Language, Cognition, and Human Nature 第7論文 「ヒトの概念の性質」 その12

Language, Cognition, and Human Nature: Selected Articles

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コネクショニズム批判を終えてピンカーはそもそものトピック「ヒトの心のコンセプトの性質」にもどる.

認識論的カテゴリーと存在論的カテゴリー

  • レイは,「たとえ人々がファミリー類似的(あるいは古典的)カテゴリーを使うことを示せたとしても,それは世界がファミリー類似的(あるいは古典的)カテゴリーを含んでいることを意味してはいないと指摘した(Rey 1983).
  • これは興味深い問題を提示する:もしファミリー類似カテゴリーと古典的カテゴリーを扱う上で心理的な区別があるのなら,それは実際に世界に異なるカテゴリーがあることを正確に捉えているからなのだろうか.あるいはそれは私たちの神経的な装置に限界あるいは欠陥があるために世界を正確にグルーピングできないからなのだろうか.
  • 心の中にどのようなカテゴリーがあるかという問題と,世界にどのようなカテゴリーがあるのかという問題は連関している.
  • もし心が世界について理解し,予測することを可能にするために進化したものなら,概念カテゴリーを形作るメンタルシステムは世界に実在するカテゴリーがこうなっているはずだという黙示の前提を元に形成されているはずだ.それは我々の物体の運動を捉える視覚認知アルゴリズムが,世界には硬い物体があるという前提を元に形成されているのとちょうど同じことになる.
  • 英語の過去形システムは古典的カテゴリーとファミリー類似カテゴリーの両方を示し,道具や野菜や動物などの通常の概念システムとは全く異なる存在論に乗っているようだ.だから過去形の概念システムの分析は,この2つのカテゴリーが立ち上がる異なる条件を明確にするために役立つだろう.


「世界に実在するカテゴリー」とはなかなか哲学的な話になってきた.
ヒトの心には古典的カテゴリーを扱うプロセスとファミリー類似カテゴリーを扱うプロセスがある.進化心理的に考えるとそれぞれ個別のモジュールであり,それぞれ異なる淘汰圧への適応である可能性があるわけだ.そして「それぞれの淘汰課題を解決するために,その課題に関連する世界に実在するカテゴリーを用いるように進化した」ということが仮説として立てられるだろう.ただこの仮説が成り立つためには(ピンカーの留保しているようなメカニズム的制約だけでなく)「実在カテゴリーと同じ心理カテゴリー処理を行う方がコスト対比のメリットが大きい」という前提が正しくなければならない.厳密にはファミリー類似カテゴリーだが,例外がわずかなので古典的カテゴリーで扱った方が平均して効率的であるなどの事情があれば,心的カテゴリーと実在カテゴリーは一致しないように進化しても不思議ではないだろう.
ピンカーの扱い方が楽しみだ.基本的には機能と過程が食い違っている動詞の過去形を用いれば,より深い議論ができるということなのだろう.