「The Sense of Style」第6章収録の各論について その2 

 
ピンカーの文法各論はつづく.


likeの用法

  • 「likeは接続詞ではなく前置詞なので,その後は名詞句しかとれない」と自称文法家はよく指摘する.彼等にいわせれば「Winston tastes good, like a cigarette should.」というコピーは誤りでasを使わなければならないということになる.これは騒ぎになり,雑誌The New Yorkerやウォルター・クロンカイトもこの尻馬に乗った.広告会社とタバコ会社は,この批判の嵐に対し大喜びで「何が欲しい?正しい文法,それともよい風味?」と打ち返して思いっきり煽り,広告効果を高めたそうだ.
  • まず前置詞の後には名詞句しかとれないというルールはない.だから接続詞かどうかというのはそもそも問題設定がずれている.
  • この(後に節をともなう)「○○するように」というlikeの用法は600年前からある.シェイクスピアもディッキンズも使っているのだ.asの方がよりフォーマルだというだけだ.
  • 「例えば」という意味のlikeも同じだ.この意味で使うならsuch asでなければならないということはない.単にフォーマリティの違いなのだ.


先だつ「所有格語句」を代名詞で受けられるか

  • これは2002年のカレッジボード試験で大騒ぎになった.(国語の問題で「次の文章に文法的な誤りがあるか」という設問があり,正解は「なし」だったが,その中にToni Morrison’sをしばらく後でherで受けている箇所があり,ある高校教師の「これは誤りである」という投書から騒ぎになって,結局その誤りを指摘した回答も正解と扱うことになった)
  • まず所有格語を代名詞で受けられないというルールなどない.「Bob’s mother loved him.」は完全に自然な文だ.これは1960年代にどこからともなく現れた妄想ルールなのだ.
  • Toni Morrison’sは形容詞で修飾語だから代名詞で受けられないはずだという理由が主張されることもある.しかしそもそもToni Morrison’sは,修飾語ではなく(冠詞などと同じ)限定詞句であり,この理由も成り立たない.
  • なおこのように誤解した教師が多いことから見て,(教えを守って)これを誤りとした受験生を救済したことは筋が通っているだろう.


文末の前置詞

  • チャーチルが自分の文章の文末の前置詞を問題視したエディターに「This is pedantry up with which I will not put.」とやり返したという伝説はどうやら真実ではないようだが,いずれにせよ「文末の前置詞は許されない」という英語のルールがあるというのは迷信だ.「Who are you looking at?」は全く正しい英語の文だ.妄想ルールを鵜呑みにするのは本当に辞書を開いたことのない人だけだと言っていいだろう.
  • この偽ルールはラテン語文法の(不適切な)アナロジーに基づくもので,ジョン・ドライデン(17世紀の英国の詩人兼文芸評論家)によって,ライバルのベン・ジョンソンを誹謗するために発明されたものだ.
  • with which, at whatなどの形を用いて(Pied-pipingと呼ぶそうだ)文末に前置詞が来るのを避けるのはよりフォーマルな表現になる.


述部(be動詞の補語の場合)における格

  • 「『Hi sweet heart, it's me. 』は間違いで,be動詞の補語は主格でなければならず,『it's I.』が正しい」と主張されることがある.
  • これは3つの混乱(ラテン語文法と英語文法,文法の誤りとフォーマリティ,統語論と意味論)が重なった結果だ.be動詞の補語は意味論的には主語と同じものだが,英語の統語論としてはデフォルトの格である対格でもよく,古くから多くの書き手が用いている.そして「It’s I.」か「It’s me.」かの選択はフォーマリティの問題になる.


shallとwill

  • よく主張されるのは以下のルールだ.「未来を表すときは,第一人称ではshall,第二人称,第三人称ではwillを用いる.意志や許可を表すときには逆になる」
  • しかし実際の用法を見ると,これは全くルールとしては成り立っていない.(もちろん時に従っている人もいるし,英国では当てはまっている用法が多いが,英国以外では全くルールとは言えない)
  • 英国以外では未来を表すshallは几帳面すぎる印象を与える.そして第一人称でshallを使うのは,(全く先のルールとは逆に)許可や意志を表すとき(「Shall we dance?」「I shall retern.」など)だ.


不定詞の分割

  • 「不定詞のtoと動詞の間や,助動詞と動詞の間に語句を入れてはならない」という偽ルールは弊害が大きい.
  • この迷信は憲法上の危機をもたらしそうになったこともある.ジョン・ロバーツは司法長官の任命式のときに「solemnly swear that I will faithfully execute the office of president of the United States.」と誓わなければならないところを,迷信に拘泥するあまり「solemnly swear that I will execute the office of president of the United States faithfully.」と勝手に言い換えてしまったのだ.慌てた周囲は,憲法上無効でないかとの疑義を避けるために後のプライベートミーティングで正しい語句でやり直したそうだ.
  • これもラテン語文法を不適切に流用したことによる誤解が元になっているものだ.そして英語において分割がいけないと考えるべき理由はどこにもない.特に動詞の直前は副詞が入るのに最もふさわしい場所であることが多いのだ.


thanやasの後の代名詞の格

  • 多くの生徒が「thanやasは前置詞ではなく接続詞なので,この後の代名詞は主格でなければならない」と教わっている.つまり「George is smarter than me.」は間違いで「George is smarter than I.」としなければならず,これは「George is smarter than I am.」の省略形として理解すべきだということになる.
  • しかしthanもasも,そもそも接続詞ではない.これらは節もとれる前置詞なのだ.そしてこの前置詞が名詞句もとれるかどうかが問題だということになる.そしてここでもシェイクスピアを始めとした偉大な書き手は何百年も前からこの用法を用いている.結局これもフォーマリティの問題になる.than I の方がフォーマルに聞こえるのだ.
  • ただし注意すべきことがある.まず「It affected them more than me.」 のときはmeをとらなければならない.これは省略されているのが「than it affected me」だからだ.
  • そしてthanの前の語句と後の語句は文法的にかつ意味論的に同格のものを並べなければならない.「The condition of the first house we visited was better than the second.」という文は聞いていればそのまま流されるだろう.しかし書かれた文章になると熟練した読者には引っかかってしまう.thanの前はconditionで後はhouseになってしまっていて違和感が残るのだ.読者の信頼を得るためには「than that of the second」とすべきだ.
  • 最後にthan meの形は曖昧さを作ることがある.「Biff likes the professor more than me.」だと.than I doの意味なのか,than he likes meの意味なのか多義的になる.前者の場合には「than I」を用いることによりはっきりさせられるし,「than I do」を用いるのがベストだろう.


thatとwhich

  • 複数の表現の選択肢がある場合に,最初は選択のアドバイスだったものが,いつの間にか推奨用法以外は文法的な間違いだという偽ルールに変わってしまうことがある.thatとwhichの「用法ルール」はその経緯が最もよく記録されているものの1つだ.
  • よく示される「伝統的ルール」は以下の通りだ.「非制限用法ではwhich,制限用法ではthatを用いる」
  • このルールが正しい部分は「非制限用法にthatを用いるのは不自然だ」という部分だ.実際にあまりに不自然なのでこの誤用はほとんど見られない.しかし制限用法に関してルールは間違っている.制限用法でもwhichは使われるし,ときにwhichしか使えない文もある.「The book in which I scribbled my notes is worthless.」などのように.
  • Thatが使える制限用法の際にwhichを使う用法は,ここでもシェイクスピアをはじめとする書き手に何百年前から見られるものであるし,現代の新聞記事を用いた調査では,アメリカの記事の約1/5,英国の記事の1/2でwhichだった.
  • この偽ルールはヘンリー・ファウラーの1926年の本に始まる.彼は「制限用法の際に必ずthatを使うようにすればより明晰になる」と提案したにすぎないのだ.
  • 書き手にとって真に重要なのは「thatを使うか,whichを使うか」ではなく「制限用法として(カンマを使わずに)書くか,非制限用法として(カンマを使って)書くか」だ.制限用法でどちらを使うかはあまり気にしなくてよい.迷ったときにはthatを使っておけば誤解しているエディターの気に入るだろう.(ただし一部のマニュアルでは「関係代名詞で受ける名詞と関係代名詞の間に語が挟まる場合にはwhichを使う」ことを推薦しているので注意が必要だ)そしてどちらかがよりフォーマルということもない.


whoとwhom

  • 巷にはwhomを用いたジョークがあふれている.(グルーチョ・マルクス「Whom knows?」)
  • これの次のことを示している.(1)whomを使うのは気取っているように感じられる(2)多くの人にはその用法ルールがよくわかっていない.
  • 本来,これは単純な主格と対格にあたる単語だった.しかし様々な事情からネイティブにはその用法がわかりにくくなっている.特に対格においてどちらも使われるし,また当初誤用だった主格におけるwhomも,あまりに頻度が多いためにもはや誤りと感じられなくなっているのだ.そして単純な疑問文の文頭疑問詞や関係代名詞については,特別に堅苦しいやかまし屋のみがwhomを使い続けているという状況になっている.
  • そしてこれはwhomを使わずに全部whoで済まそうという誘惑を生む.実際にwhomは英語から消えつつあるのかもしれない.これは文法の劣化というより記述のカジュアル化現象だろう.
  • ただし,なおwhomの方が自然な場面も残っている.「Who’s dating whom?」などの二重疑問文,いくつかの慣用的用法「To whom it may concern」「With whom do you wish to speak?」など,そして前置詞をpied-pipingする場合においてだ.
  • 書き手としては,文章の複雑さやフォーマリティにあわせて調整するのがよいだろう.カジュアルな文章では,whomは前置詞を伴ったりしてwhomの方が自然なときにのみ使えばよい.フォーマルな文章では,(単純な疑問文など,対格であってもwhomがあまりに気取っていて直截さを減じると感じられるとき以外は)それが主格なのか対格なのかを見定めて使い分ける方がよいだろう.