「鳥たちの驚異的な感覚世界」

鳥たちの驚異的な感覚世界

鳥たちの驚異的な感覚世界


本書は鳥類学者で行動生態学者でもあるティム・バークヘッドによる鳥類の感覚の至近メカニズムについての本だ.原題は「Bird Sense: What It's Like to Be a Bird」.この副題はもちろん哲学者ネーゲルによる有名な問いかけ「コウモリであるとはどのようなことか?」を意識しているもので,ネーゲルは意識の主観性を問題にし,「この問いに答えることはできない」と主張しているのだが,バークヘッドは最近のリサーチをまとめると結構いろいろなことがわかっていて,厳密にはネーゲルのいうとおりだとしても質問の角度を変えればおぼろげながら答えられるといってもいいのではないかと示唆しているのだ.
行動生態学はハミルトンやトリヴァースやメイナード=スミスの理論を受けて1970年代以降興隆し,まずは至近的メカニズムはブラックボックスとして生物の様々な表現型の究極因を探るというリサーチプログラムが中心だった.その後行動生態学はいっそう進展し,最近では至近メカニズムや進化発生についてもそのフォーカスに入れつつある.本書はまさにその流れを地でいくもので,そのようなリサーチを行うようになったバークヘッドがその豊かで驚くべきな内容を一般にも伝えたいという思いで書かれているものだ.


本書では鳥類の様々な感覚について,視覚,聴覚,触覚,味覚,嗅覚,磁気感覚の順で解説し,最後に感情を取り上げている.
学説史としてみて興味深いのは味覚や嗅覚に関しては「鳥類にはない」というのが通説として長らく幅を利かせ,実はあるということを認めさせるために大変な苦労があったという部分だ.
また感情についてはそれ以外の感覚とは少し異なる次元の問題だが,バークヘッドはあえて本書で取り上げている.とはいってもここはなかなか難しく,ホルモンやニューロトランスミッターが様々な状況に応じて変化するという以上のところは説明し切れていないようだ.


そして基本的には本書の魅力はその感覚世界の詳細な知見にある.訳者も訳者あとがきで自分が面白いと思った点を列挙しているが,私もいくつか列挙してみよう.(やはり人によってかなり異なる事項になるのも面白いところだ)

  • 猛禽類のほかモズの眼にも中心窩が二つある.(ただしバークヘッドはこれがどのように使い分けられているのかについては書いてくれていない.片方は望遠用ということなのだろうか.またこの中心窩が二つあるという形質が鳥類の系統の中でどう分布しているのかについても書かれてはいない*1.興味深いところなのでやや物足りないところだ.)
  • フクロウの眼が前面に二つ並んでいるのは両眼視のためだとよく言われるが,実際には聴覚を優先させたために,そこしか眼を配置する場所がないためかもしれない.
  • 鳥類の紫外線視覚が錐体の発見で裏付けられたのは1970年代のことにすぎない.
  • 鳥類では右眼と左眼で視覚の仕事を分業させていることがかなり一般的にみられる.(望遠用,求愛用,採餌用など)
  • 求愛コールを大音量で行うオオライチョウは,求愛コール中に耳の穴を塞ぎ,自分が難聴になるのを防いでいる.
  • 都会に住むシジュウカラはさえずりの音の周波数を上げて背景騒音に対処している.
  • 鳥類においてエコロケーションはアブラヨタカとアナツバメの2系統で独立に進化した.
  • 鳥の嘴には神経の通る穴があるものがあり,多くの鳥は嘴に敏感な触覚を持つ.
  • ヒレアシシギは雌雄役割逆転種として有名だが,オスの翼の下にはヒナを入れる袋があり,そこにヒナを入れたまま飛ぶこともできる.
  • アカハシウシハタオリは鳥類としては珍しく交尾時間が30分と長く,観察する限りではオスはオーガスムを感じているように見える*2
  • ズグロモリモズやズアオチメドリは羽根に猛毒を持ち,その鮮やかさは警告色と解釈できる.
  • キーウィの嘴の断面はきわめて複雑になっていて,嘴の先端には臭覚器官が密集している.
  • 渡り鳥のリサーチからある種の鳥に磁気感知能力があることは明らかだが,至近的なメカニズムはなお未解決で,電磁誘導,生体磁気鉱物,生化学反応の3説があり,後ろ2メカニズムはそれぞれ見つかっている.
  • ロビン(ヨーロッパコマドリ)の磁気感知能力は右眼のみにある.


本書を通読すると,このような感覚の至近メカニズムについてはわからないことだらけであり,膨大なリサーチエリアが広がっているのを実感することができる.そしてそれが行動生態学の知見を結びついてさらなる興味深いリサーチが次々に現れてくるのが待ち遠しい限りだ.またバードウォッチャーにとっても小ネタが大量に仕込まれた見逃せない一冊だといえそうだ.



関連書籍


バークヘッドの本

原書

Bird Sense: What It's Like to Be a Bird

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これは性淘汰と性的コンフリクトについてのなかなか良い本だった.

Promiscuity: An Evolutionary History of Sperm Competition

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同邦訳

乱交の生物学―精子競争と性的葛藤の進化史

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赤いカナリアを求めた人々の探求の歴史.カナリアの赤さを競うコンテストに勝つ秘訣はカロチノイドのたっぷり入った餌を与えることだということが長らく秘技として封印されていたあたりの話はちょっと面白い.

A Brand New Bird: How Two Amateur Scientists Created The First Genetically Engineered Animal

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同邦訳

赤いカナリアの探求―史上初の遺伝子操作秘話

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これは鳥類学の歴史.ハードカバーで購入後未読.美麗なカラー図版満載で眺めているだけで幸せな気分になる.図版が多いせいかまだKindle化されていない.

The Wisdom of Birds: An Illustrated History of Ornithology

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これはかなり古い本で長らく絶版だったものが最近Kindleで復活したものらしい.カササギについての本格的なモノグラフ.バークヘッドのモノグラフにはウミスズメのものもあるのだが,そちらのKindle復刊はまだのようだ.





 

*1:猛禽類の中のタカ類とハヤブサ類は系統的にはかなり離れていて形態的な類似は収斂であることが知られている.またモズはスズメ目なのでこれは独立に3回進化したということだろうか?片方で「全鳥類のうち半数は中心窩が一つ」という記述もあるのだが,のこりの半分はわかっていないということなのか二つあるということなのかもよくわからないところで,読んでいてもどかしい限りだ

*2:だんだん羽ばたきが緩慢になり全身を震わせて足の筋肉をぎゅっと締めて射精するそうだ.観察のためにはアフリカの照りつける日差しの中を何百メートルも走って追跡しなければならない.これを報告するバークヘッドの観察苦労記は爆笑ものだ.