日本学術会議公開シンポジウム 「進化は生物学を統合する」

shorebird2014-08-12


8月9日に日本学術会議主催の公開シンポジウムが乃木坂の日本学術会議本部で開かれたので参加してきた.第22期日本学術会議の分野別委員会のひとつ「統合生物学委員会」のさらに分科会「進化・系統学分科会」が中心になって企画したものだ.テーマはドブジャンスキーの有名な警句をリスペクトして「進化は生物学を統合する」となっている.7人のプレゼンターが,このテーマに沿って自由に講演内容を決めているようで,自分のリサーチテーマに沿ったものや,一般向けにふさわしいトピックの解説など様々だ.オーガナイザー斎藤成也からは講演順序は進化の歴史順に決めたと説明がある.


イントロンの起源 - タンパク質とゲノム情報から 郷通子


イントロンは1977年にその存在が発見されたが,何故あるのか,起源は何かなどの解明は非常にゆっくりとしか進んでいない.ここで郷は自分のヘモグロビンのイントロンにかかる研究からわかってきたことを紹介する.

  • イントロンがある場所と生成されるタンパク質の構造に関連があるかどうかを調べるために,ヘモグロビンの距離マップを作ってみると,イントロンがあるところは何らかの構造の境目のように見えることがわかる.これによりヘモグロビンの配列のある場所に未知のイントロンがあるのではないかと予測を立てたところ,すぐその場所にイントロンが見つかった.(1981年頃のはなし)
  • その後さらにタンパク質の構造を深く調べると,それはモジュールがつながった構造になっていて,その境目にイントロンが入りやすいことがわかってきた.ヘモグロビンでは8つのモジュールがある.そして多くの生物でその構造のどこにイントロンがあるかを調べると,4つの境界には安定してイントロンが存在し,それ以外の境界ではイントロンはあったりなかったり,あっても場所が不安定だったりすることがわかった.これはイントロン自体が原核生物時代からあること,そして安定しているものには何らかの機能があることを強く示唆している.

郷は講演の最後にこの研究には一切科研費はもらっていないこと,このような地味で長期的視野の研究には成果をすぐ出さなければというプレッシャーがないことが良かったのかもしれないと,茶目っ気たっぷりに付言していた.
Q&Aでもいろいろと議論されていたが,そもそもモジュール単体が何らかの機能を持っていて,それを結合することによって新しい機能を持つようになったとするとイントロンやスプライシング現象が何故生じたかをうまく説明できるようで大変面白い.


単膜系オルガネラで発見された第三の分裂リングから読み解く真核細胞の起源 黒岩常祥


細胞内のオルガネラがどのように分裂しているのかについての自らの30年以上のリサーチを語る.ミトコンドリアや葉緑体はリング状の構造物により分裂する.これを取り出して構造を解析して調べると核の遺伝子の発現によるものであることがわかる.さらに単膜系のオルガネラも調べている.ペルオキシソームのリングを苦労して取り出して調べると,ミトコンドリアのものとよくにていることがわかってきたという内容.
1細胞内に数百数千とある小器官の研究がなかなか大変であることがよくわかる.あまり知識がなかったが,小さなオルガネラについては様々な種類が同定されて機能などの研究も進んでいるようだ.


植物化石が語る動物の進化 西田治文


今度は楽しい化石の紹介講演.特に陸上の植物に焦点を置き,動物と植物の関わりを示すような化石が次々とスライドで紹介される.
390百万年前のライニーチャートにあらわれる最初期の陸上植物,370百万年前の全高10メートルを超えるシダ,アリカエオプテリス,300百万年前の最初の陸上植物食動物である単弓類,150百万年前の植物食恐竜,白亜紀以降の被子植物の隆盛,新生代に入っての果実の大きさの増大(哺乳類の果実食開始の影響)およびイネ科の放散(草食哺乳類の出現の影響),昆虫の植物食の変遷(当初は胞子食のみ,その後葉食が現れ,葉辺形から穿孔形への変化,さらに木材食へ),送粉の始まりなど次から次に楽しい写真が紹介された.


脊索動物の起源と進化 佐藤矩行


新口動物の系統樹形の考え方の変遷を巡る講演.棘皮動物(ウニ,ナマコ),半索動物(ギボシムシ,フサカツギ),脊索動物の関係,さらに脊索動物内での頭索動物(ナメクジウオ),尾索動物(ホヤ),脊椎動物の関係についての学説史が紹介される.いろいろな仮説があったが,最新の分子系統樹からは分岐順序は古い順に棘皮動物→半索動物→頭索動物→尾索動物・脊椎動物となっていることがわかっている.
現在進化シナリオとしては,半索動物のうち自由生活性のギボシムシ類から同じく自由生活性のナメクジウオ類が分岐し,その後ホヤと脊椎動物の共通祖先に進化,そしてホヤは特殊な環境に適応した特殊な分岐だと考えるというものが有力になっている.ギボシムシとナメクジウオの最大の違いは幼生段階で繊毛により運動するか,尾を振って運動するかの違いで,これは運動能力の向上面から見て大きな飛躍だったのだろうと考えられる.
最後に佐藤は,脊索動物の中を見ると尾索動物はセルロース合成,脊椎動物はリン酸カルシウム合成という独特の能力を持っているし,また2回のゲノム重複を経て進化したとみられる脊椎動物はゲノム構造分析においても他の新口動物と大きく異なっている.だから現在脊索動物が門で脊椎動物は亜門とされているが,脊索動物は(旧口動物の中の脱皮動物や冠輪動物などと同じ)スーパーフィラム(超門)にし,脊椎動物を門とすべきだと主張して講演を終えた.
Q&Aでオーガナイザーの斎藤成也から,昔脊椎動物は門と習ったような気もするがそれに戻るのですねと聞かれて,佐藤は実は昔「脊椎動物門」とされていたのは脊椎動物とナメクジウオを併せたグループで,ヘッケルがVertebrataを提唱して以来正式に門として扱われたことはないのだとトリビア的に答えていた.それは知らなかった.そうだったのか.なお斎藤はゲノム構造で脊椎動物が非常に他動物と異なっているのははっきりしていて自分も「門」扱いに賛成したいとコメントしていた.
他の質問者からも高次分類群をどう決めるかの基準の曖昧さが質問されていて,実際にそれはある程度趣味の問題なのだろう.ゲノム構造が大きく異なるというのはいい理由付けかもしれない.*1


共生,進化,生物多様性 深津武馬


昆虫の共生細菌を深くリサーチしている深津からの,視点を変えるといろいろなものが異なる風景に見えてくるという講演.
まずアブラムシ,シロアリ,アオバアリガタハネカクシ,ヒカリキンメダイ,マメ科植物,ウシなどの反芻動物が共生細菌を持つことを前振りしてから,様々な共生系を説明する.

  • アブラムシとブフネラの共生系は100百万年以上におよび,(植物の師液に含まれるごくわずかな限られたアミノ酸から)必須アミノ酸を合成供給する必須共生系を形成している.またレジエラは必須ではないが,ある種の植物を採餌可能にし,食性を変更させる効果を持つ.(これはある生物の食性を考える際には共生生物も考慮しなければならないことがあることを意味する)
  • ヨーロッパのエンドウヒゲナガアブラムシには緑と赤の体色多型があることが知られている.これはテントウムシが赤系をより補食し,寄生バチが緑系により寄生するので,それにより頻度依存効果が生じ,多型が維持されているとされてきたが,ある種のリケッチエラが寄生すると赤系が緑に転換することがわかった.(これ以上の解説はなかったがこれは大変興味深い.体色転換はリケッチエラにどのようなメリットをもたらすのだろうか.)
  • マルカメムシは卵のそばに共生細菌入りカプセルを置き,幼虫がカプセルを食べることによりのみ共生細菌が受け渡される,これは共生細菌の操作実験にはうってつけのモデル生物になる.実際にクズからダイズへの食性転換にはある種の共生細菌が必要であることがわかった.これは農業面の応用にも資する可能性がある.
  • キチョウはボルバキアによりオス→メスへの性転換させられる.
  • アズキゾウムシでボルバキアゲノムの一部が水平伝播していることを発見した.その後これはかなり一般的な現象であることがわかった.最も極端な例でいうと,コナカイガラムシは共生細菌2種,過去の共生細菌であったと思われる6種合計8種からゲノム水平伝播を受けており,このコナカイガラムシゲノムは合計9種の生物ゲノムの混合体であることがわかっている.
  • 吸血性節足動物にも共生細菌は一般的だ.これは赤血球の栄養が偏っているために生じる.この多くは必須共生系であるので,感染症の感染抑制に使える可能性がある.
  • ベニツチカメムシはバクテリアを受け渡すための特殊な行動(産卵後長期間後に孵化寸前になって,卵に細菌入りの液を塗り空中に持ち上げ保持する:持ち上げるのは土壌細菌のコンタミを避けるためと思われる)を進化させている.

このあたりで時間切れになったが,多様な共生系の説明は大変楽しいものであった.なお私的には共生細菌側の適応度があまり話題にならず,ちょっと物足りなかった.特に共生パラサイトによるホスト操作の話題は是非取り上げて欲しかったところだ.


環境適応進化を制限する機構と可能にする機構 河田雅圭


これは evolvability にかかるかなり専門性のある講演で聞き応えがあった.

  • 過去の大絶滅を取り上げて,ここで現れる1つの問題は「何故環境に適応しきれないという現象が生じるか」だとし,特に昨今の温暖化に対して生態系がどうなるかを考える上で重要だと指摘する.(ここでトカゲ類や鳥類に関するメタアナリシスでは低温環境への適応に比べて高温環境への適応は難しそうだという知見を取り上げていて興味深かった)
  • その答えの1つは変異の存在だ.トゲウオの湖の透明度への適応やオオカミの黒型の増加の急速な適応には,海からの遺伝変異の流入や,ブラックレトリバーからの遺伝変異の導入があったからだとも解釈できる.しかし常にこのような有益な変異があるわけではない.ノースカロライナのショウジョウバエのリサーチでは弱有害遺伝変異は1.9%あったが有益変異はほとんどなかったとされている.また分布地域が広く環境に大きく変化がある場合には,移住(遺伝子交流)が大きいと遺伝的荷重が高くなってしまうという問題もある.
  • 次にevolvabilityの問題がある.これは突然変異率と発現制御ネットワークの長さ,複雑さが効いてくる.(ここで制御ネットワークとevolvabilityの関係についてのシミュレーションリサーチが紹介される)
  • これには遺伝子の冗長性も関係する.まず倍数性の問題がある.植物では倍数体は2倍体より14%絶滅しにくく,同じく倍数体は侵入的外来種として成功しやすいというリサーチがある.また遺伝子重複が多い生物はより環境が不安定ところで成功しやすく,安定なところでは成功しにくいというリサーチもある.これは環境均一なら重複ゲノムを持つことはコストになるが,不安定ならevolvabilityの観点で有利になると解釈できる.さらに全ゲノム重複と遺伝子重複の相対的な有利性を見てみると,現存生物では外胚葉に全ゲノム重複由来遺伝子が多く,内胚葉には遺伝子重複由来遺伝子が多い.これは発生にかかるような大きな変更には全ゲノム重複が有利で,環境に局所適応する場合には一部遺伝子重複の方が有利であると解釈できる(このあたりの議論は難しくてきちんと理解できていないかもしれない)
  • 将来的には,ゲノム構造解析から温暖化のような環境変動にどこまで適応できるかを予測できるようにできればいいと思っている.遺伝的多様性,重複度,適応能力(遺伝適応と移動をあわせたもの)を要因として分析したい.これは進化学の理解から応用への動きの1つだと思っている.


進化は人間の諸学を統合するか 長谷川眞理子


これは進化心理学の導入議論や社会生物学論争でおなじみの人文社会科学と進化概念の関係を整理したもの.私的には既知の話が多かったが,一般向けのわかりやすい整理になっている.

  • 人間の行動や社会を扱う学問は多い.生物学,人類進化学,心理学,(文化,社会)人類学,社会科学,経済学,その他諸学(宗教学,哲学,言語学,文学,倫理学,政治学,法学)しかし,少し前まで心理学以降はほとんど進化を無視してきた.ヒトの行動は脳で決まり,脳が進化の産物で,適応課題を解決するようにデザインされているとすると,これら諸学は進化を無視できないはずであり,これは不可思議なことになる.
  • 関わりを避ける理由にはいくつかある.「進化自体を受け入れない」「生物進化は認めても,ヒトの心は進化産物ではないとする」「理性や文化の影響が大きいので進化は捨象して問題ない」この最後の理由付けは今日でも多くの人文社会型諸学の学者が取っているスタンスだ.そして外側に諸学が成り立ってきた歴史的経緯の中で,進化は入り込んでいなかったということがある.
  • ダーウィンは,ヒトの心や感情の理解(つまり現在でいう心理学の内容)を進化学の射程の中に捉えていた.しかしダーウィンの死後その流れは途絶えた.
  • 1つには心理学の成り立ちの経緯がある.心理学の創始者の1人ブントの実験心理学は物理学をモデルにしたものであったし,アメリカで主流となったスキナーの行動主義心理学は,心はブラックボックスで良いとして,刺激と行動を単純な学習過程だけで説明しようとした.
  • もう片方で社会科学者が進化を嫌いになる理由があった.未熟な進化理論を社会改革に応用しようとした社会ダーウィニズムや優生主義の跳梁とそれが行き着いた先のナチズムをみた第二次世界大戦後の社会科学者は生物学を社会学に持ち込むことを強く反発し,ヒトの行動はすべて文化と学習で説明できると強く主張するようになった.
  • そこへ爆弾を投げ込んだのがE. O. ウィルソンの「社会生物学」だった.そこでは「社会科学は生物学の一部門として吸収されるだろう」という旨の記述があり,多くの学者の逆鱗に触れた.ルウォンティン,グールド,サーリンズたちは激烈にウィルソンを批判し「社会生物学論争」が巻き起こった.批判者は「社会生物学は遺伝的決定論(つまり人種差別主義)であり,社会の現状を肯定しようとする保守反動であり,ナチにつながる」と(誤解に満ちた)批判を行った.グールドは左派の政治的信条からこのような批判を行ったし,社会科学者の主張の裏には「学問のなわばりを荒らすな」という気分があったのだろうと思われる.
  • しかし論争にもかかわらず,進化の知見を使ってヒトの行動や社会を理解しようという動きは静かに進んだ.
  • 最初の動きはシャグノンとアイアンズの人類行動生態学だ.彼等は行動生態学の知見をそのまま人類に応用して,現在のヒト(多くは現代に残る狩猟採集民)の行動,社会,文化を理解しようとした.
  • 次は進化心理学.1994年にトゥービィとコスミデスは進化の考えをドラスティックに心理学に取り入れた.その中心アイデアは「脳が進化の産物ならどのような特性を持つか」ということだった.そしてヒトは誰でも同じような行動的特性を持ち,それは領域特殊的な問題解決を行うためのものであり,コンピュータのような汎用計算機ではないと主張した.それは脳をコンピュータとして分析した認知科学の一部の前提を覆すものだった.(認知科学はヒトの心の分析に大きな成功を収めたが,それは認知,感覚分野に限られ,感情や情動は無視されていた)
  • 当初の進化心理学ではEEAが何かということについての批判や議論があったが現在ではそれは(例えば更新世サバンナのような)特定の環境ではなく,広く人類が進化過程で直面していた適応課題の集積体として理解されている.(高カロリーの多様な食物,学習依存の高度技術による食糧獲得,学習により獲得される大容量の知識,子供の親への依存期間が長い,長寿者の存在,3世代共存,世代間にリソース継承,性的分業,長期間続く男女の協同繁殖,血縁非血縁を含む多くの人間による共同保育)
  • 初期の進化心理学ではユニバーサル,モジュール性が特に強調されていたが,その後文化の多様性が何故生まれたか,モジュールはどのように統合されているかという部分についても目を配るようになっている.
  • そしてこのような動きはその他の諸学にも広まりつつある.
  • 経済学の分野では,合理的経済人の仮定は誤りであることが実験経済学によって明らかになり,進化ゲーム理論を取り入れた進化経済学*2,神経経済学の取り組みが始まっている.文化の理解については進化理論を取り入れた文化の説明がボイドとリチャーソンたちによって始められている.言語の起源や進化を扱う言語進化学,進化医学もスタートしている.また社会政策に進化の知見を取り入れる動きもある.
  • 統合進化人間学と呼べる取り組みも始まっている.適応産物である脳を持ったヒトがエージェントとなって相互作用を行うとして社会や文化を理解しようという取り組みだ.
  • 振り返ってみると,社会生物学論争の批判者たちが危惧したようなことは生じなかった.そしてヒトゲノムプロジェクトの終了以降社会科学者の生物学嫌いもかなり和らいだようだ.
  • 本当に社会科学がすべて統合進化人間学に統合されるかと問われたら,おそらくそうはならないだろう.しかし本当に彼等は進化を無視してやっていけるのか,それが支持され続けるのかについてはわからないと答えるしかない.(なお一部「べき」論の学問は統合進化人間学の外側に残るだろう)

Q&Aでは進化心理学のモジュールの統合にかかるリサーチの進展の中身を聞かれて,長谷川はモジュール統合に関わっているのは(それだけではないかもしれないが)言語だと明確に答えていたのが印象的だった.あるモジュールの概念と別のモジュールの概念の橋渡しをするのには言語が適しているという意味のようだが,なかなか難しいところのようにも思え,興味深い.また「歴史学」はどうかと聞かれて,確かに進化にも進化史という過去に生じたことを探求する部分はあるが,進化学ではその背後の一般原則を見つけにいくのに対して,歴史では視点が変われば歴史が異なるみたいな主観的な部分があって,あまりうまく進化は入り込まないだろうと答えていてそれもちょっと面白いところだった.



このあたりで時間切れだが,最後にオーガナイザーの斎藤がファウンデーションシリーズの「サイコヒストリー」を振って締めくくったのはなかなか粋だった.




 

*1:趣味の問題としてなら,私も脊椎動物は門の方が据わりがいいなと思ってしまう.もっともそれは「ホヤと一緒はなんだか」という単に情緒的な気分由来なのかもしれないが.

*2:何故か「行動経済学」という用語は使われていなかった.