゥフェイスのインタラクション,声の交換,ものの操作を行いやすくなっている.


(2)  一緒に行動する
チンパンジーもまず小さいときには母親と一緒に行動する.下の子ができたので祖母と一緒に行動する例も観察されている.またアイ・プロジェクトでは3頭の若いチンパンジーが仲良く一緒に行動することが観察されている.


(3)  模倣
ヒトでは普遍的に観察されるが,ヒト以外の動物では稀.
チンパンジーでは師匠と弟子のような関係はよく観察される.何か道具使用を学ぼうとする子は師匠のやり方を近くに寄ってじっとのぞき込み,自分の場所に帰ってやってみる.うまくいかないとまたそばによってのぞき込むと言うことを繰り返す.ただし師匠の方からの能動的な教示はない.フィールドではナッツの割り方,アイ・プロジェクトでは画面の操作などでみられる.

チンパンジーはごっこ遊びもできる.小動物の死体を赤ちゃんのように扱う,棒きれを赤ちゃんのように扱うなどの様子が観察されている.アユムは積み木があるかのように床を引きずったことが観察されている.


(4)  他個体の心を読む.
利他行為(困っている子供に手を伸ばす,道を渡るときの保護行為など),だましによる操作など様々なチンパンジーの行動が観察されている.


(5)  今ここにないものを想像する
これはチンパンジーにはできない.これこそがヒト特有の認知能力だろう.
チンパンジーに顔の輪郭を与えてもそれをなぞるだけで目を書き入れたりしない.またひどい病気になっても絶望しない.

このことに関連して,一部の認知タスクでは実はチンパンジーの方がヒトより能力が高い.(画面上で1から9までの数字を小さい順にさわっていくのだが,一瞬提示され,白いボックスになる.ヒトはだれもできないが,チンパンジーは3個体中3個体でできた.)これは想像力などの能力とトレードオフになっているのではないかと考えている.


すでに聞いたことがある話も多く混じっているが,キレイにまとまって楽しくわかりやすい講演だった.



3つ組のニッチ構築  入來篤史


道具を使うことによって身体認識の延長知覚が生じる.これをサルで実験的に確かめ,さらに身体知覚だけでなく視覚に関しても同様の延長知覚が生じることがわかった.
この延長に関わる脳領域は身体知覚,視覚,空間知覚の中間部分であり,ヒトでは特に大きくなっている部分.
まず認知を3段階に考え,それぞれ身体スキーム,アイコン,シンボルとすると,サルは訓練によってそれをのばせるということになる.そしてヒトは文化によってそこをのばしている.
これはニューロンによるニッチ構築だと理解することができる,そして生態的ニッチ構築,文化的ニッチ構築の3つ組でヒトの心を理解できるだろうというもの.


以前の講演で聴いたものと基本的に同じ内容.今回は最後に進化の理解が広がる様子を表す図というのをプレゼン.中心にダーウィン,外側第二層に現代的総合,第三層に新しい理解の層を描きその中にニッチ構築のほかエヴォデヴォ,エピジェネティックス,ゲノム進化,マルチレベル淘汰を入れ込んだ図を提示していた.



入來のリサーチ自体はヒトの様々な認知,特に言語に空間認知が大きく関わっているということを説明できておもしろいと思うのだが,なぜ「ニッチ構築」をあえて持ち出すのかがやはりよくわからない.単に普通の適応進化で何ら説明に困難を感じないのではないだろうか.
ましてや基本的に現代的総合の中身を深くしているにすぎなかったり,なお周辺的な事象の説明に関する議論や概念を,まるで革新的なもののように取り扱うのはいただけない.特に包括適応度理論と等価で適用範囲が狭いだけのマルチレベル淘汰を持ち出すあたりはかなり筋悪に吹いている印象を与えるだけで,私としてはややげんなりだ.



プロソシアル霊長類  フランス・ドゥ・ヴァール


本日の真打ち.初めて見るドゥ・ヴァール教授はなかなか大柄な人で蝶ネクタイで登場.


講演は霊長類やゾウなどに見られる向社会性を示す様々な現象を見せていくという内容.


まず「仲直り」
これは多くの霊長類で観察できる.手を伸ばしたり,アイコンタクトを取ったり,互いに尻を見せたり様々な行動があるが,コンフリクトの後に頻度が高まることが示せる.これは伝統的な動物行動の理解「攻撃やコンフリクトは分離作用を持つ」では説明できないことだ.
そしてヒトの子供でもこれは観察できる.
また負けを認めて仲直りをはかるときにヒトの男性は特有の表情(口は少し唇を咬みながらへの字を作り,眉はやや高くあげる)を見せるとしてブッシュ前大統領を含む様々な人物の写真が紹介され,会場はわいていた.日本の政治家にも必ずあるはずだと言うことなので,今後は注意してみよう.


「共感,自己の認識」
ここでは共感について,他個体の感情を理解し共有することと定義している.動物にあるかどうかを心理学的に示すのは難しいが,イヌを飼ったことのある人に尋ねれば答えは明らかだ.
これには二つの段階があり,まず身体をシンクロさせる段階,そして認知的な段階がある.
(1)シンクロ;あくびの伝染はイヌでもチンパンジーでも観察できる.チンパンジーの場合同じグループの個体とよりシンクロする.これはミラーニューロンが関わっている.
感情も伝染する.これは飼い犬にはよく見られる.マウスでも他個体の痛みを見せると戦シティ部になる.これには性差があり,おそらくオキシトシンと関係している.
(2)認知的な共感にはまず自他の区別(自己の認識)が必要になる.その上で他個体の状況を理解することになる.ここでもミラーニューロンは絡むだろう.類人猿では「慰め」という行動が観察できる.
これにはミラーテストがよく使われる.チンパンジーはできてサル類はできないというのが知られているが,最近ゾウもできることがわかった.(なかなか印象的な動画が流される.ゾウはまず普段はしない鼻を上げるなどの行動をとってそれが自分であることを確かめようとする.そしてミラーテストに明らかに合格する)


関連する問題に「他個体のニーズがわかるか」というものがある.カプチンモンキーでそれを検証した実験がある.(餌を分配するかどうかという実験でで,他個体の状況が見えるかどうかによって行動を変える)


「相手に向けた援助行動」
感情的な伝染と自他の区別の認知があると,相手に対する援助行動が可能になる.チンパンジーボノボではよく観察されている.
最近ではゾウでの観察例がある.(ここでは窪みに落ちた子象を助ける動画が流される.また関連して2頭で一緒にロープを引いて初めて報酬がもらえる実験を完全に理解して達成するゾウの動画も流される.成ゾウを使う実験はチンパンジーよりさらに危険だと思われるが,リサーチャーたちの根性はたいしたものだ)


「向社会的行動:他個体への気遣い」
チンパンジーについては何十年ものりサーチの歴史があり,「チンパンジーは他個体に無関心」というのが通説となっている.
しかしより明快な実験をしてみるとそうではないことがわかるとして,赤のアイテムを取っても緑のアイテムを取っても餌をもらえるが,緑だと隣の個体ももらえるという設定にすると,隣の個体が見えていると有意に緑を多く取るという結果が紹介された.
しかしこれは明快ではなくとも将来的な互恵的関係への期待に反応した(つまり自分の利益に従ってそうした)とも解釈できるのではないだろうか?


「フェアの感覚」
最後通牒ゲームなどでおなじみの「不公平な結果をコストをかけても拒否するか」という問題があり,カプチンモンキーでは拒否をするという実験が紹介された.あるタスクについてキュウリの報酬が得られるとサルは喜んでその餌を受け取るが,同じタスクで隣の個体がブドウを受け取っていると,受け取ったキュウリをじっとみた後実験者に投げ返し,怒りの表情とともに檻の枠をつかんで揺さぶり,手を伸ばして地面をたたく.この動画はYouTubeで200万ビューを記録しているそうだ.会場はバカウケだった.


最後に今後のリサーチ課題について,競争環境の中での協力を調べていきたいと抱負を語っていた.動画がふんだんに紹介され聴いていて大変楽しい講演だった.


以上で講演会は終了だ.動物の心のリサーチは解釈をどうするかのところがポイントなのだろう.まだ曖昧な部分があったりもするのだろうが,啓発的な話も多かったように思う.


これは本郷キャンパス内の銀杏.












 

*1:本郷通り沿いで赤門の南側.確かここは以前学士会館の分館があった場所だ