トリヴァースによる進化生物学者たちの想い出 

Vignettes of Famous Evolutionary Biologists, Large and Small


ロバート・トリヴァースがハミルトンやグールドの想い出について書いている.とにかく面白い.

http://www.unz.com/article/vignettes-of-famous-evolutionary-biologists-large-and-small/
 

W. D. Hamilton

最初はハミルトン.まずそのレクチャーの伝説的な下手さの描写から始めている.これはトリヴァースの別のエッセイでも触れられていたところだが,よほど印象深いのだろう.どこまで行ってもポイントに入らずに時間超過して座長のEOウィルソンから巻きをかけられる話もおかしいが,やはり傑作はマイクをスライドのポインターにして,スライドを指しているときの声が聞こえないようにするというウルトラテクニックだろう.そしてその下手さについて自分自身では気づいていなかったようだとも書いていてさらにおかしい.

次は自分の互恵性論文の最初のバージョンを見せたときのエピソード.

  • 彼はそれをとても褒めてくれた後で,いかににも彼らしく,やさしく「それは数式なしの方がより力強くなるよ」と言ってくれた.実際にはその数式は付加価値がないどころか間違っていたのだ.


トリヴァースの持ったハミルトンの最初の印象は,「とにかくフィジカルに強い」ということだったそうだ.

  • もし議論が押し合いで決するなら自分は決して勝てなさそうだと思ったのを憶えている.一旦彼が足場を固めたなら絶対動かすことはできないだろう.そして彼はこちらに傾いてゆっくりひたすら望む場所まで私を押し込むだろう.それは知的な議論でも同じだろうと思われた.


ここまで書いてから,その進化的思考の深さ,オリジナリティ,すばらしさへの賞賛が続く.トリヴァースによる包括適応度理論のどこが素晴らしいかの解説もあって読みどころだ.ハミルトン則が遺伝子頻度に依存せずに成立することを数理的に基礎づけたところが特に重要だと指摘している.(これは包括適応度理論について少し深く勉強するとよく指摘されているところだが,入門書や一般向けのコメントでここにふれられることは稀だ)

  • ビルはダーウィン以来の最も偉大な進化理論家だ.特に社会理論については最も深くオリジナルなシンカーだ.1964年の最初の仕事は最も重要だ.包括適応度理論はダーウィンのロジックの自然で不可避の拡張なのだ.
  • ダーウィンのシステムでは自然淘汰は繁殖成功の個体差について働く.この場合繁殖成功は生き残った子孫数で測られる.ハミルトンはこのコンセプトを他の血縁個体への影響を含むように拡張した.それが包括適応度であり,個体の繁殖成功に血縁個体の繁殖成功に血縁度を掛けたものを足し合わせたのだ.
  • このアイデアはフィッシャーとホールデンが簡潔に示してはいたが,どちらも真面目に取り組んで理論的な基礎を作るようなことはしなかった.
  • この理論的な基礎付けは,最初に感じられるほど明らかなものではない.確かにハミルトン則はそれが稀な遺伝子であれば自明だ.しかし当該遺伝子頻度が中間的であればそれはそう確かなことには見えなくなる.頻度が増えれば淘汰が効く条件は緩くなりはしないのだろうか?
  • ハミルトンはその答えがNoであり,単純なハミルトン則がすべての遺伝子頻度で成り立つことを示したのだ.
  • 彼は私に以下の話をしてくれたことがある.「博士課程の時にホールデンに質問すべく手紙を書き始めた.しかし質問をきちんと明確に定式化するためにはより深い作業が必要になり,それに取り組んだ.2年後にはすべての問題を解き終わってもはや質問する必要がなくなっていた」のだそうだ.
  • 特に注目すべき包括適応度理論のインプリケーションは,もはや個体は「単一の自己利益」を持たないということだ.遺伝要素は異なるルールで個体に引き継がれるからだ.例えば性染色体上の遺伝子は性によって異なった引き継ぎ方をされる.(明示的に書かれていないが,これはトリヴァース自身をコンフリクト理論へと導いたということだろう)


そこからそれに引き続くハミルトンの業績の紹介がなされる.まず性比,老化,分散,社会性昆虫,オスの二型性,昆虫の高次系統群の起源と列挙される,この最後の仕事はあまり有名でないが,樹木の中の昆虫にかかる興味深い論文のことを指していると思われる.おそらくトリヴァースのお気に入りなのだろう.
業績紹介は,アクセルロッドとの繰り返し囚人ジレンマのリサーチ,有性生殖のパラサイト耐性としての有利性の指摘と続く.印象的なフレーズとして「有性生殖種は寄生体を排除するための生化学技術を自由にかつフェアに交換することにコミットしたゲノタイプのギルドなのだ」が紹介されている.

最後のハミルトンその人についての想い出が語られる.

  • 彼がなぜあれほど周りから敬愛されたかをその論文から読み取るのは難しいだろう.彼は私が会った中でも最も繊細で多層的な心を持つ人間だった.コメントはよく二重三重の意味を持っていた.私達が1つのテーマだけをいわば単音で考えているのに対して,彼は和声で考えていた.スタイルは謙虚で暖かなユーモアを絶やさなかった.彼の手紙はユーモアで縁取られていた.「親子間コンフリクトの新たな展望か?」というコメントともに,ヒトの父子間精巣移植手術の新聞記事を送ってきたこともあった.
  • 最後に会ったのは1998年オックスフォードでだった.そのときには自分のボルボのフロントウインドウにコケが二種類生えているのを自慢して「ケンブリッジに比較して明白なオックスフォードの利点だ.ケンブリッジは乾燥しすぎているのだ」と語っていた.
  • 彼は確かに生物学界で私が出会った最も創造的な心の持ち主だった.最初にバクテリアの分散のための雲作成説を聞いたときの衝撃もよく憶えている.学生がホールを駆けてきて「ハミルトンがバクテリアが分散のために雲を使うと考えているってこと聞いてますか?」と叫び,私は間髪入れずに「彼はバクテリアがどのようにして望むところに雨を降らせるのかまで示したか?」と聞き返したものだ.それは私をへこませた.というのはジャマイカでは人々は「木が雨を呼ぶ.だから木を切るな」と話していて,私はいつも心の中で「それは因果が逆転している.雨が降るから樹木が生えるのだ」と思っていたからだ.しかしハミルトンの示したことを考えると,結局のところジャマイカの人々は正しかったのかもしれない.
  • ビル・ハミルトンは伝説的な知識を持つナチュラリストで,特に昆虫に詳しかったが,人間のこともよく観察していた.彼は私に「左右非対称の表情は男性に多いことに気づいていたか」と聞いてきたことがある.気づいてはいなかった.しかしその後何百回もそれに気づくことになる.
  • 彼は骨の髄までの進化学者であり,同僚の進化学者の繁殖成功のニュースを聞くと喜んでいた.私も同様に彼の3人の娘たち,そして弟たちが生きていることに慰められている.それでもこの「優しい巨人」を失ったことの悲しみはとても深い.


そして彼の死を悼む文章が続く,日本の「インセクタリウム」誌に最初発表され,英訳されてNarrow Roadsの第3巻に収録された「自分が死んだらブラジルでダイコクコガネ葬にして欲しい」というエッセイの話も出てくる.トリヴァースは彼は英国に埋葬されたが,バクテリアによる雲によってブラジルにたどり着けるかもしれないとハミルトンとの想い出を結んでいる.

なおトリヴァース自身は,ジャマイカ以外のところで死んだら安価に火葬にしてもらってかまわないし墓も不要だが,ジャマイカで死ねたら大好きなでかいアカトウガラシ(pimento)の木の根元に深く丸い穴を掘って,頭から埋めて欲しいそうだ.金属光沢に輝く甲虫やバクテリアの雲にはなれないけれども,いくつかのアカトウガラシの実にはなれるだろうと.そしてジャマイカの友人たちは私が棺桶で安らかに眠ることを望むかもしれないが,自分の最上の部分は頭部にあり,そこを最も深く埋めて欲しいのだと.
独創的に葬って欲しいことについてハミルトンに張り合っているようで微笑ましい.あるいは,それも合わせての追悼という趣旨なのかもしれない.


Stephen Jay Gould

続いてグールドについて.ここは思いっきり辛辣だ.優れた知性をグールドのように使うことに我慢がならないということなのだろう.

  • 最初にS. J. グールドに会ったのは,グールドがハーバードの無脊椎動物古生物学の新進のアシスタントプロフェッサーで,私が進化生物学専攻の院生の時だった.当時の無脊椎動物古生物学は進化生物学の僻地として扱われ,石油のありかを探るための有孔虫探し活動の学問とされていた.当然ながらグールドはそのような扱いのはるか先を目指した.ニューヨーク生まれの利口なユダヤ人で,どんな些細な挑発にも過剰に豊富な言葉で応酬した.彼はそこで名をあげた.
  • 私がグールドを訪ねたのは彼がアロメトリーについて詳しいと聞いたからだった.知りたかったのは「なぜオスのシカの角は,骨と異なるアロメトリー指数を持ち,身体サイズの増加に対して骨よりも大きくなるのか?どのような自然淘汰が効いたのか」だった.
  • 私の質問を聞いたグールドは椅子の上で大きくふんぞり返り,そしてこう言った.「君は全く間違っている.これは自然淘汰の代替であって,淘汰の原因ではない:This is an alternative to natural selection, not a cause of natural selection. 」私の脳は急速回転した「自然淘汰は単純なアロメトリー関係を変えられないって?それはそもそも自然淘汰が作り上げた身体やその部分の大きさに関することなのに?」「そもそも最初に身体サイズと骨の大きさの関係を決めたのも自然淘汰でないってこと?」
  • グールドのオフィスを去るとき,私は「このアホウは自分が自然淘汰より偉大だと思っているんだ」と独り言を言った.それは「ダーウィンより偉大」と言うべきだったかもしれない.しかしそのときグールドはまさに自然淘汰それ自体より偉ぶっているように感じられたのだ.確かにスティーヴは金メダルを狙っていた.
  • グールドのことを個人的に知っている多くの私たちのような進化理論家は,彼のことを知的な詐欺師だと考えていた.彼は,実際には真逆のことを主張しているのに,本来以上の中身があるような用語をでっち上げる才能に恵まれていたからだ.そのよい例が「断続平衡」だ.
  • 「断続平衡」は単に「形態上の進化速度は一定ではなく,時に素速く変化する時期を挟んで長く停滞する時期がある」ということを意味するに過ぎない.それらはダーウィンの時代からよく知られていたことだ.(例としてコウモリの進化史をあげている)
  • しかしスティーヴは,これを何かもっと重大なこと,自然淘汰を何か別のものに置きかえることについての正当化にしたかった.自然淘汰は個体の繁殖成功について効くのに対し「種淘汰」と呼ばれるものに置きかえられるとしたかったのだ.
  • 自然淘汰圧が強く形態変化が激しい時期には種のターンオーバーが速くなるであろうと想像するのはたやすい.だからその様な時期には種淘汰が強く働き,それ以外の平衡時期には自然淘汰が優越すると想像してしまうかもしれない.しかし種のターンオーバー率は種内の形態変化率とは何の関係もないのだ.種間の相対頻度のみがターンオーバー率と関係するのだ.彼は自作ファンタジーを抱きしめてしまったがために大いなる興味深い科学をし損なった.現在種淘汰は興味深くはあるがマイナーな問題とされており,古生物学パターンから導き出される重大な原則だとは考えられていない.

Gould Mismeasure of Man

Gould Mismeasure of Man

  • 作者:Gould, S. J.
  • 発売日: 1983/01/26
  • メディア: ペーパーバック

トリヴァースはさらにグールドの知的誠実性を疑わせる新知見を挙げている.

  • 最近スティーヴに関して驚くべき新事実が明らかになった.彼は自身の実証分析の中で,他者の仕事を「政治的イデオロギーを優先させてデータ分析を偏向させた」として攻撃していた.しかし政治的イデオロギーを優先させて偏向した分析を行ったのは彼自身だったのだ.さらに衝撃的なのは彼のエラーが非常に広範囲でかつバイアスが重大だったことだ.
  • 注意深い再分析の結果明らかになったのは,グールドに攻撃された学者は無実であり,グールドの攻撃自体はまさにグールドが相手を攻撃したようにバイアスしていたことだ.
  • グールドの著名な著作「人間の測り間違い」はサミュエル・ジョージ・モートンを貶めることから始まっている.モートンは19世紀初頭の学者で,ヒトの頭蓋内体積を量ることに注力した.彼は頭蓋内に種子やボールベアリングのボールを満たしてそれをシリンダーに移して計量した.彼は純粋な実証家で脳容積は重要な量だからそれを正確に計量しようとしたのだ.
  • 私はこのような特に何かの仮説を検証しようとするわけでもないのにただデータ集めをする実証家の人々を愛している.それは特定の仮説のために集められたわけではないからこそ,バイアスのない信頼できるデータになるのだ.私自身これらの人々の多くを負っている.特に思い出深いのはアリの性比を調べたときに,そのように集められた膨大でかつ正確なデータを使うことができたことだ.
  • いずれにせよモートンはデータをグループ化する際に,大きな関係性を最もよく反映すると思われる方法を用いた.つまり,アメリンディアンとアメリンディアンは同じグループに,アフリカ系はアフリカ系と同じグループに,ノルディックヨーロッパ人はノルディックヨーロッパ人と同じグループにという具合だ.
  • 例えば,グールドは「モートンは,ノルディックをより細かなサブグループに分け,熱帯系を一括りにすることによって,多くのノルディック系の脳容積が熱帯系より大きくなるように操作した」と主張した.しかし実際には逆だったのだ.モートンはアメリンディアンについてより細かなサブグループを作り,そのサブサンプルがノルディックの平均と同じか大きな場合にはそのことを繰り返し報告している.そしてグールドはモートンがそれを隠したと(虚偽の)攻撃をしているのだ.
  • 別のケースではグールドは,「女性のみあるいは男性のみのサブサンプルの数を減らす」という目的のために,4人より小さなすべてのサブサンプルを排除している.その目的は統計的には無意味だが,グールドには都合のよい方向にバイアスがかかり,恣意的にいくつかのサンプルを排除してよりバイアスさせるというエラーを許容させるものだった.もしあなたがグループの平均同士を比較したいのなら,4人以下のグループの平均データを排除するのは意味があるかもしれない.しかしサブサンプルを足し合わせるのなら,小さなサブサンプルを排除する意味は全くない.すべて足し合わせるべきだ.モートンは不注意で不正確だと糾弾されているが,実際真に恣意的に都合のよい方向にデータをバイアスさせているのはスティーヴなのだ.
  • さらに付け加えるべきことがある.モートンの誤謬をでっち上げるために,グールドはその行為を無意識のバイアスが働いていると大喜びで描写している.「モートンは,でかい黒人の頭蓋には種子を軽く満たし,そっと振る.次は小さめのコーカシアンの頭蓋だ.しっかり何度も振り,親指で押し込む.それは意識的な意図なしに簡単に可能だ.期待はパワフルな行動ガイドになる」確かにそれは生じうる.しかし再測定の結果モートンにはその種の間違いを起こしていないことが明らかになった.計測ミスは3つのみで,それは(グールドの描写とは逆方向の)アメリンディアンとアフリカ系を大きく計量するものだった.
  • グールドには同じことは言えない.彼はモートンの全く客観的にデータに出会った.そしてバイアスを持つ手順(4以下のサブサンプル排除)を導入し,彼の望むバイアスを持つ結果を得た.そしてノルディックとアメリンディアンのサブサンプルサイズを誤表示し,強い断言によってありもしないバイアスの幻想を創り出したのだ.
  • このどこに無意識のプロセスがあるだろうか.スティーヴは自動操縦で背面飛行していたのか?「『ノルディック』(についての説明)と『熱帯』(についての説明)をすり替えて,4人以下のサブサンプルを排除する」という選択を無意識に行い,自分自身に自分のバイアスを隠しつつ望む結果を得たのか?意識を持つ生物がこれらのすべての行動を全く無意識下にできるだろうか?想像しがたい.しかしその後この意識を持つ生物は自己欺瞞モードに入ったようだ.大法螺吹きで他人に責任転嫁する詐欺師,「自分は正しい」という傲慢さをもって他人の自己欺瞞を許す心の広さを示してみせさえしたのだ.
  • ルイスたちのこの批判に対して,「グールドの墓守」ことナチュラルヒストリー誌のエディターを長年にわたって努めたリチャード・ミルナーはグールドを擁護していくつかのコメントをしている.
  • 「グールドは完全な信念と誠実性から行動した」これは要するに完全な自己欺瞞モードであったということだ.
  • 「彼はどのような形の人種差別についても反対する不屈の闘士だった」集団差についての真実を誤表示し,そしてそれを隠蔽することが,一体どんな意味で人種差別に反対することに貢献するというのだろうか?
  • そして最後の逃げ口上は「バイアスがあるにしてもそれは天使の側に立っていた」だ.どちらが天使側なのか,誰が判断できるというのだろう.私たちはかろうじて「自分にとって有利かどうか」を知ることができるだけなのだ.
  • このことが示すのは,意識と無意識の境を示すのは,あるいはその混合具合を示すのは難しいということだ.2010年になされた言語学的な分析によると「イラク戦争を主導した者たちのスピーチは,『フセインが9.11に関与している』こと,あるいは『イラクが大量破壊兵器を持っている』ことをしゃべっているときには欺瞞的である」ことを示唆している.私はこれは意識的な欺瞞を示していると当初考えていたが,今はそう考えていない.無意識の自己欺瞞も同じ症状(「I」という単語の頻度の減少,修飾語の頻度の減少など)を示すだろう.

最後は得意の自己欺瞞の話になっているのがトリヴァースらしい.

Richard Lewontin

次はリチャード・ルウォンティン,グールドに対するほどではないが,これも辛辣だ.

  • ルウォンティンは1970年代には圧倒的な実力者だった.彼は聴衆の前を大股で行き来し,手はサスペンダーに掛け,腹を突き出し,進化的な思考における「動態方程式」の重要性を力説した.聴衆は誰も「動態方程式」が何なのか知らなかったが,それをすぐに学んだ方がよいということはわかった.
  • 彼は集団遺伝学のエキスパートだったが,彼を有名にしたのはハビーと一緒に行った自然におけるヘテロ遺伝子座の頻度のリサーチだった.このリサーチはへテロ頻度がかなり高いことを明らかにした,これは重要な発見だった.
  • 彼のトークを最初に聞いたのは1969年のハーバードのレクチャーだった.彼はショウジョウバエの進化適応について素晴らしいレクチャーをした.しかし5年と経たないうちにルウォンティンは自然淘汰に背を向け,リサーチの重点をランダムな要因に絞っていった.
  • 私はこの転向は政治的な立場によってなされたものだと信じている.ヒトの行動や遺伝学に応用されないようにするために彼は自分のそれまでの修練を無意味にすることにしたのだ.
  • そして彼は科学からどんどん離れ,政治や哲学の書き物に時間を費やすようになった.それらは非常に難解で,難解なのは無意味なためでもあるだろう.その一部を見てみよう

現代生物学の歴史を通じて生物にかかる2つの基本的な問題に関する混乱がある.『違いの起源の問題』と『状態の起源の問題』だ.最初この2つは同じ問題に見える.そして正しい方向に進めればそうなる.結局私たちが,個別の生物がなぜそのような形であるのかを説明できれば,同時にその違いも説明できることになる.しかし逆は真ではない.2つの生物がなぜ異なるかの十分な説明は,彼等の本質を知るためのすべてのことを尽くしているとは限らない.

  • デイヴィッド・ヘイグはイサドール・ナビ(ルウォンティンとグールドが社会生物学論争でEOウィルソンを批判したときに著者名として使った架空の人物)を引用しながらこう応酬した.

もし私たちが,違いに対して効く自然淘汰に基づいて,各生物がそれぞれの形態に進化したことを説明できたなら,その帰結として,なぜ各生物がそのような状態にあるのかを説明できるだろう.しかし逆は真ではない.ある生物がどのように発達するかの十分な説明は,なぜその生物がそもそもそのような形態になっているのかの説明にはならない.

  • ルウォンティンの政治的文章についていえば,彼がレヴィンスと一緒に書いた「マルクスレーニン主義には客観的な真実と矛盾することができる内容はない」ほどすごい文章はないだろう.ワオ!もし原則的に矛盾できないとするならそれは何も語っていないということだから,彼等の企図は無意味だということだ.これほど速く堕落していくのは稀だろう.
  • ルウォンティンの物語は,偉大な才能を持ちながら,馬鹿げたこと,見せびらかすこと,浅薄な政治的な思考,役立たずの哲学的反芻にその才能を浪費し,片方でその政治的な主張に合わせた前提により自分の遺伝学の仕事を制限した男の物語だ.彼は長年にわたりラボを成功させ続けていて,簡単に大きなリサーチファンドを得られる立場にあった.だからハーバードで院生やポスドクとして彼に接したアメリカの遺伝学者はみな彼に好印象を抱いている.しかし,遺伝学者としてはいうまでもなく(初期の連鎖不平衡の仕事は素晴らしいが),進化生物学者としてみると,彼は後年全く無内容になった.彼の弟子の中の最も優秀な人達ですら,彼には20年間ほとんど何の業績もないと結論せざるをえない.
  • ところでルウォンティンは公式の場ででっち上げをしゃべることがあると自分でも認めている.それはイデオロギーと政治の戦いでは相手も嘘をつくのでそれに対抗するのだという.しかしそれ以外の場では,例えば委員会のような場では,ルウォンティンは合理的で有用だ.
  • そこが常に自己宣伝と自己欺瞞でふくれあがっていたグールドとは異なる.グールドの場合には科学的にどうしようもないだけでなく,他の文脈でもその振る舞いのほとんどが救いがたかった.私はかつてグールドが,真に優れたコロンビア人の生物学者をハーバードの教授として招聘するかどうかを決める会議において「そうすれば,私たちは彼を(故国から)取り上げることによって第3世界を差別することになってしまう」という理由で反対するのを聞いたことがある.部屋は重苦しい沈黙に包まれた.医療の世界と違って当時進化生物学の世界に頭脳流出問題など無かったのは確かだ.なぜその候補者が世界最高の博物館とも連結しているハーバードの教授職に収まって,そのファンドの一部をコロンビアのために環流させ,現地の生物学者を磨き上げることに貢献することが可能であることに思考が向かないのだろう.


ルウォンティンの話をしながら最後はグールドの悪口になるのがトリヴァースのグールドについての思いをよく示している.この2人はトリヴァースにとってハーバードの同僚でもあり,特にその醜悪な部分がよく見えたのだろうし,社会生物学論争を通した彼等の行動は許せないと考えているのだろう.トリヴァース自身筋金入りの「左翼リベラル」として有名なのでこのあたりは重みがあるところだ.

George C. Williams

1人飛ばして*1最後はジョージ・ウィリアムズ


2002年に最後に電話したときにはウィリアムズは既にアルツハイマーの症状を示し始めている自覚があったそうだ.通常それは近親者の大きな負担になるが,ウィリアムズの優しい性格はそれを大幅に軽くしていたと後に聞いたそうだ.

  • 直接最後に会ったのは2000年のHBESのハミルトンのメモリアルセッションだった.ドーキンスのトークの最中にウィリアムズの妻のドリスがこう言っているの聞こえた.「ジョージ,そんなことしちゃだめよ.ビルの想い出を語るだけにして頂戴.だめよ.」だから私はジョージがすくっと立ったときには,まさにドリスが望まなかったことを始めるのを確信していた.
  • ジョージはこう始めた.「私はビルに生きていて欲しかった.なぜなら彼には言いたいことがあるからだ」そしてトークはすべてその「言いたいこと」についてだった.それはビルの有性生殖へのパラサイトアプローチに反する証拠と思えるものについてだった.それはまったくもって素晴らしかった.そのような催しでそういう議論をすべきでないと考える人もいるだろう.しかし私はこのメモリアルこそ,全く動きに無駄のない(まさにヴィンテージの)ウィリアムズと永遠に重要性を持って輝き続けるビルのアイデアを示すのにパーフェクトな機会だったと思う.

Adaptation and Natural Selection (Princeton Science Library)

Adaptation and Natural Selection (Princeton Science Library)

  • ジョージへの最初のコンタクトは私が院生の時だった.私は彼に印刷中だった「親の投資と性淘汰」という本のある章の草稿を送ったのだ.私がこれを書いたときには,このキーになる発想がウィリアムズの1966年の「適応と自然淘汰」に由来するものだったことをすっかり忘れていた.思い出したのは学生向けにレクチャーを準備していてこの本を読み返したときだった.そこには性役割逆転種の記載に私自身の書き込みがびっしり入っていた.だから慌てて引用を入れるべく手配していると書き送ったのだ.というわけでジョージから返事が来たときには少しナーバスになっていた.
  • おそるおそる開封してみると,これまで受け取ったどんな手紙より暖かみのある優しいものだった.その中で彼は,私の論文が,彼の「性と進化」に関する次の本の生存率の性差に関する1章を旧いものにしてしまったと書いて,その草稿を同封してくれていた.彼は適切な引用がないことについて何も言わず,科学的な中身についてだけ取り上げたのだ.彼のその1章はオスの致死率についての「オスの繁殖成功のより大きな分散は,しばしばオスの生存にコストを課すだろう」という私の本質的な洞察を含んでいた.その本は有性生殖は世代ごとに50%のコストを払うのでそれは何らかの利点で埋め合わされなければならないという考え方を突き詰めるものだった.
  • 1974年,私は彼を性に関するアイデアをテーマにレクチャーしてくれるようにハーバードに招いた.私は彼がシャイだとは言わない.暖かな微笑みとユーモアを絶やさない人だった.彼のジョークで最も好きなのは,彼がおじいさんになることの喜びを語ったときに出てきたものだ.「子供を作るより先に孫をもてるんだったら,絶対そうしていたよね」彼の言いたいことはよくわかる.高い血縁度で義務はないのだから.あるいはメルビン・ニュートン曰く「朝食にアイスクリームを振る舞えるんだよ.そして後はどうなってもいいんだ」
  • 1957年に老化の進化についてリサーチを始めたのを皮切りに,後年の彼は進化医学に取り組んだ.よく憶えているのは彼が「十分に少ない量であっても有益にならないような物質(毒物を含む)があるとは考えられない」と言っていたことだ.これはまず間違いなく「言い過ぎ」だろう.でも簡潔で役に立つ考えだ.彼の生物学の知識は本当に深く,彼は私が知る限り,利己的遺伝要素というカテゴリーがあることを予見していた唯一の人物だ.雄性発生(Androgenesis)は今や3つの系統の離れた動物で見つかっている.
  • 彼は,温かくて謙虚なパーソナリティに包まれ,簡潔で明瞭な思考を持つ素晴らしい人だった.彼は特に,「グループ淘汰」とか「精神分析」などのゴミのような用語の先に何があるかを見透すことのできる人だった.そして注意深く,ゆっくり重要な問題を進めたのだ.


半世紀にわたって進化生物学のあれこれをハーバードなどから見てきたトリヴァースによるコメントだけに大変迫力があって面白いと思う.さもありなんという話も多いし,初めて聞くエピソードもある.社会生物論争や行動生態学の学説史に興味がある読者にはとても興味深いだろう.


 

*1:この間に比較動物学博物館館長だったダーリントンの短い逸話が挟まれている.インドネシアでロープ橋で川を渡っていたときにワニに食いつかれるが,「ちょっと待て,お前をワシを標本として採集してるんじゃないよな.こっちがお前を採集するんだ」と叫んで何とか逃げ出したという話が語られている.