「The Sense of Style」第6章収録の各論について その3 


ピンカーの各論は量や質の表現についての細かな部分になる.これは「The Stuff of Thougt」(邦題「思考する言語」)の際の議論が下敷きにある部分も含まれているようだ.


<量,質,程度の表現>


very unique

  • 自称文法家は「uniqueなどの『あるかないかの2値を表す形容詞』には,veryなどの『量を形容する副詞』を用いてはならない」と主張する.そして2値形容詞の例としてabsolute, certain, complete, equal, eternal, perfect, sameなどを,量的副詞の例としてmore, less, somewhat, quite, relatively, almostなどを挙げる.
  • しかし偉大な書き手は「2値形容詞を量的副詞で修飾する」表現を何百年も前から使っている.「nothing could be more certain」「there could be no more perfect spot」などの表現は大半の人に是認される.確かにvery uniqueの評判は良くないが,rather unique, so unique thatなどの表現は特に不自然とされない.very uniqueが自然に感じられる文脈もある*1
  • そもそもuniquenessは2値ではないのだ.それは何らかの基準に対する相対的な概念だ.だから数多くの基準においてuniqueであればvery uniqueを使ってもおかしくない.
  • ただしveryは過剰ヘッジの印象を与えやすい単語であり,多くの人が嫌っているのでvery uniqueを使うのは得策ではない.really uniqueやtruly uniqueの方がよいだろう.


noneは単数か複数か
ピンカーはここでいくつかの語句について「次の語句は単数か複数か」を順に問いかける.a pair of gloves, the dining room setあたりからネイティブは混乱し始め,nothing, the desk or the chair, each object in the roomあたりで手を上げるそうだ.

  • 英語の単数,複数の区別に関する単純な理論は多くの場合を扱いきれない.そして数理的論理的な解決は英語の実際の使われ方に合致しない.
  • 純粋主義者は「noneはno oneの意味だから単数に扱うべきだ」と主張するが,それは間違いだ.それは書き手が心のなかにどのようなイメージを持っているかに依存し,単複どちらの用法もあるのだ.
  • どちらのイメージかの手がかりがあるとそちらに傾く.almost noneだとグループのイメージが浮かび複数扱いに傾くし,neitherならば単数をイメージしやすい.
  • the governmentとかthe Gardianなどをどちらで扱うかは,組織単体をイメージするかその中で働く人々をイメージするかによる.英国では複数扱いすることが多いが,米国では逆だ.
  • orは難しい.「単数or単数」は単数扱い,「複数or複数」は複数扱いというところまではいい.「単数or複数」「複数or単数」ではどうすればいいのか.伝統的な文法書は「アグリーする動詞に近い方の単複に従え」とする.しかしこれは多くの人にとって居心地が悪い.他の構文をとってできるだけこの問題を避けるのが賢明だとしか言えない.
  • a couple of, a lot of, a majority ofなどの語句はofの後の語の単複に従う.それが省略しているときは心のなかで補わなければならない.
  • one of those whoの後の動詞:thoseについて叙述しているならば,ツリー構造に従ってthoseにアグリーするはずで複数扱いすべきだ.しかしこれは単数扱いされることが多い.ピンカー自身単数扱いしたことがあるし,千年以上多くの書き手が単数扱いしている.そしてしばしば複数扱いの方が不自然に響く.「ケンブリッジグラマー」はこの現象を,2つのツリーが干渉する結果だとしている.今日の多くのユーザーガイドは「書き手の心のなかでoneとthoseのどちらがより大きいかに依存してどちらの表現も許される」としている.


dualかpluralか

  • 単数,デュアル,3以上の複数を区別する言語は多い.英語には2を表すマークはないが,pair, couple,そしてその他の量的表現に「2数性」の問題が表れる.
  • betweenをつかうかamongを使うか:しばしば「betweenは2つについて,3つ以上ならamong」と教えられる.しかしそれは正確ではない.betweenはある個別物とそれ以外の個別物(それ自体単数でも複数でもいい)の関係に用いる.amongはある個別物と連続的な数量物や集合物の関係において用いられるのだ.
  • each otherとone another:「each otherは2つについて,one anotherは3以上」と主張されることがある.それに従っても間違いではない.しかし通常はこの2つは可換可能に扱われている.
  • either:eitherは名詞や限定詞に使われるときには2つについて用いられる.しかしeither or表現では3つ以上について用いても不自然にはならない.
  • 比較級と最上級:「2つのものを比較するときには比較級,3つ以上なら最上級」と主張される.しかし正確にはそうではない.2チームの対戦において「May the best team win.」というのは自然だ.これは対象の数ではなく比較のマナーによって異なるのだ.直接比較するときには比較級,もっと広い黙示の比較グループと比較するときに最上級になる.


things and stuff
粒状のものはどこまで細かくなると可算名詞の複数型から不可算の物質名詞になるのか.これはピンカーが「The Stuff of Thought」でも解説していたところだ.それは心理的にどう捉えるかに依存して単語ごとに慣習的に決まっている.ここではさらにどのような数量詞がそれぞれの名詞を修飾できるかという問題が扱われている.

  • manyとmuchは片方にしかつかない.しかしmoreはどちらにでもつく.さらに混乱することにlessは物質名詞にしかつかない.less gravelとは言えてもless pebblesとは言えないのだ.
  • そこで自称文法家はスーパーのレジにある「Ten Items or Less」の表示が文法的に間違いだと噛みつく.「Ten Items or Fewer」でなければならないというわけだ.
  • 確かにless pebblesとは言えない.でもlessは単数の可算名詞を修飾できるのだ.one less carは問題ない.さらにlessが全体として連続しているものの量を評価していて,可算名詞がその評価単位であれば,lessの使用は自然なものになる.このような場合にlessを使うかfewerを使うかはスタイルの問題だ.クラッシックスタイルではferwerの方が明瞭でわかりやすいので推薦できる.しかしlessが文法的な誤謬であるわけではない.
  • overとmoreについても同じことが言える.可算名詞にはmoreを使う方が明瞭だ.しかしそれが評価単位になっていればoverを使っても良いのだ.


単数形のthey:(性差別のない用法として)単数形を受けるのにtheyを用いること

  • オバマ大統領は演説の中でNo Americanをtheyで受けた.「No American should ever live under a cloud of suspicion just because of what they look like.」これは一部の自称文法家から激しい批判を浴びた.「彼は性差別に敏感になりすぎて文法をねじ曲げている.このような場合heはジェンダーニュートラルな代名詞でもある」というのだ.
  • しかしこの批判の後段は文法的には間違いだ.英語には中性的な単数の第3人称代名詞はない.そして認知的にも読者はheが使用されている場合には男性を想起する.英語にはバグがあるのだ.今日ではheを用いて,読者に「それには性差別的な意図はない」と読むことを強いるのは実際的にもはや不可能だ.読者はこの性差別的な表現に引っかかって書き手の意図を読みづらくなる.
  • このtheyを用いる表現には性差別以外の理由もある.まずシェイクスピアはじめとする過去の名文家もこの用法を用いてeveryoneやno oneをtheyで受けている.またeveryoneやno oneで一般論を叙述しているときに,それを単数で受けると特定の何かを念頭においているように感じる.everyoneやno oneは文法的には単数だが心理的には複数なのだ.これは数学的にいうと束縛変数として機能している.「すべてのxにおいて,もしxがアメリカ人であれば,xは外見で判断されてはならない」つまりこのtheyの用法は歴史とロジックを持つのだ.
  • だからといってジェンダーニュートラルな三人称単数代名詞として常にtheyが問題ないわけではない.上記用法でもフォーマリティは減じるし,(一般論であっても)a personなどの語を受けるときには多くの人が違和感を持つ.そしてthonなどの提唱されているジェンダーニュートラルな新語は全く定着していない.
  • これまでのマニュアルは,「なるだけ複数で表現すること」「所有格の場合にはそれを外して読者に補ってもらうこと」を提唱しているが,完全な解決策にはほど遠い.
  • 結局書き手は自分の持つ武器のすべてを使うことを常に考慮するしかない.すべての文章において書き手はトレードオフのどこかを選ばなければならないのだ.(ジェンダーフリーの3人称代名詞の問題はその1つに過ぎない)

*1:ピンカーは,怪しげな繁華街の劇場でとびきりヘンテコな人達が行うショウの宣伝文句に使われているケースを紹介している