日本進化学会2016 参加日誌 その1 


大会初日 8月25日


2016年の第18回日本進化学会は2010年の第12回大会と同じく大岡山*1の東工大で開かれた.

東工大驚異の部屋

今回は「東工大驚異の部屋」と題した生き物グッズや鉱物の展示販売会が開かれていてなかなか楽しい.出展は以下の通り.

  • はくラボ「認定NPO法人 大阪自然史センター」
  • 科学バー(キウイラボ)
  • STUDIO D'ARTE CORVO (小田隆)
  • パイライトスマイル
  • RC GEAR
  • エンウィット
  • あまのじゃくとへそまがり
  • エーアンドゼット
  • バクテロイゴ
  • 工房うむき

学会自体は13時10分からのスタートなのだがこの展示販売会は10時からということでちょっと早くでかけて覗いてきた.いろいろ物色していると物欲が抑えきれなくなり,小田隆さんのお店で迫真の恐竜イラストのトートバッグ(店ではドードー推しだったが,やはりティラノだろう.これは表裏にイラストがあって素晴らしい),工房うむきで1点もの陶器のカエル(ベルツノガエル)を購入と相成った.




超学際領域としての進化言語学

大会初日のスタートは進化学会では時折開かれる言語進化のワークショップに参加した.

企画主旨説明 藤田耕司

趣旨説明は生成文法学者の藤田耕司から.

  • 今回は周辺領域から4人のスピーカーを迎えてそれぞれのリサーチを話してもらい,別のエリアの研究者に個別コメントをもらい,さらに最後に総合討論をするという形式で行う.
  • いろいろな言語の学際研究では言語とは何かについてよくわからないままやって混乱しているものもあるが,われわれはそこをまずきちんと合意してからやるのだと宣言されて以下のような図を提示.

  • これらの要素の一つ一つがモジュラーであり,組み合わさって言語になるという生成文法的な概念を用いるということだろう.そしてこれらの要素のそれぞれヒト以外の動物に前駆体のようなものがあるとして進化を考えるということになる.
身体性と言語創発の関係について― 海馬エピソード記銘における分節化からの検討 我妻広明

AI研究者からの発表.元々NECでPC9800シリーズにかかわるエンジニアだったが,脳に興味を持ち,研究者に転身して理化学研究所に所属して海馬の回路をリサーチ.その後AIに専門を切り替え,現在九工大でAIロボットのエンジニアをしているという経歴の持ち主だそうだ.

  • 脳とAIの違いをまず整理.脳は直感的,生成的(思いつきがある),内省的,自己言及的だが,AIは規則適用的で,外部から規定され,自己完結型になる.
  • そして関連してAIの3大問題がある.
  1. フレーム問題:離散的表象を行う記号で物事を処理しようとすると計算爆発してしまい決定できないことが生じうる.
  2. 記号接地(シンボルグラウンディング):あるものを記号で表象しようとすると特徴の羅列で定義しがちだが,それではうまく定義できないことがある.ただ近年ベイズ的な推論,深層学習で大量データを処理すればある程度できるのではないかという展望がたちつつある.また主観的な世界(社会性,意識,責任,情感,質感)と客観的な世界(状況,事実など)の差をどう埋めるかという問題もある.
  3. 中国人の部屋:全体的な状況理解,場の理解

ここではこの最後の問題を少し詳しく議論する.

  • 車の自動運転では,道順,経路,軌道という何層ものレイヤーをすべて統合した理解を持たないと実際の運転の判断ができない.このような重層化した情報を「場」とするとこれを離散的な表象でAIに扱わせることができるかが問題になる.では脳は実際にどう処理しているのか.神経回路はちょうど多数のメトロノームが同期するような形で自然なクラスタリングが生じる.これにより処理できていると考えられる.
  • すると脳でやっていることを全部AIでできるかという問題は,神経回路が異なる性質を持つという難問を持つことになる.
  • ここで脳がタスクを学習する際には二通りのやり方がある.一つは「自動運転において前の車が近づいたらブレーキを踏む」のようなタスクで強化学習で訓練を繰り返すと無意識にできるようになるものだ.これは手続き記憶を用いる.これはAIに載せやすい.
  • もう一つは,「自動運転において曲がり角の侵入で後続車に追突されないように入る」などのタスクで「場」を理解して判断するような学習だ.これは扁桃や海馬が加わりエピソード記憶を用いる.これはAIに載せるのが難しい.
  • 実際に脳が「自分が今どこにいるか」を認識する仕組みは海馬の位相歳差θリズムによっている.時間を圧縮しては歌うように発火させ,それを送っていく.AIにもこういう形にして実装を考えるということになるだろう.そうでないと難しいだろう.実際に現在のGoogle翻訳では,一旦場の認識が必要になるような文章になると支離滅裂になる.
  • このような情報の分割と再構成の過程を考えるとボトムアップだけではなく重層的なレイヤーを一気に扱えないと難しいということになる.


なかなか普段聞くことのない話なので面白かった.

我妻講演の解説と検討:「出来事」としての原意味と構造化された言語的意味の関係 橋本敬

このワークショップは講演者ごとにコメントが入るという構成.我妻講演だけでは言語との関連がわかりにくいところ,うまくつないだコメントになっていた.

  • これはわれわれの言語の定義でいうと概念・意味の部分.ここにはエピソード記憶が重要になり,それに位相歳差θ波などのコーディングで「場」を認識することにより可能になるということだろう.
  • ただここから文脈性の低い「概念」に向かうにはどうするのかという問題は残る.それは意味の部分と中央の階層構造の部分のフィードバックにより,結合,規約,拡張,併合などの操作を通して,アイコン,インデックス,シンボル,言語的意味として生まれるのではないか.最後のところはまさにこれから.
発声による脳内遺伝子発現コントロール:行動と進化を結ぶエピジェネティクス 和多和宏
  • ヒトは音を聞いてそれを話せるようになる.これはvocal learningであり,単に聞き取るauditaryとは異なる.前者を行う動物にはクジラ類,コウモリ,オウム類,ハチドリ,ゾウ,そして鳴鳥類がある.これらは一種の収斂進化だと思われる
  • また最後の鳴鳥類はヒトとの共通点(コミュニケーション手段,感覚運動学習,複雑な時系列構造,特化した脳部位,学習臨界期)も多い.ここではキンカチョウのリサーチを紹介する.
  • キンカチョウは感覚学習期(20〜65日:聴くだけ)と感覚運動学習期(30〜85日:発声も行う)が異なり,活性化する脳部位も異なる.運動学習期には自発的に一日1000回も発声する.
  • ここで学習臨界期の脳内の遺伝子発現を調べると若鳥時と成長時の間にエピジェネティック制御を行うとされている遺伝子発現が異なっていることが見つかった.これによりエピジェネティックな機構により学習を制御していると思われる.


このほか発声を阻害したときにどうなるかとか,1年ごとに学習し直すカナリアとの違いなどの話もあって面白かった.ただ要するにある個体の生涯で遺伝子発現を時期に合わせて調整しているというだけであって,それが子孫に受け渡されるわけでもなく,エピジェネティックスという言葉になぜこだわるのかはよくわからなかった.

和多講演の解説と検討:エピジェネティクスと進化を結ぶボールドウィン効果 岡ノ谷一夫

まず和多講演について補足付きでまとめ

  • 種によって歌系列パターンの学習準備性が異なる.他種のパターンを学習してもしばらくして失ってしまうことがある.
  • 学習の過程の遺伝子発現でエピジェネティックスが効いている.これにより歌の表現型は変化しうる.
  • エピジェネティックス過程と環境の相互作用がある.
  • これらの含意をより深く理解するには「ボールドウィン効果」を用いるのがわかりやすいだろう.ボールドウィン効果とは,元々学習によって得ていた形質があり,これが有利であるなら,(遺伝的獲得がよりコストが小さく可能なら)遺伝的にその形質を持つように進化しうるというもの.
  • ここでエピジェネティックス過程があるということはこの獲得が世代を超えうるということだろう.
  • また関連して「逆ボールドウィン過程」もある.これは,元々遺伝的形質が,学習過程で獲得した方が有利なら学習獲得に向かって進化するというものだ.この過程にもエピジェネティックスが関与しうるだろう.


要するに,今回はそこまでは示されてはいなかったが今後学習獲得の歌のパターンがエピジェネによって世代を超えていればいろいろ面白いということだろう.

言語能力進化の歴史的側面 井原泰雄

まず井原自身の言語進化についての関心が説明される.

  1. 言語能力を構成する下位機能の出現を人類進化のタイムラインに位置づける.
  2. 各機能の出現の背後にある淘汰メカニズムのモデルを提案する.

2番目が最終目標だが,今日は1番目について.

ここからチンパンジーとの分岐の7百万年前からのタイムラインに沿って流れるように説明

  • 化石:脳容量の拡大は3〜2百万年前ぐらいから加速.(エレクトスの脳容量拡大はアジアとアフリカで収斂している可能性があるという指摘は面白かった)ネアンデルタールとサピエンスで最大になるが,脳の形態の主成分分析平面で見ると(サイズと頭頂弦長)ネアンデルタールの形態変化はそれまでの脳容量拡大傾向のラインの上にあるが,サピエンスは頭頂葉上部が拡大しており,離れている.
  • 考古遺物:象徴的行動の起源(道具ではない象徴的なもの,言語との関連が疑われる)はヨーロッパでの5万年前より以前にいくつか見つかっている.7〜10万年前からビーズ,オーカーなど.なおネアンデルタールの象徴的な遺物についてもいくつか主張がされている.石器はオルドワン,アシューリアンと進む.製作時の完成イメージと言語の関係が議論されている.
  • DNA:チンパンジーとの違い,その領域,ホミニンの系統樹,デニソワン,ネアンデルタールとの交雑.
井原講演の解説と検討:先史の象徴思考と言語能力の進化 内田亮子

まず冒頭で人類学者の言語進化についてのスタンスがコメントされる.

  • 言語学者はこれまで,言語の進化について説明できないとあきらめていた人と,言語が何かもわからずに勝手にしゃべっていた人に別れる.もっとちゃんとやりましょうよというのが現状
  • そして言語がいつどのように進化してきたかのストーリーを作るかについて人類進化の知見は重要なはず.しかし人類学者はこれまでは言語の構造は無視して象徴のところだけ扱ってきた.


ここから象徴(シンボル)という概念についてのコメントが秀逸だった.

  • そもそもSymbolとは何か,象徴とシンボルは同じか.この問題について領域を超えて定義がばらばらだというのが現状.
  • そして定義はあっても曖昧.一般的な定義は,抽象的,価値,全体の一部,意図などを持ち出す.そして曖昧なまま自由に議論する.ほとんどディスカッションは不可能で,そして業界の中では自分勝手に扱える自由がいいのだという風潮もある.
  • パース,ディーコンはアイコン(AとBが似ている)とインデックス(AがBを示す)とシンボル(言語固有でより上位のもの)を区別する議論を行っている.
  • で,考古物からこれがシンボルかどうかを確実に判断するのは難しい.証拠の再検討は必要だろう.単に装飾だというだけではだめで,カフゼのように3色を用い,世代を超えて,実用性ではない社会的な意味があるなどの要素があってはじめてシンボルかもしれないということではないか.
  • 今後は言語の構造の視点を持ち,シンボルの定義を共有し,過去の証拠,動物との比較,理論を考察していく方向だと思う.


最初にディーコンを読んだときには,このアイコンとインデックスとシンボルの区別にいろいろこだわっていて,なかなかわかりにくかったし,実際にいろいろな象徴性に関する議論は何となく噛み合わない気分をいつも感じていたこと.そのあたりについての率直な実情吐露で大変面白い話だった.

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

ヒトはいかにして人となったか―言語と脳の共進化

乳児音声発達と言語進化 馬塚れい子
  • 乳児の音声発達は動物における言語前駆体との接点だとして研究されている.
  • 産まれる3ヶ月前の胎内から学習を始め,韻律やリズムを学習.生後1年ぐらいまでに母語の音韻体系への特化を行い,その後意味や構造に入っていく.
  • 音韻構造には言語的な機能のほかにパラ言語的な機能があり,音の質や大きさや韻律で情動などを伝えることができる.
  • 韻律にはいろいろあり,単語レベルで異なる韻律を用いる例としては,強勢拍(英語のアクセント),声調(トーン:中語の四声)ピッチ(日本語のアクセント)などがある.言語によっては単語としての(複数の)韻律を持たないものもある(フランス語,韓国語のソウル方言,日本語の東北弁)
  • この中でピッチ(音の高低)は,日本語においては異義語の識別のためのピッチアクセントとして用いられ,さらにマザリーズの韻律情報でもある.
  • では乳児はピッチをどう学習するのか,これは視覚的馴化法および脳活性領域映像を用いて調べる.4ヶ月ぐらいから音として区別を始め,10ヶ月ぐらいで母語のトーンとして識別するようになる.
  • ではパラ言語としてのピッチはどうか.ピッチの強調はマザリーズの特徴として知られていて,英語話者などでは大人に話すのと,子供に話すのでは大きな差がある.これを文の中での最高ピッチと最低ピッチの差として計測すると,世界中の言語でマザリーズでピッチの幅が広かったが,日本語は例外という結果だと報告された.
  • 追試してみると確かに日本語のマザリーズは大人の会話と比べて差が無い.しかし実際に聴いていると確かにピッチを変えているように聞こえる.不思議に思ってよく調べてみた.
  • 英語などの言語においてはまず文にストレスがあり,その単語においてピッチを大きく変える.これに対して日本語では,文においてピッチがいろいろと変化し,パラ言語としてのピッチ変化は最後の文末のみで処理される.このこととマザリーズでは文が短い(だから通常のピッチ変化が小さい)ことの両方により,日本語では全体のピッチ差には差が無いが,パラ言語としてのピッチ変化はマザリーズの方が大きいということがわかった.要するに日本語も同じだったのだ.

なかなか楽しいテーマだった.

馬塚講演の解説と検討:直示につながる音声発達と言語進化への示唆 小林春美

簡単に講演をまとめた後,ヒトのコミュニケーションはOstention(直示)が重要だというコメントを行った.

全体討論

この後全体討論に.最初は初歩的な質問,後半は岡ノ谷,藤田両巨頭が厳しい突っ込みを入れて活性化した..
学習には生得的な準備性が基礎としてあること,言語の重要なモジュールとして階層性があることが強調され,ディープラーニングだけでそこは解決できないのではないか,いやそもそも階層的にラーニングするという構造があるからいいのではないかあたりで盛り上がった.なかなか楽しかった.

*1:この英語表記はなかなか難しい.正しいヘボン式ではOokayamaになるようだ.曖昧性の残る表記だが,東工大のウェブページでも東急の駅名表示もこうなっている.