第1章 歴史的起源 その17
オーグレンの遺伝子視点の起源の解説.その3つの基礎のうち自然神学,集団遺伝学と並ぶ最後のものは「淘汰のレベル論争」とされている.
オーグレンは前段で集団遺伝学創始者3人組みのグループ淘汰や血縁淘汰に関する態度を紹介し,ここららいよいよグループ淘汰についての論争を扱う.「淘汰のレベル論争」は,少なくとも当初はナイーブグループ淘汰に対する批判から始まっている.そしてそのナイーブグループ淘汰を強く主張した大立て者がヴェロ・ウィン=エドワーズになる.
1-4 淘汰のレベル その3
1-4-1 ウィン=エドワーズとナイーブグループ淘汰の起源 その2
- 「相互受容」時代は1962年に突然終了する.その年,ヴェロ・コプナー・ウィン=エドワーズの「社会行動と関連した動物の分散」が刊行され,グループ淘汰をめぐる論争が始まった.
- ウィン=エドワーズはグループ淘汰の最初の提唱者ではない.(グループ淘汰的な記述のある1949年の生態学の教科書が引用されている)
- しかしながらグループ淘汰と最もよく結びつけられているのはオクスフォードでジュリアン・ハクスリーに指導されたこともあるウィン=エドワーズになる.彼の「動物の分散」は「動物の社会行動を説明するのに個体淘汰だけは不十分だ」という1つの長い議論になっている.彼は「動物が過剰個体数まで増加するのをどのように防いでいるのか」(彼はこれを「自然のバランス」と呼んだ)に関心を持った.そして動物はグループの個体数を推定し過剰個体数になるのを制御する能力を進化させたと考えた.今日この考えは,最も熱心なグループ淘汰主義者でも「ナイーブ」と呼ぶ理論になる.
ウィン=エドワーズの議論は,動物個体群がまさにマルサスが議論したように個体数爆発,そしてその後の窮乏状況を起こさないのはなぜかを考察する過程から生まれたものだったことはよく知られている.ここでオーグレンは「ナイーブグループ淘汰」という呼び方について,DSウィルソンとEOウィルソンの共著のグループ淘汰に関する2007年の論文を参照している.
- ウィン=エドワーズの主張は,反論の嵐を巻き起こした.最初の批判者はウィン=エドワーズの宿敵とも呼ぶべきデイヴィッド・ラックだった.ラックは強い個体淘汰主義の立場から(ウィン=エドワーズの「動物の分散」より前に,ほぼ同じトピックを扱った)「動物の個体数の自然制御」(1954)という本を書いていた.ウィン=エドワーズの「動物の分散」はこのラックの本に対する応答という意味もあったのだろう.
- ラックはさらに「鳥類の集団研究」(1966)という本を書き,そのなかで前著と同じ主張を繰り返した後,ウィン=エドワーズ批判を繰り広げた.そして同年ジョージ・ウィリアムズによる「適応と自然淘汰」が刊行される.
ラックは,グループ淘汰の批判するのに,鳥類の営巣時のクラッチサイズ(一腹卵数)の議論を使い,クラッチサイズが集団全体の最適化ではなく,個体適応度の最大化の観点から説明できることを示したことで知られる.
このラックに続いていよいよジョージ・ウィリアムズの登場となる.



